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一章『招かねざる者たち』

 学生で溢れる放課後の通りで、金髪黒目の少年が空を飛ぶ鳥を見ていた。足を止めて、目で動きを追う。そのうち鳥は見えなくなった。

 目標を見失い、カリク=シェードは前に向き直った。生まれつきの金色の髪は、肩には届いていないが、前髪が目にかかっている。その間から、黒い目が覗いていた。体格はやや小柄。ただし、体つきはしっかりしていて、非力ではない。年齢は、今年で十七になる。高等学校の生徒だった。明日からは夏休みが控えている。

 周りの学生が通り過ぎていく中、立ち止まっているのは、人を待っているためだった。ほどなくして、後ろから声をかけられる。

「カリク、何してるの?」

 振り返ると、空を思わせるような青い瞳が、カリクの目に映った。同い年で幼なじみである、サリア=ミュルフのものだった。肩より長い黒髪を風になびかせている。カリクには及ばないものの、女子にしては背丈は高い。穏やかで柔らかい雰囲気を纏っていた。

 目の合ったカリクは、うつむき気味になりながら、問いかけに答える。

「ちょっと用事があるから、待ってたんだよ」

「用事って、私に?」

 首をかしげたサリアに対し、カリクは頷いた。黒髪の少女が、苦笑する。

「わざわざ帰り道の途中で待たないで、学校で言ってくれればよかったのに」

「帰り出してから思い出したんだよ。だからここで待ってただけだ」

 少し、口調を強くする。これは嘘だった。本当は覚えていた。むしろ、一日中頭にあった。

「じゃあ、そういうことにしといてあげるね」

 それを察したのか、サリアはもう一度笑った。

「じゃあって……。まあ、いいや。話は帰りながらするよ」

 カリクは肩をすくめてから、歩き出した。サリアも横に並ぶ。カリクは、ほんの少しだけ間を空けた。

 二人は家が近かった。しかし、最近はあまり一緒に帰っていない。原因はカリクにある。難しい理由ではない。ただ、気恥ずかしいからというだけのことだった。




 カリクたちの住む国は、ラスタージ共和国という。世界に三つある大陸の一つにあり、その大陸の中では一番大きい国だった。三方が別の国と隣り合っているのだが、唯一南側は海と面しており、他の大陸との貿易も行われていた。

 ラスタージ共和国は五つの都市を中心に発展している。東のニケア、西のルクス、南のレンバー、北のミリシアはそれぞれ東西南北の大都市だった。中央に位置する首都セルゲンティスは、さらに巨大な都市である。

 二人が住んでいるのは、ニケアの近くにあるキュールという町だった。




「それで、用事って何?」

 サリアが話を振った。黙り込んでいたカリクが、口を開く。

「そのまあ、明日から夏休みだろ」

「そうだね」

「その前に言っておきたいことがあってな。一回帰ったら、“例の場所”に来てくれないか」

「いいよ。帰って着替えたら、すぐ行くね」

「ああ」

 カリクがうなずき、また口を閉ざす。サリアが呼びかけてきた。

「カリク、色々話そうよ。最近、あんまり話してないし」

 彼女はカリクを真っ直ぐに見つめてきた。口元には、穏やかな笑みを湛えている。カリクは、拒否できなかった。目は合わせずに、頭をかきながら、返答する。

「……そうだな」

「ありがと、カリク」

 お礼を言われ、彼は頭をもうひとかきした。

 それから二人は、他愛のない話をしながら、家路を歩いた。


 カリクとサリアの後方に、人影があった。ポロシャツにジーンズという簡単な私服を着た、二十代くらいの男である。細心の注意を払いながら、二人を付かず離れず追っていた。誰にも聞こえないようにつぶやく。

「あれが今回の任務の目標か。本当に力なんて持ってるのか?」

 視線がサリアを捉える。男の目的は、彼女にあった。しかし、続けてカリクにも目を向ける。

「それに、カリクか。あれが、あの人の息子なわけね」

 ぶつぶつ言いながら、男は尾行を続けた。




 カリクとサリアの家は、すぐ近くだった。先に彼女を家まで送った後、カリクは急いで自宅へ帰った。玄関のドアを勢いよく開けると、

「おお! 帰ったか、カリク」

 坊主頭の老人がいた。カリクは一瞬動きを止めてから、おもっいきりドアを閉め、ノブを強く握った。内側からガチャガチャと回されるが、必死に抵抗する。

「おい、カリク! なんでドアを閉める!」

 老人が叫び声が中から聞こえてきた。こちらは努めて冷静に返す。

「うるせえよ、ジジイ。今度は父さんに何を頼まれてきたんだ」

「誰がジジイじゃァァァ!」

 さらに大きな声が上がった。ドアの内にいる老人は、トルマ=シェード。カリクの祖父であった。

「だいたい、今日は話をしにきただけじゃ!」

「父さんに頼まれたのは否定しないわけな」

 テンションの落差が激しいやりとりは、しばらく続いた。




 トルマは、元軍人で現役を退いてからも、数年前までは軍属で、次世代の指導をしていた。カリクの父であるニック=シェードも軍人なのだが、指導側になる前からトルマは彼に軍人としての教育を施していた。その成果なのか、ニックは現在進行刑でエリート街道を進んでいる。

 そんな祖父を、カリクは苦手にしていた。理由は、父が受けた訓練を自分もさせられたからである。時たまやってくるたびに、指導された。幼い頃は疑問も抱かずに従っていたが、成長するにつれて、嫌になっていった。父のことは嫌いでなかったが、彼は軍人になる気などなかったので、祖父の指導が苦痛になったのである。ただ、数年前にカリクは“ある問題”の存在を理解したため、拒否することはなかった。抵抗は、多少するが。




 祖父との小さい戦いは、母のマリー=シェードの介入により、終了していた。結果として、

「まったく。目上をなんだと思っとるんじゃ」

 カリクはトルマから小言をもらっていた。

「まあまあ、お義父さん。それくらいにしてあげてくださいな。ほら、カリクも謝った方が早いわよ」

 マリーが割って入る。栗色の短髪で、背は女性の平均より低い。物腰は柔らかかった。

「悪かったよ。でも、今日は訓練はなしにしてくれ。友達との約束があるんだ」

 母のフォローに乗っかり、カリクはそう訴えた。早くしないと、サリアを待たせてしまう。

「なんじゃ、用事があるのか。それを早く言え。人を待たせるのはよくないからの」

「ありがと、じいちゃん」

 引き留めてたあんたには、言われたくない、と思っていたが、口には出さなかった。

「あら、お友達と遊びに行くの?」

 マリーが首をひねる。

「まあ、そんなとこだな」

 カリクは曖昧に答え、約束の相手がサリアであると、言わなかった。彼女のことは母と祖父もよく知っているので、変につつかれたくなかったのである。

「そう。あんまり遅くならないようにしなさいね」

「それ、高校生の男に言うか?」

「高校生でも子供は子供だもの。男の子は男の子で、危険はあるのよ」

 カリクがつっこむも、マリーは涼しい顔で返した。肩をすくめる。ただの男子高校生でも首をひねる言葉なばかりか、彼には普通の高校生と違う部分がある。上の服を被せることで今は隠れているが、脇腹に“それ”はあった。強制的に祖父に持たされているものである。といっても、母は存在を知らないので、それで反論しようとはしなかった。

「とにかく、着替えたらすぐに行くから、話は帰ってからにしてくれ」

「分かったわい。早く行ってこい」

 トルマがしっしっと手を振る。カリクは肩をすくめて、自分の部屋に向かった。二階にあるため、階段を上がっていった。


 カリクを見送ってから、トルマとマリーが話を始める。

「何か知りませんけど、よかったんですか、先に話さなくて」

 口火を切ったのはマリーだった。トルマは肩をすくめてみせる。

「大丈夫じゃろ。約束を破らせるわけにもいかん。帰ってきてから、ゆっくり話す」

「そうですか。なら、いいですけど」

 トルマの返答に、マリーはあっさり退いた。別の話題を始める。

「そういえばのう、ニックの奴、首都から遠ざけられたそうじゃ」

「えっ? どこに行かされたんですか」

 寝耳に水で、マリーは目を見開いた。ニックは、トルマの息子であり、マリーの夫である。彼は長く首都軍勤務をしていたので、マリーは他に移るとは思っていなかったのである。

「東都市のニケアじゃ。異例の若さでの少将昇進で、おまけに東軍統括じゃと。我が息子ながら、恐ろしいもんじゃ。裏がなければ、素直に喜ぶとこなんじゃがな」

 トルマは、かなり引っかかる言い方をした。マリーが、眉をひそめる。

「裏があるんですか」

「あると見て、まず間違いない。首都から離されたのは、単にニックがいると邪魔だからじゃろう。だからこそ、ニックはわしをここによこしたんじゃ。カリクへの話も、その裏事情に関係することじゃよ」

 彼女の問いに、声を落として答える。軍を退役しているものの、上層部に食い込まんという地位にいる息子の存在があったので、そこが情報源としていた。ゆえに、かなりきな臭い情報も多く仕入れている。ニックの異動に裏があるとの予測は、そこからきていた。

「ミッドハイムめ。昔から、危うい奴だとは思っていたが」

 一人つぶやく。怒りと後悔とが、混じっていた。

 声が聞こえたのだろう、マリーは何か言いかけたが、ドアの開閉と階段を駆け下りてくる足の音を聞いて、口を噤んだ。

「なんで二人して、まだ玄関にいるんだよ」

 カリクである。制服から私服に着替えていた。トルマたちが、未だに帰ってきたときと同じ場所にいることに対し、首をひねっている。

「ちょっとした立ち話じゃ。それより、早く行け。友達が待ってるんじゃろ」

「言われなくても、行くっての」

 トルマと軽口を叩き合ってから、

「じゃ、行ってくる」

 カリクは二人の間を通り過ぎた。

「本当に早く帰るんじゃぞ」

 トルマに背中から声をかけられ、

「分かってるよ」

 カリクは、扉を開けながら応えた。


 カリクを見送ってから、トルマがつぶやく。

「慌ただしいのお。誰に似たんじゃか」

「……それ、本気で分かりませんか」

 マリーは苦笑いを浮かべた。彼女の反応に、トルマは首をかしげた。




 カリクの言う“例の場所”とは、幼い頃サリアと二人で遊んでいた広場だった。昔は何度も来ていたが、育つにつれてあまり一緒に遊ぶことは少なくなり、今ではまったくなくなっていた。

 ただ、それがサリアに対して酷いことだという自覚はあった。彼女はある特殊な“力”を持っていたために、カリク以外の同世代には気味悪がらて近づかれなかったから、カリクがいなければ、独りになることがほとんどだった。また、彼女の両親は子供への愛情が薄く、いい親とは言い難い。ゆえに、もっとそばにいるべきだった。分かっていたのに、気恥ずかしさから避け気味になってしまっていた。彼女への用事というのは、そのことへの後悔も関係している。今更、何をしたところで埋め合わせになるとは思っていなかったが、何もせずにいることはできなかった。

 広場に入ると、少し古びてしまっていたものの、今も中央にある噴水が綺麗に水しぶきを飛ばしていた。昼過ぎという時間帯のためか、いつもならたくさんいる子供たちの姿はない。昼ご飯か、昼寝かというところだろうと、カリクはあたりをつけた。

 噴水の前には、既にサリアが立っていた。白のインナーに桜色の薄い上着を着ていて、下は白のロングスカートだった。遅れてしまったと思い、走って近づく。

「悪い、遅れた」

 まず、謝った。サリアが邪気のない笑みを浮かべる。

「謝らなくて大丈夫だよ。私も今来たとこだから」

「なら、いいけど」

 さほど長時間は経っていないので、カリクは信用した。


 事実カリクは、サリアの到着からさほど遅れていなかった。そうでなければ、未だに彼らをつけていた謎の男が動いていたから。直前にカリクがやってきたので、いったん止まり、二人から見て噴水を挟んで反対側に移動していた。


「それで、用事って何?」

「あー、なんていうか……」

 サリアに促され、カリクは切り出そうとしたが、言い淀む。頭をかいた。幼なじみの少女は、微笑みながら言葉を待っている。


 その後ろで、謎の男は携帯に連絡を受けていた。

「もしもし」

『まだ目標は確保できていないのか。できるだけ早くという指示なのは、貴様も分かってるだろう』

 耳に入ったのは、固い口調の声だった。ただし、女性のものである。

「分かってるよ。でも、人がいないときでもいいんじゃないですかね。帰り道とか」

 男の返事は、いかにも気だるそうだった。敬語も、わざとである。

『“お前がそれでいいならな”』

 相手の女が、意味ありげな言葉を返した。

(見透かされてるか)

 男はその意味を察し、舌を巻く。さらに女が続けた。

『人払いは、ノーザンが既にしている。奴が暴走を起こさないうちに、さっさとやることをやれ』

「へいへい」

 また軽口を返そうかとも考えたものの、男は指示に従うことにした。ただし、

「でも、あと三十秒待って。今、すごいいいとこだから」

 すぐに動く気はなかった。

『……勝手にしろ』

 呆れ声がして、電話は切れた。男は携帯をしまい、再び少年と少女に関心を向ける。

「さて、早く本題に入らないと、邪魔しちまうぞ」

 一人で、つぶやいた。


 一方のカリクは、なかなか本題に入れなかった。「えっと……」とか、「その……」を繰り返している。サリアはまったく急かすことなく、穏やかに微笑みながらこちらが話すのを待っていた。ただ、それが余計にカリクから余裕を奪っていたりする。

(早く、切り出さないと)

 気持ちは焦るのに、言葉は喉で引っかかって出てこなかった。そうしていると、水をさされた。

「サリア=ミュルフだな?」

 自分たち以外の声に二人は反応し、持ち主の方を見ると、二十代くらいに見える私服姿の男が立っていた。そこで、ようやく広場に自分たちと男以外の姿が見えなくなっていることに気づく。

「誰だ、あんた」

 カリクは素早くサリアを庇うように、彼女と男の間に入った。睨みつける。

(突然のことにも、冷静に対処しろ)

 祖父からの教えが、頭によぎった。

「へぇ、冷静だな」

 彼の対応の早さに、男が感嘆を漏らす。カリクは、何も言わない。

「うちの部下も、これくらい冷静だと助かるんだけどな」

 いきなり、関係のないことを口にしてきたが、無視する。

(相手の言葉に惑わされるな)

 これもまた、祖父の教えだった。

 どうやら男は、脈絡のない話を振って、カリクに動揺を誘うつもりだったようで、頭をぽりぽりとかいた。

「ああ、これも空振りか。いい教育を受けたみたいだな。さっきのは本音だけど」

「生憎、英才教育を受けてるからな」

 カリクが軽口を叩く。強気な態度だった。

「さすがに、ニックさんの息子ってだけはある」

「何……!?」

 しかし、続く男の発言には、動揺を見せてしまった。瞬間、男の拳が顔目掛けて飛んでくる。

「でも、こっちも仕事なんでな」

「くっ!?」

 カリクはすぐ防御のために、顔の横に腕を出した。

「ぐうっ!」

 だが、拳の衝撃は予想以上だった。右手側に吹き飛ばされる。

「さあ、サリア=ミュルフ。俺たちと一緒に来てくれ。素直に従えば、悪いようにはしない」

 間に立っていたカリクがいなくなったため、男はサリアに近づいた。懐から、銀色の物体を出す。

「ひっ」

 サリアが小さな悲鳴を上げた。男の手にあったのは、小型のナイフだった。それを見て、横に吹き飛ばされていたカリクは、その場で即座に自分の脇腹に隠し持っているものに手を伸ばした。

「サリアに近づくな」

 低く、尖った声が出た。彼の手には、黒く光る拳銃が握られていた。

「あらら、ずいぶんなもん持ってるのな。未成年の所持は認めてないはずだぜ」

「強引に持たされたんだ。捕まえるなら、家族の方だな」

「ああ、そうかい。ずいぶんとクレイジーなご家庭でお育ちのようで」

「個人的には女の子を誘拐しようとしてる奴よりも、マシだと思うけどな」

「はっ、そりゃ違いねぇな」

 男が苦笑したところで、沈黙が訪れる。男はサリアに対してナイフを向け、彼にカリクは銃口を向けている。状況が膠着した。

(間違いなく、サリアが殺されることはない。怪我をさせられるくらいはあるかもしれないが、それならナイフよりいい獲物がある。たぶん、あくまであれは脅しのためのもんだろう)

 冷静に分析をする。

(つまり)

「ああ、そうか。これ、俺が危ねーじゃん」

 思考を、男の言葉が遮った。そして男は、手にもっていたナイフをカリクに投げつけてきた。

「なっ!?」

 腹部に向けて放たれた刃物を、彼は反射的に横へ避ける。銃口がぶれた。

(しまっ……)

 その隙をついて、男はサリアにではなく、カリクに突っ込んできた。

「実戦経験不足だ。出直してこい」

 脇腹に蹴りを入れられ、続けざまに手首に強い手刀を喰らう。銃が手から滑り落ちた。最後に、裏拳を顔面にもらった。身体が宙を回り、うつ伏せに地面へ倒れる。

「がはっ……!」

 息が漏れた。さらに身体へ重みがかかる。彼の上に、男が乗っていた。ナイフは複数持っていたようで、さっきのとは別のものを首に突きつけられる。

「お前に動かれる方が厄介なんでな。それに、交渉にも有利だ」

「交渉だと……」

 上から被さるように聞こえてきた声に反応する。相手の狙いに気づき、カリクは顔を歪めた。

「サリア=ミュルフ。君が俺たちと来ることを拒むなら、こいつは殺す。君次第だ。どうする」

 男の狙いは、サリアが従わざるをえない状況を作ることだった。カリクの首に刃が当てられ、冷たさが伝わる。

「カリク!」

 サリアが叫んだ。彼女は、この状況で自分の身を一番に考えられる性格ではない。

「ダメだ、サリア! すぐ逃げろ!」

 カリクが、声高に叫んだところで、曲がったりはしない。胸に手を当てて、彼女は男へ訴えかけた。

「あなたに従います! だから、カリクから離れて」

「何言ってんだ、サリア! 俺なんて無視しろ!」

 カリクが叫ぶ。それに対し、サリアは「ごめんね」と、微笑しただけで、彼の言うとおりにする様子はなかった。男は満足げに微笑んで「いい子だ」とつぶやき、携帯を取り出す。何者かへ、電話をかけた。

「もしもーし。目標確保。俺は手が放せないんで、車回して」

 親しげな口調だった。カリクとサリアに、電話の声は聞こえない。

「ああ、広場のまんまだ。どうせ、ノーザンも回収するんだし、ちょうどいいだろ」

 かすかに、電話口から相手の声が漏れ聞こえる。どうやら、女性のようだった。

「分かってるよ。いいから、早く来てくれって。よろしくな」

 男はそう言って、通話を終えた。携帯をしまう。

「さて、しばしご歓談だ。“しばらく”会えないんだから、挨拶は済ましておけよ」

 それから男は、先ほどまでとは一転し、重々しい口調で言った。

「ごめんね、カリク。カリクを見捨てるなんて、私にはできないの」

 先に発言したのは、サリアだった。押さえつけられたまま、カリクは声を荒げる。

「ふざけんな! お前がこいつに従う必要なんてない!」

 感情的だったが、この言葉には根拠があった。

(もし、本当に俺を殺す気があるのなら、さっさと殺してサリアを連れて行ってしまえばいい。そうしないで、わざわざ交渉を持ちかけてるのは、俺を殺すと何かしらの不都合があるからだ。だから、サリアが逃げても、俺が生き残れる可能性は大いにある)

 考えはしつつも、口には出さない。言ってしまったら、男が作戦を変えるのは明白で、その中身が予想できない。なので、サリアが逃げられる今の状況を壊したくなかったのである。

「分かってる」

 唐突に、サリアが言い放つ。カリクの考えは、意味がなかった。なぜなら、

「分かってるけど、カリクを危険にさらしたまま私だけ逃げたりできない」

 彼女は、すべて理解したうえで、動くことができていなかったからである。

「お前……っ」

 その意図を察し、カリクは顔を歪める。優しさがために、目の前の少女は自分を切れないのだ。

「なるほど。ますます気に入った。精々“あがけよ”」

 男の声は、どこかご機嫌だった。

 そこへ、

「どんな状況だ、これは」

 呆れた感じの高い声が飛び込んできた。カリクはなんとか視界の端に、声の主を捉える。

 二十代くらいで、金髪をポニーテールにして頭の後ろでまとめている女性だった。分かりづらかったが、背は高めだった。顔立ちがよく、綺麗な海色の瞳が覗いている。ただ、今はじと目になっていた。

「見てのとおりだ。車はどこにあるんだ」

「すぐそこの通りだ。それより、説明をしろ。これはなんだ」

 一応、男の質問に答えてから、女は同じ問いを繰り返した。

「んー、こいつを人質にしての脅迫だな」

 男はかなり軽い調子だった。女はそれで状況を把握したらしく、頭を軽く抱えた。

「……まあ、いい。そこの貴女、ついてこい。おとなしくしていれば、悪いようにはしない」

 しかし、彼女はそれ以上、状況について何も言わなかった。サリアが抵抗なくうなずく。女の方へ歩き出そうとした。その背に、カリクが叫ぶ。

「行くな、サリア!」

 悲痛な呼びかけに、彼女は立ち止まった。振り返り、声は出さず口だけを動かす。

「ごめんね」

 また、謝罪だった。前に向き直り、女を真っ直ぐに見据えた。

「貴女に従います」

「いい目だ。ただ、これは許せ」

 女は敬意を表しながらも、サリアの後ろに回り、銃を脇腹に押し付けた。銃口の感触がしたからか、サリアは微かに表情を歪める。

「先に行く。そちらの少年は、お前がどうにかしろ」

「りょーかい」

 男の返事を聞いてから、女はサリアを伴い、広場を出て行った。後に残ったのは、男二人である。

「さて、お前のことは任されちまったわけだが、どうしたもんかね」

 男が楽しげに言った。対照的に、カリクは敵意を剥き出す。

「あんたが俺を離したら、すぐに潰してやる」

「おー、怖いね。こりゃ、簡単に離せなそうだ」

 あくまで男は軽い態度を変えない。

「だから、動きを封じさせてもらうな」

 その言葉の後、首の後ろに衝撃が走って、カリクの意識は飛んだ。


「まったく。さすがに“あの人”の息子だけあるな。今から、将来有望なこった」

 広場には、倒れ伏した少年と、二十代くらいの男性の姿がある。少年は、意識を失っていた。

「さてと、戻るか」

 男を置いてきぼりに、男は仲間が乗っている車へ向かう。

 車は、先ほど女が言っていたとおり、広場のすぐ近くに停められていた。迷いなく、運転席へ乗り込む。後部座席でサリアを捕縛している女から声をかけられた。

「一応、労は労っておこう。お疲れ様だ、ガヌ」

「こりゃどうも、シルラちゃん」

 彼女に対し、ガヌ=ロード中尉はバックミラー越しに笑ってみせた。同じく中尉であるシルラ=マルノフスが、眉根を寄せる。

「誰がシルラちゃんだ。ここで撃ち殺されたいのか、貴様」

「いいえ、滅相もない」

 ガヌは大袈裟に両手を胸の前で動かした。シルラは深いため息をつく。

「まったく、なぜ貴様のような奴の方が今回の任務の責任者なのだ。まだ犬の方がマシな頭をしているというのに」

「優秀だからじゃないですかね」

「よっぽど、風穴をあけてほしいらしいな」

「怒るなよ、シルラ。冗談なんだから。シワが増えるぞ」

「誰のせいだ」

 シルラの冷たい視線と声を受けつつ、彼女の隣にいる少女へガヌは目をやった。サリア=ミュルフ。彼が上から聞いた話では、不可思議な力を持っているということだった。

「そういえば、“例の少年”はどうしたんだ?」

「ちょっと眠ってもらってきた。安心しな、なんにも怪我はしてない」

 最後はサリアに向けて言った。反応に困ったのだろう、彼女は複雑な表情を浮かべただけだった。

「それを言うなら、ノーザンはどうしたんだ。さすがにあの図体が隠れられるほど、この中は広くないぞ」

 今度は、ガヌからシルラに問う。

「別行動だそうだ。この車で首都に行くのは、私たち三人ということになる。本当なら、今すぐ出るべきなのだが貴様は無駄話に時間を使ってしまっているわけだ」

 彼女の言葉には、明らかに棘があった。しかし、ガヌは気にしない。

「そうか。じゃー、早く行くとするか」

「……いつか鉛玉をぶち込んでやる」

 彼女は毒を吐いた。ガヌはやはり気に留めず、エンジンをかけた。アクセルを踏み込み、車が動き出す。

 ガヌが再びサリアを見ると、窓の外をじっと見つめていた。儚げな表情で、一心に誰かを想っているようだった。

 と、

『カリク、絶対に助けに来て。きっと、きっとだよ』

 突然少女の声がした。サリアのものであったし、状況からして内容も特に不思議ではない。ただ、

『私、信じてるから』

 彼女は“口を開いていない”。耳を介して聞こえたものではなかった。

「これは……」

「……マジもんかよ」

 シルラとガヌが、それぞれ驚愕を示す。サリアはしゃべっていないはずなのに、言葉が直接、心に飛び込んできたのである。

 これが、彼女の“力”だった。

「“オモイノチカラ”、か」

 力の名称を、シルラが口にする。彼女の方に、サリアが肩を震わせ顔を向けた。目が見開かれている。

「本来は、あの少年にだけにだけ伝えようとしたのだろうが、想いが強すぎて漏れだしたようだな」

「どうして、それを知って……」

 シルラの分析に、サリアは自分の想いが漏れたことよりも、隣にいる金髪の女性がなぜ力の存在を知っているのかという疑問がよぎったようだった。声に困惑と警戒が混じっている。

「上の人間から聞いただけだ。正直、半信半疑だったがな。実際に体験しては、否定のしようがない」

「まあ、“あれ”がありなら、ありだろ」

 シルラの言葉に続き、ガヌが口を挟んだ。頭には、ある人物の姿が浮かんでいた。心に浮かぶイメージは、畏怖。

「あまりトップを“あれ”呼ばわりしない方がいいぞ。聞かれて気分を悪くされても困る」

「いいだろ別に。隠してても、意味がないしな」

 肩をすくめた。頭から今浮かんでいる人物を消すために、話題を変える。

「にしても、こっからまた首都まで二日か。しんどいねー」

 よりによってぼやきだった。今現在、最も早い移動手段である車を持ってしても、首都までは時間がかかるのである。シルラが眉をひそめた。

「仕方がないだろう。歩きでないだけ、マシだと思え。それに、交代で私も運転はするんだ。今から嘆いてどうする」

「そりゃ、そうなんだがな」

(首都に戻ってからが、戦争だからな)

 後半は、思うだけで口に出さなかった。

 雑談に興じる“軍人”二人と、さらわれた少女を乗せ、車は首都へと向かう。


 サリアは人知れず、もう一度、幼なじみの少年を強く想った。

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