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S.Fです  作者: コアラ
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第16話

『貴方の正体を知っています。

 大切な幼馴染に真実を伝えたくないのであれば、明日の朝、南門まで来て下さい』


 まぁ、手紙を開いた時にはそれなりの驚きがあったと思う。


「ラブレターじゃなくてごめんなさいね」


 校舎から遠いあまり人気のない南門。体育用具倉庫の壁に並べられている石灰の袋の上に座ったまま、片桐先輩はそう言った。杉の木がお互いに隠れるように密集している場所なので、朝の日差しはほとんどが遮られている。

 僕と彼女の接点と言えば小夜子だが、実際はこうして顔を合わせるのも初めてだ。


「随分上手く化けていらっしゃるみたいだから、今回も恋文だと期待されたかしら。でも結構衝撃的な文面で、同じくらいのドキドキ感はあったんじゃない?」


 背中をゆっくり汗が伝う中、彼女はどこかひやりとした空気を身に纏っているようだった。細身な身体がピシリと姿勢よく背を伸ばされ、口元には涼しげな笑みが浮かんでいる。小夜子はよく彼女の事を熱血スポーツ少女だと言っていたけれど、こうして対面した限りでは正反対の印象を持つ。どこか張り詰めた、緊張を強いられるその雰囲気。


「貴女が思われている程僕は自惚れてはいませんけど」


 僕は彼女の真正面、杉の幹に身体を預けて口を開いた。


「それで、どういった御用件で?」

「あら、つれないのね。わたしと一緒にいるのを藤倉さんに誤解されたら嫌だから?」


 下から見上げるような挑発的視線を向けて、片桐先輩は目を細める。


「心配しなくたって、わたしだって心に決めた人がいるの」


 だからお互い様よね、と言って彼女は青い塗装の剥げかけた倉庫の壁に肩をついた。


「冗談のお呼び出しなら、そろそろ教室に戻りたいんですが」

「あら、これは真面目な呼び出しよ。それもそこらの貴方の見かけに騙された女の子達の告白よりかは、よっぽど愛のこもったね」


 片桐先輩はくすりと含みのある頬を持ち上げて、石灰袋の端を爪でつついた。引っ掻かれた紙袋は一筋の傷がつけられ、その間からラインパウダーがポロポロと零れ落ちていく。足元に広がる白い領地の山。僕はそんな彼女の動きをじっと目で追っていた。


「単刀直入に言っておくわね。藤倉さんと離れる気はない?」


 雑木林の葉の隙間から降り注ぐ途切れた光を浴びている彼女は、運動部とは思えない程青白い顔色だった。いや、肌自体はよく日に焼けていた。その表情が、どうにも彼女の生気を奪っているように見せている。笑っているはずなのに、瞳の奥には全く光がない。


「心に決めた人がいると今言われたばかりですよね」

「やっぱり貴方は自惚れ屋さん。わたしはね、ただ単に可愛い後輩の為を思ってこう言ってるの」

「さっきから、おっしゃる意味がよくわからないのですが」

「わからない?」


 途端、声の質が変わった。表面を取り繕うような猫撫で声から、獲物を狙う鋭利な刃物のように硬質で、それこそ氷を切り刻むかのような苛烈さを秘めたそれに。


「それ冗談よね、だって貴方本当は誰よりもわかっていると思うわよ。自分みたいな特殊な宇宙人が彼女のそばにいるのは無理があるって事を」


 激した言葉のままさらりと、何気なく。彼女の物言いはまるで出来の悪い生徒をたしなめる教師のように、あっさりと確信をついてきた。


「あら、そんな怖い顔しないでよ。わたし他にも色々知っているんだから……そうね、貴方は宇宙人。どこか遠い星からやってきた未知なるエイリアン」

「片桐先輩」

「どんな星でも大抵の生命体は実体を持つし、比較的人型に近いものが多く繁殖、文明を築いてきたけど……貴方は違うでしょ」

「片桐先輩」

「どうしてそんなに詳しいのかって? ふふ、そんなの簡単よ」


 僕の言葉など聞く耳も持たず、いやそもそも聞こうとすらしていないのか。まるで自分の世界に酔っているかのように口を動かして、彼女は右腕をそっと掲げている。


「いい加減認めた方がいいわよ。ほら、大切なあの子がこっちを見てる」


 パチン、と指先が空気を弾く音。小気味良い澄んだその音色はこの陰鬱な気配を取り払うかのように周囲に響き、そして僕は咄嗟に振り返った。木々の間に隠された校舎、彼女のいる教室へ。

 ――小夜子が、いる。


「地球外生命体なんてどこにでもいるんだから。ほら、ここにも2人」


 その声と同時に、僕の足は地面を蹴り――教室の窓には亀裂が入った。



     ※



 僕の両親は当然ながら自分達の正体を隠して生活していた。それは藤倉家も同じで、基本的に僕達は人間社会に溶け込む事を一番重要視してきたからだ。小夜子が自分の正体に気がついた今でも、その方針は変わらない。

 ただ時折思う事はあった。僕達以外にも、何らかの理由で地球へと辿りついた他の知的生命体はいるだろう。そもそも小夜子のような、異星で更なる別星人と出会うという恐ろしい確率の偶然を体験してしまったのだから、こう考えるのも無理はない。

 けれどそれらとコンタクトをとる事はまずないだろうし、そもそもお互い存在に気がつくかどうかという大前提の問題があった。だから実際に出会う事はないだろうと、そう高をくくっていた矢先の出来事が片桐先輩の手紙だったわけだ。


「部活の後輩がね、昨日わたしの事を怒ってきたわ」


 彼女との邂逅を思い起こしていると、片桐先輩はふと動かしていた足を止めた。


「佐川先輩には恋人が出来たから、あんまり2人きりになって近寄るなって。知ってる? 馬鹿みたいなファンクラブの決まりで、3年生にならないと貴方に1人で話しかける権利すらないらしいわよ」


 通常のクラス校舎と移動教室棟を結ぶ用務通路は、部活動の時間になるとほとんど人気がなくなってしまう。近くのグラウンドでは激しい掛け声や怒声が飛び交っているものの、渡り廊下となっているこの場所には声の残響しか聞こえてこない。立ち止まって耳をすましてみても、何と叫んでいるのかはわからなかった。

 ついてきてと教室から出ていく彼女を追って、僕達は随分と中途半端な通路の真ん中に立っていた。


「おめでとう、正式にお付き合いするようになったみたいで。わたしのアドバイスが受け取ってもらえなかったって事がよくわかったわ」


 比較的柔らかな声でそう告げて、彼女は僕へと振り返った。


「僕はこれでも穏健派なので、先輩から何を言われても受け流せるつもりでした。けれど話が第三者にまで及ぶなら別だ」

「藤倉さんや他の人を巻き込んだ事を怒ってるの? そうね、もうあんな力は使わないつもりよ。だって疲れるし」


 わたしは貴方と違って人間に近いタイプなのよ、と呟いて、ゆるゆると首を振る。


「一体何が目的ですか」

「だから、藤倉さんと別れて欲しいの」


 きっぱりとそう言う彼女が僕にそんな感情など持っていないのは明白だし、その意図がわからない。片桐部長は溜息を吐いて、かすかに見える校庭を見つめていた。


「昔ね、この高校に何でも出来る男の子が入学してきたの。勉強も運動も極めて優秀で、容姿も整って性格も優しい。友人からの信頼も厚くて、いつだってみんなの中心にいるような人」


 突然語りだした口調は優しい。昔を思い出すかのように、彼女の視線は宙をふわりと漂っている。


「彼は昔からそういう人だった。そしてそんな彼の幼馴染だったある女の子は、当然ながらその男の子に恋をしてしまったの。彼と比べると平凡で、頭も良くなくて、唯一テニスが好きな女の子。自分のおじいちゃんがこの星にやってきた宇宙人らしいけど、そんな自覚も力もほとんどない普通の子よ」


 何かを思い出すとき、人はどこか自分に言い聞かせるように話しだす。それはその過去が良い物であれ、悪い物であれ、受け入れてきた事実があるからだ。


「好きだったの、彼のこと」


 だからつまり、そういう事なんだろう。


「わたし達は小さいときからいつも一緒で、お互いが本当に大切だった。テニスも2人でよく練習したけど、大抵は彼の方が上手かった。幸せ、って言われれば本当にそう。2人でいる事が楽しかった。このままずっとずっと一緒にいられると信じていたから」


 彼女の視線は遠く、遠く。まるでそこに彼がいるかのように静かに語りかけている。


「でも彼には秘密があったの」

「秘密?」

「そう、彼の正体もまた宇宙人。貴方みたいな――わたし達より遥かに長い生の時間。つまり永遠の命を持つ生命体だったのよ」


 ずっと一緒にいられないのは、わたしの方だったのと。あまりに寂しげに、彼女は微笑んだ。



     ※



 全てがこんなはずじゃなかったんだ。


 藤倉一家の宇宙船が不時着してから数日。大抵の会話は彼らが愛用していたビュータという小型の通訳機で済まされていた。この地球のありとあらゆる少数言語まで網羅していたそれは、まさに彼らの星の叡智の結晶。そして今後の生活のため両親達は毎日それを使って話し合いをしていたものだから、幼い小夜子にそんな便利な機械がまわってくるはずがなかった。


「りょ、すけ」

「稜介」

「りょー、すけ」

「稜介だって」

「りょおすけ?」


 それでも毎日毎日、彼女は飽きもせず僕の名前を呼んでくる。舌足らずな発音で、何度も何度も間違えて。


「そんなに頑張って言葉を覚えなくてもいいんじゃない?」


 ビュータを使えばこんな苦労は要らないし、そもそも僕は面倒だった。急に現れた異星人相手にどうして言葉を教えなければならないのか。あの当時はいくら自我がはっきりあったとしても、なにせまだまだ子供だったわけだから。それに得体の知れない自分達以外の宇宙人とくれば、警戒心を抱いていても無理はなかった。

 そんな僕の言葉や態度が彼女に理解されたのかどうかはわからない。けれど小夜子はこう言った。


「わたし りょうすけ はなし したい」


 その途切れ途切れの単語に僕がどれだけ驚いた事か。きっと、いや絶対彼女は覚えていないだろうけど。


 そもそもこの星で暮らしていくには、僕達にはあまりに課題が多かった。

 かの星に住む者達は、もちろん人類とは全く違う過程を経て発生した有機体だ。その存在も、概念も、根本的に何もかもが地球と違う。小夜子は都合良く僕の事を人型の宇宙人、と思い込んでいたみたいだけれど、実際には彼女達のような他生物との類似ケースの方が特殊なのだ。僕達の実体が人間とは違っていても、それは当然と言えばあまりに当然で。

 自分の正体を知ったとき、悩まなかったと言えば嘘になる。この身体は仮初で、自分の本当の姿は……ああ、とても彼女には言えない。

 悩みに悩んで、本当に泣きそうな気分になっていたそのとき。意を決してある日僕は彼女に問いかけた。


「ねぇ小夜子、もし僕がガスみたいな実体のない存在だったらどうする?」

「空気みたいな存在ってこと? 鼻から食べないように注意しなくちゃ」

「じゃあドロドロのヘドロみたいな液体だったら?」

「お風呂の度に、身体の一部が流されていないかハラハラするわ」

「……それだけ?」


 予期していた答えと180度違うものが返ってきたので、僕の不安は一瞬にして消し飛んだ。というか一気に脱力する。そうして更にたっぷり30秒は考えてから、小夜子は言った。


「そうね、空気のように目に見えなかったら不便かも。ちゃんと声で居場所を教えてね。液体だったら夏には蒸発しないように、冬場には凍らないように注意しないと。それから間違っても冷蔵庫の中には入らないでよ、うっかり健太郎に飲まれそうな気がするから」

「……本気で言ってる?」

「当たり前じゃない。別にそれが稜介なら、いいよ」


 しごく真面目な表情で小夜子は頷いた。

 こんなにとぼけて力の抜けるような殺し文句を、後にも先にも僕は知らない。


 そんなふうに昔から無意識に口説かれたりしたら、僕の心が傾くのも無理はないと思う。

 しかもそれを証明するかのごとく、河原で溺れた小夜子を助けたときの反応には驚いた。あのとき僕は確かに本来の力と姿を彼女に晒していたわけだけど、まぁ見事な受け流しっぷり。忘れているのかとも思ったけれど、あの出来事から僕の正体を疑ってきたわけだからそれはない。だから多分本気で僕の姿形はどうでもいいと思っているに違いないんだ。

 一体誰が、どうして予想出来ただろう?本当に、こんな女の子がいるなんて。


 この瞬間、という明確なものはなかった。

 ただ彼女と過ごしているうちに、粉雪のように静かに優しさが降り積もって、それが真綿のようにゆるゆると僕を捕えて離さない。力一杯腕を振るえば簡単にその束縛から逃げる事が出来るはずなのに、それをする気になれない。それどころか、もっとその見えない鎖で繋ぎとめて欲しくて、こちらから彼女を捕えたくなる。

 こんなはずではなかった。そう、これは僕の誤算。

 地球に降り立ってから12年後、つまり僕が小学校を卒業する年。遂に故郷からの救難信号をキャッチした両親は歓喜し、僕らはかの星へ帰還する事になった。


「ねぇ、本当に帰るの?」

「当たり前じゃない、どれだけこの時を待っていたと思っているの」


 母の嬉しそうな声に、僕は素直に頷けなかった。


「でも、僕は……」


 帰りたくない。自分でも驚いたけれど、これがそのときの僕のまぎれもない本心だった。

 大丈夫だと思っていた。割と平然としていられると過信していた。けれどそれは大きな間違いで、自分でも不思議なくらい僕は動揺していた。

 だって、彼女と離れるなんて。あの笑顔が見られなくなるなんて。


「もう少し、地球にいちゃ駄目?」


 あと少し。ほんの少しでいいから。


「稜介」


 父の眉根を寄せた顔は僕の心を委縮させる。


「ここに残りたいのかい?」


 両親を困らせるつもりなんてなかった。まして、こんな我儘を言うつもりも。

 けれど。


「――わかった。そこまで言うのなら、僕とカエデだけで先に帰ろう。一度通信が繋がれば、二度目の救助船もそう時間はかからず来れるだろうから」

「陽介さん!?」

「でも稜介、一つだけ忠告だ」


 嫌よ絶対一緒に帰るのと暴れて怒る母を宥めすかして、父は言った。


「小夜子ちゃんと母さんは似てるだろう?」

「……うん」


 確かに彼女と母親は、その斜め上を行く思考回路が同レベルだった。まぁこれは、いい意味でも悪い意味でも。


「それでね、稜介は僕と似ているんだよ」

「うん、そうだね」

「だから好みまで似ているようで、どうにも心配だ」

「……?」

「覚えておいて、僕達と彼女はまるきり違う生物なんだって事を。どんなに大切に思っても、あまりに生きる時間が違い過ぎるんだよ。僕らが故郷へ帰ったら、すぐにまた信号を送る。そうしたら必ず帰ってきなさい、この星では、決して幸せになれないのだから」

「大丈夫だよ。ほんのちょっと、こんなに急にこの星とお別れするのに未練があるだけだから」


 そう、あと少し彼女とこの地球で過ごせれば、それで十分。別れが唐突過ぎるから戸惑っているのだ。だからそれで、全てが納得出来る。僕はそう思っていた。

 なのに。

 毎日毎日、両親の事故という嘘に騙された小夜子は僕を心配してくれる。一人で眠るのは寂しいだろうと、僕のベッドまで押しかけては一緒に眠る。まだあまり上手ではなかった料理を作っては僕に食べさせ、決して一人にはさせなかった。涙のでない僕の代わりにぼろぼろと泣き腫らしては、わたしがいるから大丈夫と抱きしめる。

 そしてあと少し、それがどんどん伸びていく。もう少し、もう少しだけ。

 ああ、こんなはずでは。こんなはずではなかったのに。


 正確には僕の寿命はわからない。永遠の命、ではない。確実に制限はあるけれど、それが人類よりも遥に長い期間なのは確かだ。

 小夜子のそばにいたい。僕の擬態は完璧だし、この生体には正常な繁殖能力も老いもある。彼女が死ぬまで一緒にいる事自体は可能だろう。けれどその後は? 彼女が死んだからはいおしまい、と気持ちを切り替えてその先を生きていく事なんて出来るだろうか。

 覚悟を決めるなら、彼女と生きて、この地球で人間として死ぬべきだ。けれどそれを選びきれない僕がいる。故郷が、父が、母が、僕の帰りを待っている。あのとき命を賭けて僕を助けてくれた両親に対して、異星で命を絶つ事はこれ以上にない裏切りだ。

 だから今。彼女と別れてしまえば、誰もが最小限の傷で済むのかもしれない。なのにあの温もりと優しさをどうしても手放せない気持ちがここにある。


 彼女の死後、残りの時間を一人で彷徨うには――僕の寿命はあまりに長すぎるんだ。

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