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九章『潜入の夜』

 夜遅く、次の日が非番なのか、酔っ払いながら通りを歩く軍人たちが見られるような時間帯だった。わずかなガス灯の光が点在する中で、二つの影が動いている。カリクとレインだった。

「いるか?」

「いや、平気だ。行くぜ」

 視力がよく、闇の中でも目が利くレインに前を進ませ、カリクは“ジーニアス”の隠されている、研究所を目指していた。通行人であっても、軍人は警戒しながら進んでいく。

「いやー、こんなにドキドキするとは思わなかったね。シャズのときより、やばいかも」

「これくらいで、そんなに緊張してどうする。この後、もっと危ない橋がいくらでもあるっていうのに」

「まあまあ、いいじゃないの、カリク君。俺っちだってそれくらいは分かってるけど、それでもドキドキするもんはドキドキするのさ。なにしろ、見られちゃいけないってんだからな」

 レインはどこか楽しげだった。小走りで、先行する。

「そうかよ。まあ、しっかり働いてくれれば、文句はないさ」

「どこの悪役のセリフだい、カリク君」

 軽口をたたき合っているうちに、幸運にも誰にも見つかることなく研究所の入り口へたどり着いた。見学ルートだと、出口にあたる部分である。門番として、昼間と変わらず見張りの軍人が二人立っていた。入り口正面からはややずれた、研究所の向かい側にある曲がり角に、カリクたちは身を潜めた。

「さてと。じゃあ、手筈どおりに頼む」

「あいよ。でも、本当に大丈夫か、カリク。相手はプロの軍人だぜ」

「そうだな。だから、策を練ったんだよ。まともにやり合ってたら、命がいくつあっても足りないからな。だから、俺のことは気にしなくていい。サリアを助けるまで、捕まる気も死ぬ気もない」

 驕っているわけでも、強がっているわけでもない。カリクは、冷静だった。そのうえで、ある作戦を立てていた。

「それより、お前もドジを踏むなよ」

「心配ご無用! 伊達に裏の世界を生きてきてないんでね」

「ああ、そうかい。期待してやるよ」

 投げやりにそう言うと、

「じゃあ、行くぞ」

「おう」

 獲物を手にとった。レインも、ナイフを手元で遊ばせる。

「カリク」

「なんだ」

「幸運を祈る」

「ああ、お前も死ぬなよ」

「了解っ!」

 作戦開始前最後の会話を交わし、二人は別れた。

 一、二分経ったところで、カリクは銃を持った右手を、夜空に向けて伸ばした。左手は、指を耳に突っ込む。そして、

「うまくいってくれよ」

 引き金を引いた。乾いた音が、周囲に響く。立て続けに、もう一発。少し顔を出して、門番たちの様子をうかがうと、明らかに浮き足立っていた。

(さあ、来い)

 腕を下ろし、腰の部分で銃を構える。意図したとおり、門番のうちの一人が、カリクの方に歩いてきた。恐る恐る、警戒しながら近づいてくる。向こうも、銃を手にしていた。カリクは息を潜め、ギリギリまで相手を引き寄せる。

 着実に、距離が詰まっていく。心音が、相手に聞こえてしまうのではと思えるほどに、うるさかった。

(いっても、実戦は諸々を数えても四回目だからな。そうそう、落ち着いて臨めるもんでもないだろ)

 自分が緊張しているのを認めたうえで、冷静さを欠かないように、肩の力を意識的に抜く。

 そして、相手がカリクのいる路地に入った瞬間、

「退屈な警備、ご苦労様だな」

 言葉と共に、敵の銃を撃ち飛ばした。後方へ、転がっていく。

「なっ……」

 実戦不足なのか、相手の軍人はいきなりのことに対応できていなかった。すかさず距離を詰め、銃をつきつける。相手は、苦々しい顔で両手を上げた。

「後ろを向け。声を上げれば撃つ」

「貴様、何が目的だ」

「……自分の欲を満たしに来ただけだ。さっさと後ろを向け。もう一度しゃべれば、頭を撃ち抜く」

 カリクの声は冷たかった。銃を突きつけられている軍人は、少し迷ってから舌打ちをして背を向けた。

「よし」

 それを見たカリクは、少し相手に近寄り、

「想定どおりで助かる」

 迷いなく、右肩へ鉛玉をぶち込んだ。

「んなっ……?」

 自分の身体に空いた穴に驚き、続けて吹き出した赤色の液体を見てから、門番をしていた軍人は、

「ぐああああ!」

 痛みから叫びだした。その最中、

「眠ってろ。そのくらいの傷なら、生き残れる公算も高い。死んでも、責任はとらねぇが」

 カリクは後頭部を殴りつけた。叫び声が急に途絶える。軍人は、意識を失って地面に倒れた。

(まず一人)

 一つ段階を終えたのもつかの間、次の手順がすぐにきた。

「おい、どうした!」

 もう一人の門番である。銃声に叫び声とくれば、さすがに持ち場を離れずにいられなかったと見える。手には、二丁の銃を持っていた。一人目の手から飛ばしたものを拾ったらしい。しかし、カリクは慌てずに、一つずつ拳銃を撃ち落とした。

「何っ!?」

 正確に武器を飛ばされて、二人目の門番は、目を見開いた。その隙に、またもカリクは相手の肩を撃ち抜く。今度は、両方とも。

「ぐがあああああああ!?」

 尋常ではない悲鳴が上がる。両肩をやられているせいで、傷口を押さえることもできず、すでに気を失っている仲間の横に膝を落とした。

「ゆっくり寝てろ。その間は痛みもない」

 こちらにも頭へ衝撃を与え、気絶させた。静寂が訪れる。闇の中にはカリクだけが立っていた。

「意外に早く終わったな。レインの方も、うまくいけばいいが」

 一度、研究所を見つめてから、足元に転がる軍人たちのうちの片方の両足首を掴み引きずり始めた。研究所の敷地内へと向かう。まだ踏み込むわけにはいかなかった。




「さあて、中の警備はどうなってるかね」

 一方のレインは、“すでに”研究所の内部に侵入していた。門番たちが、カリクに気を取られている間に、忍び込んだのである。ある事情で、カリクはまだ入ってこない。

 レインの目的は、ジーニアスへつながる隠し扉を開くことだった。場所は知っているのだが、たどり着けるかは定かでない。警備が厳しいのだ。とはいえ、巡回のパターンを覚えていた。施設にいたとき、逃げるチャンスをずっとうかがっていたので、あらゆる情報を仕入れていたのだ。

(んーと、通路よりは重要なところの監視を固めてるんだよな。確か、ジーニアスへの入り口を開くスイッチの辺りも、厳しかったか)

 手元でナイフを遊ばせながら、攻略手順を考える。あまり時間をかけられない“事情”もあったので、多少のリスクには目をつむることにした。

「まー、失敗したら、ごめんなさいだ、カリク君」

 この場にいない人間へ、届くことのない謝罪をしてから、

「さ、行くぜ。軍人さんたち」

 行動を開始した。

 レインのいる位置は、見学ルートのゴール地点から、少し奥まったところである。研究所はだいたい三ブロックから成り立っており、レインのいる出口と倉庫などが集まった部分、入り口側の職員の詰め所とデスクの部分、そして実験室と建物自体の稼働に関わるメイン機器が集められている中央部分があった。目指すは、この中央部分である。

 門番がいたために、ジーニアスへの扉前の守備は甘かったので戦闘になることにはならなかったが、この先はすべて避けられそうになかった。中央部分に近づけば近づくほどに、警戒は厳しくなるからである。

「まあ、なんとかなるだろ」

 それでもレインは、気軽な言葉と共に進んでいく。




「えーと、あと少しだな、たぶん」

 角を曲がったところで出くわしてしまった軍人をのしたところで、レインは一息ついた。目指す場所は、あと少しだった。

 ここまでのところ、警備の厳しさをもろともしていない。パターンを覚えているがゆえに奇襲ばかりしたというのもあるが、単純にレインが場慣れしていることもあった。

 角から、曲がる先の直線の様子を覗き見る。真っ直ぐ伸びる廊下の中ほどに十字路があり、その周囲を三人の軍人が巡回していた。退屈なのか、一人はあくびをかみ殺している。レインは、十字路を左にいきたかった。

(んー、避けるのは無理か)

 手早く判断し、十字路に軍人が一人だけになったところで、駆け出した。

「なっ!?」

 唐突な侵入者の出現に、若い男の軍人は面食らったようで、なんの抵抗も見せなかった。簡単に間合いに入り、みぞおちに一撃を入れる。体勢を崩したところで、続けざまに脳天へもう一発加えた。

「がはっ!?」

 苦しげな声を吐き出し、男は崩れた。騒ぎを聞きつけ、他の巡回兵が走ってくる。

「何事だ!」

「なっ、貴様、侵入者か」

「うーん、世間一般ではそういう表現される状態かな」

 ランタンを向けられたレインは不敵に微笑んだ。同時に、ナイフを飛ばす。

「うおっ!?」

 刃先がランタンを囲うガラスを貫通し、光源を奪い去った。辺りが暗闇に包まれる。しかし、闇を歩いてきたレインにはなんの障害にもならない。

(二人目!)

 片方の見回りに足払いを見舞う。「うおっ!?」とまぬけな声を出して、彼は背中から床に落ちた。鈍い音が響く。それから、少し首を締めて意識を奪った。

(最後!)

 首が横に倒れたところで、すぐに次の敵へ視線を移す。明かりを失った中年くらいの男は、首をせわしなく回していたが、まったくレインを捉えられていない。

(楽勝!)

 音を立てないように、レインは中年男の背後に回る。そうして腕を上げると、渾身の力を込めて相手の後頭部を殴った。「がっ!」と、息を漏らすような形で声を上げ、男は倒れた。

「はあー。軍人が聞いて呆れるねぇ。殺しにいってたら、簡単に死んでたっていうのに」

 聞き手がいないにも関わらず、冗談めかした言葉を口にした。倒れている軍人たちから目を離し、十字路を左へ折れる。目的地は間近だった。




「むっ。貴様、一人か。もう一人はどこに行った」

「お手洗いです。じきにお戻りになるかと」

 その頃、裏口では街を警備している兵たちと“門番”とが顔を合わせていた。ただ、門番は一人で、どうにも軍人にしては小柄に見える。腕を見たかぎり、引き締まった筋肉を持っているので、一概に軍人らしくないというわけでもないのだが。

「……ずいぶんと若く見えるな、貴様」

「そうでしょうか。確かに、年相応に見られることが少ないので、不満に思うことがしばしありますが」

 警備兵の言葉に、門番は肩をすくめてみせる。

「ふん。まあ、いい。よく考えれば、本当にただの子供なら、門番に成り代われるわけがないからな。……しっかりやれよ」

「はい」

 最後にほんの少しだけ態度を軟化させて、見回りの軍人は仕事へ戻っていった。背中が闇に消えていくのを見守ったところで、

「……ふう」

 門番の服を剥ぎ取って着用していたカリクは、息を吐いた。門番がいなくなっていては見回りが不審がると思ったため、リスクを承知で成りすましていたのである。さすがに、ジーニアスへ乗り込むまでは、異変に気づかれたくなかった。

「まだか、レイン」

 一人つぶやく。もう一度、巡回が来るときまでに扉が開かなければ、レインは失敗したと判断して、一旦退却するつもりだった。

 タイムリミットが、刻一刻と近づいていく。だが、カリクにできることは待つことだけだった。深呼吸を一度挟み、前を向く。

 と、背後から不自然な音が聞こえた。何か重いものを引きずっているような、そんな音。何秒間か聞こえ続け、やがて沈んだ。

「まあ、合格点だな」

 カリクは、口元に微笑を浮かべた。門番の服装を脱ぎ捨てて、音の正体を確かめにいく。予測は、裏切られなかった。

「ふん。ずいぶんと深いな。首都の研究者どもは、地下がお気に入りか」

 床とわずかに色合いのずれた不自然な壁がなくなっていて、下り階段が姿を現していたのだ。




「戻るか。カリク君だけじゃ、心配だし」

 レインは、中枢部からややはずれた位置に隠されている、ジーニアスへの扉を開くスイッチにたどり着いていた。十本ほどナイフを手早く回収し、早足で裏口へと向かう。

 スイッチの近くには、意識のない軍人たちの身体が五人分、並んで倒れていた。




「待ってろよ」

 幼なじみの少女を想って、カリクがつぶやく。眼前は月明かりもない暗闇だったが、ためらうことなく足を踏み出す。足音が鈍く響いた。トラップに警戒しつつ、しかし足早に下っていく。

 そのうちに、底についた。前には、もう一枚扉があった。隙間から、わずかに光が漏れている。

(誰も向こう側にいなければいいんだが)

 頭でそう希望しつつ、いつでも銃を打ち込めるように、胸の高さで構えてから、ノブ式の扉に手をかけた。息を整える。

(よしっ)

 自身へのかけ声と共に、扉を一気に開け放った。身体は中へ入れず、銃口を前へ向ける。だが、そこには人工的な光のついた無人の部屋があるばかりだった。

「ここも、電気って奴か。変な明かりだな」

 数秒、五感をフルに使って、敵の気配を探りにかかったが、どうやら本当に誰もいないようだった。肩の力を抜き、天井を見上げる。

 内開きのため、扉の影に誰か隠れていないかを目視してから、カリクは室内に入った。後ろ手で扉を閉める。部屋の左右には、資料とおぼしきファイルや本が並べられた棚があった。隅には、ダンボールが積まれている。どうやら資料室のような場所らしい。どこに出るのか分からないが、奥にはもう一枚扉かあった。

 今の目的はサリアを探すことなため、資料へは目もくれず、カリクは奥の扉へ近づいていく。耳を当て、外の音をうかがった。聞こえてくるものはない。ゆっくりと、扉を押す。隙間から、今度は目で何かないか確認した。カリクのいる部屋と同じような明かりで満たされた曲線の廊下が、ただ伸びているばかりだった。

(人が、少なすぎやしないか……?)

 機密施設とはいえ、重要機関であることには変わりない。なのに、あまりに閑散としていた。警備兵すら、今のところ姿を見ていない。頭によぎるのは、既にレインの存在が知られており、自分たちが罠にかけられている可能性だった。

 疑惑を持ったところで、後方から足音が聞こえた。ほぼ間違いなくレインだろうとは思いつつも、部屋の出入り口の死角に入り、息を殺す。足音は着実に階段を降りてきていて、接近していた。

 やがて、扉が勢いよく開けられた。誰かが飛び込んできたのを脳が認識するが早いか、ナイフがカリクへと放たれた。わざわざ撃ち落とさずに、左へ避ける。

「やっぱりお前か。なかなか早くて、助かった」

 銃を下ろし敵意がないことを示してから、やってきた人物に声をかける。向こうも敵意を消して、微笑した。

「おう。なかなかすごいだろ、俺っち」

 予想に反さず、レインだった。ナイフが放たれたのは警戒のためだと理解しているため、カリクはわざわざ責めたりはしなかった。

「そうだな。じゃあ、さっそく次の仕事だ。道案内だから、たいして難しくないだろ」

「……人使いがなかなか荒いねー。確かにさっきほどの危険性はないかもしれないけどさ。時給いくら?」

「一日三食だ。さっさと行くぞ。裏口にまた見回りが来たら、逃げづらくなる。それに、お前も暴れたんじゃないか?」

 レインの軽口をあしらい、カリクは廊下へつながる扉の方へ歩いていった。

「まあねぇ。ていうか、三食プラスデザートつけてくれない?」

 レインが後から続く。

 探索は、ここからが本番だった。

「とりあえず、サリアのいそうな場所を教えてくれ。時間がないから、さっさと回らないと」

「んー、それならいい手があるぜ」

 廊下に出たところで、レインが人差し指を立てた。

「いい手?」

「うん。時間がかからなくて、かつ簡単な手段だ」

「聞くだけ聞いてやる。話せ」

 上から目線の発言だが、レインは気にせずに自分の案を説明する。

「研究員かジーニアスでモルモットにされてる奴を、一人捕まえればいい。どいつもこいつもあちこちに目を光らせてるからな。サリアちゃんほどの大ニュースなら間違いなく、何か知ってるはずだ」

「捕まえれば、か。簡単そうに言うが、そんなうまくいくのか」

 あまり現実的には思えなかった。今は警備の姿が見えないが、さすがに研究員たちは守られているはずである。となると、騒ぎになるリスクを含め、得策とは思えなかった。

「大丈夫、大丈夫。今の時間なら、だいたい単独行動してるはずだし、研究員共の要望で、警備兵も最小限の人数しかいないんだ。だから、誰か一人くらい捕まえられるさ」

 カリクの心配をよそに、レインは楽観的な意見を口にする。納得しきれないものの、時間が惜しい現状では、ジーニアス内部に詳しい彼の意見に乗らざるを得なそうだった。

「仕方ない。その方法で行く。この時間に、関係者がいるとしたらどこだ」

「そうこなくっちゃな。今から案内する。ついてきてくれ」

 自分の意見が聞き入れられたためか、機嫌よくレインは歩み出した。向かうのは最初の部屋から出て、左の方向だった。右に折れていく曲がり廊下を進んでいく。見張りとは、まったく遭遇しなかった。

「っと。ちょっとストップ、カリク君」

 しばらくいったところで、レインが足を止めた。小声での指示に従い、カリクも止まる。

「どうした」

「獲物を見つけたのさ。今、警備の奴となんか話してるから、ちょっと待って」

 どうやら、進行方向に狙い目の人間がいたらしい。レインよりは前に出ないようにしつつ、聞き耳を立てる。二人の男性のものと思われる会話が届いてきた。

「妙に突っかかるね。君は、僕にそんな態度をしていい立場だったかな?」

「はっ。相変わらずの傲慢さですね、あんたらは。もういいですよ。教えてくれるかもと思った俺が馬鹿だった」

「おやおや、ずいぶんな言いようだ。君が軍人という職につけた理由をよく考えてごらん。我々のおかげじゃないか」

「言ってろ。ジーニアス出身の奴らのほとんどは、憎みこそしても、感謝なんてしちゃいねぇ」

 直後、一人分の足音がして、どんどん遠くなっていった。片方が捨てぜりふを吐いて、その場から離れたらしい。

「あー、面倒な奴だけど、折れやすそうでもあるか。行くぜ、カリク君」

「あっ、おい」

 飛び出したレインに、カリクは慌てて続く。廊下の先には、白衣を着た初老の男がいた。

「な、お前は」

「久しぶりだな、研究員A」

 驚きで固まっている男へ、レインは容赦なく拳を叩き込んだ。「がはっ!」という声とともに、男の身体が宙を舞い、床へと落ちる。呻く彼の首もとへ、レインはナイフを突きつけた。

「騒ぐなよ、おっさん。二度と騒げなくなるぜ」

「レ、レイン。逃げ出したはずの貴様が、なぜここに」

「ちょいと人助けさ。訊きたいことがあるんで、ついてきてもらうぞ」

「貴様に話すことなど、何もないわ」

 口答えした男の首に、レインは刃を軽く立てた。赤く薄い筋ができる。

「あんたに選択権はない。いいから従っておけよ」

 彼にしては、冷たい声だった。気圧されたのか、男が黙り込む。その反応を見てから、レインはカリクへ目を向けた。

「カリク、移動するから手伝ってくれ。人がいない部屋を探す」

「ああ」

 カリクは軽く請け合い、

「まあ、そういうわけだ。ちょっと付き合え、おっさん」

 やや距離をとって、銃口を男に向けた。

「け、拳銃……。貴様は、いったいなんだ」

「答える義理はない。さっさと立て」

 問いを弾き、命令する。男は不本意そうではあったが、レインに小突かれて立ち上がった。

「こっからなら、たぶん第二保管庫が近いな。俺っちについてきてくれ」

 彼の案内で、カリクと白衣の男は、扉の横上に『第二保管庫』という表記のある部屋の前へきた。

「ちょっと待っててくれよ」

 レインが懐から針金を出し、鍵穴をいじり始める。二分とかからずに、鍵が開いた。中へ入る。彼が入り口横の壁にあるスイッチを押すと、電気がついた。捕らえた男を、部屋の一番奥の壁に押しつける。

「さぁてと。あんた確か、わりと上層部の事情にも詳しい奴だったよな。色々と聞かせてもらうぜ」

 先ほどと同じように、レインは男の首筋にナイフを近づける。

「貴様らに話すことはない」

 しかし、相手はまだ折れない。なのでレインは、

「んー、あんまりプライド守ろうとすると、命が守れないぜ」

 そう言ってから、男の右の手のひらに、ナイフを刺した。刃は手のひらを貫通し、壁に届く。

「あがァァァァァ!?」

 男が悲鳴を上げた。その音量に、カリクは顔をしかめる。

「これ、拷問だから。あんたの振りかざしてきた地位とか、なんの意味もないわけさ。まだ答えないなら、左手もいっておくか。バランスいいし」

「や、やめろ。分かった。話す。話してやるから」

 血相を変え、男は簡単に意見をひっくり返した。レインが何度かうなずく。

「うんうん。いい心がけだと思うぜ。上からなのが気に入らないけど、そこはまあ目を瞑ってやるよ」

 男の肩を叩き、微笑した。続けて本題に入る。

「じゃあとりあえず、一番に知りたいことから訊くぜ。最近、軍王君念願の“オモイノチカラ”を持った女の子が連れてこられたはずだ。その子は、今どこにいる」

「なぜ、貴様がそんなことを知りたがる?」

 右手から鮮血を流しながらも、男が問い返してきた。レインがまた脅しをかけようと口を開いたが、言葉を発する前に男の顔の横に、銃弾が飛んだ。

「いいから、訊かれたことだけ答えろ。何度も余計なことを言わせるな」

 カリクである。かすかに煙を上げる銃を手にし、男を睨んだ。

「わ、分かった分かった。キュールからきたという、サリア=ミュルフのことだろ。話すから、もうこれ以上のことはしないでくれ」

 男もかなりの恐怖を抱いたようで、情けない声を出した。慌てて本題に入る。

「サリア=ミュルフなら、本部基地の地下にいる。本来なら、要人を匿うための部屋に閉じ込められているはずだ。軍王様は、手元に置いておきたいらしい」

「本当だろうな」

「ほ、本当だ。間違いない。上層部の会議結果がこちらにも回ってきたのだ。疑う余地はない」

 カリクの追及に対し、男は必死に訴えた。どうやら、嘘ではなさそうだった。サリアはジーニアスではなく、本部基地に捕らえられているのだ。

(ちっ。手元に置いておきたいか。とんだ変態野郎だな。サリアに何かしてたら、殺すだけじゃ済ませねえ)

「はずしたか。となると、一回退かないとならないな」

 内心での悪態とは裏腹に、カリクは冷静な判断を下す。ジーニアスにサリアがいないのならば、長居は無用だった。

「そうさな。でもその前に、せっかくこいつを捕まえたんだから、他のことも訊いておこうぜ」

「……聞いて損はないか。手短に済ませるぞ」

「了解っ」

 しかし、レインの提案により、もう少し留まることにした。目の前にある情報源を活用するためである。

「さて、カリク君。何が聞きたい?」

 問われたカリクは、少し考えてから、

「軍王の目的だな。漏らしていない可能性もあるが、そいつの予測でもいいから聞いておきたい」

 顎で研究員を指した。サリアが誘拐されたときから、ずっと疑問だったことである。

「だってさ。どうなの、研究員A。軍王の目的について、なんか心当たりある?」

 カリクの言葉を受け、レインは捕らえた男へ顔を向ける。

「軍王様の目的?」

「そう。奴の目的。あんたの予測でもいいみたいだぜ」

「ううむ……」

 もう反抗してきたりはせず、男は素直に考え始めた。うなり声を上げる。しばらくしてから、静かに語り出した。

「詳しくは分からないが、端々の行動と発言から察するに、おそらく軍王様は世界を欲している」

「世界だあ?」

 レインが素っ頓狂な声を上げる。カリクも、口を半開きにして固まった。

「ああ。軍事力の強化は前々から行っていたが、それもそもそもは他国へ勢力を伸ばすためだ。だが、今の軍王様の場合、勢力拡大という小さなことではなく、世界を手に入れようというという考えをお持ちになられている」

 呆気に取られる二人に構わず、男は続ける。

「軍王様は“オモイノチカラ”に、それだけのことができる“何か”があることをご存知なようだ。どのようなものかは、我々も知らされていないが、あの御方が言うのだから、まず間違いなく何かがある」

「“何か”だってさ、カリク君。思い当たることある?」

「いいや。サリアの力は、世界を手に入れられるなんて妄想を抱かせるようものじゃない。いったい軍王は何を知ってるんだ」

 疑問の払拭につなげようと投げかけた質問であったのに、ますます謎が深まってしまった。

(それとも、サリアの“力”には、別の何かがあるのか?)

 思い至った結論は、それだった。そうでなければ、サリアにこだわる理由がない。

「そうだ。貴様等が何をする気なのか知らないが、軍王様は強大で、偉大な御方だ。何をしようと、あの御方の敵であるかぎり、貴様等は何もできん!」

 軍王の存在を思い出したからなのか、急に男は威勢を取り戻した。わめき始める。

「私にこんなことをしたのも、許されない。お前たちは、軍王様に楯突いたことで処刑されるのだ!」

「だってさー、カリク君。俺っち怖いぜ」

 レインが茶化す。カリクは軽くため息をついた。

「アホか。それにお前は、殺しても死ななそうだ」

「……クールだねぇ、カリク君」

 簡潔な返しに、レインは苦笑した。続けて、別のことを問いかけてくる。

「で、まだ訊きたいことはあるかい、カリク君」

「いや、いい。潮時だ。性急に退くぞ」

「あいよ」

 カリクの選択は退却だった。本来はサリアがいるかどうかさえ分かればよかったところを、軍王の目的についても微かな情報を手にしたのだ。充分だった。

「こいつはどうする?」

 レインが男を指差す。カリクは間を空けずに答えた。

「他と同じように、気絶させてそこらへんに転がしとけ。こいつ一人始末したところで、俺たちの顔は割れるだろうしな」

「んー、了解。いい時間だし、おねんねしときなー」

「な、何を」

 男が自分へ伸びてくるレインの腕を見て、うろたえる。一方のレインは、明るい口調で伝えた。

「首絞めて、気絶してもらうだけ。殺すわけじゃないから、安心しな」

「バ、バカな真似はやめろ!」

 彼の言葉を聞き、男はじたばたしたが、

「死にたくないなら動くな」

 カリクに銃を向けられたため、おとなしくなった。

「そーそー。懸命な判断だな」

「うぐ。うううう……」

 そして、レインが男の首を掴み、ゆっくりと力を加えていった。しばらく唸り声が上がっていたが、やがて静かになった。手を離すと、男の身体はガクリとうなだれ、彼の右手を壁へつなぎ止めているナイフを回収すると、今度は床へ落ちた。

「さて、行きますか、カリク君」

「……本当に殺してはいないんだな」

 立ち去ることを促してきたレインへ、カリクは一応確認する。ナイフを手元で遊ばせている少年は、気楽そうに笑って答えた。

「殺してない殺してない。必要がないし。カリク君、もしかして敵の命は取らないタイプ?」

「いや、そういうわけじゃない。ただ、無闇に命を取るのはサリアも望んでないだろうから、気になっただけだ」

「ふーん。なるほどね。理解理解。俺っちもやたらに殺人はしたくはないし。ただな、カリク君……」

 そこでレインは言葉を切り、カリクの方へ笑みを向けた。ただ、目はまったく笑っていない。むしろ、つり上がっていた。

「殺さないといけないって判断したとき、迷うなよ。迷ったら、死ぬのはお前だ」

「……肝に銘じておく」

 いつになく真剣なレインの忠告を、素直に聞き入れた。目の前に立つレインが、満足そうにうなずく。

「よろしい。じゃあ、さっさとずらかるか。長居しても、いいことなさそうだし」

「ああ」

 一人の白衣姿の男が倒れている部屋から、カリクとレインは出て行く。後は、退却するだけだった。




 施設から逃げるのには、苦労しなかった。二人はきた道を戻り、裏口から出ていった。襲撃された情報が、他の見回りにまだ伝わってしないらしい。

「いやー、運がよかったね、カリク君。何事もなく脱出てこれるとは」

「そうだな。けど、明日はこうはいかないだろう」

「明日?」

 首をひねるレインへ、カリクは静かに告げる。

「明日、本部基地に乗り込む」

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