十二章『頂点に立ちし者の野望』
今は、何日の何時なのだろう。サリア=ミュルフは、起きたての頭でそんなことを考えた。実際問題、地下では時間の流れがまったく分からないのである。唯一の指針として食事の時間があるが、それすらも朝食、昼食、夕食が曖昧になってしまっていた。
(昨日、だよね。カリクへの呼びかけ、届いたかな)
身体を起こし、ベッドの縁に腰かける。幼なじみの少年に想いを馳せた。何度想ったか、もう分からないくらいだった。
「おはよう。朝ご飯食べる?」
見張りである女性が、声をかけてきた。「はい、いただきます」と、うなずく。出された食事は、トーストとスクランブルエッグというシンプルなものだった。
食事をしながら、サリアは考えを巡らせる。言い知れない不安が頭をもたげた。軍王は、最初に顔を会わせて以来、何もしてきていない。何かされるのはもちろん嫌なのだが、何もないのも不安を煽るばかりだった。
(このままずっと、こんな環境に居させられるのかな)
考えだけでも、あまりに退屈で苦痛だった。一番辛いのは、カリクがいないことだった。
(信じてるよ、カリク)
彼がきっと助けにくるという希望を大きな支えに、サリアは首都に来て五日目を迎える。
そして今日は、これまでと違うことがサリアの身に起きた。
「サリア=ミュルフ。軍王様がお呼びだ」
昼食後しばらくして、いかにも偉そうな軍服姿の男が、地下室へとやってきたのである。
「また目隠しをさせてもらうことになる。いいな」
こちらの了解を取ることなく、勝手に話を進めていく。
「……従いますが、どんな用件なんですか?」
反抗は無意味なので、目的を尋ねた。
「じきに分かる。お前は、ただこちらの指示通りにすればいい」
しかし、はぐらかされてしまう。話す気がないのか、そもそも知らないのかは、判断がつかない。
「時間がない。さっさと行くぞ」
そして、目隠しをされたサリアは、地下室から連れ出された。腕を引かれる。
廊下や階段をいくつか通り過ぎ、扉を開く音がした後、喧騒らしきものが耳に届いた。同時に、風が頬をなでた。
(外、なのかな。基地以外の場所に向かってるの?)
さらにしばらく直進すると、また扉を開く音がした。重たそうだった。
「ミッドハイム総督! サリア=ミュルフをお連れしました!」
手を引いていた男が、大声を出す。反響の具合から察するに、かなり広い建物の中にいるようだった。
「ご苦労様です、大佐。中央まで来てください」
「はっ!」
聞き覚えのある男性の声に、傍らの男が従う。前に進み、段差を上らされた。
「目隠しを取ってください。そうしたら、あなたも席について結構です」
「はっ!」
ようやく、サリアの目隠しがはずされた。光の眩しさに目を細め、ゆっくりと慣らしていく。手を引いてきた男は、すでに隣からいなくなっていた。
いたのは、やはり建物の中だった。円状で、かなり広い。中心をぐるっと囲うようにして、五列ほどの席が規則的に並んでいる。床からはいくらか高い位置にあった。今は、半分程度が、軍人で埋まっている。奥の方に、堅い表情のシルラの姿もあった。ドーム状の天井は遙か頭上で、壁までは平均的な大きさの家屋を三つは入れられそうなくらいの距離がある。
中央には、サリアの立つ、床より一段高い裁判所の被告席のような柵のついたものと、それを見下ろすかのようにそびえる席があった。そこには、
「こんにちは、サリア=ミュルフ。元気でしたか?」
この国の頂点たる、クラカル=エル=ミッドハイムの姿があった。声量は大きくないのだが、この空間自体が静まり返っているため、よく通った。最初に対面したときのように、怪しく微笑んでいる。
「いいえ。監禁状態で、元気になるわけがありません」
彼の問いに、首を横に振る。素直な意見だった。
「おや、これは申し訳ありませんね。まだ、しばらくは今の状態が続くでしょうから、我慢していただくほかないのですが」
しかし、向こうは謝罪の言葉こそ口にしたものの、悪びれる様子はなかった。
「さて、サリア=ミュルフ。今、我々は非常に厄介な状況に立たされています。今朝に入った情報だと東部軍の兵が、首都へと進軍してきているそうです」
「東部軍が?」
サリアは顔をしかめた。どうして、東部軍が進軍しているのか。建物内全体も、ざわついている。彼らも初めて聞いた話のようだった。
「その反応では、ご存知ないようですね。今、東部軍のトップはニック=シェード少将、貴方のご友人のお父様なんですよ」
「ニックさんが?」
義父よりも、よっぽど父親らしかった人物の名前だった。
「首都から離せば、付き従っている派閥からも隔離できるかと思いましたが、甘く見過ぎましたね。各方面に、根が回っているとは思いませんでした」
微笑みは崩れていないが、言葉の節々に苛立ちが覗く。彼の想定していなかった事態なのだろう。
「だから私は、この会合を開かざるをえなくなりました。目的をはっきりさせなければ、貴女を死守する戦いに納得してもらえませんから。本当は、貴女の力が開花してからにしたかったのですがね」
続けての彼の発言に、サリアは眉をひそめた。
(開花……?)
“オモイノチカラ”は、生まれたときから持っていた力である。開花も何もなかった。
「これもご存知ないようですね。ということは、やはり貴女は、まだ本来の力を発揮できていない状態のようだ」
「どういうことですか。私の“力”は、他の人の心に、直接語りかけられるくらいのものですよ」
「その能力こそ、他とは一線を画しているものである指針になるのですが、力の持ち主たる貴女が存じないのなら、これは私しか、今は知らないでしょう」
ミッドハイムの言っている意味が、まったく掴めなかった。何を言いたいのたろうか。
「貴女の力は、“オモイノチカラ”の中でもさらに特別なのです。貴女自身はまだ気づいていない、世界をも手に入れられるであろう力なのですよ」
「だから、私の力はそんな大それたことができるようなものじゃ……」
「それとは、また別の力です」
先ほどと同じ反論をしようとしたところで、ミッドハイムが発言をかぶせて、サリアを黙らせる。
「そう、別の力なのですよ。“オモイノチカラ”を研究していた人物が見つけた、神に等しい力。貴女はそれが発現する要素を持っている。すなわち、“相手の心に干渉する力”!」
ミッドハイムの顔から、内面を包み隠すような、怪しい微笑が消え去り、代わりに、瞳孔を開いた状態の、狂気じみた笑みが広がっていく。サリアは、自分の背筋が冷えるのを感じた。
「私が若いときに見つけた、ある文献にその力は記されていました。著者は幾人かの“オモイノチカラ”の持ち主を対象に研究をしていたのですが、たった一つだけまったくの例外を持った力があったそうです」
口調には、熱がこもっていた。ミッドハイムの部下たちも、聴き入っている。彼は、この空間を支配していた。
「他の“オモイノチカラ”は、それ自体が特殊であるものの、あくまで行使できる力は一つでした。私ならば、他人の心を読めるとかですね。しかし、かつて貴女の力を持っていた人間は、当てはまらなかった。もう一つ、別の力を使うことができたのですよ!」
身体を乗り出し、興奮気味に語る。穏やかな雰囲気は、欠片もない。
「……それが、正しいという証拠はあるんですか」
ミッドハイムが燃えれば燃えるほど、サリアは冷めていった。夢物語のようにしか聞こえないのだ。
「ええ、もちろん! 言ったでしょう。“オモイノチカラ”を研究していた人間がいると。その人物が残した書物が確かに残っているのですよ。しかも、私の知っている力について正しい表記がなされていて、かつ考察もなされている。疑いようがありませんよ」
しかし、どうやらただの妄想ではないようだった。いったい、研究者は何者だったのだろうか。
「ああ、研究者について気になりますか。そういえば、まだはっきりと伝えていませんでしたね」
サリアの心を読んだのだろう。ミッドハイムが話題を本筋から一旦はずす。
「研究者の名前は、クロイツ=ヘイペリオン。貴女が生まれるずいぶん前に、亡くなった方です。あまり多くの研究資料は残っていませんでしたが、それでも、“オモイノチカラ”の持つ力を知るには充分でしたよ」
「クロイツ=ヘイペリオン……」
どこか、引っかかる名前だった。記憶にはないはずなのに、心がざわつく。
「おや、聞き覚えがありますかね。まあ、なくても本当のお父様から聞いたことがあるか、でなければ、おそらく貴女の魂が覚えているのでしょう。なにしろ、貴女の先祖ですから」
サリアは目を見開いた。自身の先祖が自分の持つ能力の研究者というのは、予想外だったのである。
「貴女の曾お爺様に当たるお方ですね。その時に貴女の力を持っていたのは、彼の妻であった、シャルリーナ=ヘイペリオンです。そして、彼女こそが“オモイノチカラ”の中でも、さらに特別な力を持っていた」
冷静さを取り戻しかけていた口調が、再びおかしくなり始める。力の正体が、とうとう伝えられた。
「すなわち、“人を操る力”! 他人の心干渉し、自分の意のままに、動かすことができる! それも、同時に何人でも! まさに、夢の力でしょう! これを軍事活用できれば、戦わずにして勝てるに等しい!」
ミッドハイムの声だけが、建物内に響いていた。他には、何一つ聞こえない。演説のようだった。
だが、サリアは空気に呑まれずに、場を切り裂くかのごとく、言葉を放つ。
「そんなの、ただの妄想にすぎません! 私には、そんな力はないです!」
事実だった。自分の先祖が研究者であろうが、人を操る力を持っていようが、今ここに立つサリアには、彼の求めている力はなかった。
「いいえ、ないわけではありません。貴女の力は、まだ目覚めていないだけです。シャルリーナも、声を直接心に響かせる能力は先天的に持っていましたが、操る力は後天的でした。つまり、いずれ貴女にも宿る力なのですよ!」
「後天的に……?」
これもまた、耳を疑う話だった。どうして、サリアだけが、二つ目の能力を持つというのか。
「そうです。貴女が元から持っている力は、あくまで下地にすぎない。本来の力は、そこから派生するのです」
「どうして、私の力だけなんですか。他人の心に干渉できるのは、貴方も同じはずです」
サリアの反論に、
「いいえ、まったく違います」
と、ミッドハイムは首を横に振った。
「私の力の場合、相手の心を読み取れるだけです。何か影響を及ぼせるわけではありません。言うなれば、閉じた箱の中を、外から見ることができるだけです。しかし、貴女の場合は箱のフタを開けて、中に別のものを入れることができる。これが、私と貴女の違いです。だからこそ、心を操る能力は貴女にしか芽生えない。箱の中身を、そっくりそのまま自分の用意したものと入れ替えられるわけです」
駆け足で、一気に言い切る。サリアには、いまいちピンとこなかったが、決定的な違いらしい。
「貴女のお父さんも、研究を引き継いでいました。そして、特別な力を持つ貴女という娘をもうけた。当時から、軍事転用を考えていた私は、少将という立場を利用して貴女を手元に置こうとしたのですが、貴女のお父様は強情でしてね。どうしてもこちらに引き渡そうとしなかった。ですから、強攻策に出たのですが、母親と逃げられ、貴女は捕らえれなかった」
続いて彼が口にした昔語りに、サリアは強い反応を示す。今まで知ることなかった、自分の本当の家族のことであったから。
「ご家族のことも、何も分かっていないのですか。可哀相な方だ」
ミッドハイムの口調は、気のないものだった。とても可哀相と思っているようには感じられない。
「そうなると、母親も死んでいるようですね」
「母親、“も”……?」
サリアの頭に、その助詞が引っかかる。認めたくない推測が、あっという間に広がっていった。
「ええ。貴女のお父様の死体は、しっかり回収していますから。母親は生きているかとも思っていたのですが、亡くなっているようですね」
推測は、無情にも真実だった。かすかに抱いていた、本当の親と会うという夢は、幻となる。
「貴方が、殺したんですか……?」
恐る恐る尋ねる。答えはおそらく決まっているのに、訊かずには、いられなかった。
「とんでもない! 私は殺すつもりはありませんでしたよ。ただ、あまりに抵抗するならば、殺害もやむを得ないとは指示していましたがね」
ミッドハイムが、意地の悪い笑みを浮かべる。悪意しか、感じられなかった。
「貴方は……!」
サリアは、前方の柵を両手で握りしめた。強く、強く。自分の本当の両親を奪ったのは、この男なのだ。しかも、私利私欲のために。
「これはずいぶんとお怒りのようですね。しかし、貴女には何もできはしないでしょう。戦う力は、持っていないのですから」
睨みつけた相手は、せせら笑った。灯った怒りが、さらに燃え上がり、大きくなる。海のごとく広い心を持つサリアですら、許すことができなかった。
「でも、抗うことはできる! もし私が本当に他人を操る力を手に入れたとしても、貴方のためになんて使わない! 貴方や、貴方の配下を操って、逃げ出してみせる!」
「ほほう、いい考えだ。しかし、そう話はうまく行きません。他の“オモイノチカラ”と違って、操る力は、別の“オモイノチカラ”を持っている人間には効かないのですよ! 貴女に抵抗の余地はないっ!!」
「なら、使わない! そんな力は絶対に! どれだけ脅されたとしても、貴方なんかに利用されてたまるもんか!」
「言ってくれますね、サリア=ミュルフ! ですが、貴女の力はどうあっても利用させてもらう! 力づくでも!」
叫びの応酬になる。感情に任せた、互いにらしくない言い合いだった。
「どんなになっても、協力はしない! それに、私は信じてる! きっと、カリクが助けに来る! 貴方から、私を解放するためにっ!!」
カリクへの絶対の信頼を、力強く口にしてみせた。ミッドハイムが、高らかに笑い声を上げる。
「ふっ、はは、あははははははは!! それはまた、どこのおとぎ話の主人公ですか! カリク=シェードというのは、ニック少将の息子さんでしょうに。この本部基地の戦力を知らないわけもない。助けになどきませんよ! 仮にきたとしても、無駄死にするのが見えています! 夢を見ているのは、私ではなく、貴女なのではないですかね」
「貴方は、なにも知らない! カリクという人間を。カリクは、私を必ず助けに来る! そう、約束したから……!!」
嘲笑われても、サリアの想いは揺るがない。幼い頃の、他愛ない子供っぽい約束。それでも、大切な約束だった。両手を絡ませ、祈るように想いのこもった言葉を心の中で爆発させる。
(カリク!)
瞬間、会場がざわついた。構わず、続ける。
(私はここだよ。ここにいるよ。助けに来て。約束したよね)
想いが、響く。強烈に、美しく。建物内全域に、そして、外にすら響き渡っていくようだった。
(『私が一人でいたら、助けに来る』って。カリク、私は信じてるから)
胸にある、大切な約束。力に乗せて、彼へと飛ばす。どこまてでも響けばいい。彼以外の何人に聞かれようとも構わない。ただ、彼には絶対に届いて欲しかった。だから、心で叫ぶ。
(私を助けて、カリク。どれだ時間がかかってもいいから。私は耐えるから。いつまでも、待ち続けるから)
力の範囲は調節しない。いや、あまりにも想いが強烈なために、抑えることはできなかった。
(カリク−−)
周りの音はもう、耳に入らなかった。
同じ空間に潜り込んでいたシルラは、壇上に立つ少女の力に、愕然とした。心に届いたどころか、もはや建物内、さらには壁や天井すら突き破ってしまっているのではないかと思えるほど、彼女の心の声が響き渡ったためである。
「こんなことが……」
一度体験していて、かつ正体も分かっているのに、自分に起きている現象が信じられなかった。周囲の将校たちも、動揺を隠せていなかった。
ただ、サリアともう一人だけは、違った。
「はは、ははははははは!! 素晴らしい! なんと素晴らしい!」
ミッドハイムである。壊れたように笑い、天へ両手を開いた。高笑いを続けた後、手をおろして、サリアへ目を戻した。
「これだけの力! やはり、貴女は、貴女の力は特別だ! 驚嘆せざるをえない!」
当の少女は、両手を絡ませ、目を閉じ、想いを発し続けていた。集中していて、ミッドハイムの声は届いていない。証拠に、シルラの心には、次から次へとサリアの感情が伝わってきていた。
「ガヌ中尉の任務失敗はともかく、ニック少将の動向は予想外でしたからね。だが、彼と今ぶつかることすらためらわせないほどの価値がある!」
一人で、盛り上がっていた。ある部分に、シルラは強い反応を示す。
「ガヌだと……」
どんな任務についていたかは知らないが、失敗したという話に、心がざわついた。あわよくば、少女を首都から逃がすときに、一緒に来てほしかったのに。生きているのかどうかすら分からない。
しかし、彼の安否確認に時間は避けない状況下になっていた。東部軍と戦うのなら、原因であるサリアの警備は厳重になるだろう。そうなると、首都から逃がすのは困難である。東部軍が来る前に、彼女を逃がすしかない。
「あの馬鹿が……」
ここにいない、同僚以上の存在である男に対しぼやく。
決断するしかなかった。
ガヌを待たずに、行動へ移ることを。




