冷徹文官様の独占欲が強すぎて、私は今日も慣れずに翻弄される
「いいか、シュエット。慣れとは恐ろしいものだ」
机に向かったまま、エドガー様が苦虫を噛み潰したような渋い顔をして私に言った。
エドガー様は割と位の高い文官で、私はその侍女である。
私は、はぁ、と間の抜けた返事しか出来なかったので、エドガー様はその鋭い双眸でこちらをじろりと睨みつけた。私は慌てて口をつぐむ。
エドガー様は咳ばらいをして、書面に目線を戻しながらも続けた。
「例えばの話だが、シュエットよ。お前はジョエル王子によくからかわれているだろう」
「え?あ、はい」
少し面白くない様子で、じとっとした目線を私に向けてエドガー様が言う。
「以前はやめてください、だの、奥方様に言い付けます、だの言っていたが、近頃はそうは言っていないようだな。何故だ」
「ああ……そりゃあ、最初はとても困りましたから。今は何て言うか、慣れました。……あ」
そこまで言って、私はははぁと感心した。なるほど、これが慣れなのだ。
出仕したての頃、私はそうとは知らずエドガー様の執務室に訪れたジョエル様に「あの、どちら様でしょうか……?」と言ってしまったのだ。
その途端私はエドガー様に渾身の力で頭を書類で叩かれ、その衝撃で目の前に火花が散り、眩暈がした程であった。
しかし、その様がジョエル様はたいそうおかしかったようで、それからというもの、私は何かとジョエル様にからかわれる羽目になったのだ。
もちろん、それはなんだかペットに対する扱いのようで。
それでも初めは恐れ多いやら申し訳ないやらで困惑しっぱなしだったものの、まあ、打ち首にならずに済んでよかった、と思ったら、ジョエル様のお戯れすら愛おしく思えてきた。
命あっての物種だ。
だから私は近頃、ジョエル様にいくらからかわれようとにこにこしていられるのである。
とまあ、こういう訳で、私は諦めに近い形でジョエル様のからかい慣れてしまっていたのだ。
「そうであろう。本来ならばお前のようなどんくさい人間がジョエル王子にお声を掛けて頂くことこそ奇跡のようなものだからな」
「う……おっしゃる通りで……」
エドガー様の口吻はちくちくとした厭味を含んでいた。
そこに来てやっと、私は気付かぬ間にエドガー様の気分を害したのではないか、とふと思い至った。
私とエドガー様は、こんな風だが一応恋仲である。
エドガー様は一切公私混同をしない性質なので、別段隠しているつもりはないのだが私たちの仲はあまり知られていない。
だが、エドガー様は蓋を開けると案外嫉妬深く、独占欲が強い人であったので、時折私は知らず知らずのうちにエドガー様の気分を害しているそうなのだ。
私、最近何かしたかなぁ、と考えていると、エドガー様はまたしても口を開いた。
「ランベールのことだが」
「はい?」
「あの奇行、初めて見たとき、どう思った?」
ランベール様とは、エドガー様と同じ文官で、その奇抜なファッションと性格は宮廷一だ。なんというか、ナルシストを通り越して、なんだかすごい。
「奇行だなんて失礼ですよ、エドガー様……。でも、確かに驚きました」
「ふむ、そうだろうな。私も初めて見たときは我が目を疑ったものだ。まあ、あれも見ているうちに慣れただろう」
「ええ、もう慣れてしまいました」
「しかし、ランベールは思いもよらぬ時機に新しい派手な衣装を着たり、男なのに化粧をしたり、髪型を変えたりするだろう」
そうなのだ。
ランベール様は、いつも謎のヒラヒラの布がついた不思議な格好ばかりしている訳ではない。最低でも二週間に一度、誰しも思いも寄らぬ奇抜な衣装を身に纏ってみたり、きらびやかな髪飾りをつけて髪型を変えてみたりと、お洒落に余念がないのだ。
その度に皆、頭を棍棒で殴られたかのような衝撃を受ける。
こればっかりは慣れることがないのだ。
「ランベールの奇抜な姿に慣れないのは、それは前回の衝撃に勝る衝撃を提供してくるからだ。頭に大きな薔薇を挿してきた次の日に、慎ましい菫を挿していても、大した衝撃ではなかろう」
「ああなるほど……確かにそうですね」
「“慣れ”というものは前回と同等もしくはそれ以下の衝撃を受けることで成立する。前回より強い衝撃を受けるときには、“慣れ”は成立しないのだ。分かるか、シュエット?」
何となく理解した私は、胡乱に頷いた。しかし一つだけ分からないことがある。
「それで……エドガー様。何故いきなりその話を……?」
そう問うと、エドガー様は目線を上げてじっと私を見た。エドガー様の射抜くような鋭い眼光に、私はううっとたじろぐ。
「それはな、シュエット」
エドガー様は万年筆を起き、立ち上がると、つかつかと私の横に歩み寄った。私のすぐ側まで来たエドガー様は、まだ椅子に座ったままの私を見下ろし、そして腰をかがめて私と目線を合わせる。
エドガー様と目線が交わり、そっと手を頬に添えられたので、いつものキスの合図だと思い私は静かに目を伏せた。
照れくさくて、このときはいつも顔が赤くなっていないか心配になってしまう。
エドガー様の唇が私の唇に添えられて、私は胸が高鳴るのを感じた。
エドガー様のキスは、いつもとても優しい。
エドガー様の唇が離れて行くのを感じて、私は少し寂しく感じながらも目を開けようとした瞬間、ぺろりと唇を舐められた。
突然のことに私は小さく悲鳴を上げて、後ろにのけ反りながら目をかっと開いた。
目の前には不敵な笑みを浮かべるエドガー様がいて、顔がかぁっと急激に火照るのを感じる。
「なっ、な、なに、なにを、」
「顔が真っ赤だぞ、シュエット」
「あ、当たり前じゃないですか!いきなり何なんですか!」
恥ずかしさのあまり、涙を浮かべてエドガー様に抗議すると、エドガー様は涼しい顔をして言った。
「なに、最近キスをするとき、お前は初めの頃のような恥じらいを見せることがなくなったからな。もう“慣れ”てしまったのだろう?」
そういえば、そうかもしれない。私は、エドガー様が初めての恋人だったので、何事も初めてだらけだったのだ。
最初は何をするにも赤面していたように思うが、このところ、キスくらいなら特に赤面することもなくなったように思う。
「別に構わんのだが、私はどうもお前の照れる顔が好きなようだ。これからもシュエットが慣れることのないよう、創意工夫を凝らすことにしたから、これからも精々慣れぬことだな」
そう言って、エドガー様は笑った。
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