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数学の時間

第一部、第二話。

「この教科書、『色覚特性に配慮してます』って書いてあるわね」

「色覚特性ってなんだろ」

 今日は数学の勉強をしに来てる。

 数学の教科書には、空飛ぶ車と街の風景が描かれてた。

 裏には説明が書かれてて。

 それが、不思議だった。

「ちょっと調べてみよっと」

「あ、リコいいの持ってる」

「こんなのでもないとやってられないわよ」

「そっか……」

「またそういう目をする」

「ごめんごめん」

 リコが検索用のデバイスを出す。

 ネットワークってやつで図書館にある本の文字を総当たりみたいに調べるすごいやつだ。

「あるある……『色覚多様性概論』っていう本に載ってるわね」

「どういう意味だった?」

「うん。『色覚特性とは、かつて色盲や色弱と呼ばれていたもので、色の認識が少数派である人の特徴・特性のことである』だって。見せてあげる」

「……なるほどね。この『弱い』って言う字にしても、昔は多数派至上主義みたいな感じだよね」

「……あんた、意外と頭いいわよね」

「そう?」

「忘れて。さ、早く中身に入りましょ」

「だね」

 教科書をめくる。

 一ページ目には一面に富士山と空の写真と、「数学の世界へようこそ」の文字が書かれている。ページを飛ばして、十ページ目。「符号」だ。

「マイナス、プラス、正の符号、負の符号、正の数、負の数、ここらへんが大事みたいだね」

「ま、ここは大丈夫ね」

「リコは予習ばっちりだもんね。相当読み込んでるし」

「もっと褒めなさい」

「はいはい。じゃ、十六ページの問題もいいとして、『数学の歴史』かな」

「え、そこ!?」

「これも大事だと思うけどなあ」

「あんたの教え方がわからないわ」

「はい。『負の符号を初めて使ったのはドイツのウィッドマン。十五世紀頃の人』だってさ」

「これじゃ歴史の授業ね……」

「リコに興味を持ってもらいたいからさ」

「興味ならもってるわよ」

「それならよかった」

「……」

 リコはなにか言いたそうだったけど、言わずにおいてくれた。

「つぎは加法だね」

「見た目がちょっとややこしくなるわね」

「十八ページの下。たしかめ一番。十九ページのたしかめ二番。やってみよう」

「これね、ちょっとまってて」

「うん!」

 リコが解き終わるまで少し待つ。

「順番に、プラス九、プラス七、マイナス六、マイナス十三、プラス一、マイナス二、ゼロ、プラス六よね」

「せいかい! いやあ、さすがだねリコさん」

「たいしたことないわよ」

「じゃ、二十ページもいいから、二十一ページ。これは単に言葉と記号の暗記だね」

「そうね」

「リコなら分かるだろうけど、ここの考え方は基本として重要だから、よく理解しておいてね」

「はいはーい」

「まず『加法の交換法則』はα+b=b+αね。『加法の結合法則』は(α+b)+c=α+(b+c)だね」

「いちおう確認しておきたいんだけど」

「なになに」

「これ、『加法では』『成り立つ』って書いてあるんだけど、要するに他の計算では成り立たないこともあるってことよね」

「さっすがリコさん! するどい!」

「……なんか馬鹿にされてる気がするわ」

「そんなことないよ! こんなさらっと書いてあるのを見逃さないなんてさすがだなぁ」

「あんたの嫌味も見逃さないからね」

「……」

 眼光が鋭いなリコは。

 いや、ほんとうにそんなんじゃないんだってば。

 そのあと、しばらく加法の勉強を続けた。

「じゃ、今日はこのくらいにしとこうかな。次は減法からやるから、予習しといてね」

「あんたに言われなくてもやるわよ」

「そうカッカしないでよ」

「別に怒ってないから」

 怒ってないのは分かるんだけど、なんとなく気になる。

 ま、なにかしたわけじゃないし、大丈夫だろうけどね。

「それじゃ、また明日」

「うん。また明日」

 どっちが先ってこともなく、そうやって挨拶をする。

 なんか、嬉しかった。

 病室を出る。

 ナースステーションに面会証を返す。

 ゆっくりなエレベーターに乗る。

 総合受付をちょっと見る。

 正面玄関からスズキを出る。

 今日も潮風が気持ちいい。

 独特な香りがする。

 そろそろ暗くなりそうだ。

 家に帰らないと。

 僕は、のんびりと家への道を歩き始めた。


「ただいまー」

 音のする玄関扉を横に開けながら、帰宅の第一声。

 母さんはいつもみたいに台所かな。

 扉をしめて鍵をかけて、靴を脱いで揃えて家の中に入る。

 台所のほうに向けて第二声。

「ただいまー?」

「おかえりー」

 いたいた。

 今日も生存を確認。

 なんかリコのこともあって少し心配性になってる僕がいる。

 台所からはいい匂いが立ち昇ってる。

「おつかれさま。リコちゃん、元気だった?」

「あいかわらず毒舌だった」

「仲良くて羨ましいわあ」

「どこが」

「ふふ」

 舐められてるな、まったく。

 まあ、これが母さんってやつなのかも知れない。

 すごくおせっかいで、世話焼きで、ずうずうしいけど、どこか憎めない。

「……そう。今日、回覧板が来たんだけど、タクミも見ておきなさい」

「え、僕も見るの?」

「いいから」

 なんだろう。

 普通は僕が見るような内容のお知らせなんてないんだけどな。

 だいたいは町内会のなんでもないお知らせとか、祭りのお知らせとか、そんなのばっかりなんだけど。

 回覧板はチャックのついた防水仕様のファイルになってる。

 次はカンザキさんのところに回さないといけない。

 いつもは母さんがやってくれる。

 その回覧板からもう出してあるお知らせの紙を見る。

 そこには、「流行り病に関するお知らせ」と書いてあった。

 よく読むと、最近この水守島(みずもりじま)で病気が流行っているらしいことが書いてあった。

 病気の症状としては「睡眠時間が長くなり、概日リズムが乱れ、さらに激しい悪夢にうなされる」らしい。

 主にスズキ水守病院が治療にあたってる。

 原因は不明らしい。

 ひとつ分かってることは、一緒に生活してる人、特に同じ部屋で寝てる人が感染していること。

 感染経路も分かってない。

 とにかく、寝る場所を分けることが最優先事項らしい。

「これ、かなり重大なことなんじゃ……!」

「そうよ。ササキさんのところも三人スズキ病院に行ってるし、ナゴシさんの奥さんも入院してる」

「原因不明ってのがまた……」

「そうね。とにかく、タクミも気をつけなさいね」

「分かった。母さんと父さんも寝る場所分けたほうがいいかもよ」

「考えとく。ありがと」

「うん」

 僕はこの不思議な病気のことが、頭から離れなかった。

 台所からは、ただただ夕飯のいい香りが漂っていた。

 その日の夜。

「ねえ父さん、回覧板のお知らせ読んだでしょ?」

「ああ」

「あれ大丈夫なの」

「大丈夫だ、と言いたいところだけど、ちょっと心配だな」

「だよね」

「なんでも、いちどかかると徐々に悪化していくらしい。治療法もないとか」

「そうなんだ……」

「ヤスダ研究所のほうも協力してるとかいう噂だ」

「えっ、あそこの怪しい研究所、スズキとつながってるの!?」

「そういう言い方はやめなさい。悪の組織じゃないんだから」

「だってさ……」

 ヤスダ研究所。

 研究所って言ってもヤスダのおじさんがいろいろな物を発明したり、好きなことを研究してるところだ。

 働いてる人も何人かいるけど、そんな大規模な場所じゃない。

「まさか、ヤスダさんとスズキが病気を拡散してたり」

「ないない。ヤスダさんはああ見えてすごい人だぞ。スズキは言わずもがな。陰謀論はやめなさい」

「はあい」

「当分の間はお父さんもお母さんと離れて寝ることにするよ。さみしいな」

「へっ」

「何だその笑いは。タクミといっしょに寝てやろうか」

「やめてほしいな変態親父」

「そういう趣味はないんだが……」

 そんなところで、今日が終わろうとしていた。

 夕飯はいつも通りおいしかった。

 一汁三菜白ご飯。

 食器の手触り、味噌汁の香り、白飯の甘さ、三人の会話、そしてお知らせの紙が、いつもの日常を彩っていた。

 だけど、そんな日常に、ちょっとした不安が影を降ろそうとしてた。

 明日リコに会ったら病気の話をしなきゃ。

 そう思いながら、布団に入って、うつらうつらしていた。

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