四章『囚われの少女』
時は、カリクとレインがニケアを出て数時間経ったくらいであった。場所は移って首都セルゲンティス。サリアは、茶髪の大柄な男と金髪のスラッとした体型の女、二人の軍人に連れられて、街への入り口へとたどり着いていた。ひたすらに高く白い壁が続いて、中には監獄があると言われても納得してしまいそうだった。その中に、街へと続く二枚並びの門はあった。
今、車は止められている。セルゲンティスは、さながら国境のごとく、入る者への厳しい審査があった。軍人であっても免れることはできない。
「これはこれは、ガヌ中尉。ご苦労様です」
サリアたちの乗る車を止めた入都管理局の人間が、降り出たガヌに敬礼をする。シルラは、サリアの隣に座ったままだった。
「まさか、逢い引き中だったのですか?」
「逢いび……っ!」
その管理局の男は、車の扉越しにシルラの姿を見つけたらしく、ニヤッとした。サリアの隣に座ったままの彼女が顔を引きつらせる。一方、車外で直接言葉を受けたガヌはというと、
「いやー、そうだったらよかったんだけど、残念ながら任務だ。それも超特殊オーダー。ほれ」
軽い調子で流し、一枚の紙を示した。サリアからだと、よく見えない。
「これは、軍王様の勅命書じゃないですか。どんな任務なんですか?」
管理局の男は、やや声色を高くした。どうやら、紙は勅命書のようだった。
「バーカ。こんな紙がもらえるくらいだ。極秘に決まってるだろ。いいから、早く入都許可出せ。車の中にいるもう一人も任務がらみだから確認は不要だ」
「了解しました。今、門を開けますから、車内で待っていてください」
ガヌの催促を受け、管理局の男は門の横に引っ付いている守衛室へと小走りで戻っていった。やがて、門が開く。開き切ったのを確認してから、ガヌが運転席へ戻ってきた。
「さ、行こうぜ、シルラ」
「……ああ、そうだな。行くとしよう」
サリアから見たかぎり、シルラはもう平時の調子を取り戻したように思えたが、
「あっれー? シルラちゃん、もしかして逢い引き発言、まだ気にしてる?」
「なっ! そんなわけないだろう、この阿呆が!」
からかいに対して、声を高くしたことから察するに、それは勘違いのようだった。
(仲いいなー)
攫われたにしては、かなり危機感に欠けた感想が、サリアの頭には浮かんだ。
当初こそ、サリアは当然ながら自分を強引にカリクから引き離した軍人二人を警戒していた。しかし、どうにもガヌとシルラを、完全に敵と位置付けることができなかった。理由は、大きく分けて二つある。
一つ目は、二人がサリアをいたわってくることだった。任務上そうしなければならないのか、それとも単純に二人の人柄なのか、首都へと向かっていた二日間、ことある事に気を使われたのである。「何か食べたいものある?」とか、「しんどくない?」とか、「もしあの男に変なことをされたら、すぐに言え。容赦なく撃ち殺す」などと言われたのだ。
二つ目は、彼らの会話だった。一例を挙げると、
「なあ、シルラー。首都まで、あとどんくらいだー?」
「それはさっき話題にしたばかりだろうが。あと一日は絶対にかかると、何度も言っている」
「遠いなー。なんかこう、ワープとかできない?」
「そんな便利な能力があれば、とっくに使っている。貴様は我慢が足らなすぎだ」
「えー? すぐに銃口を向けてくるどっかの凶暴女よりはマシだろ」
「さて、誰のこと言っているのかさっぱりだ」
「いや、現在進行中で俺に銃口向けてる方がいらっしゃるじゃないですか。やめようぜー。今はお前が運転なんだから、ちゃんと前見ようって」
「……貴様から注意を受けようとは、私も堕ちたものだな」
こんな感じだった。サリアがいるにも関わらず、二人はかなりリラックスした様子で、コミカルな会話を幾度も交わしていたのである。そこから感じる彼らの人柄の印象がよかったので、一つ目の訳と合わせ、どうしても敵視できなかった。
入都の門をくぐり、セルゲンティスへと入る。中で一番に目に入ったのは、中央に位置する本部基地だった。大通りの先に位置し、圧倒的な威圧感と存在感を放つ、黒の建物だった。何階建てかは、遠くて分からない。
街並みに注意を移すと、こちらもすごかった。入り口付近こそ、ニケアとさほど変わりない風景だったが、大通りを進むにつれて、建物の大きさが増していった。おまけに、かなり煌びやかである。ただし、どれだけ華やかだろうと、この街を囲う高い壁と併せて見てしまうと、違和感が拭えない。逆に、無機質か荘厳な感じの建物は、とても自然に溶け込んでいる。
「相変わらず、なーんかちぐはぐした街だよなぁ」
「そうだな。私としては、ジャラジャラ飾ったものがなければ、もう少しマシな気分になるのだがな」
「あー、まあシルラさんはお堅いですからねー。でも、あの壁は嫌だと思わない?」
「あれは仕方ないだろう。何十年もかけて造った、我が国の絶対的な防御壁だ。防衛という観点から見て、あれをなくすわけにはいかん。好きか嫌いかかと問われれば、後者だがな」
おそらくここに住まいを持つ二人でも、この街の景観には否定的なようだった。
そんな街の中を、三人が乗った車は進んでいく。
やがて、遠くに見えていた黒の建物の真下へとたどり着いた。首都軍の基地、すなわちこの国の中枢へと。
「あー、憂鬱だな。あの人とまた会うのか」
「文句を言うな。特殊任務なのだから、当然だ。それに、閣下を慕っている人間は多い。あまり滅多な口をきかない方がいいぞ」
「分かってるよ。だから、今のうちに言ってるんだ」
基地の門でまた勅命書を見せ、建物の横にある駐車場を目指した。サリアは窓から外を覗いてみたが、左側にはひたすら黒壁の建物、右側には灰色の壁が続くだけだった。しばらくしてから左折したところで、ようやく前に軍の車両が所狭しと並べられている空間が見えた。奥には演習場の類いと思しきものがある。
駐車場にガヌは車を止めた。一番始めに降りると、後方のドアを開け、
「どうぞ、お二人」
執事のように恭しく頭を下げた。気障っぽい動作だった。
「……サリア。貴女を今から軍王のところへ連れて行く。申し訳ないが、身体検査を受けた後、目隠しをしてもらうことになる」
そちらを無視し、シルラはサリアにそう説明をした。
「……別にかまいません」
サリアは素直に従う。ここで抗う意味がないし、二人をあまり困らせたいとも思わなかった。
「ありがとう」
了解を受け、シルラは礼を口にした。
「……いいから、早く降りようぜ」
置いてきぼりのガヌが、ぼそりとつぶやいた。
身体検査を終えたサリアは、目隠しをされ、シルラに手を引かれてどこか分からないところを歩いていた。ところどころから、「なんだ、あの子?」「さぁ?」というような囁きが聞こえる。軍人ばかりの場所を目隠しをされた少女が歩いているため、浮いているらしい。
建物のどの辺りかさっぱり分からなくなってからしばらくしたくらいに、シルラの歩みが止まった。彼女から声をかけられる。
「止まって」
緊張が含まれていた。どことなく、張り詰めた空気も感じる。そんな中で、シルラが大きな深呼吸をした。
「よし」
と、意を決したような言葉を小声で出したところで、ノックの音がした。
「ガヌ=ロード中尉です。シルラ=マルノルフ中尉もおります。件の少女をお連れしました」
シルラは、何もしていない。ノックをしたのも、言葉を発したのも、ガヌだった。ただし、相変わらずどこかだるそうであった。
「どうぞ、お入りなさい」
男性の声が聞こえた。聞こえ方から察するに、部屋か何かがあるのか、その中からのようだった。
「貴様……」
「ほらー、シルラちゃん、嫌そうだったから。それより、さっさと入ろうぜ」
驚きを見せるシルラに、ガヌは軽い調子で返し、
「失礼します」
彼女の返答を待たずに、どこかの部屋へ入る扉を開けた。
「……まったく」
呆れたような声を出したシルラに手を引かれ、サリアも室内へ入る。
「一旦、目隠しをとるぞ」
そう呼びかけられ、ようやくサリアは視界が戻った。明かりが眩しく感じる。
徐々に慣れてきた目で、部屋の中の様子を確認した。“たった一人”のためにあてがわれているにしてはかなり大きく、サリアの身近なもので表現するなら、学校の教室を二つくっつけたくらいの広さがある。床には赤の絨毯が敷かれていて、壁は白い。右側にはおそらく電報を打つのであろう機械が机の上に置いてあった。また、多くの人間の顔写真が上の方に飾られている。逆側には本棚と、なぜかワインの入れてある棚があった。この部屋の主のものだろうか。トロフィーが無造作に乗っけられている。部屋の奥の方には軍旗、国旗が並び、グラスの入った小型のケースも置かれていた。額縁に収められた賞状が、その頭上にある。
そして、
「ご苦労様です。ガヌ中尉、シルラ中尉」
中央から奥よりにある大きな机には、白髪の多い老人の姿があった。柔和な笑顔に反し、醸し出す雰囲気は厳かで緊張感がある。何か、得体の知れない恐怖を、サリアの身体は感じとっていた。
「その子が、“オモイノチカラ”を持つ少女ですか」
細い目が捉えてくる。サリアは、なぜか背筋に冷たさを覚えた。
(なんだろう。この人、なんだかすごく嫌な感じがする)
そう“心の内”で思ったのだが、
「すごく嫌な感じがしますか。申し訳ないですね。なにしろ、命のやり取りを何度もしていると、どうしても知らず知らずに対面している相手に重圧を感じさせてしまうんですよ」
目の前の老人は、それを読み取った。サリアの表情が硬くなる。
(どうして、私の考えてることが分かるの?)
「人の考えてることは、すぐに分かるんです、私は」
またしても考えていたことを、口に出される。
(まさか……)
「ええ。そのまさかです。貴女と毛色は違いますが、私も“オモイノチカラ”を持っているんですよ。サリア=ミュルフさん」
サリアの予感は当たっていた。目の前にいる老人も、特殊な能力を持っているのだ。
「おっと。まだ名乗っていませんでしたね。私はクラカル=エル=ミッドハイムといいます。階級は総督ですが、“軍王”と言った方が分かりやすいでしょう」
「“軍王”……」
ラスタージ共和国の頂点に君臨する者の称号を、サリアは繰り返す。目の前にいる人間がまさに、当人であるミッドハイムだった。
「ええ。驚かれたでしょう。国のトップが私のような老人で」
彼は自分に関してそう言ったが、ただの謙遜にしか思えなかった。素人目にも、隙がない。
「……そんな方が、私になんの用ですか」
サリアは明らかな警戒を表に出した。しわを寄せて、睨む。
「警戒されていますね。当然ですが、残念なところです」
言葉と裏腹に、老軍人の様子に特別残念な感じはない。
「まあ、本当は貴女が私をどう思おうと、問題はないんですが」
自分で言ったことを、あっさりひっくり返す。サリアの考えていることに、深い興味はないらしかった。
「重要なのは、あくまで貴女の持つ“力”。大変でしたよ。少ない情報から、力についての予測を立て、その持ち主の居場所を把握するのは」
柔和な笑みを崩さないまま、軍王が告げてくる。
「つまり、用があるのは、貴女ではなく、貴女の能力です」
一個人をまるで無視した言葉だった。彼にとってサリアは、ただ単に力の所有者なのだ。
「貴女のオモイノチカラは、私のものと違って、特殊な部分がありますからね。じっくり研究させてもらいますよ。今日はただの顔合わせです。貴女の心の内から、力を持っていることは確信が持てましたし、もう退出していただいてかまいませんよ。地下の特別室に連れて行ってください、ガヌ中尉、シルラ中尉」
「了解です」
「はい」
まだ笑みの裏にある表情を見せることなく、ミッドハイムは退室を命令した。部下二人が返事する。
「行くぞ、サリア」
シルラに手を再び掴まれた。彼女は逆の手で目隠しを出す。サリアの視界は、再び真っ暗になった。
「待ちなさい。シルラ中尉」
「はっ。なんでしょうか」
そのまま部屋を出ようかというところで、ミッドハイムがシルラを呼び止めた。
「疑問を持つというのは、人として当然のことですが、中には持ってはいけない疑問というのがあります。なにより、遥かに上の階級の者がやることに逆らってはいけないものです」
「……はい」
「ますます裏を感じますか。まあ、どうしようとも貴女は貴女ですから仕方ありませんね。ただ、余計な詮索や邪魔は御法度ですよ」
「上辺だけの返事は必要でしょうか」
「いいえ。本音との違いで私を笑わせたいというのなら、話は別ですが」
「……失礼します。行くぞ、ガヌ」
意味深な会話を交わしてから、シルラはガヌを促し、部屋を出た。サリアは自分の手を掴むシルラの手が、少し汗ばんでいるように感じた。
扉を閉めた音がした後、シルラはその場から離れだした。手を引く彼女は、少し足早になっているようにサリアは思った。
「シルラ。ここらへんまで来れば大丈夫だ。そんなに焦って歩くなよ。サリアちゃんがついていくの大変そうだぞ」
ガヌも同じことを思っていたようで、階段を下りたあたりで後ろの方から呼びかけた。
「っ……」
言葉にならない声を発して、シルラが足を止める。掴まれている手は、強く握られていたために少し痛かった。
「話なら後でいくらでも聞いてやるから、今はとりあえずゆっくり歩け。な?」
「ガヌ……」
常の毅然とした口調とうって変わり、どこか泣きそうだった。
「大丈夫だって。別になんにもしてきやしないさ」
「だといいが」
「ったく。いつもは強気な態度のくせに、打たれ弱いよな、お前って」
「うるさい。どっちも私の性格だ」
「ああ、そうかい」
ガヌの声は、優しかった。シルラはシルラで、手の力がほぐれる。
サリアは自分の置かれている状況が、とても安全とは言えないと分かりながらも、二人の関係に考えを傾けずにはいられなかった。
「ガヌ」
「んー?」
「お前に言うのはあまり気が進まないが、今日のところは礼を言っておく。ありがとう。ノックの件も含めてな」
「引っかかる言い回しだけど、どういたしまして」
続けての会話を聞いていて、サリアはとてもカリクに会いたくなった。
(カリク。きっと、助けに来てくれるよね)
彼の積んできた訓練の数々を、サリアは一部しか知らない。しかも、戦い方を学んでいるからといって、助けに来てくれるという確証はない。それでもサリアは、疑わなかった。きっとカリクは、自分を助けに来てくれるに間違いないと。
冷静さを取り戻したシルラに連れられ、サリアはまた基地の内部を移動した。今度は何度も階段を下りていたのに加え、少し涼しい空間へ出たので、おそらく地下だろうと予想した。
長い廊下を直進したり曲がったりを繰り返し、しばらくして、
「ここだ」
というシルラの声がしてから、扉を開ける音が響いた。辺りがとても静かなので、不気味さがあった。閉める音も、同じ感じに耳へ入る。完全に閉まりきったところで、目隠しをはずされた。
「うわぁ……」
さっそく開いた目に飛び込んできたのは、手狭な部屋だった。しかし、思わず感嘆を漏らしてしまうほどに、綺麗な室内である。床は赤い絨毯が敷かれ、右奥には真っ白なシーツのベッドがあり、真ん中には花瓶を乗せたテーブルが置かれていた。下手な宿泊施設より、レベルが高い。
「貴女には申し訳ないが、ここにずっといてもらうことになる。言葉を選ばなければ、監禁と言ってしまって差し支えない」
あけすけな表現だった。ガヌが肩をすくめる。
「まあ、そういうこったな。出れても研究所に行くくらいだろう。会えるのは俺たち軍人か、変な研究者共くらいだ」
「だろうな。ついでに伝えておくと、部屋の内外に監視も一人ずつつけさせてもらう。ただし、内側については、私から必ず女性にしてもらえるよう取り計ろう。私もできるかぎりはいれるようにする。貴女は嫌かもしれないが」
彼女らの言葉は、とても誘拐犯という悪人に思えないものだった。思わず、
「いえ、そこまでしていただかなかくても」
と、遠慮してしまうくらいに。
「いいや。できりかぎりはさせてもらう。貴女は気にしなくていい」
「そうそう。こっちが勝手にやるって言ってるんだ。ただでさえ強引に連れてきたんだし、埋め合わせにはならないだろうが、素直に受け入れておいてくれ」
やはり、悪人には思えなかった。
「ただ、今日のところは私たちは失礼させてもらう。色々やることがあるのでな。貴女も休むといい。ゆっくりとは言わないがな」
「は、はい」
口調は堅いが、思いやりのある彼女にサリアはうなずいてみせた。
そこで、外から声がした。
「ガヌ中尉、シルラ中尉。お待たせいたしました」
監視の人員である。ガヌが部屋の扉を開けると、男女が一人ずつ、外に立っていた。
「おー、ご苦労さん。行こうぜ、シルラ」
「ああ。ではな、サリア」
ガヌの呼びかけに応え、シルラはサリアにあいさつしてから、二人で扉へ向かった。去り際、シルラは監視の二人組に、
「上客だ。困らせるなよ。手荒な真似もするな」
そう言い聞かせた。
「……過保護だねぇ」
隣では、ガヌが苦笑していた。
要人を匿うための地下室を後にして、シルラはガヌと肩を並べて、廊下を歩いていた。
「で、何を考えてたんだ。あいつになんか言われたろ」
あいつとは、ミッドハイムのことである。切り出したのは、先ほどの総督室を出るときのことだった。
「ああ、あれか。ずいぶんとあっさり、あの子との対面を終えたなと思ってな」
「あー、確かに誘拐させるほどご執心なわりには、特に目立ったことはなんにもしなかったよな」
「そうだろう? まるで、今のあの子には用がないようだった」
「用がない? どういうこった」
ガヌが訝しげな表情を浮かべた。
「はっきりとは説明できん。なんとなく、そう感じただけなのでな」
彼の問いに、シルラは首を横に振った。
「なんにせよ、あの子にこれからいいことが起きるとは思えん。せめて、人間として扱ってもらえればいいが……」
心配そうに、歩いてきた廊下を振り返る。ガス灯が怪しく並んでいた。
「人間としてっていうのは無理だろうが、貴重な人材だ。研究者共も“いつもみたく”乱暴にはしねぇさ。それに、させたくもないんだろ?」
「当たり前だ。せめて、私が手を出せる範囲は救ってやりたい。それに、お前も見ただろう。彼女を攫うときにいた少年を。彼と引き裂きたいと思うか?」
熱い口調だった。同時に、研究者たちへの嫌悪感も混じる。傍らを歩くガヌの目を見つめた。
「んあ? い、いいや、思わないな」
彼は、一度目線を泳がせたが、最終的には目をしっかり合わせて答えてきた。
「お前はいなかったけど、あのとき奴は銃を向けるのをためらわなかった。余程、大事な存在なんだろうな。“引き金を引く覚悟”があるかどうかは、まだ分からないけどよ」
シルラから目を離し、前を向く。少年のことを思い出してか、顔には微笑みがあった。横顔に、シルラは尋ねた。
「……あの子を、救えると思うか?」
「それは分からない。分からないが、俺は賭けてるぜ。何かしてくれるってな」
表情を変えずに、強く言い切った。
「そうか。なら、私もそう考えておくとしよう。どうせ……」
シルラは自嘲気味に微笑んだ。一度言葉を切り、横目で後ろを見る。
「私たちが何かを起こしても、どうにもならないのだからな」
ガヌとシルラが地下を後にしてどれくらいたっただろうか。サリアは、女性軍人の監視の下、できることもなくベッドに横たわっていた。外が見えないので、時間が分からない。かといって、見張りをしている軍人に訊く気にもならなかった。
心の中は、不安でいっぱいだった。これからどうなるのか、まったく分からない。ミッドハイムのことも、不気味だった。一体、何をされ、何をさせられるのか、皆目見当がつかない。
(カリク……)
幼なじみの少年の名前を、心中で呼ぶ。彼女の場合、本当に彼へ届くかもしれない呼びかけだった。ただし、どういう条項が満たされていれば伝わるのかが分からないため、望み薄の行為である。
と、そこで地下室に訪問者が現れた。
「邪魔するぞ」
「お、お疲れ様です。シルラ中尉」
シルラだった。監視をしていた軍人が、慌てて頭を下げる。
「ああ、お疲れ様。悪いが、少し彼女と話したいことがあるから、席をはずしてくれるか? 三十分ほど、休憩にしていい」
「休憩、ですか? しかし、今は私の監視時間帯で……」
「いいから、行ってこい。私が勝手に代わると言っているだけなのだからな」
「わ、分かりました」
渋る部下の肩を叩き、シルラは微笑んだ。そう何度も上司の頼みをつっぱねられないと思ったのだろう、部下は承諾した。「失礼します」と言ってから、部屋を出る。サリアとシルラだけが残った。
「……何か用事ですか?」
敵意はなく、ただ純粋な疑問だった。
「用事だな。ただし、個人的な話だ」
シルラは、部屋の真ん中にあるテーブルの椅子へ腰を下ろした。背もたれに体重をかける。
「個人的な話?」
彼女からの個人的な話とはなんだろうかと、サリアは首をひねる。思い当たる事柄がなかった。
「ああ。メシアで貴女を強引に連れ去ろうとしたとき、少年があの場にいただろう。彼のことでちょっとな」
「カリクのこと……?」
ますます、どんな話をする気なのか分からなくなる。カリクの話というのはなんなのか。彼とは、関わりがないはずである。
「そうだ。私はちらっと見ただけだが、彼は貴女を護ろうとしていたのだろう? ガヌはナイフを持っていた。なのに、あの少年は貴女を護るために、奴と対峙した」
「それが、どうかしたんですか?」
彼女が何を言わんとしているのかが、見えてこなかった。
「特別どうというわけではない。ただ、彼にとって貴女が、命懸けで護りたい大事な存在だというのを確かめたかっただけだ」
サリアの問いに、シルラは微笑む。その瞳に、ある感情が浮かんでいる気がして、尋ねた。
「シルラさん、羨ましいんですか?」
瞬間、眉が動き、彼女は目を見開いた。まさかとサリアは思っていたのだが、間違っていなかったらしいと思い直す。シルラの瞳に浮かんでいた感情は、羨望だった。
「羨ましい、か。そうだな。私は、あの少年に命を張ってもらえる貴女が、羨ましいのだと思う」
今度は言葉でも認める。続けて、サリアへ訊いてきた。
「貴女から見て、あの少年はどんな存在だ?」
軍人としてではなく、一人の女性としての質問に、サリアは思えた。ゆえに、同性の一人として答える。
「大切な人です。家族とは違うけれど、とても特別な位置付けにいる人。それが、私にとってのカリクです」
「ふん。恥ずかしげもなく、よく言ってくれるものだ。憎たらしくなってくる」
頬杖をつきつつ、シルラは苦笑した。穏やかな空気が流れる。自分が捕らわれの身であるのを、思わず忘れてしまいそうだった。
「シルラさん。私からも、一つ訊いていいですか」
「なんだ?」
「ガヌさんとは、どういう関係なんですか」
その雰囲気に乗じ、ずっと気になっていたことを訊いてみる。ここまで彼らと場所にいて感じ取ったかぎり、ただの同僚には思えなかった。
シルラは、最初こそポカンと口を開けたが、
「ガヌか。別に、あいつはただの同僚だ」
すぐに素っ気ない言葉を返した。ただ、表情には寂しさがよぎった。恥ずかしさでも、動揺でもなく、寂しさである。何がある。直感が告げていた。
「本当に?」
試しに、追い討ちをかけてみる。今度の返答は、早かった。
「本当だ。他に何があるわけでもない。たまたま同期で、たまたま同じ任務にあたるのが多いだけだ」
強い否定だった。だが、表情との総合を考えると、サリアはそのままの意味で受け取れなかった。
「シルラさん……」
はっきりとした言葉にはせず、その一言に思いを詰める。向こうも察したようで、
「詳しい事情は分からないが、ガヌは何かを背負っている。近づいたと思っても、真に深いところまでは踏み込ませようとしない。誰にもな」
短くも、的確な表現を紡いだ。詳細は伝わらなくても、彼女の想いは感じ取ることができた。
「だから、私も隣に行けない。行こうとしても阻まれる。どうしたらいいのか、もう分からない、私は」
肩をすくめ、彼女は天を仰いだ。サリアに向き直り、話しかけてくる。
「貴女は、軍のトップが関わる陰謀の中心に置かれていながら、見たところ絶望していない。なぜだ? なぜ、そんなに輝いた目をしていられる?」
なされた質問は、サリアには簡単に答えられるものだった。一瞬、目を細め、口を開く。
「シルラさんとガヌさんが、誘拐犯らしくないから、っていうの“も”ありますね。でも、一番大きい理由は……」
一呼吸置き、堂々と言い切る。
「信じているからです。きっと、カリクが来てくれるって。どんなに困難でも、どんなに相手が強大でも、カリクなら、きっと」
疑いはなかった。証拠のない自信だが、それがサリアにとっての事実なのである。
「信じているから、か。なるほどな。それが、絶望を打ち消す方法か」
シルラは、口元をわずかに緩ませる。どこか、すっきりした感じだった。
「礼を言う。私も、貴女と一緒に信じてみよう。もう少しだけ、な」
「……はい」
彼女の目線を受け、うなずく。心の内で、少年を想った。
(信じてるよ、カリク)
揺らぐことなく、輝き続ける。