再会
【五月一日 午前八時】
「吐きそうじゃわ……」
真っ青な顔の翔太が船のデッキで、体操座りをしながらそう呟いた。相変わらず船には弱いみたい。ここからは、綺麗な海が見えるのだが、翔太は景色を楽しむ余裕もないようだ。
「ごめん、無理言っちゃって……ほら、もう少しで着くよ!」
とりあえず少しでも元気を出して貰おうと、近くにはっきりと見えてきた小さな島を指差す。あれが、私達の目的地『嵐孤島』である。
人口数百人程度の小さな島で、この定期便に乗って行かなければあの島に行く事は不可能だ。つまり、この船だけが嵐孤島と本島を繋いでいる。
「やっとかぁ~……。眠いし吐きそうだし、もう死にそうじゃ」
翔太は右手で口を押え、左手で手摺を支えにしてゆっくりと立ち上がる。そして、島の方へ向いて大きく溜め息をついた。
「小学生以来だっけか? この島に来るの。確かあの時も……うぅっ」
手摺から身を乗り出して顔を下に向ける。私は慌てて翔太の背中を摩った。
「頑張って! あとちょっとじゃけぇ!」
「頑張れん……安心したら、なんか、うん、もう無理……うえぇぇっ!」
***
船は、翔太が吐いた後すぐに島に到着した。私は翔太の手を引いて、先導しながら船の出口へと向かう。
「足元に気を付けて降りーよ! おっ!」
船員の白髪交じりの男性が他の乗客を先導していた。私達が近付くと、私の顔を見て嬉しそうに笑った。
「こりゃぁ……えろう綺麗になったのぉ! 隣の真っ青な青年は、春紀ちゃんの彼氏か?」
「違います! ただの幼馴染です。それより、お姉ちゃんはもう来てますか?」
「あー! 昨日の晩来ちゃったよ。テレビで見るより綺麗じゃねって皆騒ぎょーたわ」
「有難うございます。じゃあ、翔太行こ」
「おおぅ……」
恐らく、朝食べた物を全て胃の中から吐き出したのだろう。しかし、まだ気分悪そうにしている。私は船酔いなどの乗り物酔いをした事が無いから、翔太の苦しみは分からない。
勿論、見れば苦しいのは分かるが、その苦しみがどれほどの物なのか理解は出来ない。
真っ青な翔太を引き連れて、家族が待つ家へと向かおうと足を一歩踏み出した時だった。
「あっ!」
船員の男性が、大きな声を出す。私が振り返ると、彼は申し訳なさそうに口を開いた。
「こう言ったらあれなんじゃけど……お姉ちゃんのサインくれんかね? 孫がファンなんよ~? ええかね? 昨日は人が多過ぎて言う機会が無かったんよ」
「良いですけど……あ、お孫さんの名前は?」
「安藤 穂乃果って言うんじゃけど……」
「分かりました。家に着いたらすぐにサイン貰いますね。次の出発はまだですよね?」
「あと二時間あるよ」
「じゃあ、それまでに持って来ますね。それじゃ!」
「おう、ありがとのー!」
私は船員の男性に手を振りながら、翔太を手を引きながら足早に道を進む。すると、翔太が弱々しい声で言った。
「妙に慣れとるじゃん」
「よくある事じゃけん……こういうのは慣れとんよ」
幼い頃から人を惹きつける才能のあったお姉ちゃんは、両親の反対を押し切って女優になるという夢を叶えた。今や映画にドラマ、アニメなどの声優、ラジオのパーソナリティーなどマルチに活動している姉のサインを欲しいと思う人が多く居るのは当然の事だろう。
そんなスターになった姉が、この高齢化が進む島に帰って来るというのは、一つのお祭り事になる。
「たいぎくないん?」
「私は別にたいぎくはないけど……お姉ちゃんが大変かなって……でも、断れんし……」
私は昔から断るというのが苦手だ。何かをしてとか言われたら断る事が出来ない。それは、相手に申し訳無い気持ちになるし、断ったら相手が悲しむんじゃないかと考えてしまうからだ。
「お人好しというか、何というか……」
翔太が呆れた口調で言った。
分かっている。断る勇気も大切なのだという事も。
「翔太はさ――」
「春紀~!」
そう言いかけた所で、遠くからお姉ちゃんの声が聞こえた。
「あ、お姉ちゃ~ん! 久し振り~!」
お姉ちゃんは、家の門の前でこちらに向かって手を振っていた。それに、私も手を振り返す。
「いつ振りなん?」
「んー、高校生以来かな……直接会うのは。手紙とかメールとか、宅配とかでやり取りはしとったけど」
「ふ~ん……もしかしてそれって家出に近い感じの事が原因?」
「うん……まぁ、そうかもね」
私達はそんな会話をしながら、お姉ちゃんの待つ家へと歩みを進めた。