表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/13

3 第一村人という名の犠牲者発見

 リュシエル・エルゼンベルトは、北門から静かに追い出された。


 城壁の外。その足元に広がるのは冷たい土の道。城門の衛兵は彼女を見送るでもなく、形式的な敬礼すらせず、ただ「ご武運を」とだけ虚空を見つめながら言った。

 王家からの書状には、『国外静養』と記されていた。そう――あくまで「処分」ではなく、「静養」という名の体裁。公には病気療養、真実上は追放。それは、北の大公家たるエルゼンベルト家の名誉に泥を塗らぬよう、王家がとった"穏便"な手段だった。


 馬車はない。随行もない。整った出立の準備は何ひとつなかった。

 だが、その場にただ一人。門の傍に佇んでいたのは、エルゼンベルト家の執事――カラムだ。彼は深く頭を垂れ、風に揺れる灰色の外套を翻す。その手には旅装を包んだ包みと小さな金貨袋、そして一通の封書。


「……お嬢様。こちらを……どうか、お納めくださいませ」


 震える声だった。カラムはリュシエルが幼い頃から仕えていた忠実な執事である。読み聞かせの時間には絵本を持って膝を貸し、乗馬の稽古では彼女の小さな手を優しく支えてくれた恩人だった。

 彼は辛そうに目を伏せたまま、荷物を両手で差し出していた。


「……カラム……」


 リュシエルは一歩だけ歩み寄り、彼の手からそれらを受け取った。

 その中の封書にふと目が留まる。赤い封蝋には見慣れた家紋が刻まれていた。 そして、綴られた筆跡は――父のものだった。


『リュシエル。従者をつけ、行き先も手配しようとした。だが、何一つ通らなかった。守れなかったことを許してくれ。私は今も、お前を娘だと思っている。父より』


 彼女はそっと手紙を胸元に抱えた。


「ありがとう、カラム。……お父様にも伝えて」


「……はい。必ず」


 そしてカラムは深く深く頭を下げた。その姿に、彼女はそっと背を向ける。




 門が重く閉じられた。冷たい静寂のなか、リュシエルはその場に立ち尽くす。


「…………」


 俯いた肩がわずかに震えた。頬に落ちた影が、その心を映しているようだった。


「――そういうこと、だったのね……」


 一拍の間のあと、ゆっくりとまぶたを上げる。


「私、たった今わかったわ」


 自分の行いを――そして、自分の料理の腕前を。その表情には、断固たる何かしらの確信がにじんでいた。


「みんな、気づいていたのね。私の…………"料理の才能"に! きっと、今の技術のままではもったいないと――期待した結果だったのね!」


 遠くを見つめるその瞳が、力強く輝く。


「だって、もしこのままロイヒルト様とご結婚してしまったら──王妃としての公務で一日中宮廷に縛られ、台所にも立てず、私の鍋は一生火を失ったままだったはずだもの! 私が宮廷の檻に閉じ込められる前に、自由へ突き放してくれたのだわ。みんなの不器用な愛情で、この……追放という形で!」


 そもそも、貴族の令嬢が鍋を握るなど、風変わりもいいところだった。リュシエルは婚約者という立場に甘え、どうにか鍋を握り続けてこられたが――王妃ともなれば、もはや触れることすら許されはしないだろう。


「だからこそ、私に課されたの。料理の腕を磨き、さらなる高みを目指すための……"試練"が!」


 理解した、と言わんばかりの表情だった。

 ――追放。それはつまり、王家と公爵家からの共謀による壮大なスキルアップイベント。リュシエルの脳内で点と点が結び付き、強引に一本の物語が完成する。


「――そう。"世界一の料理人"になるために!」


 その足取りには微塵の迷いもなかった。

 真の才能は、試練によってこそ輝く。これは選ばれし者にのみ課される通過儀礼――。


「ありがとう、みんな……。この魂が煮えたぎる限り、私は進むわ。ずっと強火でね!」




 リュシエルは気合だけを頼りに、舗装のない道を一歩一歩、王都から遠ざかるように歩き続けた。

 やがて、人の手の届かない森の奥へと踏み入れると、彼女は地面に目を凝らし、植物をひとつひとつ品定めし始めた。


「うふ。薬草の知識にはちょっとだけ自信があるのよ?」


 魔導素材の基本は令嬢教育の一環で学んでいた。痛み止め、解毒効果、睡眠促進――どの植物がどの効果を持つか、習った範囲であれば見分けがつく。

 彼女の場合、問題はそれを"食材"と見なしていることだった。


「薬効があるってことは、体に良いってこと。だったら、きっと煮込めば美味しくなるはずよね」


 さらに途中で、色合いのいい赤い実やぷっくりとした球根もいくつか見つけるが……これらが食べられるかどうかは不明である。いつも持ち歩いている食材用の布袋には、彼女が厳選した草や実がぎっしり詰め込まれ、今にも裂けそうなほど膨れ上がっていた。


「こんなに食材が揃うなんて……。腕のいい料理人の元には、自然と食材から寄ってくるものなのね!」


 得意げに呟いたリュシエルは、鍋を取り出すと手際よく地面に置いた。指先で軽く弧を描けば、鍋の下に小さな魔法の炎が灯る。令嬢教育で培った基礎魔法――こんなこと、彼女にとっては朝飯前だ。続けて、野草、球根、赤い実……色とりどりの食材を、迷いなく鍋へ放り込んでいく。ぐつぐつと煮える鍋を覗き込みながら、リュシエルは満足げに微笑んだ。

 ……やがて鍋の中は、あり得ないほど鮮やかな紫色に染まり、どろりとした粘度を帯びはじめた。泡は不気味に虹色を反射し、時折、音のない破裂音とともに煙が立ち上る。


 その煙がふわりと周囲に流れると、木々の間にいた小動物たちが一斉に鳴き声を上げ、慌てて逃げ出した。頭上を飛んでいた鳥は、鍋の蒸気に触れた途端に羽ばたきをやめ――地面に真っ逆さまに墜落した。

 そんな中、スープをかき混ぜながら、流石のリュシエルも眉をひそめた。


「……火力が強すぎたのかしら?」


 翌日には、持っていた鉄鍋の底が抜けた。




 五日目。

 リュシエルは森の奥深く……モンスターの出没する地点まで進んでいた。地図もなければ目的地もない。ただ、"料理人としての悟り"が得られそうな気がする――そんな理由だけで、道なき道を歩き続けていた。

 彼女の足が止まったのは、ひときわ巨大な木の根元だった。


「……ふう、今日はこの辺でお料理にしましょう」


 へたり込むように腰を下ろしたリュシエルの手には、昨日拾った巨大なキノコと、森で見つけた鮮やかな青い果実。

 壊れてしまった鉄鍋の代わりに取り出したのは、そこらに転がっていた鉄兜。中に謎の液体を注ぎ、素材を次々と放り込んでいく。そして、魔法で火を灯し、じわじわと煮込む。しばらくすると、鉄兜からは灰色の泡がぶくぶくと吹きこぼれはじめた。鼻をつく甘苦い匂いが周囲の空気を濁らせていく。

 火加減を調整しながら、リュシエルはスープをひと匙すくって口に運ぶ。


「ん~……少しパンチが足りないけれど、まあまあってところね。――うん、隠し味にこの"ヤミヒラリの幼虫を"入れてみようかしら」


 と、そのときだった。


 がさっ。


 茂みの奥から、低く湿った唸り声が聞こえた。リュシエルはぴたりと動きを止め、そっと視線を向ける。――何かが近づいてくる。草をかき分け、姿を現したのは……猫型の"モンスター"だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ