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S.Fです  作者: コアラ
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第17話

「今後の参考のために、これを貸してあげるわ」


 そう言って片桐先輩が差し出してきたのは、えんじ色の小さな日記帳だった。

 余程長く使っているものなのか、革張りの四隅は所々汚れていて、差し込み式のバインダーの紙重量はかなりある。


「彼の日記よ。貴方も色々と思う事があるでしょうから」


 遠くで響く校庭からの掛け声を聞きながら、彼女は薄く微笑んだ。肩を掴めば消えてしまうのではないかと錯覚する程、その表情はあまりに力無く脆い。発せられる声も弱々しく、如何に彼の話題が彼女自身に重くのしかかっているか、それを露見していると言ってもいい。


「どうして片桐先輩は僕達の正体がわかったんですか」


 もはや隠す事は無意味だろう。僕が尋ねると彼女はじっと自分の腕を見つめた。


「……わたしの祖父がね、藤倉さんのような完全に人間に溶け込める宇宙人だったの。だから正確にはクォーター。物質に軽い衝撃を送るくらいしか力はないけど、それだって物凄く体力を使って念じてやっとよ。窓ガラスの件は悪かったと思ってるわ、あんなに大きな力になるとは思わなくって」


 機会があったら彼女に謝っておいて、と片桐先輩は軽く頭を下げてきた。


「別に宇宙人探知能力とかはないのよ。でも初めて貴方と藤倉さんを見たときにね、わかっちゃったの。だって貴方達があんまりわたし達に似てたから」


 周囲から信頼される完璧な人間と、ごく普通の女の子。彼女の目には、僕と小夜子が自分達と重なって見えていたんだろうか。


「彼はある日突然わたしに何も言わずに消えちゃったわ。そして残されたわたしはご覧の有様。心の中で彼の幻に追いすがって、もどかしい想いで胸が詰まって、どうしようもないのに涙が出るの。もう2年も前の事なのに」


 震える言葉は僕に向けられたものではない。僕を通して、片桐先輩は彼に語りかけているのだ。


「本当は彼がわたしの事をどう思っていたかなんてわからないし、その日記にも決定的な事は何も書かれていなかった。でもだから、これはわたしの自惚れかもしれないけど」


 ぼんやりとした焦点の合わない黒い瞳が僕を、いや彼を見つめている。僕が彼女の望む相手ではない事に胸が痛んだが、そのとき不意に小夜子の顔が脳裏を過った。

 いつか、僕が故郷へ帰ってしまったら。彼女もこんなふうに僕を責めるのだろうか。こんなやり切れない想いを抱えて。

 僕が、そうさせるのか。


「ねぇ白崎君、わたしの事好きだった? だから消えてしまったの? 長く一緒にいて、お互いが辛い想いをする前に」


 それは多分、片桐先輩が一番知りたかった独白に違いない。数秒の時間を置いて、僕のワイシャツの襟首を両手で掴みかかっていた彼女に、理知の光が戻る。


「……ごめんなさい」


 そっと放された手はだらりと下ろされ、彼女は小さく息を吐いた。


「経験者としてわたしから言えるのはこれだけ。個人的に藤倉さんの事は可愛い後輩だと思っているし、同じような想いはさせたくないわ。だから貴方も何時か消えてしまう気でいるなら、彼女に全てを話して別れるべきよ。言わない優しさなんて、わたしにはわからない」


 微かな屋根の隙間から差し込む夕日が彼女の顔を照らしている。そのせいで頬にはわずかに赤みが差していたけれど、結局表情からは何も読み取れなかった。


「それとも誰か他に真実を知っている人はいるの?」

「……1人だけ」


 いる。僕の正体を知る人が。


「そう」


 そう頷いた後は、それ切りお互い言葉を交わす事もなく。丁度通りかかった教師の挨拶を切っ掛けに、僕達はそれぞれの教室へと踵を返した。



     ※



「あのさ、相談があるんだけど」


 藤倉家に着くなり玄関まで出迎えてくれた健太郎は、いつになく真剣な表情をしていた。普段はしないのに僕の鞄を持ってさっさと廊下を歩き、僕を促すようにリビングへ向かう。

 まだ小夜子達も帰ってきてはいないようで、居間には僕と健太郎以外誰もいなかった。彼はいそいそと忙しなくあちこちを動き回り、冷蔵庫の中から麦茶とお茶菓子を取り出す。


「ささ、座って。とりあえず一杯」


 どこのサラリーマンかと疑うような声と共にお茶を差しだされ、さすがに僕も彼の下心満載の接待に眉を顰めた。とはいえ先程の一件で随分精神的に疲れているので、遠慮なく彼の作戦に乗る事にする。

 僕が何も言わずにそれを受け取ったのを確認してから、健太郎も向かいのテーブル席に腰掛けた。


「最初に言っておくけど、俺じゃなくて友達の話だからな」


 思春期真っ盛り、デリケートな年頃から出る友達の話というキーワード。つまりそれは十中八九悩める本人を差している。


「初デートって、何処にいけばいいのかな」

「そんなの相手の年や好みにもよるんじゃない?」


 笑いたくなる衝動を抑えながらお茶を飲んでいると、健太郎の顔は耳まで真っ赤だった。


「健太郎にもそんな相手が出来たんだ」

「い、いいや別に聞いただけだし! 友達の話だし!」


 必死に取り繕う彼の姿は微笑ましい。そして口元の表情を整えるのに腹筋が痛くなる。


「……ただ兄ちゃんならどうするのかなって」

「まず相手はどんな人?」

「えっと、結構小柄で可愛い感じの人。見かけは華奢で儚い感じなんだけど、話し出すとかなり明るくってはっきりしてるかな。髪が長くって、最近切りたいとか言ってるけどそれは勿体ないと俺は思ってて……」

「同い年なの?」

「いや、一つ上なんだ。あ、中学の先輩ね。今は高一だけど中学校の文化祭で知り合って、そのまま連絡とってる」

「健太郎とずっと続いてるの?」

「うん、毎日メールしてるよ。っていうかマジびっくりなんだけどその人さ、俺達と同じ――」


 そこまで嬉々として口を開いていた健太郎の表情がピタリと止まった。そして数秒の空白。頭の中で、たった今の己の発言の迂闊さを振りかえっているに違いない。


「誘導尋問っ!」


 大きな音を立てて、健太郎は椅子から立ち上がった。


「失礼な、健太郎が勝手に語り出したんじゃないか」

「ひどい、兄ちゃんひどいっ!」

「やだ、健太郎それ本当?」


 大袈裟なリアクションで床をのたうち回っている彼の背後には、いつの間にか部活帰りと思われる小夜子が立っていた。それを見た健太郎の表情が後悔と絶望に染まる。


「何で姉ちゃんまで聞いてんだよっ! うわ最悪、超最低だっ!!」


 家族にこんな話を聞かれるのはやっぱり抵抗があるものなんだろうか。健太郎はソファに置かれたクッションに頭を埋め、聞き取りがたい怨嗟の言葉を吐いている。


「わたし達の初デートってこないだの映画でいいの?」

「どうかな、昔から一緒に色んな所に行ってるからね」

「そうよね。ああ、それにしても健太郎に先を越されそうで悔しいわ」


 一方の小夜子は別に健太郎の恋の相手なんて全く気にならないみたいだった。むしろ引っ掛かるのは別の部分らしい。


「何を越されるって?」


 セーラー服のリボンを丁寧に折りたたみながら、彼女は弟の足をえいと軽く蹴り飛ばした。


「桃色背景機能の習得。わたしにはまだその極意が会得出来ていないのに……」

「何馬鹿な事言ってるの、うちの娘は」


 あわや反撃に出た健太郎と不毛な姉弟喧嘩が開始されようとしたその直前。救いの女神ならぬ藤倉家の生きる法律の声がした。2人の母親であるマヤさんは、仕事用のスーツに身を包んだままリビングの扉の前に立っている。


「ほら小夜子、さっさと夕飯作って頂戴。今日は冷やし中華なんか食べたいわね」


 この家では彼女に逆らう事が許されていない。女王様のご命令に、小夜子は顔を顰めて鞄の中から財布を取り出した。


「もう、ほんとお母さんて傍若無人よね」


 野菜がないから買いにいかなくちゃ、と小夜子はさっさと部屋を出ていく。そして残された健太郎にも厳命なるお達しが下される。


「健太郎は勉強。ほらちゃきちゃき動く」

「わかってるよ……」


 受験生の身分では、その言葉に逆らう事は出来ない。彼もまた渋々頷いて自分の部屋へと向かった。


「お帰りなさいマヤさん」

「ええ、今日は本当に疲れたわ。クライアントからのクレームで所長から鬼のように怒られるし」


 彼女の帰宅は日によってかなりバラつきがあるけれど、今日は比較的早い時間帯のはずだ。


「それで、随分浮かない顔してるみたいだけど?」


 飲みかけの僕のコップに構わず口をつけて、マヤさんは先程健太郎は座っていた場所へと腰掛ける。


「いえ、別に何も」

「そう? 健太郎もあんなに浮かれちゃって馬鹿な子ね……ま、本当はわたし相手の子知っているんだけどね。そういえば稜介君も小夜子とこないだ映画へ行ってたっけ、楽しかった?」

「ええ」

「小夜子もね、あの日の夜どことなくぼうっとしてにやけてたわよ。こんな親の前で見せつけてくれちゃっていやね、青春だわ」


 にまにまと、それこそ健太郎が見たら憤死するのではないかと思われるくらい人の悪い笑みを浮かべて、マヤさんは麦茶を最後まで飲み干した。


「ほんと、こんなに良く出来た格好いい男の子は他にいないものね。ううん、いるわけないか。だって稜介君は人間じゃないものね」


 外見はともかく、小夜子とマヤさんの中身は全く似ていない。娘と違って彼女は鋭い観察眼を持っているからだ。


「御両親からの通信はまだ?」


 そして心臓を凍らせるような事を平気で口にするのもまた、女王様の特権だった。


「いえ」

「そう、それでそろそろ答えはでたのかしら?」

「……」


 背中をゆっくりと伝う汗。思わず両の拳がぎゅっと握られる。それらをマヤさんは目を細めてじっくり見つめていた。


「前にも言ったと思うけど。もう一度ね」


 どこまでも声は優しい。そしてそれに騙されてはいけない。


「稜介君。あたしはこんな藤倉家を受け入れてくれた貴方達家族に感謝しているし、貴方の事も本当の子供のように思っているわ。そして母親の立場としては、子供には必ず帰ってきてほしい。たとえどれだけ年月がかかろうと、絶対に我が子に会いたいわ」


 迷いのない声。断罪者の気持ちを味わっていながらも、この真っすぐにそれない心が僕には眩しい。


「でもあの子の親としては違う。あたしの可愛い娘を泣かせたりしたら、貴方をきっと一生許さない」



     ※



 僕の正体を知っているのは小夜子の母親であるマヤさんしかいない。

 そもそも藤倉家がこの地球へやってきたとき、僕達はもう随分人間としての生活に慣れていた。だから普通に振る舞う分には僕らの正体なんて怪しむ事はなかっただろうし、実際父も母も自らの正体を明かさなかった。突然やってきた宇宙人を迎えた平凡な一家。そう演出するのは決して難しい事ではない。

 けれど僕がこの地に残る事になったとき、母は悩んだ末にマヤさんにだけ僕達の秘密を全て話してしまった。1人残す僕の事がどうしても心配だったんだろう。マヤさんもマヤさんで、割合あっさりそれを受け入れていた。ただもしかしたら鋭い彼女のこと、前々からおかしいと思う事があったのかもしれない。

 マヤさんは僕の秘密に関してずっと協力体制をとってきてくれた。この姿の事、力の事、それから寿命の事。小夜子が溺れたあの日については、2人で口裏を合わせて嘘をついた。秘密の共有者としては、この上もなく頼もしい。


 けれど僕と小夜子の関係が変わってしまった今では別だ。

 マヤさんは本当に自分の娘を愛している。いつも天の邪鬼な態度で接しているけど、小夜子が熱を出せば一番に駆け付けるし、どんなにお酒を飲んできても彼女の料理は必ず食べる。幼い頃の写真を大事そうに定期入れに忍ばせている事も知っている。本当はとても優しい人で、そして僕の事も本当の子供のように愛してくれている事も。

 母として、2人の子供の板挟みになって苦しい思いをさせている。僕は本当に親不孝者なのかもしれない。

 そしてだからこそ考えれば考える程、彼の選択が最善に思えて仕方ない。


「日記、か……」


 夕飯を終えて、自室で片桐部長から渡された日記のページをめくる。厚さにして4センチはあるであろうそれは、ずしりと手に重い。開くと年季の入った古い紙の匂いと共に、おそらく小学生程度からと思われるいびつな字が並んでいる。

 見るともなしにページを開けば、そこには微笑ましいくらい素直な少年の内面が晒されていた。それが日を追うごとに成長し、やがて片桐部長の話していた最後の日までが綴られている。数分ざっとそれらを眺めやっていると、ふと妙な事に気がついた。

 最後の日付が近づくに連れ、どうも紙が黄ばんで水を零したかのように乾いている。指の腹でなぞってみると、固まった繊維質がごわごわと引っ掛かった。おまけにその部分だけ文字が滲んで、どうにも読みづらい。というよりもインクが掠れるように浸みて読めない。

 水を零した、と言われればまさにそれだろう。けれどそれは一点一点が雨粒のように間隔を開けて落ちていて、液体を一面に流してしまった時とはどうも違うような気がする。こんなふうにページを濡らすのは――涙の跡しかない。

 ではこれは、彼の涙なんだろうか。最後の日から三日間、彼は日記を書かなかったのか、それともこの滲みの下に何らかの記述があったのだろうか。


「稜介」


 そんな事を考えるのに相当没頭していたらしく、僕はすぐ後ろに小夜子が立っていた事に全く気がつかなかった。


「……小夜子?」


 制服から部屋着のゆったりした緑のルームパンツに着替えた小夜子は、片手にリンゴの入った籠を抱えて立っていた。


「勝手に入ってごめん。でもインターフォン鳴らしても全然でないし、玄関の鍵は開いてるし、電気はついてるし……倒れてるのかと思った」


 咄嗟に日記を閉じて机の上に置く。小夜子はそれを全く気にせずに、僕の隣のベッドの上に座り込んだ。


「構わないけど珍しいね、僕の家に来るなんて。どうかした?」

「さっきお向かいの片山さん家からリンゴ貰っちゃったの。沢山あるから稜介も食べてよ」


 ナイフも一緒に持ってきていたらしく、彼女はその場で赤い果実を一つ手にとった。


「稜介の部屋に来るのは久しぶりよね。小学校以来かも」


 しゃりしゃりとリズミカルに赤い皮が剥がれ落ちる。重力に抵抗出来なくなったそれが床に落ちるのを、小夜子は器用に籠で受け止めた。


「相変わらず何も無駄な物がないよね、健太郎の部屋とは大違い」

「基本的に寝て勉強するだけだから。ご飯はそっちで食べてるし」


 綺麗に切られたリンゴの欠片を手渡され、僕はそれを口に含んだ。甘酸っぱい味が口内に広がる。


「あのね、こないだちょっとネットで調べてみたんだ。わたしの星の事」


 残りのそれに切り込みを入れながら、小夜子は言った。


「黄色と赤と青のコントラストの綺麗なイーグル星雲。あの光が7000年も前のものなんだと思ったら、つくづく距離の遠さに驚くわ。あそこにわたしの故郷の星があると思ったら、感慨深いものね」

「小夜子は帰りたいって思うの?」


 彼女はゆっくりと首を振る。


「全く覚えてない故郷なんて、わたしは帰りたくないよ。家族も友達もここにいるし。っていうかやっぱり自分が宇宙人だなんて未だに思えないんだけど……ああ、でも」


 そこで言葉を止めて、彼女は僕を振りかえった。リンゴを切り終えたナイフを床に置いて、身体ごと僕に向き直る。


「もしあの星に大切な人達がいたら。稜介ならどうするの?」


 小夜子の声はとても静かで、顔には薄らと笑みが浮かんでいた。そしてそれはとても、ついさっき話をしていた片桐先輩にあまりに似ていて。僕が答えに詰まるのを、彼女はじっと見つめている。

 時が、いや僕の心が凍るような気がしたのは一瞬だけだったらしい。僕の答えを待たずに、小夜子はすぐにぱっと立ちあがった。


「ごめん、こんな事聞かれても困るよね」


 いつもの明るい声が頭上から降ってくる。


「あ、そうそうお母さんが呼んでるんだけど」


 リンゴの籠を抱え直しながら、小夜子は言った。


「ビュータが直ったんだって。覚えてる?昔わたし達が遊んでて壊したあれよ」

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