二章『旅立つ少年』
『カリク。助けに来てくれるよね。貴方なら、きっと……』
頭に、いや、心に、優しく悲しげな声が響いた。しかし、姿は見えない。幼なじみの少女が、どこにもいない。探そうとしても、まず身体が動かせなかった。深い暗闇の中にいながら、もがくことすらできなかった。締め付けられるような胸の苦しさから、叫ぶ。
「サリアーッ!!」
そこで夢は途切れ、カリクは地面の上で跳ね起きた。
「ああっ……?」
意識がはっきりしない中、辺りを見回す。制服姿の警察官が何人か彼のそばにいた。右手側には、噴水がある。広場だった。
(何が……)
「き、君。大丈夫か」
警官の一人が尋ねてきた。カリクは多少どもってから、「はい」と、簡単に返す。
そこで、記憶が次々と雪崩のような勢いで蘇ってきた。
(そうか。俺は気絶させられて……)
唇を噛み、拳を握る。あまりに自分が情けなかった。
「どうかしたのかい。怖い顔をしているが」
「いえ、別に。それより、どうして警察の人がここにいるんですか」
「何を言ってるんだ。こっちは、どうして君がいるのか不思議なくらいだよ」
警官に疑問を疑問で返され、カリクは眉をひそめた。状況を把握できていないのを察してくれたのか、警官が説明を始める。
「この広場に爆弾が仕掛けられたという情報が入ったんだ。たぶん嘘だとは思うんだが、偽物の警察官が騒ぎ立てたらしくて、大騒ぎになっててね。仕方ないから様子を見に来てみたら、君が倒れていたんだ」
「爆弾……」
すぐさまカリクは、それが人払いのためだという考えに至った。サリアを捕らえるために、わざわざ広場から人を遠ざけたのである。ただ、それだと疑問も浮かぶ。
(どうして、こんな面倒なことを)
こんな目に付きやすい場所で誘拐を決行した意味が理解できなかった。深夜を待って、サリアの家に押し入った方が、目立つリスクを減らせたはずなのである。それに、あの男女は知り得なかっただろうが、サリアの両親は、自分たちに危険が及ぶかもしれないのなら、簡単に娘を切り捨てるような人間だった。
(俺の素性を知っていたのと、何か関係が?)
となると、思い当たる理由はカリクである。男の方はなぜか、カリクを知っていた。ただ、確証はない。
「いったい、何があったんだい?」
考えを巡らせていたところで、警官の声が入り中断させられた。正直に話しても、無駄だと判断した彼は、
「それが、僕にもよく分からなくて。いきなり後ろから殴られて気を失ったんで、あまり覚えてないんです」
ためらいなく、嘘の話を始めた。
「後ろから殴られた? 本当かい。犯人の顔は覚えてないか」
案の定、警官は食いついてきた。だが、嘘なので、詳細など答えられない。
「いえ、それがいきなりのことで覚えてないんです。ごめんなさい」
そう言って、うやむやにした。騒ぎの犯人は先ほどサリアを誘拐した男たちの仲間に違いないので、存在したのは間違いない。あとは、見ていないことにすればさぼど厄介なことにはならないと踏んでいた。
「そうか。でも、とりあえず話だけは聞かせてもらえるかい」
「かまわないですけど」
もちろん、何も与えられる情報は持っていない。解放されるまで、さぼど時間はかからなかった。
警察での証言捏造を終え、カリクは日の暮れた道をひた走った。警察よりも、誘拐犯の情報を持っていそうな人物に心当たりがあったのである。彼らは、車を持っていたが、徐々に普及してるとはいえ、キュールで持っている人間はまだ少なかった。複数行動で銃も所持しており、“サリア”を狙ってきたことからも、普通の人間ではなく、何かしらの組織の者たちであることが予想された。
ともすれば、警察よりも“彼”の方が知っている可能性が高い。いや、そもそも今日訪ねてきた原因そのものが、この件と関係しているのではないかという予測もあった。
自宅にたどり着いたカリクは、走ってきた勢いそのままに、玄関のドアを力任せに開け、思い切り叫んだ。
「クソジジイ!!」
家全体、もしかすれば近所に届いたのではないかというくらい、強烈な音量だった。ただ、
「誰がクソジジイじゃあ!!」
負けないくらいの声が、家の中から聞こえてきた。歳を感じさせない、屈強な老人が大股歩きで奥から出てくる。その後ろから、何事かと目を丸くしてマリーが顔を覗かせている。
「いったいお前は、祖父をなんだと思って……」
「サリアが攫われた! 知ってることをあらかた話せ!」
説教を始めようとしたトルマを遮り、カリクは再び叫んだ。瞬間、祖父と母の顔色が変わった。後者はおそらくサリアという名前に、前者は“それ以上”のことに驚いたと判断する。
「知ってるんだろ、ジジイ」
目を据え、真っ直ぐに見つめる。強い怒りと一緒に、悔しさと辛さが涙となって彼の頬を伝った。
「カリク。それは、本当か」
「嘘でこんなことは言わねえよ。いいから、情報を寄越せ」
剣幕は凄まじく、今にも祖父に飛びかかりそうだった。
「まさか、こんなに早いとは」
その祖父は、意味深な言葉とともに、顔を歪めた。
「やっぱり、事情を知ってるんだな」
カリクが詰め寄る。
「ああ、知っとる。今日はその話をしにきたんじゃからな。これほど早くに動きがあるとは思わなんだ」
一つ前の言葉と同じ内容を、もう一度繰り返す。トルマにとっても、想定外のようだった。
「おそらく、サリアちゃんを攫ったのは、軍に関係する人間じゃ。もし違ったとしても、軍の息がかかっていると考えて問題ない」
「軍……」
祖父の話は、カリクの予測の中で最も悪いものだった。サリアを連れ去ったのは、祖父がかつて在籍し父が属する軍の関係者だというのである。
「根拠はいくつかある。まず、サリアちゃんを狙ってきたこと。“力”の存在を知るものは、世界にほとんどいないんじゃ。にも関わらず知っとるとなると、それだけの諜報能力があるということになる。それから、ニックの左遷じゃ。お前さんにはまだ話しとらんかったが、首都から出されてニケアにやられた。おそらく、上層部に探りを入れていたからじゃろう」
「父さんが、上層部に探りを?」
初めて聞く話だった。順調に軍でエリートの階段を上がっている父が、そんなことをしているとは思っていなかったのである。
「ああ。本当は、単純に国のために軍人として育てていたんじゃが、サリアちゃんがこの町に来たことで状況が変わった。軍の上部からきな臭さを感じ始めたんじゃ」
「ちょっと待ってくれ。サリアがこの町に来たって、あいつは生まれたときからここで育ったんじゃないのか?」
幼ない頃からずっと一緒だった少女についてのことで、カリクは問いを口にした。トルマは、首を横に振る。
「いいや。あの子は外から来た子じゃ。二つか三つだったときにな」
初めて知る事実だった。同時に、疑問に思い至る。
「じゃあ、サリアの親も外から来たってことなのか?」
「それは違うの。今のあの子の親は、本来の親ではない。わしとニックとマリーで頼み込んで、育ててもらったんじゃ。わしらの目の届く場所で、なおかつ完全に手元ではない位置ということでな」
「どうして、そんなこと」
「あの子の力が、それだけ希少なものだったからじゃ。わしですら、都市伝説のようなものだと思っていたからの。だから、口も開いていない女の子の感情が伝わってきたのに、かなり驚いたわい」
当時を思い出しているのか、祖父は遠い目をした。すぐに、そんな状況ではないことを思い出したようで、カリクに向き直ってくる。
「とにかく、軍内部では力の存在を信じ、悪用を考える輩も少なからずおった。だから、完全な監視下ではないものの目の届く場所においておいた訳じゃ」
「なるほどな。前に言ってた、サリアがいつか狙われるかもしれないっていうのは、そいつらのことか」
説明を聞き、カリクは理解した。彼は、サリアの“力”がいつか狙われているかもしれないというのは以前から伝えられていた。ゆえに、“サリアを護るため”という理由から、祖父の訓練に文句を言わず従事したのである。その懸念の理由は、この時点で既に、軍にあったのだ。
「そうなるの。だが、状況は今より悪い。ニックに追わせたかぎりだと、今回の首謀者はかなりヤバいんでの」
「上層部が関わってるのか」
サリアの情報はかなり少ないはずであるので、彼女を知ることができたという時点で、容易に想像ができた。しかし、祖父の出した名前は、一歩上の人間のものであった。
「上層部どころじゃない。今回の首謀者は、おそらく“軍王”じゃ」
「なっ……」
息をのんだ。とんでもない人物を表す称号だったのである。
“軍王”。議会を持ち、総理大臣の席があるにも関わらず、事実上ラスタージ共和国の頂点に君臨する者の称号である。本来の階級名は元帥なのだが、国政も担っているためにそう呼ばれていた。数代前からの体制なので歴史は浅いが、この国の軍事色はその数代の間にかなり濃くなった。
「現在の“軍王”であるクラカル=エル=ミッドハイムは、わしが一番最初に持った部下なんじゃが、“力”の存在を信じ、かなり固執しておった。頂点に上り詰めた結果として、専門の研究施設を作ったという情報もあるくらいじゃ。首謀者である可能性は、かなり高い」
トルマの口調は苦々しかった。行いそのものも気に入らないのだろうが、かつての部下を止められなかったという負い目もあるようだった。
「じゃあサリアも、その施設に?」
「ありえるの。ただ、わしの知っている奴の性格のままならば、確実に手元に置いておくはずじゃ。どの施設かはともかく、十中八九、首都に連れて行かれたとみて間違いないじゃろう」
「首都……」
カリクが噛み締めるようにつぶやく。首都セルゲンティス。軍の本部もある、強大な町である。サリアは、そこに連れて行かれた可能性が高い。考えたことは、一つだった。
「行ってやる」
「なんじゃって?」
「首都に行くんだよ。サリアを助けるために」
自分が首都に行き、サリアを取り戻す。それしかなかった。いきり立つ中、トルマが苦言を呈してくる。
「簡単に言うが、そう甘いものではないぞ。お前がいながらサリアちゃんが攫われたということは、相手はお前以上じゃ。おまけに、軍王もおる。首都に行ったところで、どうにかなるとも思えん」
「だからって、何もしないでいられるかよ。こんな手段を取るんだ。何をされるか分かったもんじゃない。それに、軍の上層部が関わってるなら、正攻法で警察とかに訴え出ても潰されちまう。俺が自分で動くしかないだろうが」
カリクは祖父の言い分を突っぱねた。さらに言葉を重ねる。
「なにより、理屈じゃない。俺はあいつを助けたい。いや、助けないといけないんだ。理由なんて問題じゃない。じっとしてらんねえんだよ!」
心にあるのは、幼い頃に交わした約束だった。サリアを一人にしないと、彼は言い切ったのである。根底には、彼女への特別な想いがあった。それはとても単純な感情でありながら、強く激しい原動力として彼を突き動かしていた。
「確かに俺は、サリアを攫いに来た奴ら相手に、歯が立たなかった。軍王にかなうとも思えない。でも、それでサリアを諦める理由にはならない。生きてるかぎりは、何があってもあいつを諦めるわけにはいかねえんだ」
拳を握りしめた。爪が食い込むほど、強く、強く。
「だから、止めないでくれ。もし止めるなら、反抗しないといけなくなる」
目を据え、保護者二人を見た。
「止めはせんよ。さすがじゃな。それでこそ、わしの孫じゃ」
祖父からの反論は、なかった。肩をすくめながら、笑みを見せる。カリクからすると、意外な反応だった。
「お前のことじゃから、軽い気持ちではないじゃろ。なら、わざわざ止める必要はないわい。わしが手塩をかけて育てたんじゃから、自分から動いて当然じゃ」
「じいちゃん……」
話がまとまりかけていたところで、
「ちょっと、待ってくれないかな」
柔らかさの中に、しっかりとした芯を感じさせる女性の声が聞こえた。
「母さん?」
マリーだった。いつもの穏やかな表情はなく、厳しい顔つきをしている。
「二人だけで話を進めないでください。カリクは、私の息子です」
彼女もまた、強い目をしていた。
「貴方たちの言っているような危険な場所に、おいそれと行かせられません」
二人の方へ近づいてきた。カリクがトルマから指導されていたのは了解していたし、その目的とサリアの力についても知っていた。しかし、願わくば危険なことにはあってほしくないと考えていた。こちらの会話を黙って聞き流すわけにいかなかったのだろう。
「母さんの言葉でも、俺は従えないぞ」
間に入ってきた母親に対しても、カリクは睨みを利かせた。
「性急なことを言わないの。絶対に行くなとは、言いません」
彼女も負けじと強い目つきを返してくる。
「貴方がサリアちゃんのことをどれだけ想ってるかくらい、私はよく知ってます。だから、止めるのは残酷なのも分かる。けど、送り出すには条件があります」
「条件?」
「なんじゃ、その条件というのは」
カリクに続き、トルマも反応を示す。やはり、祖父はカリクを送り出す気だったのである。
「誰か、力のある人と一緒に首都に行くこと。例えば、お義父さんやニック。せめて、そのくらい強い人がいないと、私は貴方を送り出せない」
「だったら簡単じゃないか。じいちゃんも一緒に来ればいい」
カリクはすぐさま横にいる祖父へ目を向けた。しかし、その表情は固かった。
「それは、無理じゃ」
絞り出すような声だった。明らかに、様子が先ほどまでと違う。
「既に、上にニックが探りを入れていたことがバレておる。ここが狙われんともかぎらん。ニックとの交渉に使えるからの。だが、わしがいれば多少の抑止にはなる。だから、ここから離れるわけにはいかんのじゃ」
「な……」
カリクの顔から血の気が引く。他にトルマレベルの人間となると、心当たりがなかった。父親であるニックでは、軍に属するためさらに動くのは厳しい。本格的に、母と対立しなければならなくなった。
「なら、無理ですね。ニックもニケアに勤務地が移ったとはいえ、離れるわけにはいかないでしょうから」
マリーの口調は、冷たかった。カリクは突っぱねる。
「だから諦めろっていうのか。だいたい、なんでじいちゃんや父さんが一緒ならいいんだよ。軍王には、どちらにしろ届かないだろ。俺一人と変わりゃしない」
つまり、一人でも行かせろということだった。どれだけ母に止められようとも、ここに留まる気はない。
「実戦経験に乏しい貴方を、一人送り出すよりはマシだわ。見込みもないし、具体的な策も計画もない。それじゃあ、首都にはやれない」
マリーも譲らない。間に立たされているトルマが、口を挟む。
「まあ、まて、マリー。こいつはまだ甘いが、わしとニックが動けないとなると、サリアちゃんを助け出しに行けるのは、現状カリクだけなんじゃ。なんとか、目をつぶってくれんか」
「ダメです。お義父さんの頼みでも、ここは譲れません。この子の母親として」
彼女は折れそうになかった。親の愛情を引き合いに出されては、反論もしづらい。真正面から言い合っても無駄だと判断したカリクは、
「もういい!」
話を切り、自分の部屋へ向かった。母の許可が必要だとは思えなかった。
(明日の朝一で、家を出る)
決意は固かった。
少年のいなくなった玄関先で、マリーとトルマは佇んでいた。
「……どういうつもりじゃ、マリー」
「どうもこうも、言ったとおりです」
「本当に、行かせないつもりか」
もう一度トルマからかけられた言葉に、今度は応えなかった。
翌日。まだ、太陽がその姿をすべて見せきらない時間にカリクは、まとめた荷物を持ち玄関へ下りていった。そこには、一人分の影があった。
「……母さんか」
マリーだった。扉へ行くのを塞ぐように立っている。彼女の前でカリクは足を止め、鋭い目を向けた。
「……俺は、行くぞ」
堂々と言い放つ。迷いはなかった。
「考えは、変わらないのね」
「当たり前だ。今のサリアの親は、あいつを助けようなんて思わないに決まってる。学校の奴もあいつを避けてる。じいちゃんと父さんは動けない。そしたら、俺が助けるしかないだろ」
言いながら、心が締め付けられるのを感じていた。理由は違えど、自分も最近はサリアを避けていたのだ。そばにいてやるべきであったのに、彼女を一人にしてしまっていたのである。後悔の念は、とても振り切れない。
だから、今度はもう間違えるわけにはいかなかった。
「サリアを、一人するわけにはいかない」
わずかにうつむき、自然とこぼした。心の底からの思いが、そこにあった。
「……昔ね」
マリーが、ぽつりとつぶやいた。声からして、何かを話し出そうとしていたため、カリクは黙る。ただ、また止められたら、もう無視して家を出ようと考えていた。
「私、いじめられてたことがあるの。中学生のときかな。無視されたり、度の越したいたずらされたり、毎日苦しかった」
「母さんが?」
初めて耳にすることだった。
「ええ。中心になっていじめてきてたのは一部だけど、他のクラスメイトは見て見ぬ振りをしてた。親は私に冷たかったし、先生も厄介事になるのが嫌だったみたいで黙認していたから、私は一人で泣いてたわ」
内容とは裏腹に、彼女に辛そうな様子はない。むしろ、穏やかに笑っていた。
「でも、ある子が私を救ってくれたの。それも転校してきた初日にね。驚くくらい、真っ直ぐだった。代わりに、初日から周りを全部敵に回したんだけど、私はとっても嬉しかった。私を救ってくれる人はいないものだとあきらめてたから」
彼女が笑っているのは、いじめられた記憶自体は辛くとも、その先にある救われた記憶が強い輝きを持っているためだった。陰となるはずの記憶が、光に呑まれている。
「まあ、その転校生の子っていうのは、お父さんなのだけどね。昔は正義感の塊みたいな人だったの。なにしろ、知り合ったばっかりの女の子のために、わき目もふらずに駆けずり回って、私の世界を一変させちゃったくらいだもの」
「あの冷静な父さんが?」
カリクにとっては、信じがいことだった。母の思い出の中にいる父の姿が、描けなかった。
「カリクには確かに意外かもね。でも、あの人は今も根っこはそういう熱い人なのよ。ただ、相手がいじめっ子から国になったから、戦い方を変えてるだけ。本当は、今すぐにでも軍王さんのところに乗り込みたがってるに決まってる。それが、あの人だから」
話す母は楽しげだった。自慢しているようにも聞こえる。
「貴方はあの人そっくり。付き合い出してから、あの人にどうして私を助けてくれたのか訊いたのだけど、たぶん貴方と一緒だもの」
「俺と?」
「『最初は可哀想と思ったから。でも、途中からはただ単純に好きだから護りたくなったんだ』って。あなたがサリアちゃんを助けたいと思う理由とおんなじでしょう?」
「それは……」
カリクは答えるのをためらった。肯定に等しい、ためらいだった。
「貴方もあの人も、思ったら一直線なのよね。カリク、サリアちゃんのご両親のところに何度か乗り込んだことあるでしょう。そのことも知ってたのよ、私。止めなかったけどね」
マリーに柔らかな微笑みを向けられ、カリクは口を開いて固まった。彼女の言ったとおり、何回かサリアの両親のところへ乗り込み、「サリアを嫌うのは勝手だが、あいつの身に何かあったら、許さない」などと、何度か釘を刺したことがあるのだ。
「昨日はああ言ったけど、本当は止める気なんてなかったのよね。ただ、貴方がどれだけ本気なのかを確かめたかったの。生半可な覚悟じゃ、だめだと思ったから。でも、心配なさそうね。私の制止を振り切って、出ようとしてるんだから」
彼女はカリクの肩を掴み、目線の高さを合わせてきた。
「けど、一つだけ約束して。絶対にサリアちゃんと生きて帰ってきなさい。サリアちゃんだけじゃだめ。あなたも帰ってくること。いい?」
彼女の願いは、その一つだった。“誰も死なないこと”。サリアを助けるために、命を投げてはいけないと言っているのだ。
「分かってる。あいつを助けても、その後も俺が護ないといけないんだ。絶対に死なない」
カリクは回答に迷わなかった。今まで避けてきてしまった時間を、埋め合わせるために、死ぬわけにはいかないと自覚していたのである。
「いい答えだわ。きっと貴方は、地力が上の人ともたくさん戦わないといけない。絶対に勝てないような状況にもなるかもしれない。それでも、死んじゃだめ。恥ずかしい逃げを選ぶことになったとしても、生き残ることが大事。それに……」
一度言葉を切り、
「貴方には、強い想いの力がある。サリアちゃんのために生きようとする意思があれば、きっと生き抜けるわ」
彼女ははっきりとした力強い口調で、カリクに告げた。肩から手を離し、すっきりとした表情を見せる。
「さあ、行ってきなさい。二人で帰ってくるために」
「ああ、行ってくるよ。サリアと一緒に帰ってくるために」
母親の目を見つめ、カリクは強い想いを込めてうなずいた。必ず生きて、サリアと帰ってくる。心に、深く刻み込んだ。
母親から目をはずし、玄関へ行く。外への、大切な幼なじみの少女を助けるための旅への、扉のノブを掴む。
と、そこに男の声が飛び込んだ。
「待て、カリク」
振り返ると、そこにいたのはトルマだった。廊下を真っ直ぐにこちらへ向かって歩いてくる。カリクの前で立ち止まると、何か黒い物体を差し出してきた。
「こいつを持っていけ」
「これは……」
「お義父さん、それは……」
「わしが手入れしたものじゃ。お前に合わせて改造してあるから、ぴったりくると思うぞ」
一丁の、拳銃だった。驚くマリーを横目にカリクはためらいなく受け取る。鈍い輝きを放っていた。確かに、手に馴染むように思えた。
「約束を違えるなよ、カリク」
「……ああ」
祖父にもうなずいてみせたカリクは、今度こそノブを回す。開いた扉から差し込む光に包まれながら、彼は元気よく声を上げた。
「行ってきます!」
ここに、救出行は始まった。




