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こちら、モンスター心療内科  作者: 泉 佑理
まどろみのサキュバス
20/25

3

 おみつは暇である。たいして患者の訪れないこの病院は、のんびりと過ごすにちょうどいい。急須でほかほかとお茶を入れ、かつての患者から、お礼にともらった茶菓子を取り出した。先生に好きなものを選んでもらうのが良いだろうと、ばさりと籠に盛る。小さな沈黙とともに、じっとそれを見つめた。そしてそのまま、ちょいと袖口に一つ入れた。誰だって一番に選ぶのが好きなのである。さて、と盆に手をかけ運ぼうとすると。


「キャーーーーーー!!」


 絹を裂く乙女の悲鳴がおみつの耳に飛び込んだ。一体何事かトラブルかと、先生のいる部屋へと勢いよく駆け走る。あのスライムは戦闘はからっきしなのだ。変に暴れる患者がいたらとても対応できないだろう。完全に患者を倒すつもりで殺気を纏い、「どないしはったん、イッテツさんっ」と叫びながら勢いよく扉を開けた。


「ハレンチーーーー!!」


 そう叫んだ先生からは、透明な緑をぼふりと真っ赤に染め上げ、もくもく煙が出ている。「なんや、破廉恥って」と先生の視線の先を辿れば、この寒波の時期に相応しくない、大きく肌を露出させた女がいた。胸や股などの部分は辛うじて黒の布で覆われているのものの、それでも豊満な胸の谷間やへそは見えている。無駄に肌色の多いその姿に、「なるほど、これは変態やな」と大きく頷き、とりあえず簡易ベッドの掛け布団を露出狂にぐるぐると巻き付け、昆布巻きの如く縄でくくった。



 +++



「……あ、の、ね。アタシはサキュバスよ。これは正装よ、正装!」


 扉を開けた途端、目の前にいたスライムは飛び跳ね悲鳴を上げるわ、駆け付けた和服の娘は布団を巻き付けるわ、何なのココは一体。ホントに病院なの? あぁ、もうッ、散々だわ!


「ごめんね~」


 イッテツとかいうスライムは、ふにょりと反省した様子で垂れ下がっている。小さく息を吐く。またマグマ色になって叫ばれたらたまらない。布団を巻いたままアタシは座った。腕を組むのも忘れない。どうせ見えないけど、怒っていることが伝われば十分。ちなみにぐるぐる巻きにした主犯は、我関せずとそっぽを向いて突っ立っている。愛想のない女。視線を戻し、話を続けた。


「あなたがお医者さん?よね」

「そうだよ。えっと、えっと、」

「ミリスよ。ちょっと困っていることがあるのよ」


 スライムのイッテツはぷるっと体を揺らしながら、小さく跳ねた。

 鼻を鳴らし、経緯を話す。先の内科と耳鼻科にいったこと。血液検査やほかの検査も問題なく、アレルギーの薬も何も効かなかったこと。そして"心因性"と言われたことを伝えた。ホントに心因性かどうかなんて怪しいとこだけど。その言葉は言わず、目の前のスライムを見つめる。ぐにょっと体を曲げ、うんうん唸っている。これが、医者、ねぇ。


「それって毎回同じときになるの?」

「えっ、あぁ。そうね。いつも夢で人間に迫るところでかしら」

「他では起こらないの? こっちの世界、とか」

「ないわね」


 言葉を返して、何かが喉に引っかかった。それはいつも本の世界。環境を変えればと、別の本へ行こうと、どこへ行こうと結果は同じ。鼻がムズムズが止まらない。まるで役割を拒絶するように——あのイヤな視線の医者を思い出し、目を伏せた。


「本の世界アレルギーかしらね」


 呆れたように笑うと、スライムはきょとりとした顔をした。


「ミリスさんは、本の世界は嫌いなの?」

「そりゃ、そうよ。あっちの世界はなぜか無性にお腹が空くし。欲しくもない男に、触れるのだから」

「そっかー。大変だね」


 スライムはふにゃりと体を揺らし、籠いっぱいのお菓子を差し出した。


「あ、これ食べる? もらったんだー」


 話を聞くに、一匹のゴブリンからの差し入れらしい。ふぅん、こんなのが一応信用されてはいたのね。布団からばさりと腕だけ出し、差し出されたお菓子を掴む。

 本の世界ではいつも飢餓状態。これはサキュバスとしての役割を果たすため。仕方がないと割り切ってはいるものの、毎回対して好みでもない男に迫らなきゃいけないなんて、メンドクサイ。それに。


「こうして甘いものを1人で食べるほうが、何倍も楽しいわよ」


 手に取ったそれは羊羹と言われる和菓子だそう。見た目はただの四角い塊。かぷりとかじれば、しっとりと体に染み渡る甘さ。思わず頬がほころんだ。ストレスが溜まったら、甘いものに限る。ぺろりと平らげ、温かいお茶を飲んだ。


「1人?」

「アタシたちは基本的に個人行動なのよ」

「そうなの?」

「喧嘩が多いから、かしらね。食べるときに餌の取り合いになるし、縄張りが重ならないようにっていうのはあるわね」


 ま、わざわざライバルの多い夜の街で楽しく遊ぶ娘もいるけれど。サルマみたいに。あれはそういう性質(たち)なのでしょう。まったく、あの食い意地はどこから湧いてくるのかしら。遠くを見つめていたら、なにやらスライムがもじもじとしている。


「なによ……」

「えっと、あのね、」

「はっきりと言いなさいな」

「こっちの世界でも、同じことしてくれないかな~って、」


 一瞬、意味が分からず、ぽかんと口を開けた。

 は? 同じことって、「物語」と?

 カッと熱が昇る。思わず立ち上がり、声を荒げた。


「冗談じゃないわ。腹も減ってないのに食えって!?」

「……本の世界と、こっちの世界。本当に違うのか試してみたいんだ」


 くりくりとした円らな瞳。けれど、それは妙に真剣だった。

 ——なるほどね。

 ゆっくりと息を吐き、席に着いた。同じ環境を作れば、原因がわかると。そういうこと。喉が渇き、視線が落ちる。机の木目を指で辿り、ぴきりと青筋が立った。そうして、返事を返した。


「いいわ。それで何か変わるなら。どうせ、できることなんてこれ以上ないものね……」


 眉を下げ、目を潤ませる。露骨に同情を誘う顔を作り、するりと布団を脱ぎ捨てた。無意識に、口が歪む。「こっちの世界でも迫れ」と提案した男へ——これは、ちょっとした意趣返しだ。そのまま机の上に身を投げ出し、谷間を見せつけ、スライムの元へ。正直こんなの食べたこともないから、どう接していいか分からない。けど。


「……こういうこと? せんせ、」


 軽く指先でッーとその輪郭に触れ、小さく耳元で囁いた。瞬間、緑の塊は天に吹っ飛び、壁にぶつかって、地に落ちた。


「ふふっ……っくしゅッ」


 ほんのわずかな、くしゃみ。笑った拍子に出たそれは、何度も続くものとは違う。でも、確かに起きた。同じ現象。茹ったスライムに視線を向ける。途端に上がった気分に、唇の端をゆっくりと持ち上げた。


「ふーん。確かに使えそうね」


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