十五章『開戦』
本部基地内の駐車場で、カリクはついにサリアと再会した。しかし、喜ぶ余裕はない。銃口が向く先に、すべての元凶たる実力者がいるためである。
「カリク……。なるほど、貴方がカリク=シェードですか。首都にいることはサリアの心を読んで知っていましたが、よくもまあ、ここまで来たものですね」
その軍王ミッドハイムは、カリクへ微笑を向けてきた。ただ、目はまったく笑っておらず、纏う雰囲気も、柔和な口調とは相反して、鋭く痛々しい。肌に刺さるようだった。
「誰かさんが、俺の大事なものを持っていたからな。取り返しにきたんだよ」
しかし、カリクはひるむことなく強気な言葉を放つ。こちらはこちらで、有り余る敵意を隠していないため、かなり刺々しい空気だった。
「それはなんとも申し訳ありませんね。事前に申し上げても、承諾は取れそうになかったものですから」
「違いない。誰も許さなかっただろうさ」
言葉が交わされれば交わされるほどに、空気が張り詰める。カリクは、一瞬たりとも気を抜けなかった。
「しかし、どうやってここに。サリア=ミュルフの能力なら、場所を伝えるくらいは造作ないにしても、基地への入り口には兵をあらかじめ配置しておいたはずですが」
「ああ、いたな。気にしなくても、ちゃんと仕事はしてると思うぞ。もう一人の方を相手にな」
相手の問いに、すらすらと答える。カリクが詳細を口にするよりも早く、
「ほお。もう一人とは、レインのことですか。ジーニアスに侵入したのは、彼と貴方というわけですね」
ミッドハイムは心を読んできたのか、事情を的確に言い当ててきた。初めてその能力を直に目の当たりにし、眉根を寄せる。
「それが、あんたの“オモイノチカラ”か」
「ええ、そうです。実物を見ても信じられない気持ちはお察ししますが」
「……なかなかに、趣味の悪い能力だ」
心底、嫌そうな声を出す。だが、ミッドハイムの態度に変化はない。
「頂点には、汚さも必要ですからね。そこのあたりは、貴方も合格点でしょう。いくつの法を、踏み倒してきたのですか?」
「答える義理はない。わざわざ言うことでもない」
気味の悪い笑みとともに投げかけられた問いを、突っぱねる。まともに受け答えする気はなかった。
「あんたは、ここで殺す」
幼なじみの前でも、カリクは宣言をためらわなかった。野望に生きる眼前の男を、生かしておくわけにはいかなかった。サリアに、平穏を取り戻すためにも。
空気が、張り詰める。心臓の音が強く聞こえ、呼吸すら楽にできなかった。
「かかってきたらどうです。カリク=シェード」
対照的に、ミッドハイムには余裕すら感じられた。自分の実力への、おごりではない自信が見える。
「こないのならば、こちらから行きますよ」
トッと、軽い踏み出し音がカリクの耳に届いた頃には、既にミッドハイムは間合いに踏み込んできていた。
「早っ……!」
横へ払われた剣を、どうにかバックステップで避ける。剣筋は、かろうじて捉えられる程度だった。続けて突きが腹部目掛けて飛んできたため、半身に身体をひねって回避した。そこで、ようやく一発、胸部を狙って銃弾を放つ。だが、最初に払った剣がその軌道に合わされ、弾かれた。
(おいおい。心が読めるとはいえ、こうも正確に防御できるもんなのか)
「驚いていますが、私にとっては、軽いものです。この地位に登り詰められたのは、何も能力があったからだけではないのですよ」
剣越しに、鋭い眼光が覗く。口元は微笑んでいるものの、その眼光はまったく笑っていない。多くの戦場を駆け抜けた経験は、伊達ではなさそうだった。
「そりゃ、ごもっともだな。だが、全盛期じゃないだろ。おまけに、二対一だ。そう簡単にはやられたりはしない」
だが、カリクにはためらいも恐怖もなかった。目の前の敵を倒さなければ、大切な人を連れて帰れない。ただ、それだけのことだった。
「確かに、貴方の言うとおりだ、カリク=シェード」
そして、カリクの二対一の発言に呼応し、シルラが武器を構え直す。
「なにより、勝たなければならないからな」
わずかに口角を上げ、堂々と言い放った。ミッドハイムは、彼女の方を見ることなく、
「本人を目の前にして、ずいぶんと自信満々に言ってくれるものですね」
やや首を上げ、目を閉じた。再び開いたとき、一気に空気の重さが増した。
「気が変わりました。確かに私は、全盛期ではありませんが、貴方たちごときに負けるほど、まだ衰えていません。本当は、ゆっくりと準備運動するつもりだったのですがね」
溢れる殺意が空気に乗り、それだけで傷を追ってしまいそうだった。敵の状態に滅多に影響されないカリクですら、背に寒気を感じたほどだった。
同時に、遠くから、街の中心に位置する中央基地にいるカリクたちにも届くほどの、大きな声の塊が上がった。その雄叫びが示すのは、すなわち開戦。
「向こうも始まったようですね。ニック=シェードも貴方も、ここでまとめて片づけますよ」
夕日によって、剣がオレンジに煌めく。反射した光に、カリクは目を細めたが、標的から離すことはしない。
「二つ目の銃も出しなさい。私に、心的攻防は無意味です」
「せっかくしまっておいてやったのに、物好きなもんだ」
ミッドハイムに言われ、素直に宿の男から奪った銃を出す。使う弾が一緒だったので、持ち出してきていた。
「おや、その銃は……。それに、貴方の心での発言……。まさか、ノーザン准尉のものですか」
「ノーザンだと?」
彼の出した名前に、カリクではなく、シルラが反応する。
「誰だっていいだろ。もうあいつは倒した。今の戦いに関係がない」
「なるほど。死体を操る能力……。やはり、ノーザンは敗れたようですね」
流そうとしたカリクを無視し、ミッドハイムが確信する。カリクには確かめようがなかったが、宿で退けた男は、ノーザンというようだった。
「奴を、倒しただと」
驚愕を顔に出すシルラの後ろで、サリアは首をかしげていた。
「だからどうした。俺のやることに変わりはない」
「……でしょうね。ですが、私には弔い合戦の意味合いが生まれます」
「人は駒くらいにしか思ってないお前が、何言ってるんだ」
ミッドハイムの言葉を、カリクは真に受けない。この評は、父譲りだった。
「確かに、駒です。ですが、ノーザンは大事な“実験対象”でした。他の駒とは、価値が違う。償ってもらいますよ、その命を持って」
言うが早いか、ミッドハイムが先に仕掛けてきた。右手の銃を発砲するが、ひらりとかわされる。
「読めてますよ、貴方たちの考えていることは」
それどころか、“シルラ”が同時に放っていた弾すら、背中に回した剣の腹で防いでいた。
「ちっ!」
「遅い!」
カリクは左手の拳銃の引き金に指をかけたが、そのときにはもう剣が振り下ろさていた。
「カリクーっ!!」
サリアの叫び声を耳にしながら、カリクは大きく目を開けて、視界に飛び散る赤い液を見つめた。遅れて、右腕の肩口に熱を覚えた。
首都セルゲンティス、東大門。閉ざされているこの門の前が、今まさに戦場となっていた。怒号と、銃声と、金属音が、あちこちに響いている。
先陣を切ったのは、ニック=シェード。砲車や戦車に臆することなく、門の開閉システムのある詰め所に突っ込むという、おおよそ指揮官とは思えない、破天荒な幕開けをしたのだった。
続けて、東部軍が門前の兵たちが浮き足立っているところに突進し、形成は圧倒的に東部軍有利だった。
「ったく。いくら上官とはいえ、言わせてもらいますよ。あんた、馬鹿だろ、マジで!」
攻め来る兵士に鉛弾を撃ち込みながら、ガヌが声を上げた。場所は、車を突っ込ませた、門横の詰め所である。
「今更だな、ガヌ中尉。俺は元から馬鹿だ。それに、俺は提案しただけで、実行はしていない」
飄々と応えたのは、張本人であるニックだった。こちらも、迫り来る敵へ銃を撃ち込んでいた。
時間を少し、遡る。特攻をニックが判断したのは、もう敵兵が目前になったときだった。
「……マルク」
「なんでしょうか」
「このまま、向こうのデカブツを避けて、詰め所に突っ込めるか?」
この彼の問いに、名前を呼ばれた部下よりも先に、後部座席のガヌが反応した。
「何言ってるんですか!? そんなこと、できるわけ……」
「ご命令とあらば」
「……えっ」
言葉を遮ってきた運転手の返答に、耳を疑った。
「じゃあ、頼む。先陣は、俺じゃなくて、お前だ」
「了解!」
二人の間で、やり取りが終了する。ガヌと、隣に座っていた別のニックの部下は、顔色を変えた。
「ちょっと、待っ……」
「しっかり、つかまっててくださいよ!」
運転席がギアを変え、一気にアクセルを踏み込む。目が据わっていた。
一気にスピードを上げた車両は、飛んでくる銃弾がフロントガラスを割ってくるのにもひるまず、敵軍に突っ込んだ。敵兵の叫び声が、ガラス越しにすら聞こえてくる。かなり、混乱していた。
さらに、ニックが助手席側の窓を開けて、拳銃を乱射しているのも、混乱に拍車をかけていた。
頼んだ本人すら、驚嘆したのだが、
「うまいもんだな。これだけのスピードを出してるのに、こうもぶつからないもんか」
部下のハンドルさばきはそうとうのものだった。戦車や砲車の間を、うまいこと抜けていくのだ。
「どうも。それより、もう突っ込みますよ」
礼もそこそこに、その部下が告げた。正面には、すでに詰め所が見えていた。
「よし、行け」
「了解!」
「うわあああああ!!」
後部座席の二名の叫びと共に、車は詰め所の窓、壁へ大胆に突っ込んだのであった。
「あんなこと、普通は命令しないし、受けもしないですよ。普段、どんな指示出してるんですか」
自分の乗っている車が壁に向かっていくという、恐ろしい光景の回想を終え、怒りの感情を込めた問いを投げた。だが、ニックは、
「さあてな。そんなことはいちいち覚えてない」
真顔のまま、はぐらかした。
「……もういいです」
ガヌは、ため息をついた。
「少将!」
そこへ、突っ込んだ張本人である部下が駆け込んできた。
「装置を起動させました! 門、開きます!」
「よし。いい調子だ。車に戻るぞ」
ニックは報告を受け、満足げにうなずいた。ガヌは対照的に、苦い表情を浮かべる。
「あの、ボロボロのに戻る気ですか?」
「他にどうするんだ」
返ってきた言葉に、
「……なんでもないです」
軽いため息を交えて、肩を落とした。先に向かうニックの後を追い、車へ乗り込む。運転手ではない方の部下には、残留して本隊に戻るよう指示していた。それを受け、部下は混乱に陥った戦場を、縫うようにして戻っていく。
「それで、どこを目指すんですか?」
ガヌが乗り込んだところで、車を後退させながら、運転手の部下がニックへと尋ねた。問われた指揮官は、力を込めて、目的地を告げる。
「本部基地だ」
一瞬、沈黙が流れた。
「……本気ですか」
問いかけたのは、ガヌである。主戦場はここにあるというのに、責任者が離れてしまっていいのか。
「本気だ。俺はついてきてくれた奴らの力量を信頼しているが、そもそも多勢に無勢だ。どれだけ楽観しても、勝ち目はほとんどない。なら、頭を取る方が早いだろ」
「それは確かに、そうですが……」
理解は示しつつも、難色を示す。現場の士気への不安があった。階級は中尉といえど、知識はある。
「問題ない。ここに来た連中なら、俺がいないくらいで、混乱したりはしねえよ。それに……」
既に車は、門の内側を目指して前進し始めている。窓はあちこち割れているが、走るぶんに支障はなさそうだった。
「俺の目的は、戦いに勝つことじゃない。サリアを助けて、軍王を倒すことだ。戦っている奴らには申し訳ないが、最悪、戦いには負けても、この二つが達成できればいい」
言っている間に、スピードを増していく。飛び交う銃弾にもひるまず、真っ直ぐに本部基地へと向かっていた。
「……そうですか」
ガヌは、それっきり口を閉ざした。だが、ニックは続しゃべるのをやめない。
「だが、勝ちもあきらめちゃいない。むしろ、絶対勝てると信じている。不可能だと思ったら、そこで終わりだからな。できるかぎり、犠牲は少なくして、俺自身も死なない。それが、俺の理想だ。信念と言ってもいい」
上に立つ人間としては、青くさい言葉だった。しかし、彼には一片の迷いもない。
(まず、信じないと始まらないってところか。これが、この人の“強さ”……)
内心、ガヌは感嘆する。改めて、助手席の男は、普通ではないことを認識し直した。
「さあ、行くとしますか。」
その青くさい上官が、弾倉をすべて埋め、元に戻す。内側で待機していた部隊が、門が開いたことで、なだれ込んできていたが、
「止まるな、蹴散らせ!」
強引に、突っ込んだ。
「ほお、剣筋をギリギリ捉えましたか。トルマ殿の孫だけのことはある。斬り落とす気でいったのですが」
剣の血を軽く払い、口元をわずかに緩める。ただし、上辺だけのものだった。
「カリク!」
サリアが、再び名前を呼ぶ。カリクは、苦悶の表情を浮かべ、右肩を銃越しに押さえていた。
完全には斬り落とされていないものの、横幅の四分の一は斬られていた。強く押さえたところで、真っ赤な血の勢いは変わらない。服と地面を、赤く染めていく。右手で銃を握っているのも厳しかった。
(この程度……!)
それでも、歯を食いしばって耐える。失いかける意識をつなぎ止め、軍王を睨みつける。
「あまり我慢はしない方がいいですよ。激痛で、立ってるのもやっとでしょう」
「いや、おかげでやっと目が覚めた。ただ、ちょっと目覚ましには過激すぎるけどな」
ミッドハイムの言葉に、カリクは軽口を返す。強がり以外のなにものでもないが、踏ん張らなければならなかった。
(ここで倒れるとか、あり得ないだろ)
右肩から手を離し、二丁の銃を握りしめ、構え直す。
「昼寝は、終わりだ」
「なら、今度はもっとよく眠れるようにしてあげましょう。次はもう、起きれないでしょうが」
相手も体勢を作り直し、腰を落とした。いつでも踏み出せるように、体重をやや前にかけている。後ろにいるシルラへは、さほど注意を払っていない。
(あの女軍人の攻撃は、簡単に避けれるっていうことか)
ミッドハイムの態度を、そう解釈し、カリクは身構える。
(傲りだ、ミッドハイム)
「傲りではありません。ただの、事実です」
「抜かせ」
相手の能力を気にせず、カリクは先手を取った。一発ずつ、左右の武器で撃ち込む。
「当たりませんね」
ミッドハイムは正面からの弾を避け、さらにはシルラが放っていた弾も剣で防ぐ。だが、カリクは手を緩めない。シルラも続いた。
(踏み込ませなければ、射程でこっちが有利。なら、とにかく押してやる!)
連射に、さすがのミッドハイムも、反撃の隙を見いだせないようだった。防御と回避に徹している。ただ、有利ではない。間違いなく、弾切れを待っていた。
まもなく、ガチン、と音がした。カリクの右手の銃が、弾切れになったのである。シルラからの銃撃も、止まってしまった。残るは、カリクの左手にある一発だけだった。
「それも、さっさと撃ってしまえばどうですか。他の策がないことも、私にははっきり分かってしまいますし」
万事休すだった。普通に弾を込めていては、まず確実に斬られる。決断を、迫られていた。
「……貴方はもう少し、頭のいい人間かと思ったのですがね。見込み違いでしたか」
カリクの出した結論を読んだのだろう、ミッドハイムは呆れた口調とともに、肩をすくめた。
「好きに言ってろ。俺にとっては、“これ”が今、最良の判断だ」
相手の反応を受けても、決心は変わらなかった。弾の切れた、片方の銃をしまい、代わりに、懐からナイフを取り出す。左手に持った。
「ナイフ……?」
シルラが顔をしかめた。
「おい、あんた。シルラさんだったか」
「そうだが……」
「あんた、弾倉代えるのに、何秒かかる?」
「十五秒はかかるな」
「十秒やる。それで、済ませてくれ」
当たり前のように言い放ったのだが、シルラはすんなりと応じなかった。
「何を言っている、貴様は。相手を考えろ。そんなナイフでは、十秒も持たんぞ」
「持たせる。信じろ」
カリクは応じなかった。有無を言わせず、構える。
「今から、十秒だ」
「ああ、もう、仕方ない。死ぬなよ!」
強引にスタートを宣言すると、シルラもあきらめ、装填を始めた。
「はっ!」
相手の能力を知りながらも、先にカリクは踏み込んだ。ナイフを刺しにいく形で、重心を前に置いた。右手にある銃は、常にミッドハイムに合わせる。
だが、向こうがわずかに下がったことで、攻撃は届かなかった。
「今度こそ、腕をもらいますよ」
伸びきった左手を狙われる。鈍い剣の光が見えた。
しかし、振り下ろされるよりも早く、カリクは最後の一発を撃ち込んだ。迷いはない。先んじて攻撃を読んでいたのであろうミッドハイムは、軽く身をかわした。そこで止まることなく、そのまま回転し、カリクへ突っ込む。
「終わりです!」
この国のトップからの死刑宣告は、回避のしようがなかった。本来ならば。
(耐える!)
左上から降ってきた剣を、ナイフで受け止める。ワンテンポ遅らされて、横から飛んできた斬撃は、直前に“持ち替えていたナイフ”で、受け止めた。さらに、連撃がくる。上下から、左右から。突きもあった。わずか数秒の間にである。完全には対応しきれず、生傷を多くもらったものの、致命傷には至らないものだけだった。しかし、そう長くは保ちそうになかった。
(装填、急げ……!)
心の中で、そう思ったのと同時だった。弾倉を銃に戻す、『カシャン』という音がした。続けて、発砲音が響く。ミッドハイムには命中しなかったが、重要なのは、そちらではない。
「よくもまあ、軍王を相手に、保ったものだ」
シルラが、間に合ったのである。
(よし。これで……)
「これで、また優位に立てるとでも? 勘違いも甚だしい」
ところが、ミッドハイムは想定外の行動をしてきた。再び、連撃を仕掛けてきたのだ。それも、シルラの銃の軌道上に、自分とカリクが並ぶように。
シルラが、「なっ……」と、息を呑んだ。
(なるほどな。狙われている自分と俺を、同一の軌道上にすることで、銃弾を避けるだけで俺に弾が届くように位置取るつもりか)
先ほどまでは、シルラの位置からならば、カリクとミッドハイムは一直線上にいなかった。ゆえに、シルラは躊躇なく引き金を引けた。しかし、今は重なってしまっている。サリアを庇いながらなために、撃ち場所を変えにくいのも、不利に拍車をかけていた。
五秒でも厳しい剣撃が、容赦なく次々飛んでくる。致命傷を負うまでに、時間はかからなさそうだった。
「くそっ」
悪態をついた直後、下から振り上げられた剣によって、カリクは体勢を崩した。正面ががら空きになる。
(しまっ……)
ミッドハイムの刃が迫る。
「カリクっ!」
そこに、今までなかった少年の声がした。直後、ミッドハイムの踏み込みを防ぐように、戦っている二人の間をナイフが飛んだ。カリクが両手に持っているものとは、別のものだった。狙いどおり、ミッドハイムは踏み込みを止める。
「なぜ、貴方までもがここに? 門の兵士たちは、どうしたのですか」
シルラからの銃弾を軽く避けながら、ミッドハイムが姿を現した少年に問う。声には、あからさまな不快感がこもっていた。
「ああ、気になるなら、確かめてくるといいぜ。あと、戦車を配備するなら、同じ場所に対重量装備もあった方がいい。戦車を敵にのっとられたときに困るみたいだからな」
「これはこれは。貴重な意見をどうも。検討しておきましょう」
返答に、さらに眉間のシワを増やす。微笑を崩していない分、機嫌の悪さがさらに際立った。
この間に、カリクは軍王から距離をとり、弾の装填を済ませた。再び、両手に銃を持つ。
「そうした方がいいぜ。見返りに、金一封渡してくれてもいいとこだ」
少年は、二本のナイフを右手の指に挟み、不敵に笑った。
「金一封は、都合上渡せませんね。その代わり、太刀を浴びせるくらいなら、いくらでもあげますよ」
ミッドハイムも、笑い返す。剣の切っ先で、軽く地面を傷つけた。
「いやあ、それはあんまりにもサービスが過ぎて、傷み入るぜ。金一封が無理なら、あんたの命でもいいね」
「なるほど。ただ、釣り合うものがないと、差し出せませんね」
「へえ、例えば」
「世界、ですかね」
さらりと言い放つ。レインは、苦笑いを浮かべた。
「それはちょっと、用意できないな。死後の世界なら、いざなってやれないこともないけど」
「そこには、まだ用がありませんね。遠慮願います」
軽いやりとりに反して、空気はどんどん重くなる。
「レイン」
カリクが、声をかけた。レインはミッドハイムから目を離さず、声だけを返す。
「なんだ、カリク君。生憎、右肩を治すのは無理だぜ」
「そんなことは頼まねえよ」
冗談に呆れつつ、確認したいことを口にする。
「今、門の方は敵がいないって判断していいのか」
「たぶん。ただ、無線は途切れてるし、基地の中からも目視できるから、絶対ではないかなー」
「なるほどな」
左手で銃を遊ばせ、考えを巡らせる。軍王を討ち取ることを第一にするか、それとも。
「また、そんな考えを。貴方には、采配のセンスが欠落しているようですね」
間合いを計っているミッドハイムに嘲笑われたが、気に留めない。何を勝利とするかの違いだった。ゆえに、判断を下す。
「シルラ。あんた、サリアを連れてここから逃げろ」
「なっ、いきなり何を言っているのだ、貴方は」
突然の撤退を投げられ、シルラは目を見開いた。
「優先度の問題だ。最優先は、サリアの救出。あとは、二番目以降だ。となれば、首都から脱出しやすいあんたにサリアを連れ出してもらうのが、一番理にかなってるだろ」
カリクの口調は淡々としていたが、同時に強い意志の強さもあった。
「それはそうかもしれないが、せっかく、三対一の状況になのだぞ。なぜ、わざわざこちらからその戦況を崩すのだ」
だが、シルラは首を縦に振らない。二人を残していくことに、抵抗があるようだった。
「言ってるだろ、こいつを倒すことよりも、サリアを助ける方が優先だからだ。まあ、こいつを始末しないといけないことには変わりないけどな」
カリクも強情で、意見を曲げる気配はなかった。
「無茶だ。いくらあなた達が特別とはいえ、子供二人で勝てる相手ではない! しかも、貴方は手負いではないか!」
シルラが声を荒げる。カリクの肩からは、まだ血が流れ落ちていた。何も言い返せず、傷口をそっと押さえる。
「駄目だよ……」
そこで、弱く辛そうな声がした。幼なじみのものだとすぐに察し、彼女のいる方へ目をやる。
「私が生き残ったとしても、カリクがいなきゃ駄目だよ!」
サリアは、泣いていた。頬を伝う水を拭いもせず、訴えてくる。
「サリア」
そんな彼女の名前を、カリクは優しく呼んだ。
「心配するな。約束はもう違えない。お前は俺が護る。もちろん、この先ずっとな」
ここでは死なないという、意思表示だった。レインが口笛を吹く。
だが、雰囲気に水を差す声が、割って入った。
「これだから、子供は嫌いですね。現実も、しっかり見れないとは」
ミッドハイムである。彼からすれば、むしろ戦いに水を差されていた。斬りつけるタイミングを先ほどからうかがっていたのだが、この言葉と共に、踏み込んできた。身構える。しかし、二つの刃はカリクに届く前に、小振りのナイフによって止められた。
「おいおい、人の恋路の邪魔をする奴はなんとやらって、知らないのか?」
レインが、二人の間に立っていた。
「嫌いな言葉の一つですね。恋路に断定せずに、邪魔者はすべてなんとやらだったら、共感できたのですが」
攻撃を止められたミッドハイムは、すぐに剣を離し、別角度から振り直す。下方からの斬撃にも、レインは反応してみせた。カリクは相棒が保っているうちに、サリアとシルラの説得にかかる。
「まず、サリアの無事が第一なんだよ。だからって、命を捨てる気はない。先に、行ってもらうだけのことだ」
「でも……」
「でもはなしだ、サリア」
反論しようとするサリアを遮った。その間に、ミッドハイムへ一発放つ。レインの頭のすぐ横を抜け、敵の額目掛けて飛ぶが、避けられた。
「これは、サリアのための戦いだ。勝敗は、そこで決まる。だから、今すぐ逃げろ。生きて追ってやる」
「……絶対だよ」
つぶやくような声だったが、カリクの耳には届いた。ふっと、笑みを零す。
「ああ。信じろ」
敵から目を離さずに、うなずいた。
目の前にある“殺し合い”を見ながら、サリアは考える。
(私は、何もできない。ここにいても、戦えない。おまけに、狙いは私……)
自分がここにいることと、ここからいなくなること。どちらがカリクたちにとってプラスかは、はっきりしていた。
「……カリクに従いましょう。私は、彼のために逃げるべきみたいですから」
「いいのか、サリア! 死ぬ気だぞ、彼は!」
シルラに告げると、強い語調で苦言を呈された。首を横に振る。
「カリクは、死ぬ気なんてありませんよ。生きて、ずっとそばにいてくれないと、困りますから」
普通に捉えれば、命を捨てででもというように思えるだろう。しかし、サリアには分かる。カリクは強がりでも、口だけでもなく、本気でこの戦いを生きて越える気なのだ。
「もし、彼に死ぬ気がなくとも、気持ちだけでどうにかなる相手じゃない。貴女を逃がしはしたいが、戦力を一人減らすのは、危険なのだ」
しかし、シルラは是としない。“軍王”の称号の恐ろしさを、この場にいる他の人間より、肌で知っているからのようだった。
「それでも、私は逃げないといけないんです。最悪の事態……、全滅してからじゃ、遅いから」
サリアも引かない。カリクは自分が生きる前提ではあったが、最悪も考えざるをえなかった。とすると、どうしても逃げなければならなかった。
かといって、後ろ向きな理由だけではない。
「それに、攻めてきているのが、ニックさんなら、合流して助けてくれるかもしれません」
「それは、一理あるが……」
シルラも、そこは認めるしかなかった。ニックの協力を得られれば、軍王と戦う上で大きな助けになる。
「だが、向こうは今、おそらく門で戦っている。まだまだここまで攻めあがるには時間がかかるぞ。それに、まずここまで来られる保証もない」
もっともな意見だった。どちらが有利なのかさっぱり分からなかったし、攻めあがってこれるかも確かではない。
「行ってみないと、何も分からないですよ。まずは、動かないと。実際、今はナイフ使いの人がいるせいで、シルラさんは攻撃に参加できていないでしょ?」
「うっ」
痛い部分だったらしく、指摘されたシルラは、渋い表情を浮かべた。ナイフでミッドハイムと応戦している少年が、あまりに近いので、さっきから狙いはつけているのに、発砲できていなかったのだ。
「カリクは、あの人と連携がとれてるみたいだし、今なら、ここを離れてもきっと大丈夫です」
自身も逃げる選択肢を嫌がったので、手のひらを返した説得である自覚はあったが、気に留めない。とにかく、早くこの場から離れることが重要だった。
傍らのシルラが、敵からは目を離さずに、黙り込む。唇を軽く噛んでいた。彼女の視線の先では、二人の少年が、必死に応戦している。軍人としての矜持に加え、大人としても、子供を置いていくのをためらっているようだった。
「迷うな!」
その感情を見透かしたのか、ミッドハイムと交戦しているカリクが声を上げた。
「あんたが一番、サリアを連れて逃げるのに適任なんだ。軍人なら、自分の役目くらい察してみせろ!」
「私の、役目……」
彼の言葉を受け、シルラがつぶやく。きっと目を開いたかと思えば、次の瞬間にはサリアは手を捕まれていた。ぐいと、引っ張られる。
「逃げるぞ、サリア。ここまで言われて、動かないわけにはいかない」
「は、はい」
腰を上げ、うなずく、車へと走る。が、
「うぐっ!」
レインの呻きが聞こえたかと思うと、次の瞬間には、車を目指している二人の前に、ミッドハイムが立ち塞がった。
「逃がすと思いますか、この私が」
低く、重々しい声だった。シルラの手から、緊張が伝わってくる。彼女は、銃口を敵へ向けた。
「“簡単には逃さない”、くらいではないのですか? だから、逃がさせてもらいます」
自身の所属する組織の頂点に対し、見得を切る。
「自分の力を見誤ると、死に至りますよ、中尉」
冷たく言い放ち、ミッドハイムが斬りかかってきた。すかさず撃つが、片方の剣で弾かれた。
「シルラさん!」
戦えないサリアは、名前を呼ぶことしかできなかった。車の鍵を握らされ、手が、離される。
「走れ、サリア! あなた達は、私を援護しろ!」
シルラが叫んだ。カリクとレインは、言われた通り、援護する。二人とも、一気にミッドハイムへ接近し、それぞれナイフと銃で攻撃した。サリアは、動くことができない。足が竦んだ。
「……面倒な」
ミッドハイムは、攻撃をかわしながらも、シルラへ剣を振る。左から右へ払われたそれを、彼女は身体を後ろに反らすことでギリギリ避けた。
「サリア、早く!」
再び、彼女は声を上げた。固まっていたサリアは我に返り、接近戦に持ち込んでいるレインの後ろを走り抜ける。彼は、強力な敵を相手にしながらも、常にサリアが背中側にいるよう器用に立ち位置をずらしていた。そのおかげで、ミッドハイムがサリアに近づけなくなっていた。
最初乗ろうとしていた車にたどり着く。助手席に乗り込んだが、運転手がいなかった。サリアでは、動かせない。まず、キーもなかった。
(シルラさん!)
窓から外を見る。彼女は、ミッドハイムによって、進路を阻まれていた。
(本気で、化け物だな、こいつは)
レインとシルラの位置を考慮しながら、カリクはミッドハイムに銃撃していた。だが、敵は三対一という圧倒的不利にもかかわらず、近接戦闘を挑んでいるレインを押していた。傷一つ、負っていない。
(サリアは車にたどり着いたが、運転するはずのシルラがあっちにいけない。たぶん、行かせてもらえないだろう。なら……)
「レイン、シルラ!」
「なんだい、カリク君。今は取り込み中だから、用事は手短に頼むぜ」
「同意見だ」
それぞれから、返答がくる。どちらも、余裕はなさそうだった。
「もうシルラじゃなくてもいい。車を動かせるあんたらのどっちかが、サリアのとこまで行ってくれ。俺が援護する」
下した判断は、これだった。連携面を考えると、レインをこの場に残しておきたいのだが、二人の実力自体はさほど差はないと思ったので、踏み切ったのである。
「了解!」
レインは即座に返事をしたが、もう一人からは反応が鈍かった。しばらくして、ポツリと問いを口にした。
「運転、できるのか?」
レインに向けてだった。攻撃の手は緩めていない。
「できるできる。ジーニアス出の奴は、みんなできるぜ」
「そうか……」
答えをもらったシルラは、意味深につぶやいた。
「どうあがこうと、無駄です。あなた達は、どちらも通しませんよ」
ミッドハイムが割り込み、レインとの打ち合いをしながら二人を車と逆方向へと強引に動かす。カリクの目論見が空振りになりかけていた。
「させるかよ」
サリアを連れて行かれてはアウトなので、敵に背中を向けられる位置に立つカリクは、対面側にいる二人に遠慮することなく撃ち込む。心を読まれているため、ことごとく当たらない。舌打ちする。
「くぅー。さすがに軍王様だぜ。三人がかりで、脇も抜けないなんて」
一度、レインが距離を取る。二人のどちらかが大きく回り込めば、簡単に車へたどり着けそうなのにも関わらず、ミッドハイムの反応速度と重圧が、それを許さない。
「発想の転換だ、レイン」
口を開いたのは、シルラだった。
「片方をたどり着かそうとするのではない。両方で車を目指す」
「なるほど。隙見つけたら、とにかくチャレンジみたいな感じか。いいぜ。やろう」
レインも乗り気で、ナイフを弄ばしながら同意する。二人で顔を見合わせ、うなずいた。
「なんとしても、通らさせてもらいますよ、軍王様」
「いっくぜー!」
二人が、サリアの待つ車を目指して猛進する。ミッドハイムは、剣を交差させ、待ち受けた。
まず、二人は左右に別れた。できるだけ広く。ミッドハイムがまず足止めにかかったのは、レインだった。縦に横に、次々繰り出す。応戦はしているものの、やや疲れが見えており、先ほどよりも反応が鈍かった。
「レイン!」
カリクが援護射撃をするも、ミッドハイムは身をかわした。そのままの勢いでレインを、カリクから見て左方向へ力で吹き飛ばす。シルラのいる方だった。
「馬鹿! なぜこっちに来る!?」
「来たくて来たわけじゃないんだけど……」
飛ばされた勢いを利用し、レインは後転から体勢を持ち直す。ミッドハイムがすぐそこまで迫っていた。
「ちっ」
足を止めようとしたシルラに、カリクが叫ぶ。
「あんたは止まるな! 走れ!」
だが、彼女は従わなかった。前に進むのをやめ、ミッドハイムの方へ身体を向ける。
「大人が子供を守らないわけにはいかないだろう!」
大人としての責任感が、彼女を動かしていた。
「馬鹿野郎!」
ミッドハイムと対峙する彼女に、カリクは声を荒げた。レインは放っておいても、問題ないはずなのだ。助けるくらいなら、先に進んでほしかった。
「愚かですね。目先の事象へのプライドのために、目的を逸するとは」
突進してきたミッドハイムは、前かがみに構えるレインを無視し、後ろにいるシルラへと斬りかかった。
「なっ……!?」
迫る刃に、目を見開く。狙いは、彼女の方だった。
ズバッという音と共に、赤い飛沫がまた地面に飛ぶ。右腕の肩と肘の間に、傷ができていた。パックリと穴を開け、鮮血が溢れ出ている。反撃に一発撃つも、身をかわされた。
「手負いが三分の二。これでも、まだ勝てると信じますか」
構え直し、強気に問う。劣勢であるのは、疑いようがなかった。
「ああ、勝てる。少なくとも、勝負には勝った」
だが、カリクは堂々言い放った。両手には、再びナイフ。ミッドハイムの間合いに立っていた。
「いくらあんたでも、攻撃に集中していたら、周りの心は聞き取りきれないみたいだな」
「何っ?」
振り返ったミッドハイムは、カリクの後ろへ目をやっていた。
「レインは、通った。サリアは脱出させてもらう」
レインが、車にたどり着いているはずだった。彼は、シルラが攻撃を受ける間に、カリクと立ち位置を逆転させていた。
「くっ、しまっ……」
「悪いな、通行止めだから通せない」
走り出そうとした敵を、牽制する。
「だから言っただろう、傲るなって」
車の扉が開かれて閉じられる音が聞こえ、続けてエンジンの唸りが響いた。横目をやると、車は裏門へと走り去っていった。
「……そうですね。気を引き締める必要があるようです」
前に視線を戻すと、ミッドハイムが大きく息を吐いた。
「あなた方は、ここで殺します。なんとしても」
「自ら出る理由を失った敵将が前線にいるようじゃ、器が知れるな」
互いに睨み合う。カリクは、敵の背後にいる女軍人に声をかけた。
「シルラ、まだ戦えるだろ」
「当たり前だ」
語調の強い返答がくる。彼女もまた、鋭く目を光らせていた。
護るべき対象が去った今、本気の殺し合いが始まろとしていた。