閑話 Sの日記
○月2日
きょう、となりの空き家にあたらしい家ぞくがやってきた。
2かいの自分のへやからこっそりのぞいていたら、かみの長い女の子がいるみたい。年もぼくと同じぐらいだし、ぜったいに仲良くなっていっしょにあそぼう。
このあたりは同い年の友だちがいなくって、ぼくはいつもつまらなかったんだもの。
あしたのあさ、あの子の家にいってみよう。
○月3日
さっそく女の子の家にあそびにいった。お父さんとお母さん、それにちいさな弟が家ぞくなんだって。
おばさんはぼくをかんげいしてくれて、おいしいクッキーをやいてくれた。ぼくはそれを彼女とわらいながら食べて、夕方になるまで家にかえらなかった。そうしたらぼくのお父さんがやってきて、かえりがおそいとおこられた。ひどい。
でもあの子となら、なかよくなれそう。ぼくのひみつをしっても、友だちでいてくれるかな?
お母さんがだめだと言うから、ひみつをはなすことはできないけど……。
○月8日
きょうは彼女とかくれんぼをした。彼女はいつもおんなじところにかくれるから、みつけるのはかんたんだ。
それからおやつにゼリーをたべて、トランプをして、おばさんと夕はんをつくった。はじめてつくったハンバーグは少しコゲてしまったけど、すごくおいしかったな。
○月15日
彼女といるとたのしい。まいあさ、きょうはなにをしようかとワクワクする。
こんなまいにちがずっとずっとつづけばいいのに。
ずっとずっといっしょにいたいって神さまにおいのりしたら、かなえてくれるかな?
×月7日
中学校へ入ったとたん、彼女はテニスをやりはじめた。いつものように家へ遊びに行ったら、庭にラケットが置いてある。気になって訊いてみたら、テレビで見た外国人選手のプレーが格好良くてあこがれていると言っていた。
明日、僕もラケットを買いに行こう。
×月9日
昨日念願のラケットを購入して、彼女と2人で近くのテニスコートへ行った。
僕は昔から勉強も運動も何でも人並み以上に出来るから、ルールすら知らなかったテニスだってすぐに上達した。けどこの1日で彼女から何度もセットを奪ってしまったので、少し加減をしなくては。
力の調節はむずかしい。でも、秘密を守るためにはしかたない。
なにより、彼女に泣かれるのはイヤだから。
×月20日
おばさんに夕飯に誘われて、娘に彼氏が出来たら教えてくれと頼まれた。僕はしばらく考えてから、多分まだいないよ、とだけ答えておいた。
その後に彼女の部屋で数学の宿題をやった。ちょっと気になっていたので恋人が出来たのか尋ねてみたら、気になる人はいると答えが返ってきた。
彼女の心を動かしたのは、誰なんだろう。
×月24日
2人で夏祭りへ行った。彼女の浴衣姿は初めて見たけれど、黒髪をまとめるとすごく大人っぽくなるんだ。
わたあめと焼きそばを食べて、花火を見た。人混みがすごくて、彼女がはぐれないようにそっと手をつないできた。
熱なんてないと言っていたけど、彼女の手は熱く、顔はほんのり赤かった。
×月28日
彼女といると楽しい。本当に楽しい。
こんな毎日がずっとずっと続けばいいのに。
けれど僕はもう知っている。神様に何度祈ろうが、望む未来は手にはいらない事を。
それでも僕は彼女のそばにいたい。
ああ、だけど。僕には秘密が。
△月19日
高校生になるとお互い今まで以上に忙しい。
テニス部に入った彼女は、毎日練習に明け暮れて、あまり僕に構ってくれない。僕は僕で陸上部に入ってしまったから、2人の時間はめっきり減った。
それに、学校のテニスコートは車の通行量の多い道路のすぐそばにある。前にも飛び出し事故のあった場所だから、何だか心配だ。
△月24日
クラスメイトの一人が彼女を好きらしい。
友人が面白半分に伝えてきたけれど、何だか気分が悪い。ちょっと精神が不安定だ。
その理由も薄々わかっているからどうしようもない。
△月30日
コートの近くで道路整備の工事が始まった。毎日大きなトラックが往復されて、ますます危なくなるじゃないか。
それにしても、クラスの男が彼女に話しかけるたびにイライラする。
やめてくれ、彼女は僕の……
ああ、秘密が邪魔だ。
□月3日
彼女に秘密を打ち明けるべきなのか。ここ最近はそれしか考えられない。
けれどそれを伝えたところで、事態は何も変わらないんだ。
彼女とずっと一緒にいたい。昔から願っていたのはそれだけなのに。
□月4日
どうも日記を書く気になれない。
自分の臆病さと優柔不断さに嫌気がさしてくる。
□月5日
□月6日
□月7日
□月8日
この一週間、僕は本当に悩んだ。そして今日、決断した。
この選択が本当に正しいのかどうか、それはわからない。
それでもこれが、この選択が、僕にとっても周りにとっても最大限の幸せに違いない。
だから僕は決して後悔しない。
もう二度と、彼女に会うことはないだろう。
けれどいつだって君が幸せに笑っている事だけを願っている。
※
「ご飯よ」
聞きなれたお母さんの声がして、わたしは久しぶりに読んでいた日記を閉じた。
「うん、今行く」
母お手製の肉じゃがの匂いに誘われて、自分の部屋を後にする。階段を下りてリビングへ向かうと、食卓にはお父さんと弟の姿もあった。
「2人とも、もう帰ってたの?」
特に毎日帰りの遅い父が、夕飯の時間に間に合うのは久々ではないだろうか。
「うん、テスト前だからさ。姉ちゃんは何してたの?」
美味しそうにご飯を頬張る弟を見て、わたしは試験週間が近づいてきていた事を思い出した。
「別に何も。机の整理してたら古いノートとか一杯出てきて。懐かしいなと思って」
「ああ、勉強する前ってやたら部屋の掃除したくなるんだよな」
それで結局肝心の学習は進まないんだ、とお父さんがお酒を飲みながら笑いだした。
そう、教科書を読むつもりで机に向かったのに、ふと引き出しに伸びてしまったこの手がいけないのだ。
あの日を最後に、この日記には何も書かれていない。
もう彼は、どこにもいない。