五章『闇での遭遇』
少し、時間は巻き戻る。サリアが首都で、地下室に入れられたくらいだった。
原っぱの真ん中を貫くように伸びる、とりあえず道として整備されたオフロードを、一台の車が走っていた。白の車体のそれは、カリクとレインの乗っているものである。二人がニケアを出て半日以上が経ち、太陽の位置は低くなっていた。
「首都まで、あと丸一日くらいか。確実に燃料不足だなー」
「……別に、今更念を押さなくても、やるときはやる。手段を選んでいられないって言ったはずだ」
助手席に座るカリクは、ハンドルを握るレインの顔を見ることなく言葉を返す。いかんせん、免許を取得できる年齢に達していない二人は、免許など持っていないのだから、燃料は勝手に拝借するほかない。
「悪かったよ。まあ、金を置いていくつもりだってだけで、良心的だと思うぜ」
レインが唇の端を持ち上げる。横目で見てきたので、
「前見ろ」
と、冷たく言い放った。
「へいへい。つれないわねぇ、カリク君は」
気持ち悪い口調で文句を垂れ、レインは前に向き直った。と、何かに気づいて、ブレーキを踏む。助手席のカリクは前につんのめった。体勢を直してから、隣の少年を睨む。
「なんだ、急に」
「ああ、悪い悪い。あれが目に入ったもんで」
まったく誠意の感じない謝罪の後、前方を指差した。そちらに目をやると、
「なんだよ。ただの立て札だろ」
二方向に割れた分かれ道と、どこに続くかを表記した木の札があった。片方は、首都セルゲンティスへ向かう道。もう一方は、長くは北のミリシアへ繋がっている道だった。あとは、最寄りの町の名前と、だいたいの距離が書かれている。
「あれ自体はな。書かれてる、最寄りの町が問題なのさ」
レインが、言いながら車を降りる。首をひねりながら、カリクも続いた。二人で、札の前に立つ。
「このミリシア方面に書いてある、シャズって町だ。ここに、確か軍の秘密の施設がある」
「秘密の施設? シャズに、軍の施設なんて、なかったと思うんだが」
顔をしかめた。成り立てとはいえ、少将の父を持つカリクですら、そんな話は聞いたことがない。
「そりゃ、秘密だからな。俺っちが知ってるのは、境遇と偶然のせいだよ。首都の研究所と軍の、かなり上の方の人間じゃないと、普通は知らない」
軽い口調のレインだが、話している内容はかなりとんでもない。少将クラスよりも上の人間しか知らない情報を、なぜ知っているのか。
「お前、何者だ」
素直に思ったことをぶつけてみる。
「この国の被害者、かな?」
含み笑いから真意を見い出すことは、カリクにはできなかった。
「とにかく、シャズには間違いなく施設がある。見つけられるかどうかが分からんけど、痕跡があれば俺っちが探し出せるかもしれない。どう? 寄り道になるけど、探ってみるかい」
自分についての話を切り、レインはそう尋ねてきた。カリクは、黙考する。寄り道なので、時間が無駄になってしまうかもしれない。しかし、父親も知らない情報が手に入る可能性もある。ほぼ、何も知らない現状では、かなり重要なものになるのはまず間違いなかった。
サリアを助けるために時間を無駄にしないか、それともサリアを助けるために寄り道をするか。しばらくして、カリクは結論を口にした。
「……シャズに行く。早く出るぞ」
「おっ、即断即決とは素晴らしいね。さすがカリク君」
カリクは無視して、車へ戻る。後ろから、
「もう少し相手してくれても、いいと思うんだけどなー」
と聞こえたが、気のせいにした。
三十分ほど車を走らせてたどり着いたシャズの町は、カリクの家があるキュールよりも、さらに小さなところだった。ほとんどが農業と畜産業を生業にしているので、感覚としては村に近い。
人工的なものが少ない、緑と土と空が存分に見られる景色を眺めながら、カリクがつぶやく。
「……家と人と、牛と畑しかないな」
「いやいや。牛乳と牛肉とチーズもあるぞ」
「飲食物が増えただけだろ、それ」
すかさずつぶやきを拾ってきたレインに、気のない言葉を返す。
「おぉ……」
すると、彼は完全に横を向いてきた。目を見開いている。何事かと一瞬訝しみ、すぐにあることに気づいた。
「どこに目を向けてんだ! 前を見ろ、前を!」
「あ、ごめんごめん」
指摘され、慌ててレインは前へ顔を戻す。特に何も起きなかったが、場合によっては大惨事になっていてもおかしくない行為だった。声を荒げる。
「何してんだよ! 下手したら、事故だぞ! 誰か轢いたら、シャレにならない!」
「悪かったって。いや、まさかカリク君が、俺っちの発言に、ツッコミを入れてくれるとは思ってなかったんで、びっくりしちまってさぁ」
一方のレインは、あまり脇見運転自体には動揺していない。別の事柄に驚いていた。彼の言い訳を聞いて、思う。
(雑に流した言葉がツッコミ扱いとは……)
いちいち驚かれていては、命に関わるので今後はもう少し反応してやろうかと、本気で考え出すカリクであった。
「それにしても、お前の言ってる施設はどのあたりにあるものなんだ? 町の規模が小さいにしても、しらみつぶしに探す余裕はないぞ」
一旦、ツッコむツッコまないを脇に置き、施設についての話題に移る。
「んー。見当をつけるとしたら、廃屋だな。人が住んでないのに、人の出入りした跡があれば、限りなく黒だ。軍内部でも一級品の機密事項を扱ってるところなんだから、あんまり人が近づかない場所にあって然りだろうさ」
「廃屋か……。探してみるしかないな」
この小さな町なら、合致する建物はさほど数多くなさそうだった。まずは役場などがある、町の中央へ車を走らせた。
「今のところ、一番怪しいのはここかな」
かすれた文字で、『宿泊施設・ジャッジ』と書かれていた。郵便受けを見たところ、ジャッジはファミリーネームらしい。
町中を回った結果、廃屋はやはり数少なく、その中でレインが目をつけたのは、かつて宿泊施設だったのであろうこの建物だった。一階建てだが、敷地が広く、おそらく潰れてから年単位は経っていそうな様子である。
「施設にするなら、ある程度の広さが必要だから、ここが一番怪しい、か。確かに、見方としてはありだな」
カリクは入り口を少し見つめ、中へいこうと足を前へ動かした。
「動き出すの早いなー」
後ろからそう言ってきたレインへ、
「時間が惜しいからな。何度も言わせるな」
横目だけを向けた。すぐに前へ戻す。「へいへい」と気のない返事ののち、相棒となっている少年は横に並んできた。
中は薄暗かった。まだ夕日が差し込んでいるものの、仄かな橙色は、不気味さを演出している。あちこちにホコリが溜まっていた。
「長いこと使われてなさそうだな」
天井の隅に張られている蜘蛛の巣を見上げながら、カリクはそう口にした。
入ってすぐにある、ロビーらしき場所だった。宿泊施設のロビーだが、見た感じは病院の待合室に近いものがある。受付が左にあり、あとは右隅に至るまで五人がけくらいの長椅子が、三列ほど並んでいる。廊下は、正面と左の二方向に伸びていた。
「いいや、そうでもないかもしれないぜ、カリク君」
「何?」
自分の言葉に対するレインの返しに、耳を疑った。
「ホコリの積もり方に、なんか差があるんだよ。例えば、こことか」
彼が示したのは、受付の内側へ入るためにある、小さな地面から浮いた扉だった。細い扉の上部を見ると、ホコリの濃さが違って見えた。一度なくなってからまた積もったという感じである。
「なるほどな。誰かが一回触って、積もり方の差が出てるわけか。でも、近所の子供が遊びに来ただけかも知れないぞ」
「そーだなぁ。でも、俄然やる気出てきたぜ」
「なんのやる気だ」
先ほど頭に浮かんだ考えのとおり、気のない感じながらも言葉を返す。するとレインは、振り返ってきて、
「なんか、宝探しみたいで、ワクワクするじゃんか」
活き活きとした表情をした。カリクは、肩をすくめただけだった。やり取りもそこそこに、二人は探索に移る。
「うーん。ここもはずれかな。なんの形跡もないし」
「じゃあ、次だな」
レインの発言を受け、カリクは先に部屋から廊下へ出る。「ほいほい」と、レインも続いた。
二人は一緒に行動して、廃屋の中を探索していた。分かれてもよかったのだが、万一ここに施設があり、何者かがいたら危険だという判断だった。日が沈みかけており、灯りもないというのもある。
回り方としては、ロビーから左に伸びていた廊下の方へまず行き、一部屋一部屋確認しながら、一週してロビーの方へ戻るというようなやり方にした。五部屋程度確認は終わっており、今のところ何も発見はない。
「ん、廊下が二手になってる」
おそらく半分あたりと思われるところで、レインが足を止めた。廊下が真っ直ぐと右折に分かれていたのである。徐々に面積を増している暗闇の中、ホコリをかぶった案内板のかすれた文字を目を凝らして読み取ったところによると、直進すると食堂と浴場があるらしい。
「先にこっちに行くか」
「あいよー」
特に後回しにする理由もない。二人は直進した。ほどなくして、右手に両開きの扉が現れた。扉の上を見ると、“大食堂”とある。ただ、食の字はほとんど判別できなくなっていた。
「では、失敬」
レインがカリクの前に出て、扉をゆっくりと内側へ開ける。錆びた音が響いた。中には、乱雑に椅子が乗せられた机が並んでいる。二人とも中に入り、カリクが後ろ手で扉を閉めた。
「……一層汚いな、ここは」
カリクがつぶやいた。廊下よりも、空気がまずくどんよりとしている。
「そうだな。でも、ここは当たりかもしれないぜ、カリク君」
室内を見回していると、レインが閉めた扉の方を向いて屈み、床を見ていた。
「どういうことだ?」
「入り口とおんなじだよ。ホコリが薄いとこがある。つい最近に、扉が開け閉めされた痕があるし」
「何?」
彼の言葉を聞いて、カリクは隣にしゃがみ込んだ。確かに、入り口よりもはっきりと、ホコリの濃さが違っていた。
「誰かがここに入ったってことか」
「そういうこと。しかも最近だ。下手したら、ついさっきかもしれないぜ」
説明しつつ、レインは腰を上げる。顔には、いたずらっぽい微笑を浮かべている。
「ついさっき、か」
もし本当に秘密の施設がここにあり、扉を開けて食堂に入った人間が施設に関係しているならば、見つかるとかなりまずい。秘密裏にされている場所なのだ。親切に、玄関まで送ってもらえるとは思えない。
「慎重に探るぞ。お前の見立てが正しいなら、敵と遭遇するかもしれない」
「あいよ」
声を抑えたカリクの言葉に、レインが呼応する。それから二人は、食堂内を隅々まで確認していったものの、壁にも床にも、怪しい痕跡は見られなかった。
「あっりー? こりゃ、はずしたかな」
一番右隅の壁におかしなところがないのを確認したレインが、首をひねった。危機感なく、声を響かせる彼に、カリクは眉根を寄せる。
「敵がいるかもって言ったよな。あんまり、でかい声を出すな」
「いや、もう、むしろ見つけてもらった方が楽だと思うぜ。無駄な時間と労力が省ける」
「敵にやられて、時間が止まるかもしれないけどな」
身体を伸ばしながら、暢気な発言をしたレインに、皮肉を込めた言葉を贈る。今のところ他の人間の気配は感じないが、痕跡があったのだから、油断はできない。
「確かにそうかもしれないけど、あんまり気を張りすぎてもどうかと思うぞ、カリク君。現に、今俺っちたちは生きてるし、敵の姿も見てない。見えないものに気を使うことほど疲れることはないぜ」
しかし、対する少年は気楽なものだった。笑顔を見せる余裕すらある。
「……ずいぶんと楽観的だな」
「んー、そうか? まあ、そうなのかもな。“そうじゃないとやっていけなかったし”」
カリクがジトリとした目を向けると、レインは調子を変えることなく、そう言った。いかにも、意味ありげに。
「ああ、そうかよ」
カリクは短い言葉を口にしただけで、今の話題を切った。もちろん、レインの言い回しは気になっていたが、掘り下げる必要性はないという判断をしたためである。
気持ちを探索に戻す。食堂はもういいだろうと思ったカリクの目線は、奥にある厨房に向いていた。食堂と直でつながっており、二人の位置からも中を窺うことができる。錆だらけで、鍋がひっくり返っていたり、包丁類が乱雑に置かれていた。落ちている、と言った方が適切かもしれない。
「あの中も見てみるか」
「ん、厨房か。そうだな、一応見てくか」
カリクの案に、レインも乗っかる。二人で、食堂端から厨房へと入った。
内側から見ると、中の荒れ具合はより酷かった。人が三人は通れるであろう通路があり、床は油染みや錆が覆っていて、やはり食器類や調理器具が散乱している。手前には水場があり、その隣には火を扱うのであろう場所がある。どちらも、今は使えそうにない。一番奥には、人間二人は突っ込めそうな大きさの冷凍庫が見えた。
「こりゃひどいな」
惨状という言葉を使ってもいいであろう光景に、カリクはそう漏らした。隣のレインもうなずく。
「そうさな。ずいぶんと荒れ放題なもんだ」
「とりあえず、見てみるか」
観察もそこそこに、本格的な探索に入る。戸棚なども丁寧に見て回るが、特に不審な点はなかった。
「うーん……。ここにも、なんもないのか。俺っちから提案しといてなんだけど、気が滅入ってくるぜ。汚いしー」
レインが、水場の周辺をいじくりながら嘆く。冷凍庫のそばにいたカリクは、たしなめる。
「元々、機密なものなんだ。簡単には見つからないだろ。もしかしたら、見つからないまま終わるかもしれないんだ。もう少し辛抱強く探せ」
「そうは言うけどよー。正直しんどいぜ……」
文句は言いつつ、手は止めない。言葉ほど、我慢が利かないわけではないらしい。カリクも、黙々と作業を続ける。冷凍庫を開けようと、手をかけた。手前に引っ張る。その感触に、眉をひそめた。
「ん……?」
「どうかしたのか、カリク?」
レインが気づき、後ろにやってきた。肩越しに覗き込んでくる。
「いや、この冷凍庫、長いこと放置されているにしては、簡単に開きすぎる気がして……」
しゃべりつつ、開く。生肉や魚、またそれの鮮度を保つための氷類もなく、空っぽだった。一見、おかしなところはない。しかし、今度はレインが気づく。
「なあ、底のところがはずせるんじゃないか。妙に綺麗だぜ」
「確かに、そんな感じがするな。ちょっと待て」
カリクがしゃがみ、冷凍庫の底をいじってみる。すると、動く感触があった。
「当たりだな。上か下に押すと、横にスライドさせられるみたいだ」
言いながら、実際にやってみせる。完全に動かし終えると、さらに深い闇へと誘うであろう、下り階段が待ち受けていた。
「地下への階段、か。よくもまあ、こんなもんを作ったもんだ」
「だなー。でもまあ、首都の奴はやることがぶっ飛んでるから、想定の範囲内ではあるけど」
二人で、ぽっかりと口を開けた闇を覗き込む。先はほとんど見えない。
「さすがに灯りがいるな。レイン、お前なんか持ってるか」
「いや、俺っちは持ってない。でも、廊下にガス灯ならあったと思うぜ。付くかどうかは分からないけど」
「試す価値はあるな。行くぞ」
「あいよ」
単独は危険だという意図を汲み取り、レインが同意を示した。一旦キッチンを離れ、食堂を通り抜けて廊下へ出る。ガス灯は、壁から伸びた台座にくっついていた。
「ん、固定されてる」
「関係ない。とりあえず、離す」
レインの言葉を弾き、服の内に隠していた銃を抜く。ためらいなく、壁とガス灯をつないでいる部分を打ち抜いた。甲高い銃声が響く。ガス灯が、床に落ちた。レインが口笛を吹いて、「過激だねー」と軽口を叩く。
「敵さんを警戒するんじゃなかったの?」
「でかい声を出してたお前に言われるとはな。別に、構わないさ。あの隠し戸を開けた時点で、地下に音は響いているだろうから、今更、感づかれることを警戒する必要はないだろ」
「そんなもんか?」
カリクはガス灯を拾うと、火がつくかどうかを試した。問題なく、仄かな紅い光が灯る。首をひねっているレインに呼びかけた。
「行くぞ」
「あいよー」
灯りを片手に、暗闇への入り口へと戻った。踏み込む前に、カリクは傍らの少年へ問いかける。
「準備はいいか、レイン」
「もち。そっちこそ、ひびるなよ」
「ふん」
返ってきた答えを聞き、カリクは満足そうに鼻で笑った。今から潜る黒を真っ直ぐに見つめ、
「じゃあ、下りるぞ」
「よしきた」
カリクを前にして、二人は階段を下りだした。
「本当に真っ暗だなー。ただでさえ夜だっていうのもあるけど、上の光が全然届いてねーや」
数十段進んだところで、レインが後ろを横目で見た。カリクも声につられて、振り向く。それほど実感はなかったが、既にそれなりの深さまで潜ってきていた。
歩み続けると、やがて階段が終わり、開けた空間に出た。端っこは目視できないが、足音の反響音でなんとなくの広さを想像する。
「けっこう広そうだな」
「だな。ちょっと、壁際を見てみようぜ」
レインに促され、壁づたいに部屋の左端へ行く。カリクの手中にあるガス灯が、“それ”を照らし出した。
「……なんだこりゃ」
あったのは、多くのボタンやレバー類だった。簡単に言えば、巨大な機械が設置されていた。
「へぇー。これ、首都でも限られたところにしかない、“パソコン”ってやつだぜ」
「パソコン? なんだそれは」
聞き慣れない単語だった。
「俺っちも詳しくは理解してないんだけど、なんでもいろんな情報とかを保存したり解析できたりするらしい。ざっくり言うと、すごい機械って感じだな」
「一ミリも分からないな。とりあえず、こいつは今、使えるのか?」
説明されてもピンとこなかった。話題を変える。
「いんや、たぶん大本のエネルギーが供給されてきてないみたいだから、使えないと思う」
「その大本のエネルギーって、なんだ?」
「そこまでは分かんない。首都の研究所にあったやつは、原理は理解できなかったけど、風とか火とかから動力を作ってるとかなんとか聞いたな」
「風に火?」
ますますわけが分からなかった。その要素からこの機械を動かすというのが、腑に落ちないのである。“電気”というエネルギーがこの国で発見されてから歴史が浅く、カリクが科学分野の知識を持っていなかったので、当たり前のことだった。
「まあ、細かいことはメシアの工場のことでも調べてみなよ。多少なりとは、学べると思うぜ」
しゃべりながら、レインは眼前の機械をあちこち触りだした。しかし、反応はまったくない。
「んー、やっぱだめか」
「それはもういい。こだわる理由もない。他に何かないか探るぞ」
頭をかく彼に、カリクはそう声かけをした。時間がもったいないというのもある。大きな機械から光源を離し、別の場所を見ようと振り向いた。
「右に避けろ、カリク!」
と、不意にレインが叫んだ。反射的に言われた通りの方向へと避ける。その数瞬後に、機械の方へ何かがめり込んだ。カリクはわざわざ振り向いて確認したりはしなかった。疑いなく、銃弾に間違いなかったのである。敵に場所が丸分かりになってしまうと考え、ガス灯の光を消した。完全に近い暗闇が、身体を包み込む。
しばらく、音すらも消えた。カリクは、見えざる敵に位置を悟られまいと黙って、物音も立てないように息を潜めているのだが、レインと見えざる敵も、同じことをしているらしかった。
それから一番に耳に入った音は、低く重たい男の声だった。
「よくできたガキどもだ。動いたら危険なことを、よく分かっている」
カリクのでもレインのものでもない、敵の声。口を開いたわけが、痺れを切らしてか、それとも余裕からかは判断できなかったが、とにかく聴覚で敵の位置を探りにかかる。
「それにしても、お前ら何者だ? ただのガキなら、こんな冷静な判断はなかなかしない」
カリクは、何も答えなかった。レインも、黙っている。
「返事もなしか。ふん、本当によくできた奴らだ。それとも、怖くて動けないだけか?」
男の言葉が続く。
(ちっ。だいたいの方向の予想ができるくらいか。位置が全然分からねえ)
しかし、場所の予測が立てられない。内心でカリクは悪態をついた。
そのとき、近いところから何か風を切るような音がした。聞いたことのあるものだった。
「ぐっ!?」
男が突然、苦しげに声を漏らした。何が起きているのかはまったく見えないが、先ほどの音から察する。
(さっきのは、“刃物が風を切る音”だ。レインが攻撃したか)
納得できる解答を引き出すと同時に、疑問も生まれる。
(けど、どうして敵の位置が分かるんだ。ある程度、暗闇でも目の利く俺すら、なんにも見えないっていうのに)
「ずいぶんと、厄介なことをしてくれるものだな。暗闇で正確に、位置を当ててくるか。数ヶ月前に、火事に乗じて“ジーニアス”から逃げ出した子供がいたと報告をもらっているが、お前がそうみたいだな」
(“ジーニアス”?)
ひそかに首をひねる。耳にしたことのない単語だった。おまけに、火事や報告といった、気になる言葉も混じっている。
ただ、当の本人はやはりしゃべらない。口車に乗って、うっかり場所を知らせまいとしているのだろうか。
「らちがあかないな。奇襲も失敗しているし、そっちがこっちの場所を把握できるなら、この状況にこだわる理由はあるまい」
彼の対応を受け、敵の男がそう言うと同時に、急に明かりが点いた。ガス灯ではない、何か人工的な光だった。
「あら、電球っすか。まいったね、こりゃ」
姿が晒された時点で、レインはすっぱり黙るのをやめた。敵へ目をやる。カリクも、彼と同じ方向を見た。
立っていたのは、大柄な男だった。筋肉質で、岩のような出で立ちをしている。重厚という言葉が、カリクの頭に浮かんだ。黒の軍服を着ていることから、軍の関係者であるのは、疑いようがない。男は、右手に黒く光る拳銃を手にしていた。
「さて、これで心置きなくしゃべれるだろ。好きに話すとしよう」
男の顔に、嫌らしい笑みが浮かぶ。下品な感じだった。
「あんた、軍の人間か」
カリクが口を開いた。まず、確認する。
「そうでないとしたら、何に見える?」
相手は、わざとらしくそう答えた。まどろっこしい言い方だが、軍人で間違っていないらしい。
「それにしても、もうずいぶん前に捨てた施設に、まさか侵入者がいるとは思わなかった。お前ら、何をしに来たんだ?」
「さあてね。なんでだと思う?」
レインがうそぶいた。しかし、敵の男は特に怒る様子もなく、
「想像もつかないな。情報が足りない」
冷静な返しをした。肩透かしをくらった気分なのだろう、レインは眉をわずかに潜めた。
「それに、分からないなら分からないでもいい。お前たちの目的がなんだろうと、やることは変わらないからな」
彼の反応を気にとめず、男は手にある銃を、二人に示してきた。
「ここで、死んでもらう」
抑揚なく、言い放つ。殺すということへのためらいが、欠片も見られなかった。カリクとレインが、声を揃える。
「「断る!」」
カリクもためらいなく、まず銃を持つ敵の手を狙って発砲した。狙いを瞬時に察せられ、寸前の間で避けられる。
「ちっ」
軽い舌打ちをしながら、カリクは敵から目を離さずに、左へ走った。男との間に挟めそうなものは、何もない。ゆえに、身を隠せるものがあるかもしれない、男が来た方向に抜けたかった。入り口に戻ろうとしたところで、狭い階段では狙い撃ちされるのが関の山なのである。
「ビックリしたな。まさか、ガキが銃を持ってるとは」
「最近の子供は進んでんだよ」
カリクが適当な言葉を返す。
「そういうこった!」
それにレインも乗っかった。同時に、ナイフを飛ばす。男は、ナイフを軽いステップでかわす。ひそかにつぶやいた。
「二対一、か」
カリクは相手の銃口から目を離さないように、男から距離をとる。
(押し切れる。相手の方が地力は上だが、俺とレインの力を合わせれば、勝てないことはない)
考えを巡らせていると、声が挟まった。
「二人で押せば勝てる。そう思っているだろう」
図星の指摘だった。しかし、なんとか動揺は押さえ込む。男の表情をうかがった。
「甘いな。もしそうなら、二人いっぺんに相手したりしない」
気味の悪い微笑があった。思わず、背筋が凍ってしまうほどの。
そして、トンと、この場にいる三人のものではない足音が、静かに、しかし確かに響いた。方向は、男の背中に見える廊下のような方からだった。
「複数かよ……」
意味しているのは、別の人間の存在。カリクの計算を、たやすく崩してしまう要素だった。
「おいおい、これはヤバげだぜ、カリク君。どうする?」
ナイフを構えるレインも、当然その足音に気づいている。口調の軽さとは裏腹に、うまく笑えていなかった。
「……決まってる」
問われたカリクは、敵の方へ見つつ答える。そんなに難しいことではない。本来の目的を考えれば、一択だった。
(こんなとこで終われるわけがないだろ)
選択肢は、逃走しかなかった。ただ、大きな問題として、入り口へ戻る場合、完全に背をとられてしまうことがある。そうなれば、まず間違いなく簡単に命を落とすことになってしまう。
(どうする……)
必死に頭を活動させる。
(どうする!?)
自分たちがいるのは、開けた空間。遮蔽物になりそうなものはない。入り口に通じる階段と、先の見えない廊下がある。上には、光を発している物体が五つほどぶら下がっていた。その刹那、答えが閃く。
「レイン、援護しろ!」
「何を!?」
叫び返されたことを無視し、カリクは銃を構えた。敵にではない。
「何を……?」
狙いが分からないようで、敵の男は顔をしかめた。こちらも意に介さず、弾を放った。直後に、ガラスの弾けたような音が響き渡った。
「な……」
「なーるー!」
男とレインが、それぞれ反応する。カリクが撃ったのは、五つある電球のうちの一つだった。光源をなくすつもりなのだ。
「させるか」
心外だと言わんばかりに、男は言葉を漏らした。カリクに銃口が向く。
しかし、
「させるかをさせるか!」
陽気な声とともに飛んだナイフによって、狙いはズレた。その間に、カリクは二つ、三つと光源を破壊していく。
「無駄なあがきを……」
「無駄かどうかは、やってから判断してくだされー!」
レインの攻撃が続く。そして、ついにすべての電気が消え去った。再び、暗闇がすべてを包む。
「レイン! 俺を引っ張れ!」
「ほいきた!」
その中で、声だけのやりとりを交わした。敵の声が被さるように響く。
「逃げられると思うな!」
おそらく、攻撃しようとしたのだろう。かすかな音が耳に入った。しかし、いつまで経っても、銃声はない。
「逃げてみせるっての!」
レインが、攻撃を途絶えさせていないからだった。目視はできていないが、彼はナイフを投げていると、手を引かれるカリクには、音となんとなく伝わる動きから想像がついた。そのまま、入り口へと通じる階段を上がり出す。威嚇で、カリクは一発撃った。
「さあて、こっからどうするんだカリク君? 後ろから撃たれたら終わりだぜ」
先を行くレインから問われた。こともなげに答える。
「問題ない。上がりきるまで、下に弾を打ち続けてやれば、向こうは階段を上がってこれないはずだ」
同時進行で、引き金を何度も引く。床に着弾した音が何度もする代わりに、敵からの攻撃はこなかった。
しばらくして、一番上に薄い光が見えてきた。太陽やガス灯を光源としていない、夜という灯りである。
「あと少しだぜ、カリク君!」
レインが叫んだ。耳には入れているものの、特に返事はせず、下方へ撃ち込み続ける。数秒して、ついに一番上へとたどり着いた。
「車まで走るぞ。まず、この場から離れる」
「承知!」
カリクとレインは、一目散に車へと走り出した。キッチン、食堂と通り過ぎ、廊下へ出る。足を止めずに、さらに駆けていく。玄関にたどり着いた二人は、外に出ると、すぐさま車に乗り込んだ。
「カリク、あいつは来てるか?」
運転席に滑り込んだレインに問われ、カリクは助手席へつく前に廃屋の入り口を見た。
「いや、まだ来てない。とにかく、さっさと行くぞ」
誰の姿も見えなかった。席に腰を下ろし、レインを促す。
「あいあいさー!」
それを受け、彼は元気よく返事をするとエンジンをかけた。アクセルを踏み込む。カリクは万一にそなえ、後部座席から廃屋の入り口方向へ銃を構えた。徐々に離れ出す。
しかし結局、再び男を見たりはしなかった。
「巻いたか……」
肩から力を抜く。一旦は脅威から逃げ切ったと考えてよさそうだった。後部座席から、助手席へと戻り落ち着く。
「いやー、危なかった、危なかった。さすかにびびったぜ」
ハンドルを握るレインが、ほっとした表情を浮かべた。カリクは、厳しい目線を向ける。
「お前、何者だ? 本当ならどうでもいいところだが、サリアが攫われた理由と関係があるなら、話が変わるぞ」
珍しく、レインは黙り込んだ。口元は笑ったままでいるのだが、明らかに様子がこれまでと違う。
「答えろ、レイン。お前は何者だ?」
さらに追及すると、彼は一度息を吐いてから、
「何者ってわけでもない。ただの、被実験対象者だったってだけだよ」
嫌々といった感じに、口を開いた。
二人の少年が去った、謎の地下施設。男はまだそこにいた。
「逃げられたな。たいした奴らだ。ガキだが、元気な分、対応しづらいもんだ」
男は一人でつぶやいていた。暗闇に、声が吸い込まれていく。
「しかしまあ、こんなところまで来てることを考えると、そのうちに会う機会があるかもしれないな」
一旦言葉を区切り、この場所を出るために男は“それ”へ呼びかける。
「行こうか、父さん」
闇の中で、何かが蠢いていた。