10
崖から見下ろすは、モンスターたちが集う冬の海。月に照らされ波間に映し出される自分の姿に、僕は口角を上げた。
勢いよく水面に飛び込み、大きく散った水飛沫が鮮やかに光る。するりと回転して浮遊すると、春の華のような魚たちが僕を歓迎してくれた。小魚のオーロラを抜けて、そのまま海底へと進む。底に着くと、ウツボがぎょろりと顔をのぞかせ挨拶をしてくれる。それに手を振り、先へと向かう。道中にはフライパンや、割れたメッセージボトル、そしてかつて背筋を凍るほど怯えていたはずの鏡が沈んでいる。
それも、今の僕にはいつもの光景。
目を向けることなく、静寂の海を迷いなく泳ぎ行き、ショフケ・スキープの扉を開けた。
「おいおい、久しぶりじゃねぇか!」
「な〜にしてたんだよ、今まで」
「ごめんごめん」
挨拶代わりに背中を叩いていく仲間たち。彼らのその温かい姿に笑みを浮かべて応えた。近くによって来たルズが、心配そうに話しかけてきた。
「なぁ、本当にもう大丈夫なのか?」
「うん、もう全然聞こえないよ」
「マジか! おーい、みんな、ザハル治ったってよ!」
ルズの声に呼応して、酒を仰ぐ海のモンスターたちの歓声がバーに広がる。ビールのグラスがぶつかり弾ける音を聞きながら、僕はカウンターに軽くもたれてグラスに口をつけた。カウンター越しのクラーケンさんは、淡々とグラスを用意している。この前の礼を言おうと、小さく頭を下げた。
「あの声、治ったみたいです」
「……あそこの先生は、随分変わってたでしょう」
そう言ってグラスを拭く姿は、静かで、どこか柔らかい形をしている。
「ええ、本当に。……本当にそうですね」
あのころんとしたスライム。正直少し苦手だけど、ぴちぴちと溺れ、とぼけて、ぴょんと跳ねる姿を頭に描いて、くすりと笑みがこぼれた。すっかり靄の晴れた気持ちで飲み干したグラスを、そっとカウンターに置く。
「もう帰られるのですか?」
そう尋ねられ、小さく頷いた。
それに気づいた仲間たちが、わちゃわちゃと騒ぐ。
「おいおい、まだ始まったばっかだろ~!」
「ザハルっ、オレの愚痴きいてけよ~。あのクソ海賊の野郎、許せねぇんだホントによぉ」
「オメーの海賊話は聞き飽きたっての。俺んとこの勇者の方が最悪だぜ?」
ぐでんぐでんに酔っ払い、愉快で、朗らかな。
とても安らぐ海の底。
「おーい、ザハル。こんな時間にどこ行くんだ? かわい子ちゃんでも見つけたか?」
やってきて肩を組み、そう問いかけてきたルズに思わず苦笑した。
かわい子ちゃん、か。そうかもね。
「ねぇ、ルズ」
「なんだよ」
「ありがとね」
前の、あの突拍子もない計画の礼を言った。
「なんだよ、改まって。かわい子ちゃんの話を逸らそうったってそうはいかねぇぞ」
「はははっ、いたいいたい」
グリグリと頭を押され、じゃれるように喚く。強くて、人当たりもよくって、真夏の太陽みたいに明るくて。そんな僕の友人を、なんだか無性に驚かせてやりたくなった。
「海のおともだち、だよ」
僕の言葉に手を止め、俺達もそうだろうがと目で訴えかけてくるルズ。それにニヤリと笑って僕は言ってやった。
「人間のね!」




