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結局、昨夜はなぜか眠気が一つも襲ってこず、うとうとすることすらなかった。もしかしたら昨日の馬鹿げた作戦会議が原因なのかもしれない。最近の若い連中は、ゴブリンも、あのスライムも、作戦だのゲームがどうだの、まったく意味のないことばかり。そうしてやぶ医者に文句をつけにいくと、スライムは目の前でうんうん唸っている。
「うーん、グランさんのゲームの話は?」
「あ? 寝れもしないのに今度はゲームだと」
「前に、"突っ立ってるだけだ"っていってたよね?」
「あぁ」
「運動不足だったりしないのかな?」
運動不足? 体が疲れてないから寝れないって言ってるのか。そんなわけあるか。あんだけずっと切って倒されてして、体が疲弊してないわけがない。
「突っ立ってるのも重労働なんだぞ。知らんのか」
「えー。ゴブリンさんがみんな立ってるだけのゲームなんてつまんなーい」
「いや……そうでは、」
"つまんない"とスライムはぺちぺち机を叩くのを、否定し、喉の奥が引っ掛かるのを感じながら声を吐き出した。
「最近は……若い奴が頑張ってるな」
「えっ、えっ、どんなことするの!?」
そうだ、違う。みんなが俺と同じなわけではない。そう伝えると、スライムは輝いた瞳で机に乗り出してきた。思わず後ずさる俺に、ずいずいと近寄ってくる。まんまるな緑の顔が近い。どんなことと言われても、威力の上がった爆弾や落とし穴、そんなものばかり。それでも、"なんかモンスター変化あった?" 程度のレビューがほんのわずかに増えたのを知っていた。
「それは……秘密だ。ゲームの世界のことなんか言えるか」
「ケチっ。聞ーかーせーて、聞ーかーせーて!!」
「うるさいっ。そんなこと言って何になるんだっ」
「だって楽しそうだしっ。知りたい!」
ごろごろとお菓子を買ってもらえない子供のように、床に転がり喚くスライム。
何なんだコイツはッ。ゲームのことなんて言っても意味ないだろう。スライムが、プレイヤーが想像するような楽しい世界じゃない。そんなのどこの物語でも同じだ。やられ役の雑魚モンスターのスライムだってそうに決まってるだろう?
「ならお前は——」
"お前はどうなんだ"と、問おうとして言葉を止めた。前もそうだった。コイツには役割がないのだから「物語」のことなど知るわけが……。あ?
「……なぁ、お前、名前あるのか」
「ないよ」
"ないよ"と淡々と告げられ、悪いことを聞いたと思った。モンスターは最初の役の名前を使い続ける。物語は、モンスターを生み出す存在。だからこそ、最初の "物語” は重要なのだ。
「僕は物語にいないからね。"識別番号Z-10001102"、下4桁からとって"イッテッツ"って名前だよ」
事も無げにスライムは言った。識別番号が名前とは、案外コイツも苦労しているのかもしれない。それにしても "イッテッツ" か、随分呼びにくい名前だなと思っていると、
「でも、みんな『呼びにくい』って"イッテツ"って呼ぶんだ。本名が呼びにくいからって本当失礼しちゃうよね」
とぷんぷんと両手を上げるように体を動かして怒りを表現して見せた。それに小さく息を吐いた。
なんだ気にしてないのか、気楽な奴はいいな。多分コイツは不眠になんてならないのだろう。俺もこれだけ気楽で、前向きな性格なら、こんなことには……。違う、そういう問題じゃないだろうと、ため息交じりに言った。
「……次にはみやげ話でも持ってきてやる。だからお前も、さっさとこの不眠の原因を突き止めてくれ」
「やったーーーっ! まーかせといてっ。ゴブリンさんの生態も、ゲームのことも、お勉強しちゃうもんね!」
ぴょんと飛び跳ね、書物やネットの情報をあさるスライム。なぜだろうか。その姿が、ふと、あの若くて泣き虫なゴブリンと、昨夜机にかじりついていたガンロと重なって見えて、目を擦る。ぱちりと目を開けると、俺はゲームの世界に戻っていた。
「悔しいっす!!」
どうやらもう戦闘は終わったらしい。誤爆した爆弾で倒されたらしいガンロが地団駄を踏んでいた。地面を蹴りながら、「悔しい」「次こそは」と叫んでいる。蹴り上げた砂埃の中をふらつきながら立ち上がると、泣きながら一目散に家に戻り、机に突っ伏すように座るなり、図面を引き、式を書き、何度も消しては書き直している。手元の紙はすでに使え古されたようにボロボロだった。
「お前……なんでそこまで、」
独り言のように、口から出ていた。
……なんで、そこまでできるんだ。
その言葉に顔を上げたガンロが、叫ぶように口にする。
「だってびっくりさせてやりたいんすよッ! たしかに死にたくないっす……でもそれだけじゃないっていうか、なんか……なんか段々腹立ってきて…………オレ、分かんねーっすけど、なんかすっげー、すっげーむかつくっす!!」
口から飛び出た言葉は滝のように勢いがあった。若さがあって、熱があって、炎のようにずっと燃えてて。それはまるで寝れてないときのようなあの暑さの様で。思わずごくりと唾を呑む自分の隣、ギークが小さく笑った。
「……あーあ、ガンロさん、すごいなぁ。僕も、見習わないとですね」
何処か眩しそうに目を細め、苦笑すると、机に赴きガンロの作戦会議に参加し始めた。ガンロの熱に誘われたゴブリンたちが、一匹、また一匹と参加し始める。昨夜のように。
『僕も、見習わないとですね。』
ギークは笑って言ったが、お前だけじゃない。そう、きっと……。ぐっとこぶしを握り締め、机へと向かう。
「お、おいっ……」
なにかを言おうとして、上ずった声が出た。何をいまさら俺は。こんな若造に? ベテランの俺が? そうだ、いまさら何になる? こんなことに意味なんて……、いや、あの医者もゲームの話をと、だから。
じっとゴブリンたちの、いいや、ガンロの視線が刺さった。その熱に押され、ついに言ってしまった。
「……ッ、その爆弾、重心がズレてるから投げにくいのかもしれないぞ」
「え、どこっすか?」
「ちょっと貸してみろ」
ガンロが作った爆弾を受け取ると、手にずしりとした重みが伝わった。見れば中身の爆薬を詰めすぎたせいか、無駄に重く、内側から圧迫されて外壁が不均等になっている。これでは爆風の圧も、軌道もきれいにはならない。
「火力ばっかりに気を取られたな……。こっち側が重い。回転がブレる構造になっていて、遠心力の中心が取れてない」
低く呟き、爆弾を手のひらの上で軽く転がす。指先に伝わる振動、質量の偏り。これでは投げた瞬間に軌道が揺れ、狙った場所から逸れるばかりか、自爆の危険さえある。
——このせいで、前に誤爆したのだろう。
「えっ、それ……やばいっすか?」
「致命的ではないが、当たらないなら意味がないな」
「うわぁ、そうなんすか……」
ガンロが悩まし気に額を押さえるなか、俺は続けた。
「火力を上げたいなら、爆圧の行き先、つまりは方向を作れ。球でなくて問題ない。火力を減らそうと、爆発の向きを定めれば、それだけで破壊力はでるぞ」
「……すっげぇ、すっげぇっ!」
目を大きく瞬かせ、さっきまで悔しさに曇っていた表情が、今はただ驚きと、素直な興奮に染まっている。
「もっと、もっと知りたいっす……!」
ガンロが何かを掴んだのか、ペンを走らせながら設計を続ける。俺もまたマップを見ながら仲間たちと爆撃範囲や落とし穴、射線を遮るアイテムの配置、そうして最も効率の良い展開の方法を考えていく。
そう、俺は気づけば作戦会議に参加していた。熱心なのはガンロだけではない。いつも朗らかなギークも、他のゴブリンもみな楽し気で、なぜか俺も同じように楽しくて楽しくて仕方なかった。やがて緩やかに解散した作戦会議のあと、仲間がぞろぞろ引き上げる中、俺は布団に入り深く息を吐いた。
あんなにやりたくなかったことだったのにな。
そう思って目を閉じ、すっと落ちた意識を感じて、目を開ける。微かな空白を疑問に思って時計を見れば、わずかに時間がたっていた。
「寝てた、のか……?」
いつもとは違う確かな時間の進み。あれだけ願っていた睡眠がとれるかもしれないともう一度と目を閉じても、意識が落ちることはない。
「仕方ないか」
ため息をついてパチっと端末を立ち上げた。時間が経つのを待つのが常だが、偶にはいいかとレビューや掲示板をスクロールしていく。
===
229.
なんか序盤のゴブリンの動きおかしくね?
230.
マ? 気になんなかったけど
231.
アップデート入るのかもな
232.
運営がアップを始めましたw
===
プレイヤーの困惑におもわず、ふっと鼻で笑ってしまった。
(……これは、ガンロのおかげなのかもしれない)
あの若さの熱に引きずられて、知らぬ間に自分も手を動かしていた。爆発の理屈を教えるだけのつもりだったのに。いや──あの熱量を前にすれば、誰だって黙ってはいられない。あの泣き虫が、こうして変化を作っている。それを目の前にして、自分もいてもたってもいられなくなった。自然と、握りしめた端末に力が入った。
太陽の眩しい朝が来れば、昨夜の作戦通りに事は進んだ。
「おいっこっちだ。手分けして相手を追い詰めるぞ!」
「はいっ」
マップをもとに、味方を配置して相手を囲む計画。けれど、プレイヤーの強さは圧倒的だった。剣でなぎ倒すように一掃され、ゴブリンは全滅。
「やっぱり強いな……」
復活して立ち上がり、戦闘を終えれば即座に机に集まった。
「遅延爆弾も作ってみたらどうだ」
「遅延? どうやってっすか?」
「導火線の長さを調節してみろ。火薬の燃焼速度さえ分かれば、時間は計算できる」
「なるほどっす!」
"めんどくさい老害になっているかもな" と思いつつも、口は止まらなかった。いつの間にか作戦会議の時間も終わり、夜が更けていた。部屋の明かりを落とす前、最後に端末を立ち上げてログを確認する。レビュー欄には、またあのプレイヤーたちの声で溢れていた。
===
336.
やっぱアプデ入ってるだろ、明らか動き違う
337.
公式発表ないから気のせいじゃね?
338.
アプデ、マジ? 二週目やろっかな
===
あーあ。また来るのか、あいつらが。
めんどくさいとかじゃない。ただ、戦いたくて仕方ない。ワクワクしながら目を閉じ、沈み込んだ意識の後に目を開けてみたら、時計の進みがどんどん早くなっているのが分かった。もちろんすっかり眠れるようになったわけじゃない。でも確かに、眠れる時間が増えて行っている。そうした日々の中、時には睡眠薬を忘れ、同じように寝られることにびっくりする。
夜中に目覚めて眠ることが出来なくても、もうそれを苦痛に感じなくなっていた。そう。マップを見て、プレイヤーの動きを思い出して、作戦を練る。この夜の時間が、ただ楽しい。気づけば次の戦いが待ち遠しく、作戦の穴を探し、改良点をノートに書き出し、眠れぬ時間が武器になる。
いつか絶対、何かが変わる。
そんな確信を胸に、今日もまた戦闘が始まった。
——どがんっ!
地形が崩れ、敵の足元をすくうようにガンロが仕込んだ遅延爆弾が炸裂した。
うまいな、やるじゃないか。
大量の設計図により考え抜かれた爆弾は見事な精度で、プレイヤーに直撃した。
「やった……!」
喜んだガンロが影から飛び出てきた──その瞬間だった。まだHPが残っていたのか、プレイヤーがガンロに向かって剣を振りかぶる。
「っ!」
気づいたガンロは身をかがめて避けようとするが、間に合わない。あの位置では、間違いなく、斬られる。そう思うと、体が自然に動いていた。
なぜだろうか、庇う必要なんてないのに。俺らは復活するのに。死んだっていいはずなのに。
気づけば俺は、ガンロを背に立ちふさがっていた。
「……グラ、ン、さん?」
プレイヤーの剣がずぷりと俺を貫いた。背後のガンロも同様に貫かれた。咄嗟のこの行動に意味なんてまるでなかった。
まっさらで音のなかったはずの心臓が、刺されたそれがドクドクっと脈を打つ。身体から力が抜けていって、地面に倒れ込むと、視界に涙ぐみ薄れていくガンロがいる。ガンロだけじゃない、俺も、みんなもうめき声をあげている。
身体が薄れるのが、淡い光を放って傷口から消えていくのが、怖い。光が、ひゅるりと風のなる青空にのぼっていく。刺されたところが、剣で貫かれた傷口が、血なんて出てない体が、痛い、痛くて仕方ない。傷口が熱い、身体が熱い、全身が焼けるように熱い。熱を持つ痛みでバチバチと脳が焼け焦げそうで……どうしようもなく笑いがこみあげてきた。
「……ふっ、はは、はははっ」
あー、クソッ、クソったれだ、こんなもん。
ムカつく、許せねぇ、なんでこんな目に遭うんだよ。
そうだ、そうだよな、おかしいよな。
お前だよ、お前らだよ、おぼえてろよ、プレイヤーども……!
————俺は、もう、死にたくない!!