十八章『血舞う紅夜』
気づけば首都セルゲンティスは、夜の闇にどっぷり浸かっていた。カリクとニックがいる駐車場も、例外ではない。朧気なガス灯の灯りが頼りだった。
「まったく。貴方がたは、粘るのも大概にしてはいかがですか。戦況が把握できなくて、困ります」
ミッドハイムが、わざとらしくため息をついた。カリクは、そんな彼を睨む。傷だらけの身体で。息も荒かった。
「大丈夫か、カリク」
ニックが訊いてきた。そんな彼も、軍服があちこち裂かれ、全体的に赤く滲んでいる。
「当たり前だろ」
強気に言うものの、かなり厳しい状態だった。もうとっくに限界は超えている感覚がある。意識を保つのもやっとなのだ。
満身創痍の二人に対し、ミッドハイムは辟易とした表情を浮かべていた。こちらは必死に戦っているのに、あちらは飽きているのだ。このことだけでも、力の差は歴然だった。少将であり、軍内でもかなりの実力派であるはずのニックをしても、まったく届いていない。カリクたちも、致命傷はもらっていないが、それだけだった。勝ち目は、一ミリも見いだせない。
「戦況の報告も入ってきませんし、退屈で仕方ありませんね。私を相手に、倒されないというのは立派ですが、一方的すぎて、緊張感に欠けていますし」
戦う姿勢を崩さない二人から目をはずし、本部基地を見上げた。門の方からの戦いの音は未だに聞こえていたが、基地内は静かだった。
「というか、どうして誰もあんたを探しに来ないんだ。親父は、突飛な判断が常だからともかく、戦闘中に指揮官が席をこんだけ長時間離れているってのは、普通おかしいだろ」
カリクは、ずっと訝しんでいたことを訊いた。ミッドハイムが一人で現れたのはともかくとして、既に何時間も戦っているにもかかわらず、他の兵士なりなんなりが現れないのは、疑問だった。
「サリアを巻き込むのが嫌で、ここに近づかないように伝えて出てきましたからね。余程のことがないと、誰も来ないでしょう。サリアを逃がしてしまった今、貴方がたを一人で相手する必要性は皆無ですが、呼びに行く間に逃がしたくはないのですよ。ここで殺しておかないと、面倒ですからね」
ミッドハイムが首を左右に曲げた。体勢を整え、次の攻撃の準備を整える。
増援が来ないのはありがたいが、さすがに長引きすぎた現状では、いつミッドハイムの部下がここにやってくるか分からなかった。もしそうなったら、サリアがいないことも相まって数で押してくるのは明白だった。
「本当は、私一人で充分と思っていたのですが、さすがにここまで手間取ると、協力が欲しくなってくるものですね。時間がかかりすぎていけない」
大袈裟に肩をすくめてみせた。小馬鹿にした態度がかんに障るが、カリクは何も言わない。だんだんと濃くなる絶望の色に、呑まれないように踏ん張っていた。
ミッドハイムが、「はっ」というかけ声とともに、ガヌとの間合いを詰めてきた。反射的に撃ち込むが、軽く身体をひねられかわされる。続けて、連撃が襲いかかる。もう何度も見ているため、太刀筋は見極められるが、実際には避けきれない。互いに長時間戦っているにもかかわらず、彼の剣の振りは遅くなるどころか、どんとん早くなっているように感じた。
また、鮮血が飛ぶ。大ダメージを受けないようにするので、精一杯であった。ありとあらゆる方向から、刃が襲ってくる。ニックが横から仕掛けても、連撃は止まらない。
「動きが目に見えて落ちていますよ。おとなしく切られたらどうです」
「悪いな、断る」
右手のナイフで、片方の剣を受け止めた。キィンと、甲高い音が響く。
そこに、声が割り込んできた。
「軍王様、これは……?」
他の兵士が、来てしまったのだ。ニックが、素早く口封じにかかる。銃口を向け、間髪入れずに撃つ。「うあっ」と言って、胸を押さえて倒れた。後ろから、「お、おい、大丈夫か!」などと聞こえてきたので、他にもいるようだった。舌打ちをする。逆にミッドハイムは、意地悪く笑う。
「いいところに来ましたね。見ての通り、敵ですよ。もう、加勢していただいて結構ですよ。強い相手ですか、何十人か集めて、手伝ってください」
「ぐ、軍王様。分かりました。直ちに!」
部下の兵士は、他の一人に人集めを命じると、三人の仲間を連れ立って駐車場に出てきた。ミッドハイムが、目を細める。
「どうしますか、ニック少将、カリク=シェード。これでも、まだ戦いますか」
挑発的な問いかけだった。答えは、決まっている。目の前の敵を、カリクは睨みつけた。
「やめるわけないだろ。最後の最後まで戦ってやる」
「それだけ出血していながら、まだ血の気が多いようですね。貴方はどうです、ニック少将」
「右に同じだ。だいたい、子供より先に逃げられるわけないだろ」
「なるほど。あくまで、無駄な抵抗を続けるわけですか。いいでしょう。呆気ない幕切れを、与えてあげますよ」
呼ばれた人間からどんどん出てきているのか、徐々に敵兵の数が増えていく。カリクにはもう、何人いるのか分からなかった。
「だとよ、親父。辞世の句でも考えるか」
「そんなもの考える暇があったら、生きることに全力を注ぐな、俺は」
「そりゃいい。俺も一緒の意見だ」
カリクは父と軽口をかわし、バックステップでミッドハイムから距離をとった。不思議と、恐怖は感じていない。
「さあ、惨めに散るがいい。総員、攻撃始め!」
ミッドハイムのかけ声とともに、彼の後方に集まった兵たちが雄叫びを上げた。前衛部隊と後衛部隊に分かれ、カリクたちへと襲いかかる。二人は、無言のまま迎え撃った。軍王の力に屈しなかったのに、数に屈するわけもない。
相手が少ないからか、同士討ちを恐れて威勢の割に攻撃の手は緩めだった。カリクは、複数方向からくる攻撃に対応しながら、一人一人撃ち殺していく。躊躇う余裕は、なかった。迷いなく、急所に鉛玉をぶち込んでいく。人の壁でニックは見えなかったが、敵の攻撃の音が止まらないことから、彼も充分に戦えているようだった。
「まあ、彼らだけなら、まだ抵抗可能かもしれませんね」
だが、保つかもしれないという見込みを、絶望が奪いさる。声と共に、ミッドハイムが攻撃の飛び交う中へ飛び込んできたのだ。顔が自然と引きつる。
「いい加減、楽になりなさい」
刃が、一閃を刻む。腹部がパクリと口を開け、赤い液体が、溢れた。
「がああああああ!?」
カリクが、痛みで叫んだ。腹を押さえ膝をつく。苦悶で、表情を大きく歪める。
「それでも致命傷はさけますか。しかし、もう限界でしょう。あきらめなさい」
ミッドハイムは剣の血を払うと、周囲の兵士たちに目配せした。後は任せるというような仕草だった。
「くそっ……」
流れ出る血が、あまりに重い。視界が、狭まっていく。
そんな状態だったので車のクラクションが聞こえたときも、最初は幻聴だと思った。
「なんですか、あれは?」
しかし、ミッドハイムの反応と、再度聞こえたププーという甲高い音から、現実であることを感じとった。さらに、声が耳に届いた。
「へばってちゃ、格好悪いぜ、カリク君!」
間違いなく、“彼”のものだった。偶然に出会った、ナイフ使いの相棒である。口元に、笑みが浮かぶ。
「心強い増援だな、まったく。ちょっと、遅すぎるが」
ひそかに、つぶやいた。
車は、容赦なく敵陣へ突っ込み暴れ回る。窓からも、銃弾が飛んでいた。
「何をしてるのですか! 運転手なりタイヤなりを狙って、早く止めなさい!」
ミッドハイムが命じると、逃げ惑っていた部下たちはようやく反攻に出た。タイヤが撃たれ、車はスリップして止まる。
「意外と、早く止められたなー。もう少し、暴れるつもりだったんだけど」
前座席の扉から、レインがぼやきながら降りてきた。狙ってくれと言わんばかりの登場の仕方だったが、銃を向けたり、斬りかかったりした人間は、ことごとく倒された。攻撃が届く前に、撃たれたのだ。女性の声がする。
「もう少し、考えて降りろ」
「考えて降りたぜ? 援護があると思ってね」
レインがいたずらっぽく笑った。ため息の後、警戒しながら姿を見せたのは、シルラだった。
「貴様は、どんな教育をしてきたのだ、ガヌ」
「ジーニアスの奴らに言ってくれ。昔から破天荒だったけど、ここまでじゃなかった」
さらに続けて現れたのは、サリアを攫った男だった。思わず目を見開く。
「もしかして、ガヌってあんただったのか」
「ん、久しぶりな顔があるな。その節は、悪かったな、カリク=シェード」
「謝罪の言葉はいらねえ。シルラと一緒にいるなら、味方してくれるんだろ。戦ってくれる方が、よっぽど助けになる」
「了解」
ガヌは気持ちよく笑った。銃を手元で遊ばせる。贖罪する気満々のようだった。
「あなた方ですか。ずいぶんと、早く解決したようですね。ただでさえ、時間がかかるというのに、まだ面倒を増やしますか」
一方のミッドハイムは、顔を露骨にしかめていた。レインが言い返す。
「いくらでも増やすさ。あんたには、勝たないといけないからな」
「戯れ言を。この数を相手にして、勝ちなどありえません」
吐き捨てられた。だが、彼は余裕を崩さない。
「ありえるさ。ありえないなんて、誰もまだ証明してないんだからな」
「なら、今から証明してさしあげますよ」
ミッドハイムは右手を顔の前に上げた。空気が、凍る。
「カリク君。まだ、やれるよな」
そんな中で、レインが尋ねてきた。カリクはしっかりと立ち上がり、武器を構え直す。本当なら、動くのも難しい。息は乱れ、視界は霞む。それでも、戦う意志は失っていなかった。
「当たり前のことを、わざわざ訊くな。どいつもこいつも」
堂々と言い放った。まだ、戦える。戦えなくなるまで、止まらない。サリアの幸せのためにも、止まるわけにはいかなかった。
「いくらでも戦ってやるさ。で、笑顔で帰ってやる」
カリクが言い終わると共に、ミッドハイムの命令が飛んだ。
「侵入者を、全員駆逐しなさい! 攻撃再開!」
また、雄叫びが上がる。レインが、負けじと叫ぶ。
「さあ、カリク君! 味方は勢揃い、敵は盛り沢山! 最高潮の見せ場だ! 決めてやろうぜ!!」
「乗った!」
カリクが呼応し、乱戦が始まった。たった五人での、戦いだった。
だが、カリクたちの力は、凄まじかった。訓練を積んできたはずの兵士たちが、手負いの人間を含んだ面子に、苦戦しているのである。
カリクの攻撃後の隙を狙い、敵の一人が剣を振り上げる。しかし、その剣を降ろす前に、銃弾が腹を貫き、彼は地面に倒れ込んだ。
「カリク、敵に背を見せすぎだ」
攻撃はニックのものだった。背中合わせの位置にくる。
「知らねえよ。親父が、そこらへんはなんとかしてくれるんだろ。代わりに、あんたが危ないときはフォローしてやるよ」
「ふん、生意気に育ったもんだ」
「なんせ、あんたの息子だからな」
カリクは、ニヤリとした。ニックも「違いない」と、同調する。
「死ぬなよ」
「そっちもな」
合わせていた背中を離した。だが、つながっている。お互いに、相手の武運を祈った。
視界の端に映るガヌとシルラも、多くの敵と対しながら、まったく遅れをとることなく戦っていた。カリクたち以上に、連携がとれている。
どちらも、とにかく片っ端から狙い撃っているように一見思えるが、そうではない。ガヌは、シルラの死角にいるのと、狙いをつけている人間を目ざとく見つけて、処理していた。シルラは、その逆である。お互いに、第三の目として機能していた。二人なのに、さながら一つの媒介でつながっているようだった。
「シルラ、お前と共闘するのって、いつ以来だ?」
こちらも背中を合わせ、しゃべり出す。
「正確には思い出しかねるな。戦線に駆り出されたりはしなかったし、部隊も違ったから、訓練でもなかなか会わなかったからな。半年前の合同訓練のときではないか?」
「ああ、あれが最後か。でも、あのときよりもなんか、お前がどう動くかよく分かるんだけどなー」
「ふん、奇遇だな。私もだ。お前という人間を、よく知っているからな」
シルラは勇ましく口角を上げた。ガヌの背を肘でつつく。
「死ぬなよ。お前には、言いたいことがたくさんある」
「お前もな。お前がいないと、生活がつまらない」
ガヌが言い終わると、沈黙し、やがてシルラが声を立てて笑い出した。ガヌもつられて笑う。周囲の敵が、何事かと動きを止めた。
「生き残るぞ、ガヌ」
「了解、了解!」
それぞれ、前へ踏み出した。四方八方からの攻撃にも、戸惑うことはない。
一人、サポートなしで戦っているレインは、異常な視野の広さを発揮していた。自身は一人であるのに、他四人の援護をしていたのだ。特に、弾倉替えをしているときのサポートは、かなり大きかった。
「隙を狙ってるあんたが、隙だらけだぜ」
弾を込め直しているカリクを狙った兵を、先んじてナイフを飛ばして片付けた。ニケアで見せたような、波状攻撃もする。
一人、また一人と、たった五人で、どんどん敵の数を削っていく。死体と怪我人が、山をなし始めていた。
勢いと流れは、完全にカリク達の方へ傾いていた。しかし、押し切るのは、難しい。
「情けないですね。実力派が出てこれないのは、戦闘指揮等々で仕方ないとはいえ、さすがに弱すぎる」
軍王という、最強のカードがあった。しびれを切らし、自らまた出てきたのだ。
「結局、あんたが出るのか。年寄りなら、後ろの方で休んでたらどうだ」
対峙したカリクが、嫌みっぽく言った。ミッドハイムは、顔色を変えずに応える。
「そうしたいのは山々ですがね。残念ながら、私の部下は休ませてくれる気がないようですから」
「ああ、そうかい」
気づくと、冷や汗が出ていた。威圧感と、絶望感が一気に襲ってくる。
「まったく、面倒で仕方ありませんね」
一瞬で懐に入られるのはもう慣れていたが、今は周囲の環境が違っていた。敵だらけのために、追撃がどこから来るのか、分からないのである。
「面倒なのは、こっちだよ」
剣が起こした小さな風を頬に受けながら、ぼやく。視界の端で、カリクを狙っていた兵士がナイフをこめかみにくらい、倒れたのが見えたが、このフォローもいつまで保つか分からなかった。
ただ、ここが正念場なのは明らかだった。カリクが軍王相手に粘り、周りの兵を他が片付ければ、五対一で圧倒的に有利になる。
(絶対に、倒れない……!)
精神力は、まだ尽きない。
「親父! レイン! シルラ! ガヌ!」
この場にいる味方全員の名前を呼ぶ。顔を向けてきたのはレインだけだったが、他も耳を傾けてくれていることを信じて、続ける。
「俺は“耐える”! だから、他は任せた!」
力強い宣言だった。ミッドハイムを全面的に引き受ける代わりに、周りを任せる。他の人間を信頼しての言葉だった。
「なかなか、貴方は素晴らしい人間性をお持ちのようですね、カリク=シェード。ですが、その勇気が仇になると思いますよ」
それを、ミッドハイムは嘲り笑う。だが、カリクは怯まない。
「言ってろ。最後に笑うのは、こっちだ」
「血塗れの身体で、よく吼えるものですね」
どちらも、姿勢を崩さなかった。睨み合いになる。
勝負の分かれ目を迎えていた。
周囲の敵に気を払うことをやめ、ミッドハイムに神経を集中させる。攻撃は最低限にし、回避に専念するつもりだった。
「いい判断です。ただ、今の貴方に、それが可能ですかね」
心を読まれたのか、そんなことを言われた。睨みつけることで、意志を示す。
「よろしい。ならば、望みどおり死をあげましょう」
ミッドハイムは笑みを消し、冷めた表情になった。
「貴方は強い。認めざるを得ません。ただ、私に勝てると言うわけではありません。まだ踊るのは勝手ですが、手にするのは、絶望だけですよ」
それを最後に口を閉ざし、大きく息を吐いた。両手の剣身を合わせる。
空気が、震える。恐怖が、強さが、漂っていた。
ミッドハイムの身体が、風のごとく駆けた。カリクが、牽制で一発放つが、剣で弾かれる。右手に、ナイフを持った。
左から、斬撃が飛んでくる。ひらりとかわし、もう片方の腹部を狙ってきた剣の軌道をナイフで逸らす。そこから斜め上に払ってこようとしてきたが、同じナイフで、押し止めた。最初に避けた剣が返す形で振り払われたが、完全に見切った。
至近距離で、拳銃を腹部に向ける。今までなら、一本の剣が防御にきていたが、なかった。代わりにミッドハイムは、身体ごとカリクの左側に移動した。照準をすぐにそちらへ動かすが、
「遅い!」
上方向に剣を振り抜かれ、銃を手放させられてしまった。腕ごと持っていかれるのは回避したが、貴重な武器の一つを、失ってしまった。
しかし、動揺している余裕はない。次の攻撃がくる。二本で繰り出される突きを、ギリギリの状態でさけた。続けて上、右、左、下、左と次々に剣が動く。受け止めはせず、すべて回避を行った。ただ、完全には避けきれずに、また生傷が増える。
ミッドハイムは止まらなかった。息をつく暇すら与えてくれない。剣撃に加え、足払いまでされた。上に飛ぶと隙を生んでしまうので、後ろに下がりざるを得ない。
左手に、先ほど飛ばされたのとは、別の銃を握る。距離を詰めてこようとしていたミッドハイムに、牽制で一発撃つ。剣で弾かれるが、想定内だった。カリクに今必要なのは、少しでも時間を稼ぐことなのだ。
右側に見えている剣が、下方から上がってくる。右足を下げ、身体を左に動かした。空を斬る音が、耳のすぐ近くで聞こえた。髪の毛が、いくらか落ちていく。
と、左足に嫌な感覚が走った。瞬時に動かそうとしたが、動けないばかりか、痛みを伴った。
剣が、左足を貫通し、地面に達していた。
「ぐっ……」
痛みはここまでに比べれば、さほどたいしたものではなかった。だが、それよりも足を固定されてしまったことが危険だった。
「やっと捕まえましたよ。貴方はふらふらと捉え切れませんでしたから、困っていたんです」
凶悪な笑みが、ミッドハイムの顔に浮かんだ。次の瞬間には、首に剣が迫ってきた。ギリギリ、ナイフで止める。
「まだ粘れますか。本当に、面倒な方だ」
「生憎と、打たれ強さは自信があってな。それに、散々簡単に倒れないことは見せてきたはずだ」
腕を震わせながら、相手の押しに耐える。互いに消耗しているはずだが、向こうの力の方が、強く感じた。
「そうでしたね。時間稼ぎには、ちょうどいい能力を持っていましたね、貴方は」
ギリギリと、力の押し合いが続く。足が熱く、血がどんどん地面を赤くしていく。銃を突きつけることも考えるが、引き金を引くタイミングを読まれるため、実行するには難しかった。
「さあ、どうしますか、カリク=シェード。“拮抗”とは言えないことは分かっているはずですよ」
カリクも気づいていることのため、ミッドハイムも気づいていて当然だった。だが、今の状況では、圧倒的に不利とは言い切れない。
「それが分かっているなら、他のことも分かってるだろ。競り負けるのは確実でも、時間を稼ぐことはできる」
そう、今はいかに耐えるかが問題なのだ。押し負けることが確実でも、時間を稼げれば、今は勝ちに近づく。
「ええ、分かっています。ですが、ここは貴方を確実に斬る絶好の機会。みすみす逃すわけにはいきません。斬るが早いか、援護が早いか、天に委ねるのみですね」
そこで、ミッドハイムへ銃弾が二方向から飛んできたが、素早くカリクのナイフから剣を離し、目にも止まらぬスピードで防ぎきった。続けてきた計五発も、捌ききる。ガヌとシルラによる攻撃だったのだが、効果はほとんどなく、数秒後には、つばぜり合いが再開された。
手を出さないでくれと、カリクは思ったが、口には出さなかった。察してくれるだろうなどという信頼が故ではない。そんなことを言う余裕がなかったのだ。ミッドハイムから、集中をはずすわけにはいかなかった。
敵も、口を閉ざしたまま、ただ強い力を加え続けてくる。カタカタと揺れながら、二人の刃の接点は徐々にカリクの方へと近づいていた。
頭が、正常に働いていなかった。とにかく目の前の敵にやられないという決意と、サリアへの想いだけがカリクを立たせていた。
カリクの様子で内心を悟ってくれたのか、それ以降は横槍が入ってこなかった。二人だけの我慢比べになる。
刃越しに、敵を睨む。笑みはない。あちらも、神経を集中していた。
腕が軋み、悲鳴を上げていた。足からは血が流れ出ている。とっくに、限界は越えていた。それでも、ナイフを握る力は緩ませない。剣身が徐々に近づいてきていたが、時間は確実に進んでいた。日は完全に見えなくなっており、暗闇が駐車場を包んでいる。
と、
「これで、どうですか」
一瞬、つばぜり合いが離され、ナイフに強く剣をぶつけられた。衝撃に、弱っていた握力は耐えられず、カリクはナイフを落としてしまった。
「しまっ……」
反応する間もなく、剣がカリクの身体に下ろされる。
「カリクー!!」
父親の声が、耳に届いた。だが、カリクの頭に浮かんでいたのは、一人の大事な少女の姿だった。
(サリア)
その名を、人知れず呼んだ。
首都の出口付近で、門での戦いの様子を伺う人間の姿があった。ニックの部下の男である。助手席に、サリアはいた。他の門は、門兵と騒動を起こさないと通れないことと、戦いの最中に突っ込むのはあまりに危険であることから、サリアたちは門から離れた位置で脱出の機会を計っていた。
戦いは、部下の男が見たかぎり、ニックの勢力の方がわずかに押しているとのことだった。たた、首都側の戦力が、本来の半分もいっていないらしく、これからその部分が増援で出てくると、一気に苦しくなるらしい。
車内の空気は重い。サリアは、カリクたちのことが心配でたまらなかった。もしもという不安が身体を包み込み、窒息してしまいそうな気分だった。部下の男の方も、仲間たちに協力することができず、ニックの援護もできないためか、終始苦い顔をしていた。
そんなときだった。
「カリク……?」
彼に、名前を呼ばれたような気がした。辺りをゆっくり見回すが、いるはずもない。だが、ただの幻聴と切り捨てられない何かがあった。
「どうしました?」
首を動かすサリアを見て、不思議そうに部下の男が尋ねてきた。切れ切れに答える。
「カリクの、カリクの声が聞こえたんです。消えてしまいそうな声で、私を呼んできて……」
「カリク君の? 聞き間違いじゃないですか?」
彼は、訝しげに眉をひそめた。サリアの感じた“何か”が分からないために、はなっから信じる気がなさそうだった。
「私も、そうかと思ったんですけど、違うんです。私の“心”が、間違いないって訴えているんです」
特別をどう伝えればいいか分からないため、とにかく主張する他なかった。
「カリクが、私を呼んでるんです。何かあったのかもしれないんです。力になれることがあるかもしれない」
どうすべきかは、自然と浮かんできていた。カリクの声が聞こえた、その意味。
「私を、カリクのところに連れていってください」
自分も、ミッドハイムとの戦いの場に行かなければならない。そうとしか、思えなかった。
「何を言っているんですか。せっかく逃げてきたのに、みすみす貴女をミッドハイムのところに戻せませんよ」
だが、部下の男から強い反発を受けた。当たり前だ。敵から狙われているサリアは、戦場から離れなければいけない人間だった。ミッドハイムの前に行かせてくれと言ったところで、受け入れてもらえるわけがなかった。それでも、心に反したりするわけにはいかない。強い確信があった。行かなければならないのだ。
「それは分かってます。それでも、私は私の心に従いたいんです。貴方が協力してくれないのなら、私一人ででも行きます」
自然と、姿勢が前のめりになる。逆に、部下の男は身体を引かせている。
「うーん。そう言われましてもね……」
渋い表情で、頬をかいた。少しだけ、揺れているように見えた。サリアは好機と捉える。
「迷ってる時間が惜しいです。もう、行きますね」
車のドアを開け、降りようとした。狙い通り、慌てた声が後ろから飛んでくる。
「ちょっ、ちょっと待ってください。分かりました。彼らのところに行きましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
自分でも現金だとは思ったものの、今はそれを気にする暇はない。頭を下げ、席に戻る。
「本当に、言い出したら強情みたいですね、貴女は。護衛するのも一苦労ですよ」
「……ごめんなさい」
素直に謝った。本当は、できるだけ迷惑はかけたくはないのだ。ただ、優先順位が違うだけのことだった。
「構いませんよ。僕も、待っているだけは落ち着きませんでしたから。みんなが戦っている中、自分一人だけ外にいるのは性に合いませんし」
部下の男は笑みを見せ、エンジンをかけた。けたたましい音の後、ゆっくりと車を動かし始める。
「さあ、行きますよ」
「はい」
サリアは大きくうなずいた。
(待っててね、カリク)
まだはっきりとは分からない、自分のすべきことをするために、大切な少年の元へ向かった。