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S.Fです  作者: コアラ
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第6話

 じりじりと照り付ける太陽は今日も元気に輝いていて、空は雲一つの浸食も許さず真っ青。どの運動部も絶好の練習日和に気合十分、グラウンドには掛け声や怒声が響き渡っている。それに混じって鳴くセミのコーラスはうるさいけれど、もっと激しい動きをしていれば気にならない。先輩達と入れ替わりのラリー練習を続けていると、いい加減手が痺れてきた頃にようやく休憩が入った。


「さっきのサーブは良かったね、あたし反応できなかった」


 お互いベンチに腰掛けて、タオルを片手に飲み物を手にする。遥は汗を拭きながら喉を鳴らした。


「本当? でも片桐部長みたいなラインギリギリの絶妙な感じには程遠いのよね」


 大会まではあと三日。地区大会突破が目標レベルではあるけれど、去年よりかは動けるようになったと思う。1年の積み重ねが実感出来るのは嬉しい。グリップがボロボロになってきたラケットも勲章ものだ。

 程良い疲労感に満足していると、足元に誰かの影が重なった。ふと顔をあげれば、見覚えのある女の子が目の前でわたしを見つめている。

 あれ、この子って?


「藤倉先輩」 


 その声でわたしはあっと思い出す。


「どうしたの?」

「あの……この間はすみませんでした」


 2つに結んだ長い髪と小柄な身体が印象的な彼女は、小動物的可憐さを持ち合わせている。腕や足が細くって、肩なんか折れそうなくらい華奢で、これぞ女の子って感じ。


「私、1年の文坂綾乃です。えっと、謝罪したいのはまずこの間練習中に余所見して補助してなかった事。それから佐川先輩について盛り上がっててひどい言葉を言ってた事です。部長から庇って頂いたのに、申し訳ありませんでした」


 丁寧な謝辞に深々としたお辞儀のダブルコンビを披露するものだから、わたしは慌てて思わず立ち上がった。


「き、気にしてないよ? いいから顔上げて、わざわざありがとね」


 隣で遥が笑いをこらえているのが気配でわかる。だってこんなの慣れていないし、全く人事だと思ってさ。


「先輩は……何だか不思議な人ですね」


 顔を上げた綾乃ちゃんは、大きな瞳をくりくりさせて首をかしげる。


「みんな普通の人普通の人って言うし、確かにそんな雰囲気を醸し出しているけど……どこか達観して物事を見ていて、さりげなく配慮が出来て優しい。それに何でも受け入れてくれるというか、全てがすごく自然体なんですよね」


 人生17年、初めての他人様からそんな評価を頂いた気がする。何て返事をすればよいのかわからないわたしに、遥は更に肩を震わせていた。


「そうそう、小夜子って誰にでも警戒心を抱かせない人畜無害的な良さがあるのよね」


 感動の台無しをありがとね、遥。でもそれ褒め言葉じゃあないでしょう。もしや頭がおめでたいとでも言いたいの?


「佐川先輩とは、お付き合いされてないんですね」

「そうなの、幼馴染だから結構誤解する人はいるんだけど。お互い恋愛感情なんて全くないよ」


 ナイスタイミング、これは1年生の間で誤解を解いて貰わなきゃ。わたしが意気込んで答えると、綾乃ちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。


「佐川先輩って本当に凄い人ですよね。あれだけ格好良い上に勉強も運動も、およそ高校生で出来得る範囲を軽く超えている感じで。しかも人望まで厚いとか」

「うーん、そうだね……」


 やっぱり後輩からの目線だと3割増しくらいの美化はあるのかな。そんな水増しなんて必要ないくらい立派なんだけど。

 目をキラキラさせて頬を赤らめる、そんな可愛らしい彼女を見ていると、これが本当の恋する乙女の姿なんだろうなと実感する。周囲の空気をピンク色に染め上げるオプション機能付きとは、やっぱりわたしにはちょっと無理だ。


「確かに、昔から無駄に何でも出来るんだよね」

「あはは、それじゃ何かあまりに出来過ぎで人間じゃなくて宇宙人みたいです」


 この瞬間。心臓がぎゅっと握り潰されて口から欠片が飛び出るんじゃないかと、本当に誇張ではなくてそれくらいの衝撃がわたしの胸を走った。試合時の緊張感溢れる鼓動よりも数段早い動悸に頭がくらくらして、ひょっとして倒れ込むんじゃないかと思うくらい。

 ここが学校でなくて、後輩の前でなければ。わたしは絶対この場から一目散に逃げていたかもしれない。

 稜介が宇宙人。わたし以外の人にまで、そう思われてるの?


「だから先輩は羨ましいです。私佐川先輩にあこがれているので、先輩がライバルじゃなくて良かった」


 綾乃ちゃんが可愛らしい笑顔を向けてくれるけど、それに微笑み返す余裕がない。

 セミの声がうるさく鳴り響き、太陽に蒸された地面の上はゆらりゆらりと外気が震えている。その先にフェンスがあり、隙間から陸上部員達の姿が見える。目を凝らせば彼の姿を見つけてしまいそうなので、わたしはわざと横を向いた。心臓の音が鼓膜の奥で反響して、耳が痛い。

 落ち着いて、はやく落ち着いてよわたしの心臓。

 休憩終了の笛の音が鳴ったのはそのときで、綾乃ちゃんはぱっと集合場所へ振り返る。


「あ、じゃあわたし1年の持ち場に戻りますね。先輩のスコアはばっちり記録しておきますから」


 遠ざかる背中に揺れる髪を見つめても、わたしの平常心は戻らない。隣でラケットの具合を調整していた遥が、不審そうにわたしの顔を覗き見る。

 あれは冗談だってわかってる。わかってるのに、この言いようのない不安は何?


「藤倉さん、片瀬さん」

「片桐部長?」


 休憩が終わったら自主練習の時間だ。けれど珍しくラケットもボールも持たない状態で片桐部長がやってきた。


「調子はどう?」

「小夜子がかなり調子を上げてきてるので、わたしも何とか。ダブルス初の優勝目指しますよ」


 遥はにっこり笑ってVサインを作って見せる。わたしも頷いて、ちょっと強張った笑みを顔に貼りつかせた。


「それは良かった、期待してるわね」


 よく日に焼けた肌に、白い歯を覗かせた笑顔が輝く。片桐先輩は夏が似合う人だな。


「あ、あとそれで申し訳ありません。陸上部の場所の件ですけど……」

「本当に聞いてくれたの?」


 わたしが行動を起こしたのがそんなに意外だったのか、片桐部長は目を丸くしている。でも結果は失敗なので、報告は心苦しい。


「そう、ありがとう。気にしなくていいのよ、駄目元って言うか、結局自分のために言っただけだから」

「自分のため?」


 それこそ意外な返答。どういう事なの?


「最後の大会を前に自分をおかしな方向にもっていきたくなかったの。でも、人間自分の感情に嘘はつけないわね」


 部長ははにかんだ様に笑って、ユニフォームのポケットから白い紙を取り出した。


「これ、彼に渡してくれないかしら」


 綺麗でシンプルな封筒に入ったそれは、多分手紙。誰に、なんて問いかける必要はなかった。正しく折られた表の折り目に沿って、小さく彼の名前が書かれている。


「中身は秘密」


 封をした赤い花のシールがやけに繊細に見えて、ぼんやり綺麗だなと思った。そしてわたしは何時の間にかその手紙を自分で持っている事に驚いた。割と強引にわたしの手に押しつけるようにそれを持たせていた部長は、わたしの指先をぎゅっと握る。掴まれた人差し指の先が少し熱い。


「全てスッキリさせて試合に臨むのも悪くないと思って」



     ※



「ねぇ小夜子、大丈夫?」


 生ぬるい風が吹いて、わたしのポニーテールを揺らしている。汗で頬や首に貼りつく髪が気持ち悪いけど、タオルで拭う気にはなれなかった。顎を伝った滴が重力に負けて、ぽたりぽたりと地面に染み込む。


「うん……」


 身体はどこも悪くない。そう思うんだけど、何となくお腹の下辺りにもやもやしたものを感じる。すっきりしないと言うか、喉に刺さった小骨が胃にやってきたと言うか。

 何かがどこかでつっかえている、そんな感じ。


「でもあんた、今にも泣きそうな顔してるよ」


 心配してくれる遥の声すら、どこか遠い。大丈夫、と返す声は半ば自分に言い聞かせているように頭の中で反芻される。

 だって心が重くて、どうしようもないの。

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