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「……さ、……さん!」
うるせぇな、なんだよ声がでけぇ。
「グランさん! もう復活しましたよね。いやー今日のプレイヤー慣れてたのか、俺ら全滅するの早かったですね」
明るい声が耳に飛び込む。目を開けると、昔馴染みのゴブリン、ギークの顔があった。倒されるのも慣れたもの。けらりと笑う姿に、頷き、立ち上がった。
一つ後輩のコイツは、いつもテクテクと俺の後ろをついてきて、純粋で、教えたことはなんでも吸収する賢い奴。どこのゲームの世界に行っても、いつも「グランさん、グランさん」と慕ってくれるコイツを、よく可愛がっていたものだ。
土を払い、腕を回す。いつも通りの元の体。何の異常も痛みもない。さっさと持ち場に戻ろうとして、ついてくるギークに何の気なしに問いかけた。
「なぁ、一つ聞いてもいいか」
「なんですか?」
「お前、死ぬのが怖いか……?」
スライムから言われた、ゴブリンの死生観とやら。聞いてみてと言われたが、大した意味などない。ガンロはまだ若くて慣れてないだけだ。ギークなら、こいつなら「怖くないですよ!」と笑って返すだろうと。
「そりゃーもう。めちゃくちゃ怖いですよ」
軽く返された一言に、俺の足が止まった。
「もう何千回と死んでますけどね」
ヘラッと笑う顔。予想と正反対の言葉。一瞬、返事を忘れた。
「でもそれが俺らの役目だって、グランさんは教えてくれましたから」
「……あぁ。さすがギークだな。自分の役目をよく分かってる」
「はは、ありがとうございます!」
「役目」だと、その言葉に安堵した。なんだ、ちゃんと分かってるじゃないか。頷き、ギークを褒めると、また、へらっとした笑顔を返してきた。相変わらず人懐っこいその顔——けれど向けられたその瞳は、どこか無機質で、まるでロボットのよう。それに、息を呑んだ。
「なぁ、ギーク」
「どうしました?」
言葉を探すように視線を動かし、首を振った。
「……いや、なんでもない」
——お前もしかして、ゲームの世界が嫌いなのか。
それを、俺は口にすることができなかった。
その日は、さきのプレイヤーで終わった。疲れ果てたゴブリンが眠るのは、ゲームの中。役目が終わるまで、病院など特別な事情がない限り外へ出ることはできない。
そのまま藁でしたためた家で、はじまりの大地のゴブリンたちは眠りにつく。すやすやと安心して眠るもの、ガーガーといびきをかくもの。そして、中には泣いているものもいた。ガンロだ。
鼻をかみ、嗚咽を漏らす声が五月蠅くて仕方ない。これでは、不眠でなくても寝られん。
「おい、ガンロ。いつまでも泣くな。早く一人前になれ」
「……グランさん、きいてもいいっすか?」
「なんだ」
涙を流しながらシーツを握り、泣き腫らした目で、ぽつりとガンロは呟いた。鼻も垂れ、見てはいられない。
「……なんで死ぬのが怖くないんすか」
思わずため息が漏れた。まったく、何を言ってるんだか。
「モンスターが死を怖がってどうする」
ガンロの顔から、微かに感情が落ちた。向けられた目はまるで異世界の住人を……プレイヤーを見るかのようで。
「そうっすか。……そう、っすね」
小さく呟くとそのまま、ガンロは反対の方向に顔を向けた。ぐすんと泣く声が、藁の家に響く。それが気になったせいか、俺はまた一睡もできなかった。まったく、コイツはいつまでも泣き虫で困る。
続く日も睡眠薬は全く効果を示さず、眠りに落ちることもできない夜を過ごした。必死に目を閉じて、音を聞かないように。じんわりと重たい頭。夜は寒いはずなのに体が燃えるようで、落ち着かずに何度も寝返りをうった。まだ朝にならんのかと時計を見れば、針は全く進んでいない。明日も役目があるから早く寝なければと、薬を水で押し流す。それでも、尚、苦痛なほど長い夜は続いた。
そうして日が経ち、睡眠薬の数が減っていき、再び「モンスター心療内科」の扉を叩いた。
「おい、いるか?」
「はいは~い」
相変わらず気の抜けた返事をする奴だ。小さく舌打ち打って、文句をつけた。
「出された睡眠薬な、効かなかったぞ」
「え~? すっごーい強いの出しといたんだけどなぁ」
ふにゅんと落ち込んだ表情をして、ちらと俺を見上げた。
「で、どうだった?」
「なにがだ」
「他のゴブリンたち。みんな、死ぬの怖くないの?」
先の表情を一変させて、キラキラと瞳を輝かせる。不眠よりこっちが本題だと言わんばかりの顔。
こいつ、俺の病気に興味ないんじゃないか?
「最近入った若いのも、昔からいるゴブリンも『怖い』だと。まぁ昔からいる奴は役目だと割り切ってたけどな」
先日の一件を思い出し、深くため息を吐いた。昨日もぐえんぐえんと大声で泣いていたガンロ。もしかするとアイツが原因かもなぁ。
「ふーん、なるほどなるほど」
ふむふむとわざとらしく口に出し、頷くスライム。
「なんだ、原因が分かったのか?」
「ははっ、さっぱり分かんないね」
へらりと笑ったそのスライムを、思わず俺は両手で引っ張ると、緑の体がカーブを描いて伸びた。
「おい、分かってるか? こっちはもう何ヶ月も不眠で死にそうなんだよ」
「えー、でも、グランさん死んでもまた生き返るし。死ぬのも怖くなさそうだし、別にいいかなって」
伸ばされた顔で、にへらとした表情を浮かべながらスライムはそう口にした。
イラっと目じりを上げて声を荒げようとする直前、「でも、不思議だね」とぽつりと呟いた。
「なんでグランさんは死ぬのが怖くないのかな?」
「普通は怖くないんだよ。役目を理解すればな」
手を放し、腕を組んだ。鼻を鳴らして、吐き捨てる。どいつもこいつも、死ぬのが怖いだのと。情けない。
「役目かぁ」
「なんだ」
「僕、もっとゲームの世界の話、聞きたいな~」
「あ?」
ゲームの話を聞きたいだ? カウンセリングでもしようってか、スライムが一丁前に。もう一度引っ張ってやろうと、手を伸ばして。
「——僕もゲームの世界の役をもらうかもしれないし」
止めた。なんだそんなことか。前言った『物語』に出たことがないのは、本当らしい。ならばと、軽く言葉を返した。
「大したことない。突っ立ってりゃ、やられる」
「えー。もっと、こう、"怖いぞ!強いぞ!" みたいなのはないの?」
「スライムにそんな大した役が来ると思ってるのか」
「分かんないよ! もしかしたら、勇者・スライムになれるかもっ」
キラッと目を光らせ、「僕が勇者です」という顔でこちらに視線をよこしてきた。なんだ馬鹿らしい。お前が主人公なら、ラスボスはおろか、俺らゴブリンの前ですぐGAME OVERだ。
「ね、ね。もっと、ゲームのこと教えてよ!」
ずいずいと身を寄せて、迫ってくるその迫力。何なんだコイツはまったく。
「だから、突っ立ってればいいと」
「もっと、ほら!」
「あとは——」
あとは、ほかは。思考し、口に出そうとして、何かが詰まって出てこない。毎日立って、倒されて、復活して、眠れず、朝が来て。それの繰り返し。それが役目で、それで……。
「それ以上はないッ。あとは自分で見つけるものだッ」
なぜか感情的になってしまい、相手はぱちくりと目を瞬かせた。
「あ、わる、」
「えー、ケチケチしないでっ。ゲームの話、聞きた―い」
"悪かった" と、そう言う前にスライムは口をとんがらせた。そのまま地べたにコロコロと転がる緑の塊。全くいくつなんだ一体。それでも医者か。呆れて腰に手を当てると、そいつはぴょんと椅子に乗って言った。
「じゃあ、次! 次回来た時教えてよっ」
「その前に、ちゃんと寝れたらな」
「むぅ。もーーーっと強めの薬出しとくね。きっとこれなら効くよ。間違いなし!」
むんっと胸を張るスライム。鼻であしらい、その場を後にした。
ゲーム、ゲームとまったく。子供じゃあるまいし。肩をいからせ、廊下を進む。スライムに、あのガキ見たいな医者に何を話すか。目を閉じて、食いしばっても何も思いつかず、舌打ちがこぼれた。苛立つのも、ぼんやりとしたこの頭も、全部睡眠不足のせいだと、そう思った。