【三】くっ、殺せ!
【少女遊迷宮B20F】
二十層のボス部屋にいた、ニャンコ導師曰く、〈ケルベロス〉とかいう三つ首を持つ巨大な犬が、その巨体からは想像できない素早い動きで、俺に向かってダッシュしてきた。
ひと噛みで俺の胴体を喰い千切りそうな、鋭い牙の生えた顎が目前に迫る。
その牙から滴る唾の臭いを嗅いで、本能的な危機感を感じた俺は、咄嗟に正面からの迎撃を放棄して、ピカピカに磨かれた石造りの床を転がって、間一髪その攻撃を躱した。
ガギン!! という硬質な音がして、勢いあまった魔獣の牙が俺の背後にあった石柱――俺が三人掛かりでようやく手を回せるくらいの太さ――を、ひと噛みで粘土細工みたいに削り取る。
さらによくよく目を凝らすと、奴の噛んだその部分の石が灰色から黒く変質してボロボロに崩れ去り、そこから鼻が曲がるような嫌な臭いが流れてきた。
――チッ。やはり、毒を持っていたか!
それも途轍もない猛毒だ。掠るだけでもヤバイかも知れん。
こいつ相手に接近戦は不利だ――と瞬時に判断を下し、俺は牙の届かない側面に回りこもうとした。だが、なにしろ相手は三つ首。どこに行っても、どれかの首がこちらを見ていてほとんど死角がない。その上、即座に反応して姿勢を入れ替え、常に正面を向くように位置を入れ替えてくる。
――厄介な相手だな。
歯噛みした俺は一旦距離を置くべく、相手に対して視線を外さないまま、後方へ向かって大きく跳躍した。しかし、この苦し紛れの行動から俺の内心の焦りを嗅ぎ取ったのか、同時にケルベロスも俺に向かって跳躍してきた。
「しまった!?」
逃げ場のない空中で敵の攻撃を受ける形になってしまった!
俺は咄嗟に右手に持っていた螺旋状の魔剣――《螺旋剣》に魔力を流し込み、ケルベロスの一番近い右端の首目掛け剣を振るった。
俺の意思に従い、一瞬にして形状を変えた《螺旋剣》の刀身が解けて、リボンのようにうねりながら、大きく開いたその口に巻き付いて強引に顎を閉じさせる。
さらに左手で練っていた爆炎の魔法を中央の首目掛けて放つ――直前に思い直して、自分の足元へ向けて放った。
その反動と床に炸裂した爆発とで、俺の身体が浮き上がり、ギリギリ空中で軌道修正をして、残り二個の首の攻撃を避けることができた。
やばかった。あのまま真正面から魔法を当てても、動きを止められるのは二本目の首だけで、三本目の首で確実に俺はやられていたろう。
だが、最大の危機を乗り越えたいま、流れは俺にある!!
死中に活を見つけた俺は、足元を通過するケルベロスの頭を蹴って、その背中に着地すると同時に両足の指だけで、奴の背中の鬣を掴んで姿勢を確保し、そのまま《螺旋剣》を両手で握って、全力の魔力を流す。
「「ぎゃん――っ!!!」」
自由なふたつの首が悲鳴をあげるが、構わずにそのまま回転する刃が右側の首の顔を両断。トドメに脳天に一撃を入れて、そのまま炎の魔法剣として内側から完全に焼き尽くした。
「「――がっ……がるるるうるるる!!?」」
死に物狂いで暴れ、背中を床に擦り付けるケルベロス。さすがにその位置を確保できなくなり、足を放したところへ、左側の首が一瞬口内を膨らませたかかと思うと、勢いよく猛毒の唾液を水流のような勢いで放った。
「くっ――ちいいいいいっ!!」
必死に躱すが、飛び散った飛沫が肌のあちこちに当たり、当たったところが火脹れのようになり、ちょっと触っただけで血が流れ出す。
「この、畜生が!」
叫びながら再び《螺旋剣》に魔力を通して、螺旋状に高速回転させて、続けざまに放たれる猛毒の唾を弾き飛ばす。
「喰らえ――っ!!」
更に回転を早めて突き出した刃の渦が、一直線にケルベロスの口中へと吸い込まれ、一気に脳髄まで貫いた。
「ぎゃん!!」
悲鳴をあげる残った中央の首目掛けて魔法を放とうとしたところで、ケルベロスの身体が光に包まれ消え去った。
「……?」
突然のことに混乱している俺に向かって、ずっと傍観していたあの方が、なぜかため息をつきながら〈姫様〉――散歩の途中のような気軽な足取りで、俺のほうへ歩いてきながら麗しい声を掛けてくださった。
「――君の勝ちだよ。ヒットポイントが九割を切ったんで、あの子は城へ強制転移で戻されたんだ。いまごろは治療中だと思うけど、それにしても二十階のボスをほとんど無傷で斃すなんて、どんだけ規格外なんだろうねぇ」
いや、結構手こずりましたし、全身から血も出てるんですけど?
「五体満足ならほとんど無事も同然だよ」
呆れたように付け加えられた返答に、さらに離れた場所で俺たちの様子を窺っていた仲間の一団――一をはじめとする精鋭達――に混じっていたニャンコ導師が、コクコク首を振って激しく同意していた。
「はあ、そういうものですか……?」
取りあえず勝ったらしいので、俺は《螺旋剣》を直剣に戻して鞘にしまい、勝利の雄叫びをあげる仲間の下に、手を振りながら凱旋したのだった。
◆◇◆◇
【少女遊迷宮B17F】
ご無沙汰しております、イチジクです。
先日、晴れて小鬼から妖鬼にランクアップしたお陰で、狩場での獲物の確保も楽になりました。
まあ、進化直後はともかくその後二~三日は全身の倦怠感と、引き裂かれるような激痛で、ほとんど寝たっきりになっていましたけれど、なんでも種族そのものが変化したことで、体のつくりそのものがそっくり入れ替わったような状態になり、その反動が来たせいだとか……。
とは言え、いまではまるで生まれた時から自分が妖鬼であったかのように感じられます。実際、進化による恩恵は凄まじく、以前は手強かったリザードマンすら、いまではほとんど圧勝できるようになったほどです。
そのお陰か仲間達もすくすくと育ち、気が付けば二百匹近い大集団となり、根城にしていた地下迷宮の十七階層のほぼ半分を独占状態で、わが世の春を謳歌しています。
で、そうなると案の定、ニンゲンの冒険者集団が俺たちを排除するために、かなりの数を動員……となりましたが、こちらは地の利となにより俺と中鬼のニノマエ、半分が上位種族に進化した元の群れからついてきたゴブリン達の精鋭、さらにはなぜか斥候としての能力を大幅に上げた犬精鬼チーフ――ボロボロに錆びた鉄剣を背中に三本くくりつけて、野猿のように跳びまわるその姿を眺めたあのお方が、「あの子は赤鰯になった剣が好きなの?」と尋ねられたことから、俺たちは『アカイワシ』と呼んでいる――率いる犬精鬼斥候隊のお陰もあって、所詮は烏合の衆であるニンゲンどもはなす術なく、ことごとく返り討ちにすることに成功したのでした。
……そういえばその集団の中に、以前手合わせしたアホ面下げた若い雄がいましたね。名前は、確かジ……なんとかだった気もしますけれど、まあ、アレもいまでは実力差もなくなり、以前の奴なら苦もなく捻られると思うのですが、生憎と遠目に見ただけで直接戦う機会はなかったのが残念です。
とは言え、また奴もいつの間にか魔力を放つ魔剣を持っていたのじゃ油断ができないところです。
そんな感じでブイブイ言わせていたのは良いのですが、これだけが数が増えて、目立つようになると問題も出てきます。
特にここにきて俺の頭を悩ませているのは、ニンゲンからのチョッカイだけではなく、同じ魔物、特に同じ階層を根城にする豚頭鬼の群れとの小競り合いでした。
豚頭鬼というのは見た目はどうあれ、あれでなかなか手ごわい相手です。
普通なら小鬼の群れなど、連中が2~3匹いれば苦もなく制圧させられ、だいたいにおいて服従させられ、肉壁扱いで使われるのが常ですが、こちらは一応豚頭鬼よりも上位種である俺を筆頭に、1対1なら豚頭鬼の通常種に匹敵する精鋭揃いということで、それなりに拮抗……とまではいかないものの、十分に対抗できる戦力が揃っています。
で、最近はほぼ毎日のように、縄張りを巡っての小競り合いが頻発しているのでした。
まあ、豚頭鬼の連中としては、もともとこの階層を縄張りにしていたところへ、新参者の俺たちが後からやってきて、我が物顔をしているのですから面白くないでしょう。実際、ここに移住して来たかなり早い段階で、
「俺様の手下になれば、見逃してやる。だが逆らうなら容赦はせん」
と、いきなりの最後通告に近いメッセージを受けています。
そう鼻息荒くメッセージを口頭で伝えにきた豚頭鬼については、俺とニノマエで丁寧に持て成しました。ちなみにその日の飯は、豪勢に豚頭鬼丸ごと一頭を丸焼きにしたものでした。
そんなわけで、現在、この階層を巡って豚頭鬼の集団と一触即発の状況となっています。
そして、そういう時に限ってトラブルは舞い込んでくるのでした。
◆◇◆◇
「……雌が足りない」
「ナンダ、藪カラ棒ニ?」
俺の群れ――正確には俺とニノマエとで共同統治しているのだが、基本ニノマエは「考エルノハイチジクノ役目ダ」と思考放棄しているので、実質的に俺が取り仕切っている――の現状を、俺は一言でまとめて言ってみた。
「現在の俺たちの群れだが、この間のニンゲンとの戦いで小鬼が四十匹、上位種のホブ・ゴブリンが五匹、ゴブリン・ソーサラーが三匹。あとついでに犬精鬼が三十匹ほど犠牲になっている」
「弱イ奴ガ悪イ。サッサト強クナラナイカラダ」
一言で斬って捨てるニノマエの台詞は、なるほど魔物としては妥当なものですが、群れ全体を庇護する長としては問題です。
「そうはいっても、強くなる前にバタバタ死んでしまってはな」
「フン。小鬼モ犬精鬼モ、一月モスレバ元ノ数ニ増エルダロウ」
にべもなく言い放つニノマエ。
『一月』という概念が理解できるようになったのは長足の進歩だよなぁ、こいつも進化のお陰で多少は考える頭ができたらしいと感心しながら、俺は嘆息して頭を左右に振った。
「普通の小鬼や犬精鬼ならともかく、上位種の特にゴブリン・ソーサラーが犠牲になったのは痛い。一から鍛え直すにしても、素質がある奴を見つけて使えるまでに最低でも四月はかかるだろう。その間に豚頭鬼が攻めてきたら持ちこたえられん。アカイワシの報告では、連中はオーク・キングを筆頭に五百匹からの群れがいるそうだからな」
「ナラ俺タチデ豚ノ頭ノオーク・キングヲ斃セバイイダロウ」
「そこまで持ち込めれば、な。こっちで戦えるのはいまのところせいぜい百匹。あいつらは五百匹。まさか俺とお前ととで、四百匹を相手するわけにはいかんだろう?」
「四百匹カ……イママデノ最高ガ三十匹ダッタガ。フフン、腕ガ鳴ルナ」
新記録への挑戦に、ニノマエが上機嫌で愛用の大斧をしごいています。
いかん。駄目だ。こいつに理屈は通用しない。何も考えずに特攻する気満々だ。せめて数の不利を覆せればどうにかなりそうですが、そもそもうちの群れは雌が少ないので自然繁殖で数を増やすのにも限界があるのですよね。
「……二階や三階に行って、野良の小鬼の雌を拐ってくるか」
拐うというと人聞きが悪いですが、魔物は強い相手に惹かれる傾向が強いので、上位種族が多い俺達の群れなら、雌の方がホイホイ喜んでついてくるでしょう。
ただ問題は……。
「弱イ雌ハ邪魔ダ。強イ雌デナケレバ、強イ子供ハ生マレナイカラナ」
「うむ」
ニノマエが言うとおり、普通の小鬼ならともかく、上位種に進化済みの連中は進化の影響なのか、低層にいる小鬼の雌相手に、いまいち食指が動かなくなっているという問題があるのです。
「同格ノ魔物ノ雌トナルト、モット深イ層ニ潜ラネバイナイソウダガナ。マア、ニンゲンナラ問題ハナイラシイガ……」
ニャンコ導師曰く、魔物同士がつがいになった場合、例えば妖鬼である俺と、そこらへんの小鬼の雌で子供を作った場合、ほとんど弱くて繁殖力だけは強い小鬼が生まれるとか――話を聴いていた『あの方』は、「メンデルの法則だねぇ」とおっしゃっておられたが――なので、そうそう戦力の強化には繋がらないでしょう。
ところが、なぜかニンゲンの雌を苗床にすると、雄の形質が色濃く現れた魔物が生まれやすいんだとか。もっとも魔物同士と違ってなかなか子供を作り難い上に、生まれるまで結構時間が掛かるらしいので、いままでは特に必要と認めていなかったのですが、上位種に進化した連中が多くなって来た昨今、ニンゲンの雌を掻っ攫ってくるのもひとつの方向性としてはありかな、と思えるようになってきました。
いや、無論、俺はあの方一筋なので他の雌に目移りするわけはありませんよ。
「お頭っ。殴り込みです! ニンゲンの雌が一匹、突然群れに襲い掛かってきました!!」
と、そこへ斥候頭のアカイワシが息せき切ってやってきた。
“殴り込み”と聞いてニノマエは条件反射で大斧を掴んで飛び出して行ったが、俺はその報告の内容に首を捻る。
「ニンゲンの雌が一匹だけか?」
「はい、お頭」
「群れのホブ・ゴブリンやメイジ、ソーサラーはいないのか?」
「真っ先に蹴散らされました!」
「……ニンゲンの雌が一匹だけなんだよな?」
「はい、そうです!」
「……どういう状況だ……?」
考えてもしかたがないので、俺も《螺旋剣》を引っ掴んで、ニノマエの後を追って小走りに現場へと向かう。
「こちらです、お頭っ」
少し先を誘導して走るアカイワシに言われるまでもなく、木立の向こうからガチン! ガチン! と金属同士が盛んにぶつけ合う音が聞こえてきた。
「ウオオオオオオオオーーーーッ!!!」
すでに戦っているらしいニノマエの雄叫びと、
「よっしゃっ、ええわええわ! なんや他の連中は見掛け倒しで弱すぐて物足りんかったけど、楽しめるわ! ウチに勝てたら魔物らしく『くっ、殺せ!』って目に合わせてくれなあかんで、じぶん」
やたら喜色に溢れたニンゲンの雌が放つ黄色い叫びが……。
「――お頭?」
本能的に関わっちゃマズイ相手だと、思わずその場に足を止めだらだらと脂汗を流す俺を、アカイワシが怪訝そうな目で見つめていました。
12時の予約設定を間違えました(≡ε≡;A)…
あ、本日二回目の更新はむりっぽそうですm(。≧Д≦。)m