十七章『懺悔と後悔と想い』
中央通りでは、レインとニックの部下である男が交戦していた。レインの狙いはガヌなのだが、サリアが間に入って、直接攻撃をさせないようにしていたのである。
「どうして、お兄さんを殺そうとするんですか。肉親なのに」
目の前で刃が合わされるのを見ながら、サリアはレインに尋ねた。
「どうしだぁ?」
彼は距離をとりつつ、甲高い声を上げた。怒りを含んで続ける。
「なら、あんたなら許せるのか。そいつは、唯一の肉親を研究材料として軍に提供することで、自分の人生を安寧なものにしたんだ。こっちは、意味の分からない実験されて、血ヘド吐くような思いをしたって言うのに、そいつは軍の温い訓練を受けるだけで表の世界を生きてたんだぞ!」
軍王と戦っていたときすら保っていた、飄々とした態度はなりを潜めていた。それだけでも、彼がどれほどの憎しみを兄に抱いていたのかが垣間見えている。
「そうなんですか、ガヌさん」
サリアはガヌに答えを求めた。弟を犠牲に自分を助けるという行為は、彼に対して抱いていた印象とかけ離れていたからである。
彼は地面を見つめながら、
「ああ、間違いない」
ポツリとつぶやいた。全面的な肯定だった。
「ほら、そいつも認めてるじゃないか! だから、俺っちにはそいつに復讐する権利がある!」
鬼の首を取ったかのごとく、レインが叫ぶ。ガヌは、うつむいたままだった。
「でも、今のガヌさんの態度を見てくださいよ。きっとずっと後悔していたはずです。許せはしなくても、命をとったりまではしなくていいじゃないですか」
「だからどうした。反省なんて当然だろ。でもな、それだけだ。行動が伴なわれないなら、意味はない。俺っちに手を差し伸べたりしなかったんだからな」
説得を試みるが、聞き入れる気配がなかった。唇を噛み締める。
サリアとしては、ガヌに対話してほしかった。弟を気にかけていたのは、異常なまでの潔さから明らかだからこそ、彼に自身の想いを語ってほしかった。しかし、実際は口を閉ざしたまま、成り行きをただ見守っている。
「ガヌさん、何か言うことはないんですか」
望み薄ながら、もう一度、話を振ってみた。反応は薄い。
「何も。言ったところで、言い訳にしかならない。意味がないんだ」
「言い訳でも、なんでもいいじゃないですか。まずは、形にしなきゃ、何も伝わらないんですよ!」
身振りを交えて訴えるが、彼は首を振るだけだった。
「ほら、サリアちゃん。そいつも俺っちにも、もう言うことはないんだ。そこを、どいてくれ」
レインがまくし立ててくるが、どくわけにはいかなかった。まだ、希望はある。時間を稼がなければならない。
「いいえ。私は、どきません」
「なら、怪我は覚悟しておけよ」
サリアの返答を聞き、レインは軽く息を吐いた後、目を鋭くした。部下の男が、つぶやく。
「あの年齢で、あんなに暗い目ができるなんて。ジーニアスというのは、よっぽど非人道的なところらしいな」
ジーニアスという単語の意味は分からなかったが、レインの過ごした場所であることはサリアにも分かった。そこでの生活を強いたのがガヌということなのだ。つぶやきはレインにも届いたようで、反応を示す。
「ああ、あそこは最悪なところだったよ。毎日、馬鹿みたいに実験か訓練だ。人権なんてなければ、自由もない。すべては研究所の管理下だ。訓練も施設内の設備で済まされて、外にも出られなかったから、気が狂いそうだったぜ。そのうちに、慣れちまったけどな」
自嘲の笑みを浮かべた。怒りと悲しみの混じった、複雑な表情であった。
「どうして、どうしてそんなことになったんですか。それに、ガヌさんが貴方を犠牲にしたというのは、どういうことなんですか」
底の知れない感情を表に出す彼へ、そう尋ねた。時間稼ぎというよりは、訊かずにはいられなかったのだ。彼が歩んできた道を。
「そんなに難しい話じゃないさ。俺っちが六歳のときに、親が亡くなっちまってな。そこで兄貴共々軍に拾われたんだ」
微笑を浮かべながら、語り出した。
「詳しい経緯は知らないが、俺っちは特別研究所に入れられたのに、兄貴は普通に士官学校通いになった。おかしいと思うだろ。いきなり、見知らぬ人間に手を引かれて、兄貴とは離されて、誰も俺っちの疑問には答えなかった」
淡々としていた。彼としては、意味も分からないうちに兄と離れ離れになったのである。おまけに、引き取られた先が、特殊な施設と普通の士官学校というのは、落差が大きかった。
「そのまま、俺っちは地獄の生活さ。けど、まだ兄貴を恨んじゃいなかった。そのうちに、助けてくれると思ったからな。裏切られたことを知ったのは、ジーニアスに来てから五年くらいした頃だ」
「裏切られた?」
サリアが繰り返した。レインが、口元を歪に緩め、うなずく。
「ああ。本当に偶然だったんだが、研究所で顔を会わせたことがあったんだ。俺っちは、感激したね。長かったけど、やっぱり助けに来てくれたんだってな。『兄さん』って、駆け寄ったぐらいだ。でも、幻想だったんだよ。俺っちを助けてくれるなんていうのはな」
「何があったんですか」
臆することなく尋ねた。兄を殺したくなるような出来事とは、なんだったのか。
「なーに、そんなに難しいことじゃないぜ。そこにいるガヌくんはな、近寄った俺っちを見て、『俺に近づくな!』って言うと、突き飛ばしてきたんだ。目が飛び出そうなくらい、まぶたを開いてな」
話し方は軽いが、目の奥にある悲しみの色から、彼にとっては非常に衝撃的な出来事だったことが読み取れた。
「わけが分からなかったね。信頼していた兄貴と再開できたと思ったら、いきなり拒絶されて、そのまま放置だ。背中向けて、行っちまったんだぜ。理解しろって方が無理だ。そこで悟ったのさ。兄さんは軍服を着ていた。ああ、きっと自分の生活を手に入れたんだってな。俺っちのことを犠牲にしてなあ!」
最後は、怒りから、叫ぶように言った。サリア越しにガヌを見ているのだろう瞳は、感情が混ざり合っている。
それだけ大きな感情を向けられてなお、ガヌは唇を真一文字に結んだまま、何一つしゃべろうとしなかった。否定も肯定もしない。
(ガヌさん、何か隠してる、でも、一体何を……)
黙りこくるばかりの彼を見て、サリアは確信と同時に、疑問を抱いた。なぜガヌは黙っているのか、分からなかった。
「それから俺っちは、そいつと再開できる日を心待ちにしてたのさ。俺っちの自由を引き換えに、外で生きているそいつに復讐しようってな!」
言い終えるが早いか、レインはサリアの方へ踏み込んできた。部下の男とつば迫り合いになる。
「なあ、どいてくれよ、サリアちゃん。ジーニアスを脱出した今、本当の意味で自由を手に入れるには、後はもうそいつを殺すだけなんだよ」
男の肩越しに、訴えかけてきた。攻撃的なのに、懇願のようだった。ただ、首を縦に振ったりはしない。
「あくまで、譲らないか。なら、怪我くらいは覚悟してくれよ」
剣を弾き、レインは後ろに下がった。目が据わっている。
と、そこに一台の車が飛び込んできた。ボロボロで満身創痍の外見から、ニックが乗っていったものに間違いなかった。ただ、運転席に乗っている人間は、異なっている。
希望が、間に合った。
「なんで、お前が……」
レインの様子には大きな反応を見せなかったガヌが、明らかに動揺していた。目を見開いている。車が止まり、中から軍服に身を包んだ、金髪の女性が降りてきた。表情は、凛々しい。
シルラ=マルノルフだった。
「おいおい、今度はあんたかよ。邪魔が多すぎて泣けるねえ」
レインが、大げさに手を広げる。シルラは、彼を睨んだ。
「それは悪かった。だが、私も譲れないものがあるものでな。我慢しろ」
上辺では謝っているものの、心がこもっているのは後半部分だった。レインから目をはずし、彼女はガヌの方へ歩いていく。うつむく彼の前で、足を止めた。
「おい、ガヌ。貴様、何をしている」
返答はない。もう一度、シルラが問いかける。
「何をしていると訊いている」
厳しい口調だった。サリアは、ただやりとりを見守った。レインは、目を点にしてまばたきしている。
「サリアを助けると、そう決めたはずだな。そのはずなのに、貴様はここで今、何をしている」
肩に手を置き、顔を見てもなお、ガヌは口を開かなかった。それどころか、そっぽを向く。
バチンと、乾いた音がした。シルラが、平手打ちをしたのだ。
「せめて言い訳くらいしてみろ! 詳しい事情は知らんが、あのレインが、ずっと貴様の心に引っかかっていた人間なのだろう! 必要以上に他人を踏み込ませなかった、理由なのだろう!」
自分よりも背の高いガヌの首根っこを掴み、吠える。その剣幕に、他の面々はサリアを含めて固まっていた。
「……お前」
ガヌが、つぶやくように口を開いた。
「お前、なんで来ちまうかな。いないから、決心できたのに、来たら揺らいじまうじゃねーか」
小さいが、サリアにもしっかりと聞こえた。レインにも届いたらしく、眉をひそめて、割り込む。
「揺らぐだあ? ふざけたこと言わないでくれよ、兄貴。あんたは、俺に償わないといけないだろうが。幸せな未来なんて、描いていいとでも思ってんのか!」
「いいに決まっている!」
シルラが、はっきりと言い切った。
「お前は知らない。こいつが、何をしてきたのか。どれだけお前を気にかけてきたのかを。お前よりも、私の方がよっぽどこいつのことを知っている!」
驚きを示したのは、ガヌだった。顔色を変えている。
「待て、シルラ。お前、“どこまで知ってる”?」
「貴様と、士官学校時代から一緒なんだ。大抵のことは把握している。お前が、弟のためにしてきたこともな」
対照的に、シルラは表情を崩していなかった。淡々と、話を続ける。
「士官学校時代から、こいつは他人を必要以上に内面へ踏み込ませなかった。上っ面の友人は多かったが、背中を預けるような奴は、間違いなくいなかった。それは、軍属になってからも変わっていない。どうしてだと思う?」
レインに対し、問いかけた。彼は、戸惑いながらも言葉を返す。
「知るかよ、そんなの。性格の問題なんじゃないか。人を裏切るような奴だからな」
「違う。本当に、貴様は何も知らないのだな。こいつが深い友人を作らなかったのは、お前がジーニアスにいるのに、自分につながりを作ってはいけないという強迫観念のせいだ」
レインの意見に、シルラは首を横に振った。目を見据え、語る。
「あいつは、常に貴様のことを考えていた。本当に、言葉どおり常にだ。自分のことなんて、ほとんど考えていなかったと言っていい」
「嘘つけ。そんなこと、あるはずがない。もし、そいつが俺っちのことを考えていたなら、どうして助けてくれなかったんだ。それどころか、助けを求めて伸ばした手を、こいつは弾いたんだぞ」
彼女の話に、レインは強く反発した。彼女は聞いていなかったことだが、ガヌに突き飛ばされた一件のことを挙げる。
「簡単なことだ。貴様に手を差し伸べれば、貴様が危なかったからだ」
詳細を知らないはずなのに、彼女はすぐに行動の答えを口にした。サリアたちは意味を捉えられず、眉をひそめていたが、ガヌは違った。目を大きく広げている。
「……シルラ、お前どうしてそこまで知ってるんだ」
「貴様が何を背負っているのか知りたくなったことがあってな、そのときに調べた。貴様のそばに、長いこといたのだから、情報さえ揃えば推理するのはたやすい」
「それは、お前の胸の内に秘めておいてくれないか。結局は、言い訳にしかすぎないんだ」
「できない相談だな」
彼の懇願を、シルラは明拒絶した。強い口調で続ける。
「貴様はかまわないかもしれないが、苦しむ姿を長く見てきた私は、貴様に報われてほしいのだ。真実を伝えることで、奴が止まるかもしれないなら、私は話さざるをえない。生きていてほしいから」
ガヌの方は向かなかったが、想いの溢れた言葉だった。
「いいか、レイン=ロード」
対象を、彼女はレインへ移した。彼は、不機嫌な声で応える。
「なんだよ。勝手にそっちだけで話を進めたりして。何言ってるのか、さっぱりだ」
「悪かったな。今から、きっちり話してやるから、安心しろ」
動揺することなく、話を続ける。
「結論から言うと、ガヌが貴様を助けられなかったのは、軍の圧力が原因だ。事実、ガヌは何度も貴様と接触を計ろうとしていた」
「俺と接触を? デタラメ言うなよ。そんな記憶はないぜ」
「貴様が気づいていなかっただけだ。ガヌは軍の人間に邪魔されて、近寄ることができなかった。それどころか、脅しを受けてしまったのだ」
「はあ? なんだよそれ」
レインが、素っ頓狂な声を出した。そんな反応にもシルラの様子は変わらない。
「簡単なことだ。貴様を拒絶したのではない。“拒絶せざるを得なかった”のだ。そうしなければ、貴様の身に何が起こるか分からなかったから」
救いを求めた手を、どうして振り払ったのか。ガヌの行動の理由が、ひっくり返る話だった。
「嘘だ。そんなわけがない。もう少し、マシな嘘をつけよ」
レインは、受け入れない。首を横に振った。
「嘘ではないのだがな。現に、貴様がジーニアスから逃げ出せたのは、こいつのおかげだ」
軽くため息をつき、シルラは話を移す。これにも、レインは反発した。
「あれは、俺っちが自分の力で逃げ出したんだ! そいつは関係ない!」
先ほどよりも、言い方がきつくなっていた。
「関係あるから、言っているのだ。貴様は、ジーニアスからどう逃げ出した」
「施設での火事だ。あれをきっかけに、所内の混乱に乗じて逃げた。そいつは、何一つ関係ない」
問いかけに、攻撃的に答えた。サリアは、そばに立つニックの部下に話しかける。
「火事って、なんですか?」
「何ヶ月か前に、首都の中央研究所で起きた、ぼや騒ぎのことです。原因は、表向き火の周りの不始末だという報告が上がってきたのですが、ニック少将は何か裏があるのではと、疑っていましたね」
「裏……」
その単語をつぶやく。ガヌが、関わっているのだろうか。
「二つほど尋ねる。まず、火事の原因を知っているか」
レインに対し、シルラが指を二本立てた。首を横に振られる。
「知るわけないだろ。俺っちは、そのまま首都を出たんだ」
「そうだろうな。公式な発表では火の不始末と言われているが、本当は放火だった。犯人は、分かっていないがな。だが、私はこいつの手によるものだと確信している」
「なんで、そう言い切れる」
レインが問いかけた。サリアも、疑問に思ったところである。
「火事前後の動きだな。ふとしたときに、ガヌはジーニアスのものと思しき資料を見ていたことがあったし、火事後にその展開を妙に気にしていた」
「……よく見てるもんだな」
ガヌが、苦笑した。シルラが、鼻をならす。
「貴様が隙だらけなのだ」
「……確かに、そうかもな」
否定は、しなかった。
「二つ目の問いだ。どうして、貴様は誰にも見つからずに施設を出ることができた?」
「そんなの、運がよかったからに決まってるだろ」
次の問いに、レインは吐き捨てるように言った。
「違う。偶然じゃない。あれは、時間帯と警備、何かあったときの動き、すべてを計算してのことだ。偶然で、所内の人間を逃がすわけがない。事実、何者かに襲われた人間が出ている」
彼の主張と、真っ向から対立する話だった。
「自分が罰せられるリスクを犯して、そんなことをする理由があったのは、こいつしかいない。貴様は、ガヌに逃がされたのだ」
「そんなこと、あるわけない。もしそうなら、どうしてこいつは処分されていないんだ。軍王は心を読めるんだから、隠すことなんて、できないはずだろ」
大きな身振りを交え、おかしなところを指摘した。シルラは、淀むことなく答える。
「サリアが見つかったから、処分するよりも、利用する方がいいと判断したのだろう。事実、ガヌと私は誘拐任務に就いた。それだけのことだ」
「嘘だ。そんなわけない。嘘だ。嘘だ!」
耳を塞ぎ、レインはわめき散らした。だが、シルラは口を閉じない。
「嘘ではない。真実だ。冷静に考えろ。貴様は、こいつの手で軍に売られたと言うが、軍がこいつと取引などするわけがない。両方とも、ジーニアスに入れるはずだ。なのに、そうはなっていない。その理由を考えろ。研究者たちは、お前でどんな実験をしていたのだ」
声を荒げることなく、一言一言を紡ぎ、与えていく。
「後天的な、力の発現の有無だ。だから、身体に軍王の血を入れて……」
言葉を返していたレインが、固まった。シルラが、しゃべりだす。
「貴様が実験の対象とされたのは、“軍王と血液型が同じ”だからだ。では、ガヌはどうだ。お前の兄と軍王は、血液型が違うはずだ」
それが解答だった。血液型の違い。ジーニアスと士官学校に兄弟を分けたのは、ただそれだけのことだった。
「必要だったのは、弟の貴様だけだったが、軍が裏で何かしていることを感づいた兄を、放って置くわけにはいかなかった。だから、ガヌの方は士官学校に入ったのだ。秘密を知る者を、内部に捕まえておくために」
一旦切り、告げる。
「貴様は、捨てられてなど、いない」
それを最後に、彼女は口を閉ざした。誰も何も言わない。沈黙が、長かった。
やがて、レインが静かにつぶやいた。
「本当なのか、兄貴」
ガヌへの、問いだった。受けた兄は、うつむいたままだったが、一度息を吐き、
「ああ」
と、短く答えた。
「……今度こそ、信じていいことなんだな」
「ああ」
同じ調子で繰り返す。表情は、サリアからは見えない。
「まあ、正直まだ信じ切れないが、この場は退くくらいはしてやるよ」
小さな声だったが、一度大きな不信感を持った彼としては、大きな譲歩だった。張り詰めた空気が、緩む。
「ガヌ、なぜ貴様は、本当のことを言わなかった」
「仕方ないだろ。俺が自分から言ったって、信じてもらえるわけがない。それに、言い訳だからな。長いこと助けてやれなかったのは、本当のことだ」
シルラが訊くと、ガヌはうつむいたままそう答えた。
「馬鹿が。それで、殺されても仕方ないとでも思ったのか。甘い奴だ」
ため息をつき、呆れたというような目線を送った。反応はない。
「私は、お前に死んでほしくはないというのに」
ただ、少し声量を抑えての言葉には、やや顔を上げた。
「今、お前なんて……」
「二度は言わん。それよりも、大事なのはこの後だ。何をするべきか、分かっているだろう」
ガヌの追求をかわし、シルラは次を促した。すべきことは、まだ終わっていない。
「分かってるさ。自分のするべきことくらいはな」
微笑とともにそう返し、サリアの方を向いてきた。
「悪かったな、サリアちゃん。あいつは、死なせない。約束する」
「……はいっ」
勢いよく、うなずいた。
「貴様はどうするのだ、レイン」
シルラが尋ねた。彼もまた微笑する。
「行くさ。カリク君にばっかり、いい格好はさせられないからな」
「ならば、ついてこい。いくら軍王といえども、この数を相手にはできまい。サリアのためにも、奴はここで討ち取る」
「いいねえ、その燃える展開。そういうのは好きだぜ」
レインは両手をパシンと打った。拳と掌を合わせた形である。それを見て、シルラが微笑む。
「ところで、貴方はどなたでしょうか。軍服で、サリアを庇っていたことから、味方であるのは、分かりますが」
続いて彼女は、ニックの部下へと顔を向ける。
「ニック少尉の部下の、マルク=ゲネーラ少尉であります」
彼は律儀に敬礼して、名乗った。
「シルラ=マルノルフ中尉だ。サリアを護っていただいて、感謝する。引き続き、サリアのことを頼む」
「心得ております」
シルラから敬礼と共に返ってきた言葉に、彼はうなずいた。サリアへと目線を移す。
「それじゃあ、行きましょう。皆さんのためにも、早く安全なところに行かないと」
語りかけられた内容に、サリアは唇をかんだ。予期していたことではあるものの、やはり心に引っかかる。
カリクのそばに、いたかった。
足手まといになるであろうことも、重々承知していた。それでも、一緒にいたかった。彼のいないところで、待っているだけなのは、嫌なのだ。
それでも、目の前のシルラたちを、誰よりもカリクを信じ、想いを抑え、受け入れた。
「はい、行きましょう。シルラさん。カリクのこと、絶対に、助けてください」
静かに、しかし心を込めて、腰を曲げ頼んだ。近づいてくる足音がし、ポンポンと優しく頭を叩かれる。
「ああ、信じてくれ。必ず、貴女に平和を戻す」
シルラだった。「はい」とサリアが返すと、手が離れる。
「よし。さあ、行こう」
シルラは、ロード兄弟に呼びかけた。両方が、力強く応える。
「ああ。絶対に助けてみせる」
「おう。やってやるぜ!」
車へ向かう三人の背を見送り、サリアはニックの部下と共に、もう一台の車へと乗り込んだ。
(カリク……)
大切な人の無事を祈り、両手を結んだ。
サリアと別れ、ガヌ、シルラ、レインの三人はカリクたちが交戦している駐車場へと車を走らせていた。ガヌがハンドルを握り、助手席にはレインが、後部座席にはシルラが座っている。
(シルラの奴、わざとレインを助手席に乗せやがって。気まずいっての。和解したって言ったって、まだ嫌われたまんまなんだぞ)
ガヌは直線でアクセルを踏み込みながら、内心で文句をつらつらと並べていた。こちらから話しかけるのは気が引けるし、レインは口を開かないので、空気が重かった。かといって、シルラが助け舟を出してくれそうな様子もない。
(というか、もし話すとして、何を話せばいいかさっぱりだ。このまま、黙っていた方がいいのかもしれないな)
そうだそうだと、一人納得したところで、
「兄貴」
見事に考えは壊された。弟の方から切り出され、動揺を覚えたが、なんとか平静を装って言葉を返す。
「どうかしたか、レイン」
「俺っちは、正直に言ってまだあんたへの嫌悪感が拭えてない。謂われのない憎しみだって分かったとはいえ、持っていた感情は簡単に消せないんだ」
「そうか」
短く応える。別に、仕方のないことだと捉えていた。当然だとも思っている。長期間、弟に何もしてやれなかったのは事実だった。
「でも、これから薄めていくことはできる。消すことも、きっとできる。今までと違って、近くで助けてくれるんだろ?」
レインは、ぎこちなく笑った。まだ、自分に対して素直に笑えないということを、ガヌは察する。しかし、希望は持てた。
「ああ、唯一の“家族”だからな。今度は、ちゃんとそばで護ってやるさ」
自然と口元が緩んでいた。バックミラーに映るシルラも、かすかに口角を上げたような気がした。