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「キャー、ステキな鋭い歯!! なんてハンサムなのかしら!」
地鳴りのようなドスの利いた声が海岸に響き渡る。逞しいシックスパックを見せつけながら、一匹のサハギンが近づいてきた。
「そこのイケてるヒレのお兄さん、ワタクシとご一緒しましょ」
ムキっと鍛え上げられ上腕二頭筋と、べちょりとした水かきが僕の腕に絡みつき、生々しくぬめったその感触に思わず頬が引き攣った。
「あの、たぶんそういうことじゃ——」
「ちょっと、待ちなさい!」
そういうことじゃないと言葉を言い切る前に、甲高い、というよりむしろ張り上げすぎて裏返った声が横入りしてきた。
「あなた、その程度の筋肉でこの方を誘おうとしていらっしゃるの? ふふっ片腹痛いわね。見なさい、私のこの僧帽筋を」
横入りした声の主は、腰に手を当て、背中を指さし、口調はさながら悪役令嬢。役になりきるために化粧でもしたのか、頬にはまんまると赤い紅が塗られ、マスカラは分泌される粘液のせいでどろりと溶け落ち、目の周りはパンダのようだ。
「あの、本当に——」
「あ~ら、アナタこそ何かしらその化粧は。上っ面だけ繕っても中身の醜さは消えなくてよ」
「ほほほ、あら嫉妬かしら。まぁ外見も内面も美しくないあなたには、この『』が分からないのでしょうね」
悩みの主そっちのけで口撃しあう仲間たちを目の前して、小さくため息をつくと、ギンッと鋭い視線を向けられた。
「「それで、あなたはどっちを選ぶの!!」」
海の怪物の名に相応しい気迫に、思わず息が詰まる。
えっ、どうしたらいいんだろう、これ。どっちか選ばなきゃいけないのかな……。
そうこう考えている間に、姦しい仲間たちに両腕を取られた。
「ワタシのものよ」
「いいえ、わたくしこそが」
グイグイ引っ張る女たち(仮)のあまりの力強さに、骨がみしみしと悲鳴を上げる。本気で体が真っ二つに割けそうになり、痛みに耐えかねて叫んだ。
「あの、これ、効果ないと思うよっ」
瞬間、パッと解放される。腕に残る鈍い痛みに、思わず僕はさすった。
なんでこんなことになってるんだろう。さっぱり分からず首を傾げた。
「おーい、ルズ。ダメだってよ」
「そっかー。モテたら自分に自信もてると思ったんだけどなー」
少し離れたところで見守っていたらしいルズは、頷きながらもなにか思案している。もしかして君の計画なのかと、困惑の視線をやると、ルズはまるで意に介さず「じゃ、次いきまーす」と軽く手を叩いた。
「青緑色の鱗が、月光を浴びて神秘的に輝く。深海を思わせる瞳はまさに海の宝石!? エントリーNo.1 ザハルの登場だー!」
よく通るルズのナレーションが空を抜ける。真冬のモンスターの世界と真逆の、常夏を感じさせるコンガとウクレレの軽やかで陽気なミュージックとともに、貝殻で飾られた一本の道がライトアップされた。
今の僕が身に着けているのは、ひらひらと薄っぺらく無駄に煌めく金の腰帯と重しのような鱗模様の腕輪、そしてゴツゴツと装飾のされた珊瑚の槍。攻撃力防御力も何もない、モンスターに似つかわしくない、その装備。つまりは、そう。
これは、ファッションショーである。
ランウェイの向こうでは、ルズが胡坐をかいて「笑顔で歩いて」のカンペを見せる。周囲からは「ビューティフォー!」という渋いバリトンボイスが聞こえた。
……なんだろう、これ。みんな、人間のドラマの影響でも受けてるのかな。そっか……。そっか。
正直やけになっていた。やけくそ混じりにランウェイへと足を踏み入れると、左右の仲間がピンクの貝殻でデコレートされた、人間の、所謂 "推しうちわ" を振っている。そこ並ぶ、ごってごてに装飾された文字。
『槍で刺して☆』『ウインクして!』『投げキッスして♡』
……本当に、これで僕が変われるとでも思っているのだろうか。虚ろな目になるも、仕方なしにそのうちわの文字に応えていった。
槍で刺すマネをした相手は、「うぉ~」と雄たけびを上げた。
慣れないウインクを送った相手は、「キャー、ステキー」と全く赤くない顔を覆った。
投げキッスを送った相手は、「グッ、効いた……ぜ」と低く呻き、パタリと倒れた。
あれ、僕、なにしてるんだっけ。ここって現実かな。そのままランウェイを闊歩し、ルズの元までたどり着いた。ルズは軽く拍手して、頷いている。
「よかったぜっ」
グッジョブときらりと光る白い歯を見せるルズに、僕は無言で首を横に振った。
これでは、絶対、治らない。