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知らなくて  作者: みなみ 陽
序曲
5/21

君に捧ぐ旋律

【五月一日 午前八時】


「相変わらずピアノの存在感ヤバい」


 翔太は、私の部屋に入るなりそう言った。

 確かに部屋の中央に真っ黒なグランドピアノが置いてあったら、誰でもそう思うかもしれない。私も、久々に部屋を見たら、ピアノの存在感に目を引かれた。

 私は、ピアノへと足を進める。お母さんがちゃんと私の部屋も掃除してくれていた様で、ピアノが埃を被っているという事は無かった。


「懐かしいね。小さい頃は、よくここで私が一方的に演奏しとったっけ」

「そうそう! あれ聞いてーこれ聞いて―って本当次から次へと……四時間以上聞かされた日もあったかもしれん」

「えぇ!? それは盛っとるじゃろ。四時間も弾けるわけ無いじゃん」

「いーや、弾いとったね。あれが四回は鳴っとった」


 翔太はそう言うと、部屋に掛けてある時計を指差した。振り子がゆっくり大きく揺れている。あの時計は一時間経つと、不気味な音で知らせてくれる。私はあの音が嫌いで、その時間になりそうになったら、わざとピアノを力強く引いて必死に打ち消していた記憶がある。しかし、それは夜には出来ないから、耳を塞いで眠りについていた。お父さん達に変えて欲しいとは言えず、只々耐えるしかなかった。


「そりゃどうもごめんなさいねぇ。じゃあ弾かない方がいいかしらねぇ」


 わざとらしく翔太に言った。


「え!? 何でそうなるん? 今は弾いてや!」

「うそうそ、冗談。からかっただけ。弾くけん、ちょっと待って」


 私は、ピアノの鍵盤蓋をまずは開けてみた。私の人生は常にピアノと一緒、ずっとずっと一緒だった。悲しい事や辛い事、寂しい事、ピアノを弾く事で全部忘れられたし、逆に嬉しい事や楽しい事、幸せな事があれば、それを思い出しながら弾いていた。

 屋根を上げて、突上棒で支える。この弾く為の作業の繰り返しが、面倒臭くもあれば、楽しみでもあった。

 私は、椅子に腰掛ける。それ確認して、翔太はあの頃の定位置、時計近くのソファーへと跳ぶ様に腰掛けた。


 そういえば、久し振りだ。誰か一人の為にピアノを弾くというのは。

 最近、いやピアニストになってから、当たり前といえば当たり前なのだが、私は大勢の名前も知らない人達に演奏を聴いて貰っていた。終われば溢れんばかりの拍手が貰えて、幸福な気持ちになる。でも、溢れんばかりの拍手を生み出している一つ一つの拍手は、私には聞こえない。もう何年も聞いていない。


 私は、鍵盤に手を置いた。そして、小さく深呼吸をする。これは私の習慣だ。


「じゃあ、弾くね」


 部屋に恐らく久し振りに音が響いた。勿論響くのは、このピアノからの音だけ。それを邪魔する音など何一つ存在していない。

 私は、翔太との思い出を思い出しながら弾く。


 小学校一年生の時だった。音楽の授業が終わった後、私達は二人で音楽室に残っていた。翔太が私があげた鉛筆を無くしてしまったからだ。二人で一生懸命音楽室を満遍なく探した。それでも見つからなかった。

 それで翔太は泣き出して、私が必死に

『また新しいのあげるけん、泣かんとって』と、そう何度も励ましても、翔太は泣くのを止めなかった。

 幼いながらも考えた。どうすれば、翔太は今泣くのを止めてくれるだろう。どうしたら、いつもの翔太に戻ってくれるだろうと。

 そんな私の目に映ったのは、音楽室にあるグランドピアノ。私に出来る事はそれしか無いと思った。それ以外はまるで駄目。冗談を言って笑わせる事も苦手だし、話を面白くすることも苦手、優しくフォローするのも得意じゃない、それなら、唯一出来るピアノで翔太を泣き止ませてみようと思ったのだ。

 弾む様な、心躍る様なメロディーはそう思った瞬間、すぐに閃いた。そして、鍵盤に手を置けば勝手に手が動いた。


 普段の翔太を、優しくて翔太を思い浮かべながら優しく、そして笑顔が素敵な明るい翔太を思い浮かべながら曲の終わりは力強く弾いた。

 もう次の授業は始まっていたのに、この音楽室に他の生徒や先生が居ない事も忘れて、ただ翔太を想って弾いていた。翔太の大きな泣き声も搔き消す程、音は部屋に響いた。

 そして、弾き終わった後、翔太は小さなその手で、大きな拍手を私にくれた。まだ涙が残るその目は、凄く輝いていた。

 それが、大きなきっかけとなって、ピアニストを本気で自分の意思で目指す様になったのだ。

 教室に戻ると、先生に私達はかなり怒られた。でも、二人だからいいやって思えた。二人で手を繋いでいたのもあって、怖くても私は泣かなかった。


 私は、静かに鍵盤から手を離した。残された音だけが響き、そして静かに空気に溶けて行く。


「ブラボー! 最高! 流石春紀!」


 翔太は、演奏を聴きに来た観客さながらに、立ち上がって私に大きな拍手を送ってくれた。


「ありがとう。久し振りに弾いたからどうかなって思うんだけど……」

「ぶち良かった! 思い出すわー、あの日の事! 結局鉛筆は教科書の間に挟まっとったんよな~」


 へへへ、と恥ずかしそうに、翔太は笑った。


「本当、ちゃんと確認して欲しかったわ。怒られ損よ、怒られ損」

「話のオチとしては、まぁまぁ良くねーか?」

「そんなに良くないと思うけど」

「えー、そうかなー? 他の奴に話した時は爆笑されんじゃけど」

「それは、翔太の間抜けさに爆笑したんじゃない?」

「え、そういうアレ!?」

「多分ね」


 翔太は若干、ショックを受けてしまった様で力無くソファーに座り込んだ。一体誰にその話をしたんだろう。


「んん~、それにしても羨ましいぜ。好きな事で飯食ってけるってのはさ」

「どうしたの? 急に」


 私は、鍵盤蓋を閉じる。


「いや~だってさ。それって中々出来る事じゃないんだぜ。俺なんて、挫折に挫折を重ねて結局生きていく為だけの事を考えて就職したもん。ま、それが出来ただけ幸せ者なんじゃろーけどさ」


 翔太は笑ってはいたけど、どこか悲しげだった。私は、翔太の座るソファーへと向かう。


「今、会計事務所で働いとるんじゃろ? ちゃんと勉強しとったけん、それが出来たんよ。もし、資格とかちゃんと取っとらんかったら、今頃もっと苦労しとったと思うよ」


 私なりの精一杯の言葉だった。翔太がどれだけ悔しくて、どんな思いで夢を諦めたのか、それは何となく分かる。だけど、それはあくまで私の予想でしかない。私の想像をはるかに超える程、厳しくて、そして辛いものだったと思う。それが分かるのは体験した翔太だけだ。


「まぁ、そうじゃね。今の職場は別に嫌いじゃない。仕事はたいぎーけど、周りの人が優しいけんさ。でも、やっぱり悔しいよなぁ」


 翔太は、そう言って上を見上げた。


「まだまだ人生これからだよ。幾らでもまだ挑戦出来る。翔太なら大丈夫。絶対出来るよ」


 私は、翔太の居るソファーに腰掛けた。


「簡単に言うなよ~、人生の成功者さんよぉ」

「成功なんてしてないよ。私は……」


 そう私は夢を叶える事は出来た。でも、そこからの道のりを自分で這い上がったか言われればそうじゃない。お父さんとお母さんの功績があったから、私は注目された。プロとして実力がまだまだである私が、一瞬で這い上がったのはその為。人生を成功させたのは、私じゃない。両親だ。


「またまた、ご謙遜は止めて下さいよ~お嬢様~」

「もう! 馬鹿にしないでよ!」

「うわ! 怒った!」


 わざとらしく翔太が、驚く反応をした。その時だった。

 ボーンボーンボーンと、低く不気味な音が部屋に響いた。私にとってそれは恐怖心を煽る音だ。


「あ、もう九時じゃん。はえー」

「そうだね。どうしよっか」

「あ、俺、折角だから小学校とか見て回りたい! 久々にこっち来たわけだし。一緒に行こうぜ!」

 

 翔太は、元気良く立ち上がる。


「うん、いいよ」


 私も立ち上がって、翔太と一緒に部屋を出た。 

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