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七章『それぞれの想い』

 多くの軍人が、平時に勤務する本部基地。その中に、陸軍第二部隊という表記のプレートが提げられた場所があった。辺りには、他部隊の表記も見受けられる。各部隊に与えられているデスクスペースだった。一人に一台、デスクは振り当てられている。そして、

「ったく。軍人っていうのは、もっと現場重視の仕事場だと思ってたぜ」

 自分のところで、溜めた書類と戦っているガヌ=ロードの姿があった。紙の山は、デスクの一角を完全に占拠している。サリアの誘拐は特別任務であり、裏部隊の所属ではないのだ。

「溜めるお前が悪いのだろう。その場その場で処理していれば、そんな量にはならん」

 文句を口にすると、背後から反応があった。振り向くことなく、言葉を返す。

「うっせー。俺はお前ほど、要領よくも真面目でもないんだよ」

「貴様のその言い訳は聞き飽きた。別の言い回しでも考えたらどうだ」

「あー、また今度な。それより、これ手伝ってくれませんか、シルラ様。なんか奢るから」

 身体を捻って、会話相手を見る。その相手は、金髪のポニーテールの女性軍人、シルラ=マルノルフである。彼女はガヌと別の部隊だが、デスクの位置は謀ったかのように、すぐ後ろだった。

「お前の仕事だろう。お前でなんとかしろ。それに、私もこれから“仕事”だ」

 彼女は、壁にかけてある時計に目をやった。示している時間は、午後六時半。ガヌは、それだけで何かを察する。

「ああ、そうか。そっちがあるのか」

 口には出さなかったが、サリアの見張りのことである。

「仕方ないな。じゃあ、明日はどうだ?」

「自分でやれ!」

 頼る気をなくさずに、提案してみたものの一喝された。そのまま彼女は背を向け、歩き出す。

「つれないねー」

 ガヌは一人で肩をすくめた。姿勢を直し、再び書類の山と対峙する。

「頑張ってやりますか」

 と、やる気を出そうとしたところで、

「ガヌ中尉」

 低く重たい男の声が降ってきた。ため息をついてから、顔を左上に向ける。

「なんの用だ。わざわざ、“普通”の部署まで顔出すなんて」

「いえ、少し報告したいことがありましてね」

 がっちりとした体躯で、岩を思わせるような男が、濃い顔に合わない微笑を浮かべる。階級は准尉だが、彼の属する裏の部隊では、位などあってないようなものだった。

 名前は、ノーザン=ジャッジといった。




「で、報告ってなんだ。さっき見たとおり、俺は忙しいんだが」

「そのようですね。まあ、僕もああいうちまっこいものは嫌いですが、あそこまで溜まったことはないので、どの程度かは想像の域を出ませんが」

 ノーザンは遠回しに皮肉を言ってきた。多少かんに障ったものの、時間が惜しいので流す。

「分かってるなら、さっさと済ましてくれ」

「了解しました」

 屈強な男は、意地の悪そうな笑みを浮かべた。理由もなく、悪寒を覚える。早く、この場から立ち去ってしまいたかった。

「では、ご注文のとおり手短に済ませましょう。単刀直入に言いますと、レインに遭遇しました」

 しかし、会話に出てきた名前を耳にして、その気は失せた。一度、目を大きく開いてから、軽く首を振って問う。

「どこでだ」

「シャズの町です。そこでの任務中に出くわしました」

「シャズだと?」

 ガヌは、顔をしかめた。シャズの町は、特に何もない小さな町のはずだ。とても裏部隊の人間が、任務で赴く場所に思えなかった。あってせいぜい、殺さなければならない人間が隠れ住んでいるとか、そのくらいである。

「ええ。あなただからお話しますが、あそこには“ジーニアス”の施設があったんです。今はもう稼働していませんが、そこの資料処分を任されたので、足を運んだんです。そうしたら、彼と遭遇しました」

 本来なら秘匿すべき情報を、ノーザンはためらいなく話す。理由は察しがついた。

(俺の反応を見たいんだろうな)

 短い付き合いではあったが、目の前の男は自分の楽しみを優先させるタチであるのを、ガヌは把握していた。その上で、また尋ねる。

「それで、レインをどうしたんだ」

 声には敵意がこもっていた。向こうが面白がるだろうとは思ったが、隠すことができなかったのである。

「どうもしてませんよ。殺そうとしましたが、取り逃がしてしまいましたからね」

 逃がしたという単語に、ガヌは一旦肩の力を抜いた。同時に疑問も抱く。

「取り逃がした、か。いくらジーニアスにいたとはいえ、お前が高校生そこらの歳の奴を逃すとは思えないんだが」

「ええ、まあ。自分で言うのも変ですが、レイン一人なら、始末できていたと思います」

「一人なら? 誰か他にいたのか」

 心当たりがなかった。

「ええ。同い歳くらいの少年が一緒でした。何者か分かりませんでしたが、僕に対して冷静な態度だった上に、銃を所持していて腕もよかったですから、ただ者ではないかと」

「銃の腕がいい、か」

「誰か心当たりでも?」

「いや、ないな」

 ノーザンの話を聞き、ガヌの脳裏にはキュールで出会った少年が浮かんだ。しかし、レインと一緒に行動するような経緯が想像できず、その考えを打ち消す。

「とにかく、その少年とレインの二人を取り逃がしました。ですが、おそらくあの二人は“ジーニアス”に何かしらのアクションを起こそうとしている。遠からず、首都にも来ると思いますよ」

「“ジーニアス”にねぇ。一度逃げてきた奴が、そうのこのこ戻って来るもんか?」

 抱いた疑問を口にする。ノーザンはせせら笑った。

「戻って来ますとも。現に奴は、元とはいえ“ジーニアス”の施設に来た。それも、何かの目的を持っているのだろう少年と。大きな流れに、人は抗えやしない。もう、すべてが流れ出しているんですよ、ガヌ中尉」

 意味深だった。意図は読めないが、気味の悪さだけは十二分に伝わる。

「それに、あなたの場合は首都に“来てほしくない”んでしょう?」

 続けてされた指摘に、ガヌは息をのんだ。何も言うまでもなく、その反応が答えになってしまっていた。

「では、僕は失礼します。面白い反応も見れましたしね。それでは」

 満足そうな様子で、ノーザンは歩き去っていった。一人、ガヌは取り残される。

「レイン、戻って来ないでくれよ……」

 独り言は、廊下へ吸い込まれていった。




 同刻、地下にシルラの姿はあった。サリアの捕らえられている部屋の前にたどり着き、外の見張りをしている男の部下へ声をかける。

「お疲れ様」

「ああ、シルラ中尉。お疲れ様です」

「あの子の様子は?」

「さあ……。自分は、中の様子を見ていないので、なんとも」

「分かった」

 うなずき、部屋への扉を叩く。

「私だ。シルラだ」

 しばらくして、中から女性の部下の顔が覗いた。

「お疲れ様です、シルラ中尉」

「お疲れ様。交代の時間だ。帰るといい」

「はい。ありがとうございます」

 彼女は礼儀正しく頭を下げると、

「それでは、お先に失礼します」

 地下室から離れていった。入れ替わりに、シルラは部屋へ入る。

「サリア」

 後ろ手で扉を閉めると、中にいる少女へ声をかけた。ベッドの上で、横になっている。返事がない。眠っているようだった。音を立てないように、忍び足でそばへ行く。可愛らしい寝息を立てていた。思わず、頬を緩める。

「カリク……」

 しかし、次に彼女が発した寝言に、シルラは固まった。目の前の少女は、それほどなんともないように見えていたが、不安を抱えていて当然なのだ。

(私は……)

 軍人は、上の命令を聞かなければならない。士官学校では、そう教わった。シルラは絶対に守ろうというほど正しさを信じていたわけではないが、今は守ることが正しいとは考えられなかった。

(私は、どうすれば)

 表立って動く気はなかったのに、心は揺れ出していた。




 任務を受けたのは、一ヶ月ほど前だった。仕事中に、いきなり呼び出されたのである。初めて軍王の座する執務室へ行くことになり、扉を叩くことにも酷く緊張した。

「シルラ=マルノルフ中尉です」

「どうぞ、入りなさい」

「失礼します!」

 返事が上擦ったのだが、恥ずかしがる余裕すら持てず、とにかく中へ入った。するとそこには、

「あれ、シルラも、ですか」

 ガヌの姿があったのである。

「な、なぜ貴様もここに」

「呼び出されたからに決まってるだろ」

 驚いていると、肩をすくめられた。彼の言い方にむっとすると同時に、安心感も覚えていた。

「ええ。私が呼んだのです」

 軍王、クラカル=エル=ミッドハイムの声が挟まった。シルラは慌てて彼の机の前へいき、ガヌの隣に並んだ。

「あなた方は、我が軍の中でも、特に優秀な若手と聞いています。そこで私は、今回あなた方に特別な任務を言い渡そうと思ったのです」

「特別な任務、ですか」

 ガヌは気のない反応だった。彼は、どんなときでも彼だったのである。

「ええ、そうです。なので、あまり乗り気ではないにしてもやっていただきますよ」

 ミッドハイムがにこやか微笑んだ。すると、ガヌはわずかに眉をひそめた。シルラも、目の前にいる軍のトップに、恐怖感を抱いた。

「あなた方に頼むのは、ある少女の誘拐と、監視です。それ以外は、何もありません。簡単な仕事でしょう」

「誘拐……」

 汚い仕事が多く存在している中で、なおかつ軍王からの直々の依頼だとそういう系統の仕事の可能性が高いと知っていたものの、それでもシルラは、提示された任務の内容を疑った。犯罪が任務というのは、納得がいかなかったのである。

「ええ、そうです。そこにいる、ノーザン・ジャッジ准尉とあたってもらいます」

「えっ?」

 軍王から見て、二人の右奥に彼の目線がいったところで、シルラは間抜けな声を出してしまった。振り返ると、それまで気づかなかった、がたいのいい男が壁に体重を預けて立っていた。言われるまで、まったく気づかなかった。

「彼はあなた方の噂にある、裏の部隊の者ですが、今回の任務を共に行ってもらうことになります。ただ、メインはあなた方にお任せするので、そのつもりで。まあ、仲良くするといいでしょう」

 ミッドハイムが説明する間に、ノーザンは二人の方へと近づいてきた。ゆっくりと重々しく口を開く。

「ノーザン=ジャッジ准尉です。よろしくお願いします」

 気味悪い微笑と共に、ノーザンは自己紹介してきた。どうにも、仲良くはできそうになかった。

「ああ、よろしく」

 それでも、あいさつはなんてことのないように返した。隣のガヌは、

「んー、そこまで仲良くはしたくねーな」

 と、正直な感想を口にしたが。

「どうやら、彼に対してお二人共あまり友好的ではないようですね。まあ、仕事はしっかりこなしてください」

 やりとりを黙って見ていたミッドハイムが口を出し、会話をまとめた。これはまだ、観察だけで分かる範囲ではあるが、シルラは内心を見透かされているような気がしていた。頭に浮かんだのは、ミッドハイムに関するとある噂。

「ミッドハイム総督。なんか、俺らの考えてること、見透かしてません? なんでも噂じゃ、人の考えてることが読み取れるとか聞きますが、それが本当だったりするんじゃないですか」

 それをガヌは、ためらうことなく真正面からぶつけた。ミッドハイム軍王は人の心を読める、という話がかなり前から存在していたのである。

「ええ、本当のことですよ。私は、他人の心を読むことができます。心理学などの類いではなく、もっと直接的に」

 問われた彼は、隠す様子もなくあっさりと認めた。あまりに軽すぎて、シルラは信じられなかった。ガヌも同じ考えだったようで、

「にわかには信じがたいですね。手品の範疇とかなんじゃないんですか」

 訝しげな表情を、軍王へ向けた。

「そう簡単に信じなくとも、別にかまいませんよ。そこは大事じゃありませんから。とにもかくにも、あなた方はこれから話す任務をこなしてくだされば、それで充分ですからね」

 彼は回答をはぐらかし、任務についての話を始めた。誘拐の対象が、特別な力を持った少女だと聞かされたところで、シルラは問いを挟んだ。

「その子を攫うことに、どんな意味があるのですか」

「我が軍のため、とだけ言っておきましょう。彼女の力が、我々の利益になるのです」

「力?」

「ええ。私の力と通じるものですが、彼女は自分の意思を、言葉を使うことなく直接我々の心へ伝えることができます。俗に言う、テレパシーのようなものです。かつての記録で、我々の持つ力へつけられた名前は、“オモイノチカラ”。彼女はそれを有しているのですよ」

 これもまた、到底信じられない話だった。テレパシーのようなものと言われても、それはあくまで虚構の世界にあるものなのだ。例にされたところで、納得がいくはずもなかった。

「疑うのも無理はありませんが、とにかくこれは命令です。どれだけの疑問を抱こうとも、従ってもらいますよ」

 口調は柔らかなままだったが、有無を言わせぬ威圧感が入り混じっていた。雰囲気に呑まれ、シルラは何も言えなくなった。

「……それくらい分かってますよ。ただ、やり方はこっちに任せてもらっていいですかね」

 代わりに、ガヌが不機嫌な声色でしゃべる。彼も、疑問を持っているようだった。

「ええ、かまいません。サリア=ミュルフを私の前に連れてきてくれさえすれば、あとは何をしようと自由です。私へ反抗することも止めません。その結果どうなるかは、何も約束できませんがね」

 ミッドハイムの返答は、脅しだった。シルラにはガヌが何を思って、やり方は自分たちの好きにさせるよう求めたのか分からなかったが、滅多にシリアスさを出さない彼が、引きつった表情を見せた。

「とにかく、しっかりと任務をこなしてください。これは、最重要の任務と言っても過言ではありませんので。詳細はまた後日としますから、今日のところはもう退室していただいて結構ですよ」

 部下の反応には気づいているに違いなかったが、触れることなく、ミッドハイムは退室を命じた。

「……失礼します」

 子供のように、ガヌは露骨に機嫌を損ねていた。足早に扉へ向かっていった。

「私も失礼します」

 シルラも頭を下げて、逃げるように彼へ続いた。こうして、ガヌと執務室を後にしたわけである。ノーザンは、一緒ではなかった。

 しばらく、無言で廊下を進んでいたのだが、途中でガヌが口を開いた。

「シルラ」

「なんだ」

「お前、あの任務をどう思う」

 訊いてきたのは、簡単なことだった。キッと、睨みつけるような目線を送った。

「あの内容で、私が楽しみにしていると思うなら、お前はたいした目利きだ。眼科に行った方がいい」

 強い口調で答えた。得体のしれない恐怖から解放され、いつもの調子を取り戻していたのである。

「お前なら、きっとそうだと思ったよ。なら、協力してくれないか、シルラ」

「協力?」

「ああ。任務は成功させる。ただ、“完璧”にはこなさない。とっかかりを作る」

「とっかかりって、どんなだ」

 突拍子のない発案だったが、否定はせずに話を聞いた。ガヌの目が、いつになく据わっていたというのもあった。

「それはまだ分からないが、裏部隊の奴らだけじゃなく、俺たちをこの任務に当てた理由が必ずある。ということは、対象であるサリアって子のことを調べたら、何かが見つかるかもしれない。そこが、とっかかりになるはずだ」

 彼の言葉は、力がこもっていた。確かな可能性はなかったが、シルラは迷わなかった。

「なるほどな。実にお前らしい、不安な作戦だ」

 まず皮肉を放ってから、

「だが、そこでためらわないお前を評価して、協力してやろう。会ったこともない少女だが、理不尽に巻き込まれるという時点で、助けることに疑問はいるまい」

 彼への全面的な賛成を表明した。目を合わせてうなずく。

「だが、軍王はどうする。もしも、奴の話が本当であるならば、次に会ったときにバレてしまうぞ」

「問題ないさ。こっちが目的を達成できるなんざ、奴は思ってない。何を考えてるのがバレても、釘を刺されるくらいで、本気で止めにはかからないだろう。さっきも言ったが、わざわざ俺たちを選んだ理由があるんだからな」

 シルラの持ち上げた問題点へ、彼は間髪入れずに解答を示した。

「ずいぶんと自信満々だが、何か確証があるのか」

 ただ、どう考慮しても不十分であった。予測はついていたが、一応尋ねてみた。

「ない! 全部推測だ」

 案の定、はっきりと証拠はないと返され、思わず笑ってしまった。

「ははは! さすがだな。やはり、貴様は理解できん」

「んあ? なんだよ、仕方ないだろ。分からないものは分からないんだ。でも、だからって全部を受け入れるわけにもいかねえ。可能性があるなら、そこに賭けるぜ、俺は」

 笑われたことに対し、彼は口を尖らせた。なんとか笑いを抑えて、言葉を足す。

「すまん、すまん。別に、貴様を馬鹿にしているわけではないのだ。私だって何も妙案は思いついていないしな。ただ、あまりに貴様がいつもどおりに根拠のない自信を持っているものだから、おかしくてたまらんのだ。ふふ、あはははは!」

 そのうちに、シルラは我慢できずにもう一度笑い出した。廊下を歩いている他の人間たちが目を向けてきていたが、まったく気にならなかった。

「なーにが、そんなにツボに入ったのかねえ」

 ガヌは呆れたような声を出したが、彼も口元が弛んでいた。

「私も分からん。とにかく、おかしいのだ。なんにせよ、私たちでなんとかするぞ、ガヌ」

「笑いながら言うかー、そういうこと? まあ、同意するけどな」

 こうして、二人は攫う対象たる少女を救うために、動き出したのであった。見通しは暗かったが、ガヌがいるなら、シルラには希望が途絶えることはないように思えた。

 事実、彼らの行為は無駄にならなかった。少女のすぐ近くに、軍の語り草となっているトルマ=シェードと、その息子でありエリート街道を歩む実力者のニック=シェードの姿があることが分かった。ガヌの見立てだと、ミッドハイムは裏部隊の人間を派遣した場合に、捕らえられたときの情報流失を恐れているのではないかということだった。

 そこで二人は、ニック=シェードとの連携を考え出した。しかし、その矢先に彼は首都から弾き出されてしまった。軍王から二人への牽制なのか、それとも元々遠ざける予定だったのか定かではなかったが、助力者になりうる人間が、首都から一人いなくなってしまったのである。

 だが、二人はあきらめなかった。まだトルマ=シェードの存在があったし、首都から離されたことで、シェード親子が陰謀に気づく可能性は、十分にあったからである。ただ、トルマが表に出てきたとしても、二人には、任務をしくじるわけにはいかないという共通認識があった。任務に失敗して、自分たちが処分されるのは、避けたかったのである。死んでは元も子もない。

 なので、任務には支障をきたさない程度に、あらゆる部分で“きっかけ”を作るようにした。同僚たちに任務内容をぼかして伝えてみたり、サリアの誘拐を昼間に決行したり、行き帰りはわざと人目につく場所を通ったりと、誰かが自分たちの行為に気づき、アクションが起こることを期待したのだ。




(そう、“何か”を待っている。ニック=シェードでも、トルマ=シェードでもいい。何か、動きが起きればと)

 二人自身は、期待している外部からの“何か”が起きるまでは、動かないと決めていた。先んじて動き、軍王に見咎められてしまうと、いざというときに動けないためである。

 しかし、サリアのつぶやいた言葉に、シルラは揺れている。本当に、あるかどうかも確かではないきっかけを待つしかないのか、と。

 眠り続ける少女を見下ろす。答えは、もう心にあった。

「ふん。どうせ、階級に興味はないしな。私が軍人になった理由を、まっとうしないのでは、ここにいる意味がないだろう」

 初志を思い起こし、決意を固めていく。

「“護りたいものを護る”。それだけのことだ」

 待つだけをやめる。組織に属する身であるシルラにとって、危険きわまりない行為だった。それでも、譲れないものがある。

「貴女に、悲劇は似合わないしな。好きな人間のそばで笑えるように、精一杯努力しよう」

 少女の髪を、優しく撫でた。まだ幼いとはいえ、彼女にはもう大切な存在がいる。シルラは、少女をそのそばへ返してあげたかった。

(ガヌには、伝えんといかんな。引き止められるかもしれんが、ここは譲れん)

 決心したところで、一緒に少女のことを考えてきた同輩のことがよぎる。心配してくるに違いないとは思ったが、彼が相手でも今の気持ちは曲げるわけにはいかなかった。




 シルラが少女のために動くことを決めた頃、ノーザン=ジャッジは、軍王の座する執務室にやってきていた。

「それで、資料はまだ残っていましたか? シャズの町にあった施設は、規模こそ小さかったですが、優秀な検体がいましたから、なかなか興味深いものも多く残っていたかと思いますが」

 口火を切ったのは、ミッドハイムである。例によって、顔には微笑を浮かべていた。

「優秀な検体ですか。はは。まあ、確かに“力”をすでに持っていましたからね。研究者たちも、かなり盛り上がっていたようです」

 ノーザンが声を上げて笑い、持ち帰った資料をぞんざいにミッドハイムの机へ投げ置いた。かなり傷んでいたが、軍王は口角をさらに上げる。

「素晴らしいですね。まだ、こんなにあったとは」

 上機嫌に、紙やファイルをいじり出した。動作自体は子供のようなのだが、可愛らしさはない。見た目などの問題ではなく、何かしらの恐ろしさがあった。

「しかし、どうして今更、あそこの資料を? 主要なものは首都に移したのでしょう」

 それを肌で感じつつも、ためらうことなく、質問する。資料から目を離さずに、ミッドハイムは言葉を返してきた。

「ええ。私の求めていた“力”とは、また別物でしたから。ただ、サリア=ミュルフを手中にした今、あらゆる面からの調べ直しが必要になるのですよ」

 彼の求めている“力”については、ノーザンも詳しく知らなかった。なので、最終的にどうしたいのかも分からない。

「へぇ……。しかし、遠くからしか見ていませんが、あの少女がそんなに大事な存在だとは、信じられないですけどね」

 軍王が出した少女の名前に反応し、率直な感想を漏らす。

「否定はしません。彼女の価値が分からなければ、そう見えるでしょう。情報を持っていなければ、ダイヤも石ころと同じです。ただ、ダイヤに値するための力を、彼女が既に発現しているかどうかは、定かではありませんが」

 それに対する相手の返しに、ノーザンは首を横に傾けた。

「発現? ジーニアスの研究では、“オモイノチカラ”は先天的なもので、生まれた時点で、もう発現はしているとかいう話ではありませんでしたか」

「普通ならその通りです。ですが、ただでさえ稀有である“オモイノチカラ”の力の持ち主の中でも、彼女はさらに特別な存在なのですよ。世界を変えられるかもしれないほどに」

 答えながら、軍王は自分のイスの背もたれへと体重をかけた。静かに目を閉じる。

「私は長い間、それを追い求めてきたのです」

「貴方にそこまで言わせるとは、いったいどんな力なのか余計に気になりますね。そろそろ聞かせていただけませんか」

 国の頂点に立った男が、長きに渡って求めてきたものに興味があった。

「まだ、詳細を話す気にはなりませんね。時が来れば、おのずと分かるでしょう。貴方が察するか、私の口から明らかにされるかは、断定できませんが」

 しかし、ミッドハイムは答えなかった。どこに目線を合わせるでもないが、わずかにまぶたを持ち上げる。

「今日は、もう結構ですよ、ノーザン准尉。まだ懸案事項がいくつかありますから、明日からはそちらを任せることになるでしょう。レインが現れたというのを、私に報告してこなかったのは、見逃してあげますので」

「……それは、どうも」

(本当に、かなわない人だ)

 たぶん、これも読まれているだろうと思いながら、内心で冷や汗をかいた。




「あー、まあ、今日はこんなとこでいいや」

 報告書類の山を、全体の四分の一程度片付けたところで、ガヌはペンを置いて背伸びをした。周囲のデスクには、既に誰もいない。

「さってと、あいつはまだサリアちゃんの監視か。ご苦労なこって」

 頭に、自分も行ってみようかという選択肢が浮かんだが、首を振って打ち消す。

「ダメだ。俺は、ダメなんだ」

 自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「貴方の人生ならば、貴方の好きに生きればよいのではないですか」

 そこに、柔らかな声が飛び込む。ガヌが扉の方へ顔を向けると、ミッドハイムが立っていた。

「……それは、何に対してですかね」

「好きに解釈なさって結構です。シルラ中尉のことでも、レインのことでも、その他のことでも」

「さいですか」

 心が読めるのなら、言葉による駆け引きは意味をなさない。自然と手が汗ばむ。

「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。私は、貴方に新しい任務を命じに来ただけですから」

 そんな心内すら見透かし、ミッドハイムは穏やかに微笑む。

「新しい任務?」

「ええ。明日の朝一番に、ニケアのニック少将のところへ行ってください」

「ニケアへ?」

「はい。彼を、暗殺していただきたいのです」

「……なんですって?」

「ニック少将の暗殺です。嫌とは言わせませんよ。断れば、女性が一人亡くなることになりますから」

 思い当たる人物は、たった一人だった。

「シルラが人質、ですか」

「さあ、どうでしょうね」

 ミッドハイムはうそぶくだけだった。

「とにかく、任務を達成してください。大切な人を失いたくなければ」

 勅命書をガヌのデスクに置き、彼はその場から去っていった。

「……困ったね、こりゃ」

 ガヌは、一人勅命書を指で弾いた。

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