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水に沈む

僕に、一人称の素晴らしさを教えてくれた作品。

タクミ三部作の第一部、第一話です。

 僕の意識が、沈んでいく。明るい水の底に、沈んでいく。

 左手には、温もりがかすかに残っていた。

 温かい。

 そのぬくもりが、僕を生かしてくれた。

 そのぬくもりだけが、特別だった。


 なんとなく気が重かった。

 リコに会いに行かなくちゃいけない。

 別に嫌いなわけじゃないけどね。

 でもあいつ。

 気が強いところあるからなぁ。

 そもそも僕が勉強手伝ってるのにさ。

 態度がでかいのが気になる。

 ついでに今日はあんまり気分が良くなかった。

 原因は分かってた。

 タダシとちょっとした言い合いになったからだ。

 言い合いの原因もリコといえばリコ。

 タダシはリコのことをかわいいと思ってる。

 だから。

 タダシのやつ、「いいよなタクミはリコと会えて」とか言い出して。

 僕が「良くない」って言ったことが始まりだった。

 だから今日は特に会いたくない。

 学校の帰り道に大きな病院がある。

 広い島だけど、有名だからみんな知ってる。

 だれだれが怪我したからスズキに行ったとか。

 お前の父ちゃんスズキに行ってるよな、とか。

 もうプライバシーとかなにもない。

 スズキ水守病院。

 ひとつしかない総合病院。

 リコも、体が弱くて小さい頃から入院を繰り返してる。

 というか、ほぼスズキに住んでる。

 だからたまに学校に顔を出したときなんか。

 タナカとかシガラキあたりに「よおスズキ」とか茶化されて。

 リコが「ふざけんなクソガキ」なんて返したあげくむせこんで。

 また「スズキに帰らなくていいのかぁ?」とか言われる始末。

 僕が間に入ったら「余計なことしないで」とか言われるし。

 なんなのあいつ。

 でも嫌いじゃない。

 だいたいあいつらもずっと昔から知り合いなのに。

 なにも、変わらない。

 みんな幼なじみみたいなもんじゃんか。

 仲良くすればいいのに。

 義務教育が終わるまで一緒なんだよ?

 仲悪くなったら大変じゃんか。

 ま、あと三年くらいだからいいといえばいいのか。

 そんなことを考えてるうちに、スズキが目に入ってきた。

 あー、気が重い。

 駐車場のゲートを横目に見ながら。

 歩行者入り口から敷地に入って。

 正面から病院に。

 待合所が正面にあって。

 左側に総合受付がある。

 いつも人がたくさんいて、ちょっと緊張する。

 それでも受付の人は優しいから大丈夫。

 せわしなく仕事をしている受付の人がこっちに気づくまでちょっと待つ。

 目が合う。

「あの、面会希望です」

 受付のお姉さんも忙しいから、なるべく迷惑をかけないように気をつける。

 受付のお姉さんが笑顔になりながら対応してくれる。

「はい、面会ですね。それでは……」

 そう言っていつものように面会シートを探してくれる。

「こちらにご記入ください。記入はそちらの台でお願いします」

「はーい」

 待合所にある台を手で示してくれる。

 そっちのほうに移動して、書き始める。

 でも、毎回こうやって日付に名前、住所、電話番号、面会希望時間、患者の名前、関係、人数を書かないといけないなんて、果てしなく面倒だ。

 書いたものを受付に出しにいく。

「面会シート、書きました」

「はい。おかけになってお待ちください」

 受付のお姉さんは事務的だけど悪い人じゃない。

 いつも丁寧に仕事をしてくれる。

 言われた通り席に座って待つことにした。

 ちょっと待ったかな、と思ったくらいの時。

「タクミさま。カムイ・タクミさま」

「はい」

 僕の名前が呼ばれる。

 受付に向かっていく。

「こちらが面会証です。奥のエレベーターを使ってください」

「はいー」

「三階ですね。面会証をナースステーションで見せてください。お疲れさま」

「はい!」

 お疲れさま、というのはお姉さんのアドリブだ。

 僕はなんだか嬉しくなっていた。

 重い気持ちも少し晴れて、仕方ないと思えるようになっていた。

 親切って大事だ。

 僕はエレベーターのボタンを押す。

 エレベーターがゆっくり三階をめざす。

 ほかのエレベーターをあまり知らないけど、やっぱりこのエレベーターは遅い気がする。

 患者を気遣うようなエレベーターの速度になんだかほっこりしながら待つ。

 ついた。

 ナースステーションは扉の目の前にある。

 さらに奥の方で看護師さんが仕事をしているのが見える。

 僕はナースステーションに近づいて呼び鈴の前に立つ。

 でも、呼び鈴は鳴らさない。

 鳴らしてもらったほうが嬉しいのだろうけど、僕はこの音が嫌いだった。

 なんか冷たくて、人を呼ぶのに適していない気がした。

 なんとなく他人をモノ扱いしているような気さえした。

 とにかくこれを押すのはためらわれた。

「すみませーん」

 だからなるべく落ち着いた声で呼ぶことにしていた。

 奥の男性看護師さんがこっちに気づく。

 近寄ってくれる。

「面会希望です」

 看護師さんがなにか言う前にこちらから話しかける。

 迷惑をかけたくないのだ。

 面会証を見た看護師さんは優しい目で。

「はい。リコさんに面会ですね。三〇五号室です……いつもありがとね」

「いえ! こちらこそ……」

 そう。

 僕の面会はもう数え切れないほどだ。

 小学生の頃から母さんに連れ添ってもらって何度も何度もスズキに来ている。

 中学生になってからはやっとひとりで来られるようになった。

 母さんに迷惑はかけられないし、母さんがいると少し恥ずかしい。

 なにを考えてるんだ僕は。

 そうやって歩いているうちに、リコの病室前に着く。

 少し深呼吸する。

 さあ、今日は何を言われるか。

 三回ノックする。

「失礼しまーす」

「はーい」

 リコは気づいてるのかどうなのか、外向きの声を出してる。

 はぁ。

 僕にもあんな声で会話してくれればな。

 いや、何考えてるんだか。

「なんだ、あんたか」

「……」

 案の定、僕の顔を見た途端に声のトーンが下がる。

 そんなに嫌なのか。

 いや……別に嫌われてるわけじゃないのは分かってる。

 嫌われてると思ってたら来てない。

 わざわざこんな苦労までして嫌いな人に会いに行くなんてありえないし。

 そんなことしてほしくないだろうし。

 リコが僕に厳しいのは……たぶん、甘えてるんじゃないかな。

 そう思えるから、何を言われても我慢してる、というか、気にしないようにしてる。

「今日はなんの用?」

「はい、リコ様に勉強を教えに」

「くるしゅうない。ちこうよれ」

「なにそれ」

「下の者への気遣いね」

「ほー」

 こういうやり取りも慣れっこだった。

 リコはこんな状況だし、甘えられる友達なんて僕くらいしかいない。

 僕が見放したらリコはどうなる?

 でも、僕は同情してたとしても見下してるわけではけっしてない。

 リコのことは嫌いじゃないのだ。

 嫌いじゃ……ないのだ。

「今日のプリントとお知らせ、持ってきた」

「はいはい」

「それではリコ。勉強を始めるぞ」

「あんた誰よ」

「最初は国語ね」

「分かった」

 リコと僕は無償配布された国語の教科書を取り出す。

 表と裏にはイラスト化された大木が描かれてる。

 一枚めくると木漏れ日と大木を見上げるように撮られた写真がある。

「これ、綺麗よね」

 リコが感慨深げな声を出す。

「うん」

 ほんとに、きれいだった。

 写真家さんは、すごい。

 次をめくっても、一面とはいかないけど、何個かに分かれた綺麗な景色の写真があった。

 さらにめくる。

 季節の写真と一緒に一から七の数字が置かれてる。

 それぞれに学習目標が当てられてる。

 最後の八番目になるところは、「漢字に親しもう!」と書かれていた。

「まずは一の『学びをひらく』だね」

「そうね」

 そう。

 リコは中一になったばかりなのに、もうスズキで入院してる。

 ほんとは、入学式とか挨拶とか、お祝いとか写真撮ったりとかしたかったと思う。

 それなのに、こうして僕と静かに病院で勉強してる。

 僕は、胸が痛かった。

「なに考えてるのよ」

「え、ああ」

「私のことをあわれんでるわけ?」

「そんなこと」

「あるんでしょ」

「……ごめん」

「ふん」

「……僕が、一緒に」

「え?」

「僕が勉強教えるから」

「……」

 少し、気まずかった。

 このままお互い黙ったままだったらどうしようかと思った。

「当たり前よ」

「え?」

「あんたには勉強教える義務があるのよ」

「義務は、ないけど……」

「いいから進めるの、ほら。時間限られてるんだから」

 とりあえず、話は続いた。

 それが、嬉しかった。

「まあ目次はいいとして、次の学習方法もいいよね。リコはできるし」

「まあね!」

「そんなに威張らなくても」

「言葉を選びなさい」

「はいはい」

 でもリコが勉強できるのは小学生の頃から知ってる。

 こんな状況なのに成績はほんとにいい。

 うらやましかった。

「えーっと、見通しを飛ばして、ここ、『言葉と共に』だね」

「ここ重要かしら」

「じゅうようじゅうよう。なんか深い気がする」

「なんかって……」

「いいから音読するよ」

「はーい」

 ――あなたが求めれば、言葉はいつでも会いに来てくれる。

 どんなときでも、必ず、あなたは言葉とともにある。

 例えあなたが言葉を発せなくとも。

 例えあなたが言葉を聞き取れなくとも。

 言葉は、あなたを包んでくれる。

 言葉は、あなたと、ともにある。

 あなたが言葉とどんな運命をたどろうとも。

 言葉は、絶対に裏切らない。

 なぜなら、言葉は敵でも味方でもないから――

「……なかなかいい文章ね」

「でしょ!」

「あんた、意外と見る目あるのね」

「僕に見る目があったらなぁ」

「なによそれ。まるで私がダメ人間みたいじゃない」

「ははは……」

「ふふっ」

 なんだか、頬が熱くなる。

 リコはいつもそうだ。

 いつも、安心感を与えてくれる。

 リコとの鋭いやりとりだって、ぜんぜんいやじゃない。

 僕とリコの勉強はまだまだ続く。

 でもそれは、リコのからだがぜんぜん良くなってないってことでもあって……。

 それを思う僕の気持ちは、晴れないままだった。

 病室は薬の匂いがする。

 健康的って言うことも不健康だって言うこともできるその匂いの中に。

 僕とリコの、ここに生きてるって匂いが混ざって。

 ちょっとした化学反応が起きてる気がした。

 この匂いが、いつまでも続くように。

 いや、いつか僕のもリコのもここからなくなって。

 病室からなんの匂いもしなくなるように。

 僕は、祈っていた。

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