1部1話「銀髪青瞳の戦国姫」8
午後になっても意図的な無視は続いていたが、深朱の言葉もあってか、心に余裕が生じてきた。
観察していると、確かに可憐はクラスメイトに動物のあだ名をつけているようだった。カバ、サイ、イノシシ、ウツボ、ペリカン、キツツキ、サンショウウオ、そのバリエーションは多岐にわたる。悪態も個人差はなく、誰であろうと会話には毒しかない。そういう性格ゆえ、クラス全員から距離を置かれているようだが、それに関しても特に不快に思っているような素振りは見られない。
知れば知るほど不思議な人物である。
まぁ、クラス……女生徒から私も距離を取られているのだけれど。
可憐に注視をしていると、刺さるような視線たちはさほど苦痛には思えなかった。
午後の授業も、なんとか無事に終わり、放課後を告げるチャイムが冷めた教室の空気を震わせた。
「……俺は生徒会に行く。何かあれば、後で聞く」
「迷惑をかけるの」
「俺が勝手にやっていることだ」
私の席の横を歩きながら深朱と小さな言葉のやり取り。深朱は振り返ることなく、教室を出ていく。
深朱を皮切りに、各々で会話を交わしながら喧騒を伴い教室を後にしていく。
「つばきちゃん、私は演劇部に行ってくるけど…あの、大丈夫?」
「気にするでない。わらわは大丈夫じゃ」
「…つばきちゃん、引っ込み思案の割に頑固なところがあるから…」
「引っ込み思案と頑固が同居する性格に難があるような物言いだの?」と微笑みながら、軽く史華の背中を軽く押す。
「部活に励むがよいぞ」
「…わ、わかったよ」
深朱と違って、何度か振り返る史華が教室を去ると沈黙と静寂が喧騒の代わりに、この場を支配した。
教室に残されたのは私と、可憐の二人。
「……あら?カタツムリは、まだ帰らないの?」
可憐は教室を見回し、私の姿を確認して言葉を発する。史華ほどの通る声ではないが、声だけに耳を傾ければ優しい響きが含まれていることに気づく。深朱のいう通りに可憐は私が思っているような人物ではないのか。それとも深朱が可憐の綺麗な顔立ちと主張して止まない服を内側から持ち上げる『ソレ』に目がくらんだか。同性から見れば、その大きさにさほど興味を示さないが男性は豊かな『ソレ』がお好きなようだし。
「ふむ。わらわが帰らぬと不都合かの?」
「カタツムリというのは知能が恐ろしく低いのね。貴女は昨日まで入院をしていたのよ?復帰初日に放課後まで残らず、懸命ではないかしら?」
「おや、わらわのことを心配してくれておるのかの?」
私の言葉に可憐は小さく首を傾け。
「心配?私が貴女を心配していると?どうなのかしらね?」
イマイチ、自分の言葉の真意を理解していないようであった。
西日が教室に差し込み、可憐をオレンジ色に染めていく。
このままでは、この息苦しい距離感は縮まらない。私は、あえて可憐に刀を抜く。
「カタツムリは強い生き物ではないからの。しかし、わらわがカタツムリと申すなら、おぬしは『ハリネズミ』かの?」
「ハリネズミ?」と私の言葉を可憐は口にする。
「自覚はなかったのかの?お主が近づけば、その身体から生えた針で相手を傷つけ、周囲の者たちは傷つきたくないから、お主から距離をとる。まさにピッタリではなかろうか?」
私の言葉に、可憐はきょとんとした顔をしていた。
「私、どなたか傷つけたかしら?」
「は?」
「うん?」
深朱が言っていた「傷つけている自覚がない」とは事実だったのか。可憐の思考や感性が掴みづらい。なぜ傷つけている自覚がないのか?
「お主、クラスメイトに動物のあだ名をつけて、侮辱しているではないか」
「動物のあだ名を付けるのは侮辱していることになるの?それは動物に対して失礼ではないかしら?」
悪意はないということか?しかし、現にクラスメイトは傷つき、彼女との距離をとっている。
「お主がそうでもの。傷ついておる者がそこにおるという事実は変わらぬよ。お主は傷つけておる自覚はないようじゃがな」
「……人間って面倒な生き物ね」
そう呟きながら、夕暮れの窓の外を遠く見やる。
「それが人間というものじゃよ」
「……貴女、戦国時代のお姫様の記憶が蘇ったとかほざいていたわよね」
ほざくって…。
「うむ。絶姫というのじゃが…」
「覚えておく気がないから、名前はどうでもいいわ」と、視線は窓の外からそらさず、私に言葉を投げ捨てる。
「…戦国時代には学校というものはなかったのでしょう?お姫様ってどうやって勉学を学んだの?」
オレンジに染まった顔を、ゆっくりと私に向ける。私は、それに呼応するように席をゆっくりと立ち上がる。
「学校というものは存在せぬな。その変わり、教育係がおった。今で言うところの家庭教師に近い形であろうか」
「…羨ましいわ。私、戦国時代のお姫様に生まれたかったわ」
ゆっくりと私は『ハリネズミ』との距離を縮める。
「どうしてそのようなことを言うのじゃ?わらわとしては、この時代は素晴らしいものであると思うがの。戦国時代は、常に『死』というものを意識させる、そんな時代じゃ」
近づく私に警戒を示さず、儚い微笑を口元に浮かべる。
寒さと暖かさを同時に孕んだ空気が私と可憐の間に横たわるように思えた。