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6 理性崩壊フルコース

 モンスターたちは次々と動き始めた。キャツレツが火を吹いて火力を調整し、蜘蛛は素早く木々を渡り木の実を集め、トカゲが舌で棚の薬品を引き寄せ、鳥が屋根裏から干された何かの葉を引っ張ってくる。


「火も扱えるのね! 流石キャツレツ。頼りになるわ」


 キャツレツはその言葉に全身で喜びを表し、尻尾を嬉しそうに振りながら、さらに火力の加減に気を配った。鼻先をぴくぴくさせてちらりとリュシエルの顔色をうかがい、もっと役に立ちたいとでも言いたげだった。

 ――しかし、火を操るなどキャツレツの種には"本来ありえぬこと"だった。もっとも、リュシエルがそのことを知るはずもない。


 奇妙な共同作業が続く。モンスターたちが食材を集め、リュシエルが切り分け、煮込み、時には味見もしながら少しずつスープが完成していく。


「――って、またスープになっちゃったわ! まあ、愛情がこもってるから、いっか!」


 そして、リュシエルはにっこりと微笑み、鍋の中を覗き込む。出来上がったスープは――例にもよって灰色がかった液体に粘性のあるとろみと、不自然な艶が加わっていた。素材の色はもはや溶け込み、正体を失っている。蒸気からは草とも油ともつかぬ香りが立ち昇っていた。


 モンスターたちは鍋の前できちんと並んで座り込み、鼻先をひくひくと動かし、早く味わいたいとばかりに体を左右に揺らしていた。


「さあ、召し上がれ!」


 リュシエルが鍋の蓋を外して差し出すと、まず蜘蛛型のモンスターがすっと前脚を伸ばし一口すくい取った。


 ……ぶくぶく。


「クギギギギギッッ……!!!!」


 モンスターはスープに口をつけた瞬間に奇声を上げ、その口元から泡が立ち上り、くるんと一回転してひっくり返った。泡はぶくぶくと止まらず、口の端からこぼれ落ちる。

 リュシエルは慌てて水を差し出した。


「あららっ! ダメよ、そんなに急いで食べちゃ。こんな風に喉を詰まらせちゃうもの。はい、お水どうぞ」


 彼女はどこが口かもわからぬまま、蜘蛛型のモンスターの顔と思しきあたりに水をばしゃばしゃとかけた。

 そんなやり取りの中、こっそりとトカゲ型のモンスターが舌を伸ばし、スープを一口……。


 ……びりりり。


 全身を稲妻のような衝撃が走り、トカゲ型のモンスターは感電したかのように立ったまま仰け反った。背びれが逆立ち、しばらくピクピクと小刻みに震えている。


「まぁ、可哀そうに……虫歯よね? でもトカゲに歯ってあったかしら?」


 リュシエルは小首を傾げ、どこか不思議そうに言った。

 そして最後に、黒い鳥がそろりと鍋にくちばしを近づけ、慎重にひと啜り。


 ……どろっ。


 その体がまるでアイスが溶けるかのように、ゆるゆると液状化していく。羽も脚も溶け、黒い液体となって床にぽたり、ぽたりと落ち、じわりと広がっていった。


「あらあら! とろけちゃうほど美味しかったのね!」


 静寂が訪れた。

 泡を吐いて転がったままの蜘蛛。痙攣で背を反らし体を小刻みに震わせ続けるトカゲ。床に広がった黒い染みに変わり果てた鳥。森の木々がそよぐ音さえ遠のき、ただ奇妙な料理の残り香だけが重たく漂っていた。


 ――しかし、しばらくすると。

 蜘蛛の脚が微かに痙攣し、転がるようにして体をくの字に曲げ、荒い息を吐き出した。血走った複眼がわずかに光を宿し、苦悶に耐えるように地面をかきむしる。その動きは怒りなどではなく、何かを求める別の衝動――泡立つ口元を震わせ脚を折り、ぐったりと腹を見せ、震える脚先で空を掴もうとした。 

 トカゲもまた、全身を痙攣させながら喉の奥で低い声を漏らす。舌を垂らし口の端から涎を滴らせ、うっとりとした顔で地に伏した。

 黒い液体となった鳥も、床に広がったその影がじわりと一点に集まり輪郭を取り戻す。ぐしょりとした音とともに再び立ち上がるその姿は、甘美な余韻をその身に刻んでいるようだった。かすかに震えるくちばしの奥から、熱を帯びた吐息が漏れた。


 三匹のモンスターは、ただ黙ってリュシエルを見つめていた。――更なる一口を求めるように。


「みんなも私の料理の虜になっちゃって……うん、そうね! あなたたちにも名前を付けてあげなきゃ!」


 そして、リュシエルはモンスターたちに向き直る。蜘蛛が「……クギイ?」と小さく鳴き、八本の脚をわずかに動かして応えた。


「蜘蛛のあなたは――スパゲェダー、ね!」


 トカゲはしっぽをぱたぱたと振り、すっかり落ち着いた様子で嬉しげだった。


「トカゲさんは――リザラニア!」


 黒い鳥も「コォオ」と低く鳴き、まるで名を授けられたことを期待しているようだった。


「そして。黒い鳥さんは――クロウストビーフ!」


 肯定か否定かはさておき、彼らの表情はどこか嬉しげだった。


「みんな、よろしくね!」


「「「クギィグルゥゥコゥゥッ!!」」」


 三体のモンスターが、まさに同じ瞬間に声を上げた。言葉こそないが、どこか満たされたようでもあり、期待に胸を膨らませているようでもあった。リュシエルはそんな彼らを優しく見渡し、ゆっくりと頷いた。


 その時だった。


 森の奥の闇がざわりと揺れる。耳を澄ませば枯れ葉を踏みしめる乾いた音。草をかき分ける湿った気配。


 ――翼を持つ小型のドラゴンが木陰から顔を出す。

 ――長い舌を持つスライムが地面を這って近づいてくる。

 ――花のような顔を持つ食人植物が葉を震わせて忍び寄る。


 その後も次々と、木陰や草むらから影が現れる。ぞろぞろと異形の群れが集まり、気づけば……その数、二十は軽く超えている。彼らもまた、共通して"彼女の鍋"を見つめ、香りに惹かれていた。


 ピりついた緊張がその場を包んだ。リュシエルはゆっくりと鍋の蓋に手を置き、モンスターたちを迎えるように微笑んだ。


「まあ、こんなにも集まっちゃって……みんな、お腹が空いてるのね。それなら……もーっと沢山の料理を作ってあげなくっちゃ!」


 森の奥から牙を剥き出しにした影たちが音を立てず迫る。支配するのは理性を超えた本能。

 影たちが何を求めているのか――その狂気の答えは、すぐそこにあった。




 その夜。小屋の周りには群れが広がっていた。

 名付けされた四匹のモンスターが先頭に立ち、その背後には大小さまざまなモンスターたち。牙を持つ獣、羽を持つ影、角を生やした魔獣――数え切れないほどのモンスターが列を成して座り、鍋を囲んでいた。


 リュシエルは鍋の蓋をゆっくりと開ける。蒸気が立ちのぼり、モンスターたちは一斉に歓声のような咆哮を上げた。


 ――グォォオオオオオオッ!!!!!!


 その声に森が震え、夜空にまで熱気が届くかのようだった。


「今日はとびきりのごちそうよ。みんな、いっぱい食べてね!」


 モンスターたちは瞳を輝かせ、さらに歓喜の声を上げ、地を叩き、空気を震わせた。

 リュシエルはその様子を嬉しそうに見つめ、そっと鍋の前で手を合わせ、柔らかく囁く。


「それじゃあ、いただきます」

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