十九章『つながり』
左の肩口から、右の脇腹付近まで、三日月のような形で切り込みができていた。カリクの身体にである。赤黒い血が、吹き出した。右膝をつく。地面に転がってしまいたかったが、左足を貫いている剣が、それを許さない。両手をついて、うつむく。もう、痛みなどという感覚を通り過ぎていた。呼吸が、うまくできない。リズムが、崩れていた。
「まだ生きていますか。ずいぶんな生命力ですね。もう、尽きかけですが」
頭上から、ミッドハイムの声が降ってきた。今までのように、言い返すことができない。顔を上げることすら、ままならなかった。
「カリク!」
少年の、鋭い声が上がる。レインが、ミッドハイムの方に突っ込んできたのだ。怒涛の連撃を見せるが、ミッドハイムは片手だけで渡り合ってみせた。カリクの足から、剣ははずれない。
「太刀筋が、単純ですよ。小振りの強みである機動力すら削がれています。感情だけで、私を倒すことはできませんよ」
一本だけで、次々と攻撃をいなしていく。レインは歯ぎしりするが、どれだけ攻撃しても、届かない。
カリクも攻撃に加わりたかったが、とてもそんな余裕はなかった。自分の状態すら、満足に把握できないのだ。戦闘など、できるわけがない。
「ずいぶん必死ですね、レイン=ロード。私に勝ちたいのなら、カリク=シェードは時間稼ぎに切り捨て、少しでも他の兵を削るべきでしょうに。何をそんなに、この少年にこだわるのですか」
届かない刃を振り回すレインに、ミッドハイムが問いかけた。確かに、ニックならまだしも、レインが必死になる理由はない。
「そんなに難しいことじゃない。カリクは俺っちを、“レイン”として見てくれた。長い間、実験用の人間の一人として扱われてた方としては、感涙ものでね。そんな奴を、簡単に切り捨てられる人間がいたら、殴ってやりたいくらいだ」
だが、なんてことのない理由を、彼は語った。打算や理論を度外視した、真っ直ぐな感情だった。
「なるほど。なんとも素晴らしくて、吐き気のする考えですね」
ミッドハイムは、冷めた顔をして、レインを弾き飛ばした。
「感情では、何も変えられはしません。変えられるのは、ただ力です。私には、力がある。私は選ばれた特別な人間なのです。感情ごときに、負けるはずがない」
吐き捨てるように言った。体勢を直したレインが、再び突っ込む。
「知らねえよ、あんたの考えは。勝った方が強い。それだけだろ」
「それは違いないですね」
刃と顔を突き合わせ、言葉を交わした。膠着する。
「そう思っているのなら、私に勝ってみせなさい。無理でしょうがね」
「抜かせ。こういうとき勝つのは、大抵が俺っちたちみたいな方さ」
互いに強気な言葉を口にし、レインの方が距離を取った。カリクがすぐにでもとどめを刺されるような状態なので、間髪入れずに、レインは攻撃を繰り返す。しかし、何度やっても、傷一つつけられなかった。
「大口を叩いたわりには、私に刃一つ届いていないではないですか。呆れてしまいますね」
ミッドハイムが、嘲りの表情を浮かべる。レインは、歯を食いしばって挑発を聞き流していた。
感覚すらはっきりとしない中、カリクは必死に自分の生をつなぎ止めていた。限界を優に越えた出血量ながら、気絶せずにいるのは、ただただサリアへの想いだった。彼女のために、死ぬわけにはいかなかった。もう一丁手元にある拳銃のことが、頭によぎる。すると、左足を固定している剣が、さらに深くめり込んだ。悲鳴は出ず、静かに「ぐぅ……」という呻きだけを漏らす。
「無駄な抵抗はしない方が身のためですよ。苦痛が増えるだけです」
心を読んだミッドハイムが、冷たく言い放ってきた。だが、やめるつもりはなかった。もし、レインと戦いながらでもカリクを斬れるなら、とっくに足に刺してある方の剣の方を抜いて、それで命を断たれているはずである。実際はそうなっていないことから、気が削がれ、とどめを刺す余裕がないのだと判断していた。
「瀕死でありながら、そこまで考えを組めるとは。本当に、貴方がたは面倒です。忌々しい」
ミッドハイムはレインのナイフに対応しながら、舌打ちしてきた。遠慮なく、そんな彼に銃を向ける。
「いいぜ、カリク君。一発ぶち込んでやれ!」
レインの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。返事はできなかった。代わりに、行動で示す。無言で、銃弾を放った。
瞬間、左足から一気に剣が抜かれた。なけなしの力で、ミッドハイムとなんとか距離をとる。弾は、カリクの足から離れされた剣で弾かれた。
そこでもう限界だった。カリクは仰向けに地面へ転がった。歪む視界の中に、星の瞬く空がある。
緩やかに首を動かし、周囲の状況を見た。敵の数は、かなり減っている。時間稼ぎが効いていた。ただし、味方もかなり体力を消耗している様子だった。レインは必死にミッドハイムとぶつかっているが、動きが鈍い。ガヌとシルラは、自分と互いのことで精一杯になっていた。ニックは他のメンバーのフォローをこなしているが、時折浮かべる苦悶の表情から、かなり厳しいことがうかがい知れた。
全員が、必死に戦いを続けている。なのに、カリクは動くことすらままならなかった。銃は右手に掴んでいるが、撃てそうにない。
「情けないな」
一人つぶやく。首都に意気揚々と乗り込み、サリアを助けるために奔走してきた。彼女のために、軍王に戦いを挑んだ。その結果が、今の体たらくだ。何も、完遂できていない。中途半端だった。終われないとは思うものの、意識は遠退いていく。
(サリア……)
幼なじみの名前を頭の中で呼び、目を閉じていく。このまま眠ってしまうつもりだった。落ちるまぶたへ抵抗することもできなかった。
その声が聞こえるまでは。
『カリク!』
強い呼びかけが、心に響いた。頭から、爪先まで染み渡る。
「サリア……?」
閉じかけていた目を開ける。気のせいかと思ったが、
『カリク! しっかりして!』
もう一度聞こえた声に、意識がはっきりと引き戻された。間違いなく、彼女の“力”によるものだった。周囲のざわめきからも、幻聴ではないことは確かだった。なんとか身体を起こし、後ろを見る。一台の車が、乗り込んできていた。速度を下げてきているとはいえ、止まり切っていない状態で助手席から少女が飛び降りてくる。
「カリク!」
今度は、肉声だった。どんどんこちらに近づいてくる。
「なんだ、あいつは!」
一人の兵士が、場違いな少女に銃口を向けた。瞬間、その兵士の右腕が身体から離れる。背後に軍王が立っていた。
「あの少女は、私の計画の最重要人物ですよ。銃口を向けるなんて、とんでもない」
痛みで悲鳴を上げる部下をまったく気に留めず、他の兵士たちにサリアを狙わないよう命を飛ばす。
「傷つけずに捕らえなさい。流れ弾でも、当たったらことです。全員、近接戦闘に切り替えなさい」
明らかに、首都軍の方に動揺が広がった。人数差を持ってして押し切れていないのだ。近接だけで勝てるとは思えなかったのだろう。
「カリク、大丈夫!?」
件の少女が、カリクへ駆け寄ってきた。そばにしゃがんだ彼女に、上半身を支えられる。
「サリア、なんで戻って……」
「声が、聞こえたから」
「声……?」
意味が分からなかった。それは、サリアの力のはずだ。
「カリクが私を呼んだ声が、確かに聞こえたの。耳にじゃなくて、私の心に」
確かに、瀕死の傷を負い、何度も彼女のことを思った。その名前を頭の中で呼んだ。だが、カリクにその想いを届けることは不可能なはずだった。
けれど、
「……そうか。ありがとう、サリア」
そんな疑問は些細なことだった。想いが届いた。ただ、それだけのことだった。
来てほしくなかったという感情もあった。危険な場所に、大切な少女をいさせたくなかった。それでも、今、目の前に彼女がいること。それは、カリクにとって、大きな活力になる。
「来たんなら、護ってやらないとな」
さっきまで、起き上がることすらままならなかった身体が、意志の通りに動く。霞んでいた視界が、開けてくる。身体の熱さは、傷の痛みによるものだけではなくなっていた。
「馬鹿な……」
軍王ですら、額にしわを寄せた。本来なら、カリクはもう動ける状態ではなかったのだ。カリクも自覚があったが、今はそんなことはどうでもよかった。サリアを護りきる。それが、すべてだった。ゆっくりと、腕を上げていく。
「ちょっとばかし居眠りしちまった。悪かったな。もう一回、仕切り直しだ。サリアは、絶対に渡さない」
銃口を敵へ向けたところで、自然と笑みが出る。いよいよもって、限界を超えていた。
「どうやら貴方は、しっかり首をはねないとならなそうですね」
軍王が、目を据えて睨みつけてきた。カリクの異常とも言える戦線復帰に、気を立てている。
「いい加減、死になさい。勲章くらいは差し上げましょう」
「いらねえよ、そんなもの。欲しいのは、あんたのいない、サリアとの未来だ」
サリアを庇うように左手を伸ばす。カリクにとって、戦いのすべては彼女にある。
「あんたの野望は、ここで終幕だ」
不死鳥のごとく、またも軍王の前へと立ちはだかる。さっきまでと違うのは護るべきものが、すぐそばにあることだった。
ただ、彼女のために、何もかもを超越する。
「マルク! これは、どういうことだ」
軍王と向き合った息子と、娘に等しい少女を横目に、ニックは護衛を命じたはずの部下に呼びかけた。彼も車から降りており、武器の剣を振るっている。
「彼女の心に従ったまでです。カリク君からの呼びかけが届いたそうでしてね。“力”のこともありますし、それに従ったんです」
「よし、建前は理解した。本音はなんだ」
「皆が戦っているのに、一人傍観なんてまっぴらです。命令違反なのは承知の上ですが、処分は後でお願いします」
部下は、迷わず本音を口にした。ニックは、口元を緩める。
「何を言ってんだ。俺は、“サリアの護衛”を命じたんだ。あの子を護っているなら、命令違反でもなんでもない」
さらりと言ってのけた。部下の口角が上がる。
「それでこそ、ニック少将です。さすが、分かっていらっしゃる」
「何を感謝してるかしらないが、しっかり戦えよ。まだ、何も終わっちゃいねえ」
「分かってますよ。失望はさせません」
「そうか。期待させてもらうぞ」
「ええ、どうぞ」
そこで会話を切り、二人は戦いに集中し直す。敵の数は、かなり減っていた。
敵を立て続けに撃ち、弾をこめ直しているところで、ニックは視界の端に、先ほどカリクの手から飛んでいった拳銃が映った。敵に阻まれてとれそうにはなかったが、誰も拾う気配を見せなかった。
サリアを背に、カリクは考える。まともにやり合っても、同じ轍を踏むだけになってしまう。ただ攻撃を打ち合うだけでは、意味がなかった。ゆえに、考えている。どうすれば、勝てるのか。
「カリク……」
サリアが、不安げに声をかけてきた。心配させまいと、力強く返す。
「大丈夫だ。絶対に負けないから」
軍王の強さは、なんといってもこちらの考えを読み取り、瞬時に対策を立てて実行できることにある。推測を必要としない能力と、戦場で養ってきたのであろう判断力によって、驚異的な速度で対応されてしまうのである。こちらの動きを読ませない、もしくは対応させない方法が必須だった。だが、そんなものは思いつかない。あれば、とうの昔に使っている。
「考えても無駄ですよ、カリク=シェード。そんなものは、存在しません。貴方は、ただ自分の死を受け入れればいいのです」
冷めた声で、ミッドハイムが告げてくる。負けの要素がないために、彼の自信は揺るがない。
どうしても、崩す必要があった。負けるはずがないという、自信と事実を。
「考えることをやめたら、それこそ本当に負けだ。だから、ただ受け入れるなんてのは、ありえないな」
「そうですか。まあ、再三の忠告にも曲がらない貴方ですからね。もう私も言うのをやめましょうか」
言葉に続けて浮かぶ、余裕の笑み。傷一つ負っていない彼から、どうすればその表情を奪えるか。考えるしかなかった。
これまでと違い、ミッドハイムはゆっくりと歩み寄ってきていた。死の足音が近づいてくる。思案に割ける時間は、短かった。
驚異的な反応を潰すには、集中を乱すか、他のものに向けさせるのが一番有効だった。しかし、その他のものが存在しなかった。目の前にいる権力者は、自分の決めたターゲットがいれば、何が見えようとも、何が聞こえようとも、気を取られたりはしない。意図的に、シャットアウトしてしまうに違いない。
なら、シャットアウトできない“声”なら、どうなのか。
不意に落ちてきた事柄に、カリクは目を見開いた。意図せざるを得ないとしたら、集中は割けるかもしれない。
「サリア!」
うまくいく自信はなかったが、策の見つからない今、思いついたことはすぐに実行するほかなかった。後ろは向かずに、そこにいるサリアへ呼びかける。
「な、何?」
「“力”を使ってほしい」
「“力”を?」
唐突な頼みに、彼女は戸惑いを見せた。無理ない反応である。
「軍王に対して、無意味なことを“力”で言い続けてほしい。あいつの集中を、削げるかもしれない」
カリクの思いついた案とは、サリアの“力”で直接相手の心に干渉すれば、集中を乱せるのではないかというものだった。耳元で叫ばれているに等しいため、気に留めないというのが難しいことのはずなのだ。
「……分かった。やってみる」
「頼む」
短いやりとりを挟み、作戦を実行に移す。軍王の顔は、渋かった。
「じゃあ、いくよ」
サリアがそう言って、目を閉じた。ミッドハイムだけを対象に、“力”を発動させる。カリクには、本当に発動しているかどうかが確認できなかったが、黙り込んだサリアを見て、信じる。
「無駄なことを」
ミッドハイムは、せせら笑っていた。一見、余裕である。だが、外見からだけで判断するのは尚早だった。実際に戦ってみなければ、分からない部分がある。ゆえに、銃を構え直す。
「無駄かどうかは、今から俺が判断する。あんたが決めることじゃない」
カリクは言い終わると同時に、立て続けに二発撃ち込んだ。ミッドハイムは、なんのことなしに防いだが、微妙な違和感があった。勘違いもありえるため、さらに攻撃する。次の一発を、彼は右に身体を逸らして避けた。
わずかに、動きが鈍い。
かなり巧妙に隠そうとしているのだが、カリクの目は誤魔化されなかった。ほんの少しながらも、勝機を見いだすことができる、わずかな希望。サリアの“力”によって、思考を邪魔されているに違いなかった。。
攻める、攻める。引き金を、どんどん引いた。狙いはあまり正確に定めない。必要なのは、手数だった。
「そもそも、あんたの力も“オモイノチカラ”だ。あんたが情報を得るのも心で、サリアが干渉するのも心だ。同じ心で、物事を二つ同時には処理できないみたいだな。動きが鈍ってる」
ミッドハイムの肩に銃弾がかすり、かすかな血が出る。ついに、傷を負わせることに成功したのだ。
「証明には、充分だろ」
煙を上げる銃の先に、鋭くこちらを睨むミッドハイムの姿が映る。怒りが、そこには見えていた。
「確かに、動きは鈍っていますね。迷惑なことに、貴方の幼なじみが、先ほどから無意味な言葉を羅列しているものですから」
自分の状態を認めた上で、彼は堂々と言い放つ。
「ですが、何も私は“力”だけの人間ではありません。それなしでも、貴方程度は、倒せます」
「軍王は伊達じゃないってか。上等だ。俺は、あんたに勝つ。サリアのために」
手元で弾倉を替えながら、カリクは言い返した。負けない意志が、先ほどよりも大きく胸の中で燃え上がる。
二人は睨み合い、戦いの空気をうかがう。カリクはもう、頭では考えていなかった。事前にどんな風に戦うかシュミレーションしても、軍王相手には意味がないと思ったからである。自分の経験と勘、そして運に任せるしかなかった。
周りの音はすでになかった。カリクの集中は、最高潮に達している。対峙している、ミッドハイムだけを見据えていた。サリアのことも気になっているのだが、他のメンバーを信頼して、そちらに気は割かない。自分の役割は、眼前の敵を倒すことだった。
トンと、軽い足音が鳴る。ミッドハイムが、踏み込んできた。右から左へ、剣が流れる。カリクは至近距離から頭部を狙って発砲したが、もう一方の剣で防がれた。さらにもう一発いく。今度は首だけの動きで狙いをはずされたが、頭皮をかすり、赤い液が一筋、ミッドハイムの眉へと流れ落ちる。
その光景に目を凝らす余裕なく、刃が下から襲ってきた。紙一重でかわす。それだけではなく、銃弾を返してやった。今度は、耳をかすめた。そこからも、血が出る。
ミッドハイムは舌打ちし、右払いを出してきてから、距離をとった。攻撃を避けたカリクは、好機と捉える。遠距離武器を持っているこちらに対し、近距離の武器を持った敵が一度引いたのだ。逃すわけにいかなかった。
反動のタイムラグを挟みつつ、とにかく撃つ。撃ちまくる。弾かれても、避けられても、止めない。ほんの少しの集中の欠けが、ミッドハイムに攻撃を届かせる。足に、腕に、頬に、弾がかする。ただ、致命傷には程遠い。まだ、手が足りなかった。絶対的な決め手が、足りないのだ。
このまま攻め続けても、ふとした拍子に形成をひっくり返される。そう危惧したカリクは、もう一手がほしかった。ミッドハイムに向けていた注意を、幾秒か周囲へ広げる。五人の人間が、カリクを集中させるために、必死に他の兵士と戦っていた。
その面々の中の一人が、カリクをちらりと見た。すぐに、別の場所へ目を移す。その後は、また自分の敵へと向き直った。一瞬のことだったが、カリクは理解した。試す価値は、充分にある。今のミッドハイムは、効率的に力を行使できていないのだ。
重要なのは、カリクが求めるタイミングだった。それを見極めなければ、空振りに終わる。心を読む力を出し切れないとはいえ、ミッドハイムの地力は、かなり高い。間違えてしまったら、策が無駄になってしまう。
弾を撃ち尽くし、入れ替えをするために隙が生まれる。かすり傷の増えたミッドハイムが、襲いかかってくる。胸部に突きを出してきた。右手にナイフを持ち、軌道を逸らす。脇腹をかすったが、気にならなかった。銃を横に振って弾倉を戻し、敵の顔面に向ける。容赦なく、引き金を引いた。放たれた弾丸は、額にこそ当たらなかったものの、また顔に傷を増やした。相手の攻撃をかわすため、後ろに下がる。
「どうしたよ。目に見えて動きが悪いぜ」
「言われなくても、自覚してます。余計な口を聞いていると、死に方が悲惨なものになりますよ」
距離を置いたところで、カリクは軽口を叩いた。ミッドハイムが忌々しそうに表情を歪める。
「ごめん被るな。それに、まず俺はあんたに殺されやしない」
負けん気を完全に取り戻し、銃とナイフを手元で遊ばせる。勝ちを、先ほどよりは引き寄せている気がした。しかし、まだ油断はできない。
「たかだか、この程度で調子に乗りますか。まだかすり傷しか負わせてられてないでしょうに」
ミッドハイムが、機嫌悪く言う。確かに、致命傷に足るものは、なかなか負わせられそうになかった。だが、退きはしない。
「さっきまでと比べれば、大きな進歩だ。進歩ってのは、止まることがない。だから、あんたにも勝てる」
「屁理屈を。貴方は退化する方でしょう」
「いや、退化するのはあんたの方だろ」
互いに、口角を上げる。ギスギスとした笑みだった。
「それに、周りを見てみろ」
カリクがそう促すと、ミッドハイムはためらいがちに周囲へ目を向けた。
「形成は、圧倒的にこっちが有利だ」
彼の部下は、もうほとんどが倒れていた。今のペースでいけば、全員を片づけるまで、そこまで時間はかからなそうだった。
「まさか、たった六人でここまで……」
さすがに動揺が隠せないようで、目を見開いた。カリクは、銃を向け告げる。
「言っただろ。あんたの野望は、終わらせるって」
「貴様……!」
ミッドハイムの口調が、一気に尖った。
「私の野望は、こんなところで終わりはしない! やっと、心に干渉できる人間を手中に収めたのだぞ! 貴様らごときに、つぶさせるものか!」
荒っぽく声を上げる。頭に血が上っていた。
「だったら、せいぜいあがけよ、軍王様。俺すらも倒せないあんたの野望なんざ、何百年かけても叶いやしない」
「なめるな、カリク=シェード! 私の野望は、終わらん!」
叫ぶように言い、剣を威嚇的に振り下ろす。ついていた血が、地面に飛んだ。
「終わるんだよ、絶対に。俺が、そう決めた。サリアのためにそうしないとならないから。俺は、あいつのためならなんだってできる」
あきらめる様子のないミッドハイムと真っ向から睨み合い、カリクは断言する。サリアのために。その想いを心の真ん中に打ち立てたから、ここにいるのだ。
「あんたには分からないだろうな。自分のためにしか戦ってこなかったあんたには、誰かのために戦う意志の強さが」
カリクたちは、全員が誰かのために戦っていた。一緒にいる未来を掴むために、必死に生き残ろうとしている。自分の野望のために生きるミッドハイムとは対照的だった。
「綺麗事を。分かりたくもありませんね、そんなものは」
「そうかい」
突っぱねられたものの、わざわざ説得する気はなかった。軽く流し、会話を終わらせる。訪れた沈黙は、重たかった。
怪我の痛みは、まったく感じなかった。呼吸すら、乱れていない。ミッドハイムに、致命的な傷を与える準備は整っている。後は、タイミングだった。
カリクは、迷うことなくこちらから攻めに出た。銃弾をどんどん撃ち込んでいく。ミッドハイムは、すべてを防ぎきる。
「単発で倒されるほど、弱体化してませんよ」
「みたいだな」
カリクが肩をすくめる。そんなことをしていると、あちらが踏み込んできた。もう何度と見てきた太刀筋を、完全に見切る。疲れを感じさせないほど、身体を逸らせた動きは、素早かった。
上からの剣撃も、ナイフを力強く振って、弾き返す。腹部を狙って、撃ち込んだ。ミッドハイムは身体をひねって回避しようとしたが、脇腹に当たった。苦悶の表情を浮かべ、「ぐぅ……」と呻く。
「さっきまで、遅いのはあんただったのにな。哀れなもんだ」
「調子に乗るなと、言っているはずです。カリク=シェード!」
叫ぶように言い放ち、彼は最速で剣を下から上へ振り切った。カリクの左肩から、血が迸る。だが、
「なんかしたかよ、軍王様」
カリクはまるで、なんのダメージも負っていないかのような反応だった。
「なっ……」
「ボーっとしてていいのか」
傷を気にせず、右手のナイフを相手の腹部に突き立てようとする。しかし、身体の前に回された剣に阻まれ、届かなかった。ひるまず、銃口を向ける。撃ち出された弾は、もう一方の剣で軌道を変えられたものの、軍王の腕にかすった。
「このっ……!」
十字のような形の持ち方から、ミッドハイムは剣を内に引き、一気に左から右に払う。カリクの身体には届かない。逆に、脇腹目掛けて一発くれてやった。位置をずらしてきたので、よけられてしまったが。舌打ちする。
と、ナイフを止めていた剣を急に放してきた。カリクは対応できずに、つんのめる。腕を持っていかれると思い引いたが、振り上げられた剣に、ナイフを飛ばされた。
「ちっ!」
ひとまず間を置こうと、重心を元に戻し、後ろへさがる。だが、ミッドハイムは見逃してくれない。ここぞとばかりに、踏み込んできた。斬り合いに対応できない。避けるしかなかった。
「どうしました、カリク=シェード? 先ほどまでの威勢は、どこにいったのですか!」
集中を欠いてなお、振るう剣の軌道は無駄がない。だが、確実に遅くなっていた。
「優勢に戻ったからって、いきがるなよ。トップたる人間に見えないぞ」
肘をわずかに曲げ、腰近くから一発放った。攻撃の一つに、ついでのごとく弾かれる。
「人の上に立ったこともない若造が偉そうに。トップたるに必要なのは、ただ力です。貴方も、その力に沈む。この運命は、変えられない!」
叫びとともに、二本の凶器がカリクの胴体を挟むように迫ってくる。
「運命だのなんだの、うるせえよ」
するとカリクは、中に踏み込み、右足を交差しているミッドハイムの両手首の間に突っ込んだ。驚きからか、目を見開かれる。
「そんなもん、自分でどうにでもする。他人からの運命づけなんて、一番信用できないしな」
ミッドハイムが剣を引き、今度は突いてきた。軽く身をかわし、銃口を向ける。瞬間、敵が笑みを見せた。もう片方の剣が振り上げられ、銃を弾かれる。
「油断しましたね。所詮はその程度です!」
突きを繰り出した剣を引き、もう一歩踏み込んできた。そこでカリクは、
「あんたがな」
突きををかわした瞬間に、“ニックが拾っていて、カリクに投げ渡されていた銃”を、ミッドハイムの頭部へと構えた。ためらいなく放たれた銃弾は、驚愕が浮かんだ顔へと飛んでいき、額に穴を空けた。
カリクの腰へ向かってきていた剣の速度が遅くなり、やがて止まった。ミッドハイムは「う、あ……」と、言葉にならない音を発し、カリクを仰ぎ見て、倒れた。垣間見える顔の額からは、赤く黒い液体が、ドロリと流れ出ていた。
「これも運命、だろ」
ポツリと、つぶやいた。




