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知らなくて  作者: みなみ 陽
迫り来る不穏な影
12/21

時なんて

【五月一日 十二時】

 

「……ちょっと私翔太君の所行ってくる」


 お姉ちゃんはそう言って席を離れる。私も翔太のことが心配で、すぐにでも後を追いたかったのだが、それは出来なかった。リビングが荒野のような雰囲気だ。この場から立ち去る勇気は私にはない。


「あら、食べんの? 春紀」


 お母さんはそれでも平然と食事を続けている。お父さんから発せられる異常なオーラを物ともせず、流石気難しいお父さんの妻だけあるのかもしれない。


「食べる……けど」


 私は持っていた箸をサラダへと突っ込む。こんなにも美味しそうなのに食べたいとは思えない。でも、食べなければいけない。

 私はトマトを掴み、ゆっくり口に運ぶ。勿論、美味しい。だけど……箸が進まない。この場の雰囲気のせいもあるし、これからのこともあるし、気分が悪いのだ。


「全然食べとるように見えんけど」


 お母さんは、お椀を手に持ちながらそう言った。


「……ごめん、もう満腹じゃわ」


 私は箸を置いた。ご飯も味噌汁もサラダも、何も減ってない。ほとんど食べていないのに、この満腹感。


「そう」


 お母さんは、味噌汁をすすり始めた。私のことになんてそんなに興味はないんだろう。昔から子供を心配したりするタイプの人じゃなかった。自分のやるべきことだけする人、それが私のお母さんだから。

 私は重い気持ちのまま、リビングを後にした。

***

【五月一日 十三時】

 

 ボーンボーンという音が私の部屋から響いて聞こえる。刻一刻と運命の時が迫っている。恐怖と不安で私は胸がいっぱいだ。

 とりあえずこの気持ちを掻き消すために、ピアノを弾こうと考えた。それで私が廊下を歩いていると、翔太とお姉ちゃんが少し神妙な面持ちで何かを話していた。

 最初に私に気付いたのは翔太だった。


「あ、春紀」


 さっきのことを気にしている様子でいつもの笑顔はない。声も暗いし、表情も暗い。翔太の声に反応して、お姉ちゃんも私の方を向く。


「どう? リビングの方は」

「ちょっと怖いけぇ逃げてきたんよ」

「俺のせいかな?」


 翔太は申し訳なさそうに肩を竦めた。


「あんなの怒って当然よ! 意味分からん両親にガツンと言ってくれる存在がおって良かった! それにあんな雰囲気にしたのは私じゃし」


 お姉ちゃんは頬を膨らませて言う。


「あんなのご飯の時にわざわざ言わんでも……」

「じゃけぇさ、一対一の時だったら無視されるんじゃもん。私が追及しても無視するしさ。しょうがないじゃろ? 大勢、特に客人がおる時だったら無視されるんけ」

「……あの、さ」


 翔太は俯いて言う。


「どしたん」


 こんなにも元気のない翔太はいつぶりだろうか。私は心配になって、問いかける。


「や~……なんつーかさ、お前んちって普段はあんな感じなんかなぁ~って」

「そうだよ」


 そう答えることしか出来なかった。普段から殺伐とした空気で家で時を過ごす。だから私は家を出た。ピアニストという職業を理由にすることが出来たのはラッキーだ。


「翔太君って私がおる時におらんかったけぇね~。私がおらん時の客人がおる時とか、もうそりゃ圧倒的に過ごしやすい環境でしょうよ。晩御飯が地獄じゃねぇ」


 お姉ちゃんは他人事のように言った。


「外食! 外食しよう!」


 翔太は閃いたように手をポンと叩く。


「ん~そこに私も加わっていいもんですかねぇ」


 お姉ちゃんはニヤニヤと私を見る。


「いいよ! ねぇ!」


 私はイラッとして、翔太にそう賛同を求めた。


「お……おぉ……最初からそのつもりじゃったけど……」


 翔太は目をパチクリとさせて、何かに圧倒されているかのように頷いた。


「じゃあ十八時に行こうや。唯一の外食の店の『田丸』!」

「いいっすね! あっこのうどん、俺めっちゃ好きなんすよ!」

「確かに……」


 どうしてお姉ちゃんはこんな時も普段のテンションでいられるのか不思議で仕方がない。無理に上げないといけない。でもそれがしんどい。時が進むのが嫌だ。もういっそ時なんて止まってしまえばいいのに。

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