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8 食うか食われるか食わせるか

 小さく、けれどはっきりした声だった。モンスターたちはその声に耳を傾ける。

 リュシエルはふと表情を引き締め、鍋の湯気の向こうに遠いものを見るような目をした。


「色々なことは一度教えられたらできたから、毎回同じような反応をされたわ。驚かれたり、褒められたり……でも、それは"できて当たり前"っていう目だったの」


 焚き火の火がぱち、と小さくはぜた。


「でも、料理だけは……。最初にお料理を振舞った時の反応は、今でもハッキリと覚えているわ。明らかに他と違ってたの。初めて向けられたけど、よく分からない……そんな目だった」


 リュシエルはわずか視線を落とし、小さく息をついた。


「……あの時、ほんの一瞬だけ思ってしまったの。もしかして私、料理が出来てなかったのかもって。みんなを困らせてしまってたのかもって」


 湯気の向こうの鍋を見つめ、ふっと顔を上げる。


「でも、これってきっと――私に"とてつもない料理の才能"があったからだと思うの! あなたたちと出会って、その反応を見て……やっぱり確信したわ。あれは、私の料理があまりに凄すぎて、みんな驚いていただけだったのね!」


 ――グォォオオオッ!!!!


 モンスターたちは一斉に声を上げた。

 キャツレツが「リョ、ウ、リ……ウ、マイ!」と叫び、クロウストビーフがくちばしを小さくカンカンと鍋に当て、リザラニアは尻尾をぱたぱたと叩いて大きく頷く。スパゲェダーの糸がぴんと張り、小屋の奥からもかすかな賛意の音が響いた。

 そして、その輪のさらに外側からも数多のモンスターたちが低く声を重ね、森の闇に温かな音の波が広がった。


「ええ、そう! やっぱり、そうよね!」


 リュシエルは笑みを深め、夜空を見上げる。


「王都のみんな……私の鍋の底力、必ずパワーアップさせて見せてあげるわ!」




 夜が更け、夜行性のモンスターが鳴き出す頃。小屋の周りにはモンスターたちが思い思いに身を横たえ、穏やかに寝息を立てていた。リュシエルも横になり微笑を浮かべたまま、夢の中へと落ちていこうとしていた――。


 ――その時。


「グルル……ク、ル……"ヒト"。……タ、クサ、ン……ク、ル……」


 キャツレツの低い声が夜気を裂いた。耳を立て、目を光らせ、身を固くするキャツレツの声は、かすかに震えていた。リュシエルはハッと目を開き、体を起こした。辺りは暗い。森の奥から乾いた枝の折れる音と、草を分けて近づく足音。何かが確実に近づいていた。


「"ヒト"……? どちら様かしら?」


 リュシエルは小さく息を整え、そっと立ち上がった。小屋の隅に置いてあった鍋に手を伸ばし、魔力で火を灯す。

 そして――いたずらっぽく笑った。


「それじゃあ……私のお料理で、おもてなししなくっちゃ!」


 森に風が吹いた。風の中に、鉄と革の匂いが混じっていた。

 それは、リュシエルにとって――忘れられはしない匂いだった。刃と甲冑、規律と命令。かつて、自分を追い出した世界の気配が、獣の森に足を踏み入れようとしていた。


 当のリュシエルはというと、いつもの調子で鍋をかき混ぜていた。

 キャツレツが耳をそばだて、スパゲェダーが糸を周りに漂わせる。リザラニアは木の上に音もなく登り、クロウストビーフはリュシエルの傍で神経を張り巡らす。


 モンスターたちは知っていた――敵が、来ると。


 木々の間から規則的な足音が近づいてくる。鎧の軋み、命令を伝える短い号令、騎士たちの息遣い。やがて――


「前方、建造物を確認! 対象の影あり!」


「待て! 無闇に突入するな!」


 指揮官の声が飛ぶ。そして、リュシエルの前に、整然とした列を成す討伐隊が姿を現した。

 第一陣――およそ五十名。全員が剣と槍を携え、盾と杖を構え、睨みを利かせていた。その視線の先に、ただ一人立つ令嬢。白いエプロンに薄汚れた旅服。銀色の髪はざっくりと結ばれ、鍋のふたを持つその姿は、どう見ても"脅威"とは程遠かった。


「……あなたたち、王都から?」


 リュシエルが静かに問う。すると、部隊の先頭に立つ男が一歩進み出る。


「我らは王国第三師団討伐隊だ。ここにて魔物の制圧、殲滅を行う」


「――殲滅?」


「そうだ。この一帯に確認されたモンスターの異常集結、及び人への危害の懸念により、王国は討伐を決定した」


 その言葉に、リュシエルは表情を動かさなかった。


「まあ。この森で人が襲われたというお話とか、どこかであったのかしら?」


「襲われた、とは確認されていない。だが、その前兆を摘むのが我らの任務」


 鍋の中のスープが、ことり、と小さく音を立てて泡立つ。


「……あなたたちは、"私を殺しに来た"の?」


 その声は、迷いが一切なく真っ直ぐだった。隊の中に僅かなざわめきが走る。

 リュシエルの名を直接口にする者はいなかったが、王都での"災厄"を知る者もいる。否、彼女のことを知らないはずがなかった。

 しかし――彼女に戦う意思は感じられない。持っていたのは鍋とふたと、木の匙だけだった。


「先に言っておきたいことがあるの」


 リュシエルが一歩、前に出る。その背後。森の木々の影が微かに"揺れた"。大半は姿が見えないが、モンスターの群れが――待機していた。まるで牙を剥く寸前の野獣の群れのように、息をひそめていた。

 総員が"彼女の言葉"に耳を傾けているようだった。


「私たちはただ、ここで料理を作って暮らしているだけ。彼らは、その料理を気に入ってくれた……ただそれだけ。何も奪っていないし、何も壊していないわ。……そう、争いたくはないの」


「しかし……」


「だけど、あなたたちはここに来て、彼らを"殲滅"すると言った。……それなら、私は彼らとともに、この暮らしを――"守るわ"。明日もみんな、私の料理を楽しみにしてくれているから――」


 そのとき。


「コ、コ……マモ、ル。……リョ、ウ、リ……タベ、ル……タメ、ニ」


 キャツレツが唸り声の合間にそう言い、鋭い瞳で討伐隊を睨んだ。尾が地を打ち、炎のような決意がその瞳に宿る。


「……サイ、コ、ウ……ノ……アジ……ワタ、サ、ナイ……」


 八本の脚がぐっと地をつかみ、スパゲェダーが糸を張りながら討伐隊の前に立ちはだかる。


「アタ、ラ、シイ……イキ、ル……イミ……」


 今度はクロウストビーフが低く、喉の奥から響くような声で言葉を紡いだ。くちばしを震わせ、かすれた声で発音する。


「……アノ、ア、ジ、ヲ……マタ……アジ、ワ、ウ……マデ……」


 最後にリザラニアが小さく舌を鳴らし、地を這うような声で告げた。

 ――隊員の一人が思わず声を震わせる。


「……しゃ、喋った……? モンスターが……言葉を……!」


「怯むな! 惑わされるな! 魔の森の妖しに違いない!」


 後方の魔法兵が呟くように言った。


「……理性を持つモンスター……そんなもの、王都の記録には……いや、いるとすれば、まさか――!」


 騎士の一人が、汗を額に滲ませながら呻く。


「――"魔王"。もしくは、その幹部級のモンスター……そうでなければ、あり得ない……!」


 リュシエルは鍋の蓋をそっと閉じた。


「……こんなことになって、ごめんなさい。私の料理の腕を磨くため、王都から送り出してくれたのに。――でも、彼らは自分の意思で、私の料理を選んで、私と生きることを決めただけなの」


 その言葉に応えるように、木陰で光っていた瞳たちが一斉に前へ進み出た。


「私、わかったの。料理は人だってモンスターだって関係ない……みんなを笑顔にできる力があるって!」


 リュシエルの言葉が夜空に溶けた瞬間だった。


 ――グォォォオオオオ……ッ!!!


 モンスターたちが低く地を揺らすような鳴き声を響かせる。森の奥に潜んでいた無数の瞳たちも、一斉に応えるように咆哮を重ねた。


 討伐隊はその圧倒的な音に一瞬身を引き、鎧の擦れる音と震えた呼吸が入り乱れる。

 だが――次の瞬間。指揮官の声が鋭く場を裂いた。


「全隊、構え! 討てッ!!」


 号令とともに先頭の剣と槍が月光を弾き、騎士たちが一斉に地を蹴った。足音が怒涛のように森の静寂を破り、鋼の列がリュシエルたちに迫る。


 森の奥の影が蠢いた。翼を持つ魔獣、蔦を這わせる植物の怪物、角を振るう獣の群れ――モンスターたちが次々と姿を現し、討伐隊の突撃の前に立ちはだかる。


 リュシエルはその光景に目を見開き、震える声で、けれど必死に叫んだ。


「だめっ! 誰も……誰も、殺しては――ッ!!」


 その声が、戦場を貫いた。

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