相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
北の富士さんの思い出
少年時代からのファンだった北の富士さんの訃報を聞き、
北の富士さんの思い出を綴りました
(文中敬称略)
少年時代、
北の富士の大ファンでした。
私がファンレターを出した唯一の人でした(あと30歳代の時に作家の田中芳樹に出したことはありました)。
現役時代はもちろん、
親方になっても
解説者になっても
北の富士はかっこよかったです。
北の富士が引退したとき、もうこれからはこんなにドキドキして相撲を観たくない、と思って、以降は特定の力士のファンにはならないということを心がけたのです。
11年前に、大鵬の訃報のニュースを聞いたときは、ボロボロと涙が出てきて止まらなくなり自分でも吃驚しました。
そのとき
「北の富士が亡くなったら、やっぱりこうなるのかなあ」
と思っていたのですが、
訃報を知って以降、涙は出なかったです。
昨年3月場所から、NHKの解説ずっとお休みでしたし、
今場所前に琴風がNHKの専属解説者になり、
これからは専属解説者、
北の富士、舞の海、琴風の3人体制で、と報じられましたが、
「これは北の富士の健康が優れなくて、もう解説に復帰することはない、ということなのだろうな」
と感じていましたので。
結局、一度も直接お目にかかる機会はなかったことについて残念な気持ちもありますが、
私のほうから積極的にそういう機会を求めることはしませんでした。
少年時代の憧れの存在でしたから、憧れのままにとどめておこう、という気持ちがあったのかもしれません。
物心ついたときは大鵬ファンで、小学校4年くらいのときに、強すぎて面白くないなあ、と思うようになり、
はっきりと北の富士のファンになったのは、小学校5年、昭和43年からです。
その頃は大関で、素質はすごいのにあまり努力しない、と言われていました(北の富士は努力している姿をひとに見せるのは粋ではない、という風に思うタイプだったようです)
大関在位21場所(3年半)で、昭和45年初場所後に玉乃島(玉の海)と同時横綱昇進。
44年名古屋場所に柏戸が引退して、
大鵬がひとり横綱になったのが、本気になったきっかけだったようです。
横綱に昇進する前後の1年間は
44年秋場所 12勝3敗 優勝は玉乃島(13勝2敗 2回目)
44年九州場所 13勝2敗 2回目の優勝
45年初場所 13勝2敗 3回目の優勝
(玉乃島と優勝決定戦)
横綱昇進
45年春場所 13勝2敗 優勝は大鵬
(14勝1敗 31回目)
45年夏場所 14勝1敗 4回目の優勝
45年名古屋場所 13勝2敗 5回目の優勝(前の山と優勝決定戦)
以上の成績でした。
このときは
「あの北の富士が、こんなに強い横綱になってくれた❣」
と感動でした。
このあとは、4場所連続11勝4敗で
イレブン横綱と揶揄され
(その4場所は、大鵬と玉の海が優勝争い)
46年夏場所 大鵬が引退した場所で
6回目の優勝 初の全勝優勝。
46年名古屋場所 8勝7敗
(優勝は玉の海 6回目 初の全勝優勝)
46年秋場所 15戦全勝 7回目の優勝(2回目の全勝優勝)
この秋場所後の10月11日に、
ライバルの玉の海が、27歳で亡くなります。
私は物心ついてから今に至るまで、
ずっと相撲ファンですけど、
昭和43年から、北の富士が引退する昭和49年名古屋場所2日目までの
6年余りが、
相撲ファンとしての熱量がMAXだったな、と思います。
小学校5年 から 高校2年の夏までですね。