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 そう、しなければいけなかったのは、主導権を獲得することだった。


 酔っぱらいたちの勢いに負けて、ツケをうやむやにしていた時期がある。

 レイがバーを任されるようになったばかりの頃だった。

 祖母が自らの意志でツケていたのとは違い、レイは押し切られたようなものだったので、それが一ヶ月続いた頃に「これでは駄目だ」と落ち込んだのだ。


 祖母はいつも中心にいて、彼らの手綱を握っていた。

 大きな声ではっきりと、無理なものは無理、しかし許せる部分は広くとることで主導権を握っていたのだ。

 その手腕は鮮やかだった。

 

 重要なのは「囚われの身となって粛々と従う」のではなく「客人として丁重に扱われ、お願いを聞いて上げる」というレイの絶対的な立場だった。


 一応、成功した。


 内心ほっとしてはいるが、顔には出さない。

 突然「ちょっと失礼」と執務室から出て行った二人を、ソファに座って待っていたが、一瞬でも気を緩ませることは危険なことのように思えた。

 あの二人のことだ、気づかぬ間に後ろに立たれていても不思議はない。



「おまたせぇ」


 ほらね!


「……気配なく背後に立つのやめて」

「あらあ、ごめんなさぁい」


 桜のわざとらしい謝罪を受けて振り返りながら立ち上がると、桜だけでなく茜もいた。

 レイは驚きをどうにか押し殺してため息を吐くだけに留める。


「で?」


 と、腕を組んで短く聞くと、茜は目を細めて頷いた。


「はい。俺たちがあなたに()()()したいのは、ある人の話し相手なんです」


 お願い、の部分を嫌みったらしく強調したところは、レイはスルーすることにした。反応せずにいると、茜はまたにっこりと頷いて続きを語り始める。


「俺たちのまあ、上司のような方なんですけどね、とにかく働くのが好きな人でして。もはや仕事中毒と言ってもいいほどで、とても困ってるんです」

「心配なのよう」

「休ませればいいじゃんって顔をしてますけど、無理なんです。とにかく机にかじり付いていて、暇を見つける暇なくどこからともなく仕事を巻き上げては自分で処理をしてしまう。就寝時間だけは守っていただいてますが、あの人には休憩をするという概念がない」


 嘆かわしい、と言いたげに二人とも目頭を押さえ始めた。

 レイは取りあえず「はあ、そうですか」と返す。


「しかしそんな方も、筆を置いてくれる瞬間があります。人と話すときです」

「律儀で情の厚い、部下を大事にしてくれる方なのよ~。素敵でしょう?」

「はあ」


 レイの生返事に、桜がずいっと顔を近づけ、低く唸る。


「素、敵、で、しょう?」

「とても素晴だね」

「ええ、そうなの」


 ころりと声色が変わった桜から少しだけ距離を取るように、レイは一歩下がった。

 茜がくすっと笑う気配に、思わず睨み上げて確認を取る。


「話し相手でいいんだよね?」

「はい、もちろん。俺たちが望むのは、疲れ切ったあの方の休憩です。あなたが癒しの子かそうじゃないかなどもう言いませんし、あなたに過度に要求などしません。もちろん命令もしません。客人ですから」


 これは根に持ってるな。


 にこやかながら「不服だ!」と書いてある茜の顔に、レイは同じように「こっちこそ不服!」と笑みを返す。

 ひとしきり二人して笑みの応酬をしたのち、疲れて視線を外す。


「まあとにかく」


 茜も馬鹿馬鹿しく思ったのか、仕切り直してきた。


「あなたは今からその人のところに言って、十五分ほど適当に話し相手になってきて下さい。それだけです」

「……それが終わったら?」

「もちろん帰っていいわよ~!」


 桜が弾けるような笑顔で言った。が、何故か茜の口元を塞いでいる。もがいた茜が手を外そうとしているが、その端正な顔の柔らかそうな頬が、桜の指先でぐっと凹んでしまい動きがぴたりと止まる。


「なんだったらあたしが送ってあげる。言ったことは守る女なの。大丈夫よ、絶対に守るわ」


 桜はおとなしくなった茜から手を離し、よしとしと茜の朱色の髪を混ぜっ返した。


レイに初めて笑みを見せる。


「だからお願いね。あの人に一時の休息を運んでちょうだい」


 その目尻の下がった笑い方は、予想外に優しい。

 思ったよりも、無事に、安全に、確実に、しかも早く帰ることができるかもしれない。


 などと、レイが油断し「わかった」と言ってからが早かった。



 じゃあお着替えね! と桜が持ってきた黒いワンピースを手渡され、執務室に隣接した休憩室に押し込まれ、仕方なく足首まで隠れるほどの着丈の長いワンピースに着替えて出たら、ティーワゴンを渡されて案内され、気付けば立派な扉の前だった。

 そして呆然としている間に、両脇にいた茜は扉をノックして「休憩のお時間です」と声をかけてから扉を開け、桜は動けないレイの背中を押してワゴンとともに入り、一礼して出て行ってしまった。


 静寂に包まれる薄暗い広い部屋に置いて行かれたレイは、それを前にして動けずにいた。


 大きな執務机に積み上げられた書類。窓の外に浮かぶ満月の光を吸い込んでいるかのように煌めく長い銀の髪。手元を照らすランプ。柔らかな光に照らされるその人は、まるで厳かな彫刻のような、端正と言うよりも、恐ろしさを感じる美しさを湛えていた。

 作り物だと言われる方が納得できる。レイは思わず「生きていますか」なんて口をついて出そうだったが、あまりの美しさに息をするので精一杯だった。


 でも、なんだろう。

 何かが気になる。




「……? 桜?」



 ふと、男が視線を上げた。

 レイを見て、切れ長の目が見開かれた。

 星のように透き通った銀色の目が「生きている」ことを教えてくれたように思えて、レイの身体に一気に血が巡る。

 けれど、やっぱり口が開かない。

 しばらく見つめ合ってしまったが、男は察したようにふっと空気をほどいて笑みを浮かべた。

 途端に、静かで冷たく感じた空気が一変する。


「今日は、君が私の話し相手かな?」


 低い声だが、妙に心地が良い。レイが必死に頷くと、男は筆を置き、立ち上がった。

 桜とも茜とも違う、濃紺の着物姿だ。椅子の背に掛けていた黒い羽織をさっと肩に掛けると、部屋の隅の窓際にぽつんとある二人掛けのテーブルを指さし、レイに穏やかな笑みを向けた。



「付き合ってもらって悪いね。ありがとう。さあ、お茶をいただこうか」



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