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S.Fです  作者: コアラ
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第4話

 そもそもわたしと稜介は生まれたときから家がお隣のご近所さんだ。お互いに同い年、更に周囲に年の近い子供が健太郎以外ほとんどいないなんて環境で暮らしていれば、仲良くならない方が不自然というもの。幼馴染の名に恥じず、それはそれは一緒に遊んだものだった。


 当時は意識していなかったけれど、昔から稜介はずば抜けて頭が良かった。小学校のテストはいつでも満点で、授業中も間違えた事なんて一度もない。よく図書室で持ち出し不可の専門書を読んでいたけど、何のジャンルかなんて今のわたしでもわからない。知能テストがある度に先生に呼び出されて、校長室で難しい話もしていたらしい。だから担任の先生も私立の超名門校への推薦を進めていたけれど、稜介はあっさりそれを断ってわたしと一緒に地元の中学校へ進学した。理由を聞いてみたら、気が進まないから、とだけ答えてくれた。

 わたしはそれを、稜介がわたしの両親に気を遣っているんだと思っていた。それと言うのも稜介の両親はわたし達が中学校に入る前くらいの時期に2人ともに事故で亡くなってしまって、あの頃から彼は藤倉家で生活するようになったからだ。稜介の家は親戚が全く連絡の取れない状況になっているらしくて、わたしのお父さんお母さんが彼を引き取る事を申し出た。養子ではないから戸籍上は他人だけど、以来稜介は藤倉家の3人目の子供として育ったとしても過言ではないはず。

 でも彼は優しいから、負い目を感じていたのかな。そのまま一番近くの公立高校に入る前辺りから稜介は一人暮らしを意識していたみたいで、受験に合格したのを切っ掛けに元の隣家で生活を始めた。それまでは衣食住のほとんどを藤倉家で行っていたけど、それからはまるっきり我が家に来なくなったのだ。健太郎が泣くし、わたしも家族だと思っていた人が突然いなくなるのは耐えられなかったから、説得して食事だけは一緒にとるようになったけど。あの当時はわたしも随分堪えた。

 そう、稜介はある意味家族のように近しい幼馴染。そこに居て当然という人だから、学校で女の子達がドキドキしているような感情は湧いてこない。でも離れていってしまうと悲しい。こういう感情をなんて呼ぶのか、それが上手く説明出来ないのだけど。

 けれど少し距離を置いたからこそ、見えるものもあった。

 わたしが彼を宇宙人ではないかと疑いだしたのも、丁度彼が家を出ていった頃だった。



     ※



「ごちそうさまでした」


 こんがりきつね色に揚がったコロッケをお腹に収めた面々は、それぞれ思い思いに食後の一服を図る。お母さんは煙草に火をつけ、健太郎は麦茶をがぶ飲みし、稜介は綺麗に食べられたお皿を片付け始めた。だらけ切った藤倉家と礼儀正しい宇宙人の対比がちょっと情けない。

 わたしはその中でも唯一真っ当な感覚を持つ地球人としての自負を胸に秘め、食器を流し台で洗い出した。隣には布巾を持つ彼が立つ。こうして並ぶと頭2つ分くらい身長が違うので、会話するのには首が疲れてしまう格好だ。


「あのね、部活なんだけどさ」

「陸上の事?」


 流水で洗い終えた皿を手渡ししながら、稜介は首を傾げた。


「そうそう、ほら高跳びの機材一式がテニスコートの近くであるじゃない」

「ああ、あれね」

「あれ動かせるの?」

「まぁやろうと思えば出来るけど」


 それがどうかしたの、と彼は目で促す。


「もう少しテニスコートから離れた所で出来ないかなって思って」

「音がうるさい?」


 眉を顰める稜介に、わたしは言葉が詰まる。貴方のせいでテニス部の女子が色ボケして困っています、とは流石に言えない。


「ううん、いやあの……そ、そうだ。こっちのボールがフェンスを越えて当たったら大変じゃない」

「何を今更、そもそももっと近くに野球部の練習場があるし」


 そりゃ旦那、御尤もです。頭の中でわたしは扇子をぺしんと叩いた。ああ、失敗しました片桐部長。駄目な後輩でごめんなさい。


「それにもっと遠くしたら僕が見えないし」

「何を」


 洗剤の泡がぶくぶくと膨れ上がって、小さなシャボン玉が一つ生まれた。虹色が巡るその表面に、ぐんにゃりと歪んだわたしと稜介の顔が混じり合っている。儚い球体はふわふわと宙を漂い、その頼り無げな動きが可愛らしい。


「小夜子を」


 その言葉から一拍遅れて、お気に入りのアクリルグラスが指先から排水溝へと滑り落ちる。飲みかけのお茶が泡を伴ってひっくり返り、大きく撥ねた水が頬にまで貼りついた。慌ててコップを拾おうと伸ばした手は震えている。

 予想外の事をあんまり平然と言うものだから、手元が狂ったのだ。一瞬指先へ視線を移していたら、その間にシャボン玉はもう消えてなくなってしまっている。


「今日片瀬さんと随分頑張って練習してたね、小夜子去年よりずっと上手くなったよ」


 見てたんだ。いや、そりゃあ見えるよね、なにせこっちのテニスコートから稜介が見えるんだからさ。

 決まりが悪くなって二の句が継げないでいると、お母さんが3本目の煙草に火をつけて口を開いた。


「ねぇ小夜子、ところでそれは何?」


 不思議そうに指差すその先はガスコンロの脇、調味料が置かれた台の上にある小皿に入った油。


「お供え物よ」


 わたしはきっぱりとお答えする。


「さっき油を水に変えたマニアックな幽霊へのお礼なの。ううん、もしかしたらただの幽霊じゃなくて先祖代々の守護霊かもしれないけど。とにかく万が一悪い霊だとしてもそのおかげでわたしは火傷をしなかったから、感謝しておかないと。祟られたら嫌だし」


 先程の事件とお風呂で考えた結論を語ってあげると、まずお母さんはお腹を抱えて笑いだした。稜介は無言だったけど、布巾を動かす腕が止まって肩が震えている。そして全ての麦茶を飲みきった健太郎はわたしを見て、しみじみと呟いた。


「姉ちゃんってほんと、鈍感だから……」


 うちの家族は変わっている。この先一生油が使えずコロッケもてんぷらもトンカツも食卓に並ばなくなっても、それはわたしのせいじゃない。



     ※



 思い起こせばあの時も季節は夏だった。小学6年生、セミの声が鳴り響きひまわりが咲き乱れる夏休みの頃。

 連日のあまりの暑さに参っていたわたしは、稜介に河原へ遊びに行こうと誘った。わたし達の住む家の近くには小さな川が流れていて、夏場そこで遊ぶのはお決まりの定番コース。流れも緩やかで浅いので、地元の大人達もあまり警戒していない。そして当時は小学校の間で川の中の綺麗な水色の石を見つける遊びが流行っていて、わたしもご多分に漏れずその石が欲しかったのだ。


「ねぇ行こうよ稜介、大きな石を見つけてみんなに自慢しよう」


 部屋で本を読んでいた稜介は、新聞の天気欄を指差して渋い顔をする。


「今日は夕方から雨が降るし、危ないかも。今度にしようよ」

「平気だよ、だってあそこ赤ちゃんだってハイハイ出来るくらい浅いんだから」


 わたしの表現は誇張ではなく、本当にそれくらいその川は水位が低かった。それこそスニーカーのまま川面を通過するのはわけのないくらい。とにかく子供特有の向こう見ずな好奇心と根拠のない自信、それと無駄に熱い弁を駆使して、わたしは無理矢理稜介を外へ連れ出す事に成功した。健太郎は風邪を引いて寝込んでいたので、2人だけで川へと向かう。

 たどり着いた河原は光を反射しきらきらと輝いていて、わたし達は早速石の捜索を開始した。多分張り切っていたのはわたしだけだったけど。

 足首にすら届かない水は暑さのせいか妙に温く感じ、あまり涼しくはない。それに期待していた水色の石は全く見つからなくて、1時間もすると嫌気がさしてくる。芳しくない結果に稜介は帰ろうと促したけど、わたしはそれに素直に頷けない。だってどうしてもその石が欲しかったのだ。


「いいもん、稜介は帰ればいいでしょ。わたし一人でも見つけてみせるから」


 そもそもこの付近はきっと友人達が捜索して石を獲りつくしてしまったのかもしれない。だったら範囲を広げようと思いついたわたしは、一人どんどん進んで行った。それが普段大人すら決して踏みこまない領域まで来ていたとは知らずに、水は腰まで覆っていて。

 如何に浅い川といえど上流から水が下降している以上、水底が削られて深くなっている部分は必ず存在する。けれど残念ながら幼いわたしはそんな事を知らなかった。

 夢中になって探していたせいなのか、わたしは雨が降り始めてからやっと自分がとんでもない所までやってきたのだと思い知った。背後を振り返っても稜介の姿はなく、むしろ川岸すら雨で隠れて遠い。慌てて引き返そうとしたけれど、焦りは足を縺れさせ、その場に頭から転倒する。

 水が、足が、冷たい、暗い。

 感覚の鈍る水中は平常心を簡単に破壊してくれる。

 ――痛い、助けて、誰か!

 混乱した頭で必死に状況を理解する。水底の石に足をぶつけたらしく、痛みで歩く事が出来ない。それでももがいてもがいて水面に頭を浮上させると、恐ろしいくらい激しい雨が顔面を叩いた。


「小夜子っ!」


 どこかで稜介の声がする。でも雨で瞳が開けられない。


「稜介、来ちゃダメっ!!」


 それだけ叫ぶのが精一杯で、わたしは再び水の中へと引きずり込まれた。雨で増した水位はわたしの身長を悠々と超えていたのだ。

 この時になってわたしはようやく後悔する。どうして稜介の言う事をきちんと聞かなかったんだろう。子供の水の事故がどんな不注意から発生するか、どうしてわからなかったんだろう。ああでも、稜介を巻き込まないで済んだのだけは良かった。

 泥で濁った水の中、もはやわたしは抵抗をしなかった。身体がひどく重たくて、そんな気力がなかったのだ。


「小夜子」


 だから助かったはずの彼の声が聞こえたとき、わたしは驚いて目を見開いた。暗い水の中で、何も見えないはずのある一点から声は響いている。


「大丈夫、君は必ず僕が守る」


 稜介、稜介なの? お願いだからわたしに構わずはやく逃げてよ!


 前後左右もわからない、真っ暗な水の底の空間。そこへ走る一筋の光のきらめき。黄金色の蝶々が夜空を舞う軌跡のようなその光は次第にわたしへと近づき、次の瞬間、視界から水がはじけ飛んだ。

 最初は何が起こったのか理解出来ず、わたしはぽかんと口を開いて茫然としていた。その口から空気が吸える事に気がついたのは、目の前の光が稜介だとわかったのと同時だった。

 髪の毛の先から爪先まで、稜介は体中が黄金色に光っていて、その足元は水底から少しばかり浮き上がっていた。もちろん空中に浮かぶような道具は持っていない。それなのに瞳だけは真っ赤で、お母さんのルビーの結婚指輪を思わせる。彼を中心に水は氷柱のようにはっきりと左右に分かれていて、底には苔で覆われた黒い石がごろごろしているのが見えた。降りしきる雨も何故かこの一帯には落ちてこない。

 稜介は何の感情も読み取れない表情で、静かにわたしを見下ろしている。


「小夜子、目を閉じて」


 何か抗えない圧倒的な強さを感じて、わたしは大人しく目を瞑った。稜介にしては大きい、けれど多分彼の腕だと思われる温かい何かに抱きかかえられて、わたしの身体も光を纏う。触れた箇所からじんわりと熱が伝わって、自然と身体の緊張が解けていく。


「今起こった事は、多分小夜子の人生に関わってはいけない事だ」


 瞼の境に黄金の光がちらついて、耳の奥で何か不思議な音が聞こえる。断続的にモーターが回るような低い音。


「全てがわかってしまったら、一緒にはいられない。だからこれは僕達だけの秘密だよ」


 段々とおぼろげになる意識の中で、稜介はそんな事を言っていたような気がする。わたしは曖昧な相槌を打ちながらまどろみに落ちていき、何一つ理解出来ないまま眠りについた。

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