二十章『日常へと』
地面にミッドハイムが倒れた後の静寂は、長かった。その場の全員が、自分たちの戦いを忘れ、額に穴を空けている頂点だった男と、それを見下ろすカリクに目を向けてきていた。だが、カリクはそのすべてを無視する。たった一人を除いて。
「サリア」
幼なじみの少女へと、呼びかける。彼女もまた、きょとんとこちらを見ていた。
「全部、終わりだ。もう、心配しなくていい」
「……うん」
話しかけると、少し間を置いてから、穏やかにうなずいてきた。自然とカリクは微笑む。それから、彼女のそばへと寄り、
「あれ……?」
その肩に倒れかかった。急に、足の力がなくなってしまったのだ。他の部位も、力か抜けていた。
「カリク!? 大丈夫!?」
とても近い位置で、彼女の声がする。だが、今度は意識をつなぎ止めてくれなかった。
「カリク、カリク!」
何度も名前を呼んでくれているのが分かった。それでも、視界が霞んでいくのは止まらない。
(サリア。ちゃんと、お前に言わないとな……)
意識が薄れゆく中、そんなことを考えていた。
「カリクッ!!」
サリアの腕の中で、意識を失ったカリクへ駆け寄ったのは、ニックだった。
「ニックさん、カリクが、カリクが」
「分かってる。とにかく、まずは横にするぞ」
サリアの言葉に、彼は強い口調で返し、カリクの身体を地面へと寝かせた。呼吸や脈を、手早く確認していく。
「呼吸は大丈夫だが、いかんせん血を流しすぎだ。早く、輸血できる設備に入れないとまずい」
カリクの服を破り、大きな傷口の止血のために身体へ縛りつけていった。しかし、地面にはおびただしい量の血が流れていく。
「ガヌ! この場はお前が掌握しろ! 誰にも手を出させるな!」
処置をしながら、ニックは叫んだ。名前を呼ばれ、ガヌは、
「は、はい」
と、彼らしくない生返事を返した。
「全員、武器を置け! 貴様らの目には、現実が見えているはずだ。軍王は倒れた。もう、勝負は決している!」
そこで声を上げたのは、シルラだった。まばたきを繰り返すガヌを無視して続ける。
「まだ戦うつもりの者はいるか? もう、意味はないぞ」
敵兵たちは、まだ戸惑っていた。目の前の光景を、受け入れられていないのだ。一人の兵士が、「この……」と、ニックへ銃を向けたが、その首にナイフが突きつけられた。
「おっと。無駄なことはよした方がいいぜ。こっちも、これ以上のいらない殺生は避けたいんでね」
レインが、真剣な表情でその兵士の隣に立っていた。
そのやり取りを見て、他の兵士たちは武器を置いた。地面に、大勢の仲間が転がっていたのも影響している。戦意を、失っていた。シルラが、様子の変異を見て、また声を上げる。
「よし。まず、門前に誰か伝令へ行け! もう戦う必要はない、双方共にな」
だが、誰も動かない。周りを見回していた。見かねた彼女は、鼻を鳴らして指示を飛ばす。
「ふん。そこの三人! 東門へ行ってこい。そっちの六人は、二人一組で他の門で待機している兵士たちに伝令へ行け。軍王が落ちた。戦いは終わりだと」
「は、はっ!」
実際のところ、相手の階級がまったく分からなかったのだが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。勝てば官軍なのだ。
「他の兵は、建物内に戻って、一階のホールに集まっておけ。中の兵にも現状を伝えるように。それから救護室を開けろ。医療班にも準備をさせておけ。負傷者は分担して連れていくのだぞ。マルク少尉も一緒について行ってくださいませんか」
「構いません。監視は必要ですから」
ニックの部下の男は簡単に了承し、敗兵の一部と共に基地内に入っていった。他の兵士たちも、まだ現状が理解し切れていない様子で、息のある負傷者を背負い、各々中に入っていく。
駐車場に残ったのは、カリクとサリア、ガヌにシルラ、それからニック、レイン、後は死体の山だった。
「……お見事」
ガヌが、苦笑いを浮かべて言った。シルラは腕を組んで言葉を返す。
「総督室でのノックの件のお返しだ。お前に、いつまでも借りは作って置きたくないのでな」
「さいで」
彼女に対し、ガヌは肩をすくめてみせた。それから、真顔になる。シルラも、彼と同じ方を向いた。
「ニック少将、ご子息の様子は」
控えめに、彼女は尋ねた。ニックは、振り向かずに答える。
「とにかく、危険な状態だ。だが、俺たちにこれ以上できることはない。医務室に運んで、その後どうなるかは、こいつの活力次第だ」
感情を抑えた声だった。
「それより、お前ら二人も中にいけ。マルク一人じゃあ、心許ない。レインは残って、こいつを運ぶのを手伝ってくれ」
続けて彼は、三人にそれぞれ指示した。ガヌとシルラはうなずき建物の中へと移動する。レインは「分かったぜ」とニックの横にかがんだ。
「身体は俺が持つから、レインは荷物を持ってやってくれ。それから、頭部が不安なんでな。そっちの支えを手伝ってくれ」
「おう」
ニックの指示に、彼は素直に従った。スムーズに進むやり取りに、不安げにサリアは声を挟む。
「ニックさん、私はどうしたら……」
すると彼は、静かに言った。
「手でも握っといてやれ。。こいつを、こっちに引き留めておくために」
「……はい」
サリアははっきりと応えた。さっきまで銃を握っていた、カリクの汚れた右手に自分の手を重ね、包み込む。
「よし、医務室に行くぞ」
ニックは呼びかけると、首の後ろと膝に、下から手の支えを入れて、カリクを抱え上げた。幼なじみの手を握っているサリアは、中途半端な立ち位置になったが、手を離したりはしなかった。周りからも、何も文句は言われない。そのまま、建物へと向かった。多くの死体を、放置して。
軍王のものも、その中にあった。
気がつくと、カリクは故郷の町にいた。ただ、様子がおかしい。大通りに立っているのだが、人っ子一人いないのだ。唐突に、これは夢なのだと自覚する。
「カリク=シェード」
と、誰かに話しかけられた。後ろを向くと、そこには額に穴を空けたノーザンとミッドハイムの姿があった。思わず、息を飲む。
「お前の行く先も、“こっち”だろう。俺たちを殺しておいて、お前だけ“あっち”に戻れると思っているのか」
「そのとおりです。貴方はすでに立派な“人殺し”。そんな貴方が、彼女のそばにいていいとお思いですか」
二人は順に、言葉をかけてきた。カリクの身体に、絡みつく。気づくと、言葉どころか、自分が手をかけた二人が、足に絡みついていた。
「離せ!」
じたばたして叫ぶ。しかし、抜け出せない。
「さあ、一緒にこい。お前は、サリア=ミュルフとは生きていけはしない」
「我々と同じ場所へ、堕ちるのです」
足元はいつの間にか真っ黒な空間が広がるばかりになっていて、故郷の街並みも消えていた。だんだんと、下へ下へ引っ張られていく。
その時、
『カリク!』
彼女の、澄んだ声が聞こえた。頭上から、細く白い腕が伸びてくる。
「あっちに行けるのか。人殺しのお前が」
「……行けるさ。あいつが、サリアが俺を望むなら」
「望まなかったら、どうするのです」
「望まないなんてことはないな。あいつと俺は、一緒に生きていく。お前らが手出しできるような間柄じゃないんだよ」
まだ足元からは、あれこれと聞こえていたが、すべて無視した。差し伸べられた手を掴む。サリアのいる世界へ、戻るために。
ゆっくりとまぶたが開いた。ぼんやりとした意識の中、最初に見えたのは、見慣れない天井と、自分の顔を覗き込んできている、少女の姿だった。
「カリク!」
サリアが、そこにいた。声を上げ、首もとに抱きつかれる。
「サリア……」
現状が理解できていない中、自分に抱きついてきた少女の名前を口にした。左手を動かし、彼女の頭に触れる。
「どうしたんだ、サリアちゃん」
と、奥の方からまた別の聞き慣れた声がした。寝たままのカリクは、目線だけをそちらへ向ける。父親であるニックがいた。こちらを見るなり、駆け寄ってくる。
「カリク! 目が覚めたのか」
サリアと逆側にくると、目を見開いた。手をベッドの端に置き、顔を近づけてくる。
「あ、ああ」
今までになく、浮き足だった様子の父親に動揺しながらも、軽くうなずいた。
「よかった。本当によかった……」
サリアが、涙ながらに言い、さらに腕の力を強めた。
「ああ、本当によかった」
ニックも泣きそうなのか、少し高い声で同意する。そこまできて、ようやくカリクの記憶が蘇った。一瞬、跳ね起きようとして、サリアの腕の力を感じ、やめる。
「ミッドハイムは、戦いは、どうなったんだ?」
ニックへと尋ねた。
「覚えてないのか? ミッドハイムは、お前がトドメを刺したんだ。我が息子ながら、末恐ろしいこった」
「ちょっと、ニックさん。そんなこと、言わないでください。カリクは、そのせいで死にかけたんですよ」
安心から出たニックの軽口に、サリアが苦言を呈する。彼は、「悪い」と軽く頭を下げた。そんなやり取りを耳に挟みつつ、カリクは自分の最後の記憶と照合する。
ミッドハイムを倒したところまでは、かろうじて覚えていた。自身の手で、けりをつけたのだ。ただ、その先はまったく覚えていなかった。
「なあ、親父。ミッドハイムに勝ったところまでは覚えてるんだか、その後は、どうなったんだ? 俺自身のこともそうだけど、東部軍も戦ってたんだろ?」
その補完をしようと、ニックに尋ねた。
「ああ、まあ、その後、すぐにお前は気を失ったからな。大変だったぜ。なんせ血を流しすぎていたからな。止血はしたものの、輸血して間に合うかは怪しかった。幸い、結構な人数から輸血してもらったから、助かったが、三日も目を覚まさなかったから、心配したんだぞ」
「三日も?」
言われてみると、身体が異常にだるかった。食事もろくにとれておらず、エネルギーが足りないらしい。
「ああ。それだけ、危険な状態だったんだ。気が気でなかったな」
「本当に、心配したんだからね。カリクが、もう目を覚まさないんじゃないかと思ったら、不安で仕方なかった」
耳元で、サリアから伝えられた。恥ずかしさから、離れてほしかったのだが、何もできなかった。
「無事に目を覚ましたから、よかったがな。サリアちゃんなんて、ずっとつきっきりでそばにいたんだから、お礼はちゃんと言っておけ」
「ん、ああ。ありがとう、サリア。心配かけたな」
ニックに促され、カリクは礼を口にした。サリアは、涙声で応える。
「いいよ。ちゃんとこうして、起きてくれたから」
腕の力が強くなる。苦しさを感じるほどだったが、同時に強い想いも感じた。ほどこうとはせず、目を細める。
「で、戦いの方だが、お前がミッドハイムを討ったことで、中央軍は戦闘理由をなくして全員が武器を捨てた。まあ、一部に関しては捨てさせたってところだがな」
ニックは、微笑を浮かべながらこちらのやり取りを見つつ、話を続けた。
「今は、俺が便宜上リーダーになってる。実際には、首都軍の信頼の置ける高官に表に出てもらってるけどな」
「じゃあ、完全勝利ってわけか」
カリクがそう言うと、彼は一転して顔をしかめた。
「完全な勝利なんて、ない。戦争に比べれば少なくても、死んだ奴はいるんだ。両陣営にな。死者がいる時点で、完全勝利なんかじゃねえ。寝起きのお前に、こんなことは言いたくないが、言葉には気をつけろ、カリク」
自分の部下だけでなく、自らが手に掛けた中央軍の人間たちのことすらも悼んでいるようだった。父親の姿に、息を吐いて目を閉じる。
「悪い」
率直に謝った。
「……分かればいい」
ニックは、静かに言った。話を戻す。
「とにかく、それで首都は落ちた。ミッドハイムに従っていた上層部の連中は、大半を切ることになるだろうな。みんな、盲目的に軍王についていっていたみたいなんで、この先は役に立たなそうだったから」
「それだけ、奴のカリスマ性が凄まじかったんだろう。それに、世界をとるなんて絵空事が、現実にできるかもしれない手段を見つけていた。力もあった。必然的なことに近かったんじゃないか」
冷静に、カリクは分析した。サリアを利用するような人間でなければ、自分もあちら側だったかもしれない。偶然に、敵対していただけのことなのだ。
「これから、政治はどうするんだ? 今までは、ミッドハイムが独裁をしてきたんだろ」
「たぶん、議会制にするだろうな。しばらくは、軍で人員は選出するだろうが。ああ、忙しくなりそうで嫌だ」
カリクの問いに答えるニックは、言葉とは裏腹に楽しげだった。
「命を落として、この先の未来をくれた奴らがいるから、不満なんて言ってる暇なんてないんだけどな」
その態度の理由は、すぐに分かった。彼は、すべてを背負っているのだ。敵も味方も、何もかも。
「親父が、先頭に立つのか」
覚悟が見える父親の態度に、カリクはそう問いかけた。うなずきが返ってくる。
「そうなるだろうな。改革の急先鋒だ。前に出ないわけにはいかない。かといって、トップに立つつもりはない。窮屈になって、動けなくなっちまう」
「具体的に、どう変えていくつもりなんだ?」
「とりあえず、こっちから他国に侵攻したりはしない。あとは未知数だ。国民の反応もあるしな。俺はこれから、大勢に命を狙われることになる」
ニックは、自嘲気味に微笑んだ。ミッドハイムは、カリクたちにとっては明確な敵だったが、国民からしてみれば、特に害のある君主ではなかった。クーデターが評価されるとは考えがたい。特に戦争の推進派からは、敵対心を向けられる可能性が高かった。
「ニックさん……」
サリアが、不安げな声を出した。義父ですらないが、父親代わりの人間なのだ。心配するのも、無理はなかった。
「そんな顔するなよ、サリアちゃん。軍王を相手にしても死ななかったんだ。そう簡単にやられたりしないさ」
しかし、ミッドハイムは彼女の心配をよそに、豪快に笑い飛ばした。
「確かに、殺しても死ななそうだな」
「本当に死にかけたお前が言うな」
カリクが軽口を叩くと、側頭部をつつかれた。それほど、心配はいらなさそうだった。内心、かなわないなと思う。
「まあ、こっから先の始末は、俺ら大人の領域だ。お前らが気にかける必要はない。未来への線路を、しっかり作ってやる」
「そうかよ。期待してるぜ、親父」
どうやら、今回の一件では、もうカリクの出番はないようだった。肩をすくめてみせる。
「ああ、しっかりやってやるよ」
会話が一段落したところで、
「失礼します」
「相変わらず堅いな、シルラは」
「カリク君、目覚めましたー?」
騒がしい声が病室に響いた。
「おっ、お見舞いが大量に来たぞ」
ニックの目の動きに釣られ、カリクもそちらを見た。声とやり取りで分かっていたが、シルラ、ガヌ、レインがいた。ドタドタとベッドの方に近づいてくる。
「やっと目が覚めたんだ、カリク君。柄にもなく、俺っち心配しちゃったぜ」
レインが、明るくしゃべった。心の底から、喜んでくれているらしい。ただし、カリクはいつもの調子で返す。
「そうかい。そりゃ、ありがとよ」
「……なんか冷たい」
レインは、納得いかないというように、顔をしかめた。
「それより、邪魔しちゃったか?」
弟の様子に苦笑いしつつ、ガヌはカリクにそう問いかけてきた。意図が掴めず、答えに窮する。
「気にしてないなら別にいいんだが、すごいくっついてるから気になってな」
その言葉で、カリクは彼が言いたいことを理解した。途端に恥ずかしさが込み上げる。
「いや、これは別に……」
「気にしないでください。こうして、捕まえないと、また離れてしまう気がして、不安なんです」
カリクが言い訳をしようとすると、サリアが上から言葉をかぶせてきた。もう一度、抱きつき直す。
「だから、見逃してください」
「サリア……」
自分がいかに彼女へ心配をかけたのかが、ひしひしと伝わってきた。恥ずかしさなどより、ずっとずっと大事なことだった。
「そっか。なら、気にしない。怖い思いをたくさんしたんだ。誰も咎めやしないさ」
ガヌは、表情を優しい微笑みに変えた。シルラも目を閉じ、似たような笑みを浮かべる。
「ちゃんとそばにいてやるのだぞ、カリク=シェード」
「……分かってる」
事件の前まで、サリアを避けていた頃のことを思い出し、誓いを込めて応えた。一人には、もうさせない。
「それより、目が覚めたのなら、一度医師に見せてはいかがです? 何か問題があったら、大変ですし」
カリクが決意を新たにしたところで、シルラが提案した。ニックが同意する。
「ん、そうだな。ガヌ、ちょっと呼んできてもらえるか」
「お安いご用です」
頼まれたガヌは、すぐに病室を後にした。
それから行われた検診で、特におかしな部分は見つからなかった。ただ、傷がある程度治癒するまでの一週間ほどは、安静を義務づけられた。故郷へと帰るには、まだ時間がかかりそうであった。
「いや、なんというか、鍛錬したわしですら驚かざるを得んな。本当に、お前が倒したのか」
「わざわざ嘘をつくところじゃないと思いますよ、お義父さん。それにしても、やっぱりあの人の息子ね。サリアちゃんのために、軍王すら倒すなんて」
二日後、祖父と母が首都へとやってきた。カリクが死の瀬戸際にいたので、戦いの後、すぐにニックが迎えを出していたのだ。
「別に、そんな大層なことはしてない。サリアを取り戻すために立ち回ってたら、結果的にそうなっただけだ。国自体をひっくり返したのは、親父だよ」
未だベッドの上ながら、今のカリクは、上半身を起こして会話していた。医師が言うには、怪我の大きさからは想像できないほどに、回復が早いらしい。ただ、動いていなかった分、だるさがあった。
「まあ、確かにそうじゃの。しかし、あやつもさしてお前さんと戦った理由はそう遠くないじゃろう」
「変わらない?」
祖父の発言に、カリクは眉をひそめた。
「そうじゃよ。お前とは違って、ニックは戦いばかりの軍をよしとしておらんかったが、戦った一番の理由は、サリアちゃんだったじゃろうからのお」
だが、続けての言葉に、合点がいった。父親もまた、サリアのために動いたのだ。
「そういえば、そのサリアちゃんは、どこにいるの? 私、まだ顔を合わせてないんだけど」
区切りのいいところを見計らっていたのか、ちょうど会話が切れたところで、間にマリーが入り込んできた。
「サリアなら、父さんと一緒にいると思う。あっちはあっちで、色々と話があるんだろう」
「あら、嫉妬してる?」
カリクが答えると、彼女はクスクスと笑った。その反応に、顔をしかめる。
「してない」
「そう? なら、いいけど」
否定を聞くと、余計に笑い方はいやらしくなった。何か言えば言うほど面白がられるのを察し、口を閉ざす。一人、流れが分かっていないトルマが、困惑を顔に出し、カリクたちを見比べていた。
そこに、
「マリーさん、トルマさん!」
朗らかな少女の声が飛び込んできた。サリアである。
「サリアちゃん! よかった。心配したのよ」
「ごめんなさい、ご心配かけて」
「謝ることはない。サリアのせいではないからの」
二人と、それぞれ言葉を交わす。サリアの後から、ニックが病室に入ってきた。
「親父、マリー、久しぶりだな」
「おお、ニックか。久しいの。お前から呼び出しをかけておいて、出迎えすらなかったから、困ったわい」
「ああ、別用があったもんでな。悪かった」
苦笑いとともに、トルマへ軽く謝ると、マリーの方を向いた。
「悪いな。色々と負担かけて」
「ううん、大丈夫。貴方が、ちゃんと約束を守ってくれているなら、このくらいの負担、どうってことないから」
マリーは、静かに首を振った。横から、サリアが問いを投げかける。
「約束って、なんですか?」
ニックとマリーは、一度目を見合わせ、
「秘密だ」「秘密ね」
と、調子を合わせた。
「二人だけの秘密、ってわけですか」
「そうなるわね。ごめんなさい、これは私とニックだけのものにしておきたいから」
サリアの言葉に、マリーははにかんだ。
「いえ、全然大丈夫です。すごく素敵だと思います。むしろ、無粋なことを訊いてしまってすみません」
身体の前で両手を大きく振り、サリアは謝り返した。
「気にしないで。それに、貴女もそういう特別な約束を、結んでるでしょう?」
そんな彼女に、マリーは優しく微笑む。一瞬だけ、チラッとカリクにも目線を向けてきた。思い当たる事柄があったが、カリクからは何も言わない。
「あっ、えっと。まあ、はい」
一方のサリアは、しどろもどろだった。困ったように、頬をかく。
「そういえば、サリアを連れて、何をしておったんじゃ?」
一度、会話が切れたところで、やり取りの流れについてこられていなかったトルマが、話題をがらりと変えた。
「ちょっとした息抜きだ。色々、確認しておきたいこともあったから、街の被害状況の視察がてら、散歩してたんだよ」
「なるほどのお。わしらを放っておいて、サリアといたわけか」
「言いたいことは分かるけど、視察自体は仕事だったんでね。そうでもないと、マリーが来てるのに、そっちに行かないわけないだろ」
トルマの嫌味を、軽く流す。さり気ないマリーへの言及が引っかかったものの、カリクは何も言わなかった。
「それより、親父とも話しておきたいことがあんだよな。後でちょっと時間くれ」
「ええぞい」
ニックが続けると、トルマは簡単に承諾した。
「それと、余計な世話じゃろうが、マリーと話す時間も作るんじゃぞ。お前は、心配をかけすぎとるんじゃからの」
加えて、マリーへの配慮を見せた。トルマは首都住まいなのだが、ニックよりもキュールに顔を出していた。ゆえに、気にしていたのだろう。
「……ああ。そうする」
言われたニックは、肩をすくめながらも、そう返した。彼にも、思うところがあるのだろう。
その後は、カリクが今回の旅路を根掘り葉掘り尋ねられることになった。
質問攻めにあう最中、合間を見てカリクは、気になっていたことをサリアに尋ねた。
「なあ、サリア」
「何?」
「軍王に、どんな言葉を送ってたんだ? ちょっと気になってさ」
戦いの最後で、軍王に仕掛けていた“オモイノチカラ”の中身に関してだった。
「ああ、あれね。たいしたことは言ってないよ」
彼女は気恥ずかしそうに口元を緩めた。
「数字をずっと数えてただけ。一からずっとね」
カリクの病室を出て、ニックはトルマを伴い、本部基地の屋上へと向かった。
「で、話というのはなんじゃ」
「率直に話そう。軍王の死体が、消えた」
「何……? 詳しく話せ」
トルマは、大きく顔を歪ませた。強い口調で、先を促す。
「詳細は、俺にもよく分からない。なにせ、カリクを医務室に運んで、死体があった駐車場に戻ったら、なくなってたんでね」
「死体がなくなっていた、か。ずいぶんと、嫌な出来事じゃのう」
「全面的に同意するね。誰かが運んだに違いない。ミッドハイムは、脳天をぶち抜かれていたんだ。絶対に死んでいた。自分じゃ動けない」
「……もう一波乱、あるかもしれんの」
「ああ。だから、気は張っておいてくれ」
「分かった」
トルマの首肯を見て、ニックは真っ青な空を見上げた。静かに、つぶやく。
「ただ、せめて今だけは穏やかな時間をあいつらにやってくれ」
“二人の父”として、願わずにはいられなかった。