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すらりとした脚を大胆に組み、肘をつく。カッカッと長く整った爪で机を叩いた。そのまま眉根を寄せ、視線を横に動かした。
『男に迫ると、くしゃみがでる』
原因は分かった。単純な話。男に触れなければいい。けれど、それはサキュバスにとって死活問題。食べることが出来なければ、『物語』で役割を果たすこともままならない。
——『下手すれば処分喰らうんだぞ』
いよいよあの言葉が現実味を帯びてきた。役に立たないモンスター。その存在の行き先を、アタシは知っている。無意識に唇を噛んだ。俯いた視界に緑が入った。透明な緑を、未だほんのりと赤に染めたスライム。呆れた。見下ろして、声をかける。
「花も恥じらう乙女でもあるまいし、モンスターがそんなに照れないでくれる?」
「はぃ……」
スライムはしょんぼりと萎えている。その姿に多少溜飲が下がり、ふっと息を吐いた。そもそもこれはアナタが頼んだことでしょうに。ま、どうせ自分にされるとは思ってなかったのでしょうけど。少しの愉快さに、口角を上げた。
「で。せんせ、何か解決策はあるの?」
「うーん……深層心理が出てきてるのかなぁ」
「深層心理?」
「『男に触れたくない!』『餌なんて欲しくない!』みたいな願望が気づかないうちにあるのかも」
そういって、さらにうんうん唸るスライム。考えるそれを横目に、爪を弄った。正直、その深層心理とやらがピンとこなかった。餌を食べるときに、メンドクサイ以外の感情はない。そもそも、生まれて此の方こうして生きている。それがサキュバス。これが普通であり、これが日常。アタシはその中でも優秀な部類だった。だからこそ、それを厭う自分など、想像もつかなかった。
「そうだ!」
急に「閃いたぞ」とぴょいと飛び上がり、いそいそ端末を取り出した。
「これ。これ見てよ!」
「なによ、コレ」
「今僕がハマってるドラマ!」
そうして見せられたその画面。人間のスーツを着た女と男が仲睦まじく寄り添っている。
……人間の、ドラマ?
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三鷹果歩は、都会の大手企業で働く社会人。しごでき人間の彼女は、恋愛には奥手。ずっと幼馴染の陽介に片思い中。そんなある日、新入社員が陽介に告白しているのを見てしまって大パニック。親友の美羽に励まされながらなんとか頑張るけど、果たしてこの恋は本当にうまくいくの――?
甘酸っぱい恋愛模様が繰り広げられる胸キュンオフィスらぶドラマ。モンフリで絶賛配信中!
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そのあらすじに、頬が引き攣った。中身を見なくても分かる。使い古されたテンプレ。こってこての恋愛。しょうもない煽り文。明らかな、B級ドラマだわ。
「アナタ、これに、ハマってるの?」
「もう大好き! 果歩ちゃんはしごできさんなんだけど、恋愛事はからっきしなんだ。通気電車や同じオフィスビルで好きな人を見かけては、声をかけようか迷って、できなくって、あとで悩んだり、もやもやしたり。そういう人間の機微が描かれて、甘酸っぱくって、思わず『キャー!』と転げまわりたくなって、それで、それでね——」
途端に始まった怒涛の語り。ぴこぴこ揺れながら、口から羅列のように文字が出ている。爆発する勢いのそれに、自然と背中がのけぞった。あまりに早口で何を言ってるのかもよく分からない。助けを求めるように視線を動かすと、その先で和服の娘がいそいそと移動するのを見た。和菓子片手にお茶を飲み、ほっこりとしている。その姿が何とも平和だこと。
「——それで、これをね、ミリスさんにも見てほしいんだ!」
「はぁ、なんでこんなもの」
「だってほら。もしかしたら人間の恋愛が参考になるかもしれないでしょ?」
人間の、おままごとが、参考になる?
人間の作るドラマなんて、惚れた腫れたの繰り返し。それが、餌として相手を捕らえるアタシの役に立つ? この如何にも初心で根性がなさそうな人間どもから、一体なにを学べというの。長い爪が、ぎりっと机を抉った。
「ドラマのは、なんというか、こう、ミリスさんみたいな感じでもないし」
「それは単に人間に自信がないからでしょ」
「そういう"過程"を楽しむのが、重要な要素なんだ……!」
「は?」
キュイと瞳孔を細め、低い声で返した。この緑の塊は、餌を食べる"過程"を楽しんでいないから、くしゃみが出るのだと、暗にそう宣っているのか。サキュバスを貶しているわけではない。だが、理由は分からないが、無神経だと、そう思った。
「ミリスさんって、お仕事だと割り切ってるじゃない。もっと! 楽しまないと! "恋"を! "過程"を!」
コイツ、単純にうるさい。頭に熱が昇ることなく、反対に冷えていく。そろそろまた黙らそうかしら。指で机を軽く叩き、次はどう遊んでやろうかと思考を巡らした。
「それに!」
どうやらまだ言い足りないらしい。最後の遺言ぐらい聞いてやろうと、顎を突き出し、続きを促した。
「それに……仕事に疲れただけの可能性もまだあるよ。気晴らしってことでここはひとつ!」
ふぅん。無神経なりに、一応気を遣ってはいるのかしら。ま、くしゃみの原因までたどり着いたこのスライム。他の医者とは確かに違った。こうして身を乗り出して熱弁しているのも、何かワケがあるのでしょう。それに付き合うのもまた一興。
さぁ、さぁ、さぁと瞳を輝かせて近寄ってくるその迫力に、両手を振って降参する仕草を見せた。
「分かった、分かったわよ」
どうせ帰ってもこの調子じゃ『物語』へは行けない。それならこの医者を信用しようという気になった。小さく苦笑する。そしてため息交じりに応えた。
「……はぁぁ。もう、見るだけよ」
その言葉に、スライムは嬉しそうにぷるっと震えた。
「いっとくけどね、つまらなかったらアタシはボロクソに言うわよ」
アタシの言葉を気にも留めず、スライムはぴょんぴょん飛び跳ねる。喜びを表現しているのか、へんてこな舞を舞っていた。
「わーい。これでドラマ友達ができるぞっ」
呑気に発せられたその言葉。やっぱり前言撤回。これは本当に、ただドラマを見てほしいだけだわ。呆れたように首を横に振った。やっぱりスライムなんて当てにならないかも。
「おみつさんがなかなか見てくれなくって……。お話しできる人がいなくって悲しかったんだ」
スライムはちらっとあの和服の娘を見た。アタシも視線を送る。おみつと呼ばれた娘は、そっぽを向いて茶をすすっていた。ぴくぴくと、口の端が引き攣るのが分かった。
……あの女。アタシをいけにえにしたわね。




