孤独な故郷
【五月一日 午前九時】
「懐かしいな~、皆と鬼ごっこしまくったな~」
翔太は、懐かしそうに目を細めて校門の外から小学校を眺めた。本来であれば平日のこの時間なら、生徒達の声が聞こえるだろう。だが、残念ながらそれは無い。理由はたった一つ。私達が通っていた方の浜辺近くの『嵐狐島小学校』は廃校となってしまったのだ。現在では代わりに山の麓にある『山下小中学校』が使われている。もう五年近く前の話だ。
「結構前に廃校になってしもうたけどね。寂しいなぁ……」
「しょうがねーよ。ここ不便だし。便利な方がいいだろ?」
確かにその通りだ。私がこの島を出たのも、あっちこっちに飛び回る身としては不便な所が多くあったから。それに、本島への唯一の交通手段は船だ。その船は毎時間ある物でも無いし、天候不順などの理由ですぐに止まってしまう。それは非常に困るし厄介だ。だから、私は島を出た。
「そうじゃね。色々考えてみたら自分も不便って思っとるけん、この島を出とるわ」
私は、海を見た。水平線の向こうに、あんなに発展した場所があるなんて幼い頃は思いもしなかった。テレビの中でしか見た事が無かった物が目の前に広がっているのを見た時、私は夢を見ている気分になった。
「なんかさ~、こういう所に大型ショッピングモール建ててくれよって思わん? 何で同じ所に何個も何個も建てるんじゃってさ! 一つくらい分けてくれてもよくね? まぁ客殆ど来んじゃろうけどさ!」
「ホームセンターなら需要があるかもしれんね」
翔太を見ると、かなり残念そうに笑っていた。きっと今の私も翔太と同じように笑っていると思う。
「足りないんだよな~活気がさ! 昔はもっと賑やかだったと思うじゃけどなぁ……時代の流れって残酷だよな。田舎を孤独にする」
翔太は、空を見上げた。
「孤独か……でも、元々この島は孤独じゃない?」
「まぁ『嵐孤島』って言われるくらいじゃし、そりゃそうか。なぁ、一つ春紀に聞きたい事があるんじゃけど」
空を見上げたまま、翔太はそう言った。
「何?」
「……春紀はいつかこの島に帰ってきたいって思うか?」
「え? どしたん、急に」
「気になった。今は春紀あっちこっち行くけん無理にしてもさ、落ち着いた頃……例えば引退した時とかよ? 戻るんかなって。その頃になったら、もっと不便になっとるかもしれんけど。どう?」
「どうって……そりゃ帰ってきたいなって思うよ。色々落ち着いて……ゆっくりとした老後を過ごすには、やっぱり故郷が最高じゃない?」
私は心の片隅で、そこに一緒に翔太も居てくれたのならもっと最高だと思った。今日久々に翔太と直接会ったけれど、誰と一緒に居るよりも楽しくて、心安らぐ。翔太の前で演奏した時は、久し振りにいい演奏が出来たと思った。勿論、こんな事を言う勇気は恥ずかし過ぎて無いけれど。
「最高、うん最高だよな。良かった、お前と同じで」
そう言って翔太は、私の顔を見て微笑んだ。その笑顔とその言葉で、体が徐々に熱くなっていくのを感じた。
「そ、それってどういう意味?」
私から出た声は震えていた。翔太に変に思われたらどうしよう。
「そりゃ、この島にぼっちは辛いじゃろ! じゃけぇ、せめてもう一人誰か居て欲しいじゃん。で、第一候補の春紀に聞いてみただけよ」
翔太は、私から目を逸らして再び空を見上げた。
何だそういう意味だったのかと、私は変に恥ずかしくなった。ちょっと期待していたのが馬鹿みたい。そもそも、期待していたって何だろう。何を期待していたのだろう。心がモヤモヤする。
「第一候補って何。そんな事言うんなら、私永遠に東京で暮らそうかな」
「え? いや別にこれは……ちょっとした冗談だって」
翔太は、驚いた顔でまた私を見た。
「冗談? まぁいいけど」
全然良くないけど、今この事についてごちゃごちゃ考えるのは止めよう。そんな遠い未来の事、どうなるか分からないし。変に期待したり、思い上がるだけ無駄だ。
「おいおい、ちょっと向こうの空見てみろよ」
海の方を眺め始めていた翔太は、遠くの空を指差しながら気だるげに言った。指の先の空を確認すると、翔太の今の気持ちを理解する事が出来た。向こうの空は、どんよりと暗い。雨が降っていそうだった。
「うわ、最悪。天気予報は明後日までずっと晴れって言とったのに……」
「そんなに当てにならんじゃろ。どうする? 今日明日と大荒れになって帰れんくなったら」
「そんな事言わんでや~私、普通に演奏会あるんじゃけ」
一気にどんよりとした気持ちになる。打ち合わせとかに参加出来ないのも困るし、コンディションを早めに整える事も出来なくなる。本当に勘弁して欲しい。
「帰ったらテルテル坊主でも作っとこ。よし、もう小学校はいいや。次行こ次!」
「いいけどさぁ……どこがいいん?」
「そうじゃねぇ、商店街かな! 俺らの時から大分廃れてたけど……」
「虚しくなってくだけみたいな感じするけど……分かった。行こ」
子供の頃、天気が悪いのが嫌いだった。だって、海が怒るから。木がうるさいから。皆居なくなってしまうから。だから、気分が一気に未だに悪くなってしまうんだと思う。
私は、天気に不安を抱えながら次の目的地へと向かった。
そういえば何かを忘れている気がするのだが……気のせいだろうか。