選択
第一部、最終話。
「僕、決めました」
『そうですか』
「やっぱり、リコと引き換えに人類を滅亡させるのは、リコが望まないと思います」
『あなたたちは、そう言うでしょうね』
「ありがとうございます。僕たちに選択肢を与えてくださって」
『いいんですよ。それが仕事ですから』
「メイさんは、人類が嫌いなんですよね」
『どちらかといえば、ですが』
「僕としては、好きになってもらいたいです」
『前向きに検討します』
「はは……神様らしいや」
『あなた達のことは好きですよ』
「そんなに違わないと思いますが」
『違います。それは明確に違います』
「そうですか?」
『普通の知的生命体なんて、なにも考えてないですよ。「知的」と名がつく割にはびっくりするくらいなにも考えてない』
「ほんとに、嫌いなんですね」
『なにも考えず生まれて、なにも考えず死んでいくんです』
「みなさん考えながら苦しんでると思いますけど……」
『それがですね。なにに苦しんでいるかと言うと、自らの欲求が満たされないことに苦しんでいるんです』
「はあ……」
『私が「考える」と言っているのは、他人や世界のことです。そこを追求し、慮り、愛を育むことに、人類は圧倒的に欠けています』
「普通の生命体は違うんですか?」
『普通の生命体も食べることと生き残ることしか考えていませんよ』
「じゃあ」
『だから、ですよ。調和が取れているんです』
「調和?」
『彼らは自然の一部です。殺し、殺され、食い食われ、常に自然と一体です』
「ふむ……」
『逆らうことはできないんです』
「人間は、逆らえるってことですか?」
『もちろん。そのための知能ですから』
「逆らってはいけないんですか?」
『いけないとはいいません。ですが、先程も言ったようにバランスの問題です。プラスマイナスゼロなら、私だってなにも言いませんよ』
「そんなにひどいんですか」
『誰かが良いことをすると、その十倍近くは悪いことをする。総体で見れば、激しく負の連鎖です』
「ううん……」
『さらにたちの悪いことに、恐ろしいスピードで負を拡散したあげく、自分たちは素知らぬ顔で絶滅していく』
「うっ……」
『後処理を任された私の気持ちはどうなるんですか? 考えたことあります?』
「ごめんなさい」
『これはね、理屈の問題じゃないんです。こちら側の気持ちの問題なんですよ』
「そうなんですね……」
『知的生命体が出現するたびに、私はいやーな気持ちになります』
「うう……」
『ですが。それも、自然の成り行きなんです』
「です、よね」
『はい。知的生命体が生まれることは必然です』
「はい」
『ならば、いかに負を生み出そうとも、それを受け入れるのも私の役目です』
「ありがとうございます」
『私にも感情があります。感情がある以上、矛盾も生まれます』
「……」
『私も調和が取れていないんですよ』
「メイさんもですか?」
『ええ。調和を取ることは放棄しています。だからこそ干渉できる。世界そのものがなににも干渉できないから、私を遣わせた』
「世界って、なんなんですか。メイさんすらも動かせるんですか」
『意思を持たない力。転生しない輪廻。感知できない愛』
「なんか、すごいですね」
『偉大で、奥深くて、支配されず、干渉されず、関わらず、ただそこにある』
「なるほど……」
『世界がなければ私たちは存在できない。言わずもがなですね』
「そこに、リコは干渉したんですか」
『そう、なりますね』
「はあ……」
『カオルも言っていたと思いますが、私たちが一番驚きましたよ。生命の循環に真っ向から立ち向かう存在なんて初観測です』
「なんで、そんなことができたんですか……?」
『観測上の話をすれば、さいきん妙な変移がありましてね』
「へんい?」
『生命のエネルギーが収束しては消え、収束しては消えを繰り返していたんです』
「難しくて、わからないです」
『なにか、生命の意思のようなものが、「なにか」を生み出そうとしている。そう読み取れました』
「なにか……」
『私は進言したんですよ? 「妙な動きがある」って。でもあいかわらずの無視です』
「ふむ……」
『そして、リコさんと……タクミさんが生まれた』
「え……僕も!?」
『最初から言っているじゃないですか。「あなたたち」って』
「は!? いや、僕は……!」
「タクミくんも、特別なんだよ」
カオルさんが、穏やかな顔で。
『さながらアダムとイヴのような構成でしょうか』
「アダムと、イヴ……」
『夢も希望もありませんが、あなたとリコさんは結ばれる運命なんです』
「夢も希望もありませんね」
「ははは……」
カオルさんが苦笑している。
『ただし、自由意思がある以上、結ばれないこともある。本人たちの心までは歪めることはできません』
「それでも、僕とリコはお互いを選んだ」
『そういうことです。ロマンがあるでしょう?』
「ロマンはあっても現実味がありません」
『現実味なんて、どうでもいいじゃないですか』
「そうですか?」
『大事なのは、先程にも言った「見る者の心」の問題ですよ』
「うーん……」
『見る者に希望を与えられるならなんだっていいんです。生命エネルギー自体がなにを考えたのかは分かりません。そもそも意思があるのかすらも』
「希望を、与える」
『私はね、光を見たんです』
「光ですか」
『あなたたちの中にある、強い強い光を』
「僕たちの……」
『これで、私もしばらく仕事を続けられます』
「そんなに、ですか」
『はい。だから、もう、それ以外のことなんてどうでもいいんです』
「人類が滅んでも?」
『たかだかひとつの知的生命体です』
「滅ばなくても、ですか」
『いいものを見させていただいたことに変わりはありません』
「それでも……」
『はい』
「それでも僕は……」
『言わなくても、分かっています』
「それが、タクミくんなんだろう?」
カオルさんが、強く頷く。
『あなたたちほどの光が、人類を見捨てるとは思えませんしね』
「そうですね……」
『さて、そろそろ対話の時間は終わりにしましょうか』
「はあー! よくしゃべりますねえメイさまも」
『あなたがしゃべっても良かったんですよ?』
「ひいっ、すみませんメイさまっ!」
『分かればいいんです』
「あはは……」
つい笑ってしまう。
カオルさんも、メイさんの前では型なしだ。
「それで、ナルコシンクを撲滅するためにはなにをすればいいんです?」
『そこのボタンを押すだけですよ』
「え、これって……」
『そうですね……私の想像では、生命維持装置の電源かなにかに見えているんじゃないですか?』
「その通りです」
『それを押すと、あなたが現実世界に戻る頃には、リコさんは亡くなっているはずです』
「もう、リコに、会えないんですね」
『最後に、会えるかもしれません』
「ほんとうですかっ!?」
『彼女ほどの力です。最後の力でここにきてもなにもおかしくありません』
「分かり、ました」
「タクミくん……」
カオルさん。
そんなに悲しい顔を、しないでください。
「最後に、会えるなら。最後に、話せるなら。もう、怖くありません」
『ありがとう、タクミさん』
「タクミくん、ありがとう」
「はい」
震える指で、ボタンを、押した。
電源が落ちるような音がした。
「タクミっ!」
「リ……リコっ!?」
ベッドで眠っていたこの世界のリコが、起き上がってた。
「ほんとうに、リコなの?!」
「ばか! あんた二週間も帰ってこなかったじゃない!」
「二週間……」
「もう、みんな、あんたのお母さんもお父さんも、ヤスダさんだって諦めてたわよ!」
「ごめんね……」
「でも、あんたのおかげでみんな意識が戻ったのよ! すごいよタクミっ!」
「うん……うん……!」
「ナルコシンク、収束だってさ! 治療法も開発したみたい!」
「よかった……よかった……」
「でも……ごめんね……」
「リコ……」
「わたし、もう駄目かも」
「ごめん……」
「あんたが帰って来るの、ずっと待ってた」
「ごめん……ごめん……」
「もう! なんでもっと早く帰ってこなかったのよ!」
「うう……」
「わたし……わたし……もうタクミに会えないじゃない……」
「僕が悪いんだ……」
「タクミは悪くない!」
「え……」
「タクミはみんなを救ってくれたのっ! わたしのことだって」
「リコの、こと……?」
「ねえ、タクミ。もう最後なんでしょ? だから、言うね」
「うん……」
「タクミのこと、好きだよ」
「っ!」
「ううん」
「……」
「大好きだよ、タクミ」
「僕だって……僕だって……」
「分かってる。でも、言わせて」
「リコお……」
「世界でいちばん、タクミを愛してる」
「ああ、あ……」
「ずっと、一緒だよ」
「愛してる! 愛してるからっ!」
「じゃあね、タクミ」
「行かない、で……おねがい、だよ……」
リコが消えていく。
「行かないでよ……」
もう、二度と会えないんだ。
「リコのことおっ! 忘れないからあっ!」
もう、笑ってくれないんだ。
「わすれ、ない、から……」
僕が一番愛した人なのに。
「リコも……僕のこと……」
これから先だって、きっと、ずっと。
「忘れないで……」
僕のいちばん大切な人。
「リコおぉお……」
僕の意識が、浮上していく。白い光が満ちてゆく。
「また会おう。タクミくん」
カオル……さん……?
『最後に、あなたとリコさんの願いを、ひとつだけ』
メイさん……?
『ひとつだけ、叶えます』
「タクミくんっ!?」
「え……あ……」
「タクミくんの意識が戻った! ヒロトくんっ、ご両親にすぐに連絡しろ!」
「はいっ!」
ヤスダ研究所の男性職員さんが、走っていく。
「タクミくん……泣いてる……のか……?」
「リコ……は……」
「っ……」
「分かってますよ……僕のせいで……もう帰って、こないんでしょう?」
「どうしてそれを!? いや……リコちゃんもついさっきだというのに……こんなことが……」
「あっちの世界で、教えて、もらいました」
「なんてことだ……いったいどうなっているんだ……いや、だが、だが! 君のせいでは決してないぞ!」
「分かってます……でも……」
「どうしたっ?」
「リコが、死んだことに、変わりは、ないんです」
「……すまない……」
「リコは、どこに、いますか」
「……リコちゃんは……いつものところに……ほんとうに、ついさっき死亡宣告がなされたばかりなんだ。ご家族が来ている。もうまもなく葬儀社の方が来てご自宅に戻られるそうだ。こんなことが起こるなんて……」
「肩を、貸して、ください。ヤスダさん」
「無理だ! いま動くなんて不可能だ!」
「それでもッ……僕は行くんですよッ……! リコに、会いに行くんですよッ!」
「……信じられない……」
ヤスダさんと一緒にゆっくり、ゆっくり歩く。
エレベーターにつく。
エレベーターの速度が僕の体に優しく感じた。
三階につく。またゆっくりと体を引きずるみたいに進む。
ドアをヤスダさんが開けてくれる。
「タクミくん!?」
「タクミちゃん!?」
「おじさん、おばさん……」
「どっ、どうしてここに!? 意識が戻ったのか!?」
リコのお父さん、お母さん。
ごめんなさい。
僕の代わりにヤスダさんが答えてくれる。
「ついさっきですよ。まるで、まるで……リコさんが起こしてくれたかのように」
「ううっ」
「あああ……」
おじさんとおばさんが泣き崩れる。
「おじさん……おばさん……ごめんなさい……」
ふたりはずっと泣いてた。
「すべては私が巻き込んだせいです。私の責任です」
ヤスダさんが、涙を流しながら苦しそうに。
「……リコは、もう、長くありませんでした。最後に世の中のために……う……それだけでも……」
おじさんが、泣きながらヤスダさんを気遣ってた。
「タクミくんが……戻ってくれてよかった……リコは、リコは、ずっと、タクミくんのことを、心配、してたのよ……」
おばさんが、つらそうに僕のことを気遣ってくれた。
リコ。
みんな、リコのこと、大事に思ってくれてたよ。
僕だけじゃなかったよ。
みんな、リコのこと、きっと忘れないよ。
だから、僕のことも忘れないで。
いつからだろう。
最初は、ただの幼なじみだったよね。
勉強、僕が教えてさ。
でもさ、本当は分かってたんだよ。
リコに教える必要なんて、最初からなかったんだ。
教えてもらってたのは、僕だったんだよね。
僕は、そんなリコのことが、いつからか。
リコはどうだったのかな。
いつからだったんだろう。
ああ。
もっと一緒にいたかったな。
僕、これからちゃんと生きられるかな。
リコのいないこの世界で。
リコのいない、この世界で。
それからの毎日はなんの色もなかった。
リコが二週間、寝ずに僕の左手を握り続けてくれてたことを知ったときは、胸が苦しくて、苦しくて、泣き続けた。
生きる意味が、なくなってしまった気がした。
だけど、メイさんが見せてくれたリコの姿。
号泣するリコの姿が、なぜか、僕の心に、深く深く焼き付いていた。
もしかしたら、また会えるのかもしれない。
そんな妄想と希望のはざまで、僕はずっと苦しみ続けてた。
続く
第二部を編集しだい投稿します。お楽しみに。