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「ど、どうぞ?!」
桜がびくびくしながら、レイの前に湯飲みを差し出す。
そして、隣に花の形をしたガラスの器をそうっと置いた。星の形をした色とりどりの小さな飴のようなものがきらきらと輝いている。
レイが首を傾げると、桜は慌てたように盆を胸に抱えた。
「こ、紅茶がよかったのかしら?!」
「あ、いえ。これはなんですか? とっても綺麗」
なるべく桜を刺激しないように小さな声で話しかける。
何故か桜はびっくりした顔になり、じいっと黙ったままの茜の隣に腰を下ろした。
「金平糖よ」
「コンペイトー」
反射で繰り返す。
桜はお盆を抱いたまま、もう一度「金平糖」と今度ははっきりゆっくりと、子供に言い聞かせるように言った。
レイは頷く。
「コン、ペイ、トウ」
「そうよ。食べていいわ。ヨシ」
「あ、どうも」
一つ摘んで、緑色の金平糖を口に入れる。
粒々とした食感がおもしろい。噛むと、じゃりっと溶けた。あまい、砂糖菓子だ。
ぱあっと顔が明るくなるレイを見て、桜はシルバーフレームの眼鏡をくいっと指で押し上げる。
「茜、説明してちょうだい。アレは何なの」
ひとつひとつ指で摘んで顔をほころばせるレイを指さす。レイはレイで、その言葉でちらりと視線を上げた。
「お茶をいただいても?」
「勝手に飲んでいいわ」
「……わあ、おいしい」
「ペット的な意味での、癒しの子、じゃないわよね?」
桜が本気で言っている。
レイは眉をひそめ、湯飲みを置いた。
「あの、それどういう意味なんですか?」
いい加減、この状況について聞かなくては。
レイは睨むように茜を見た。
「あなたは癒しの子です」
「癒し……の子?」
「あら、知らないの?」
警戒心が取れてきたのか、桜はその顔に似合わない、きょとんとした顔でレイを見る。
「知りません」
「あらーまあー」
桜は自分の前に置いたお茶をすすった。茜をちらりと見る。
「……まあ、エリシアスト国は、癒し魔法を使わない国ですしね。国民には癒し魔法のことも伏せているんですよ」
「へえ。相変わらず、陰険な国ねえー」
「桜。彼女の生まれた国ですよ」
「ああ、ごめんなさい」
桜はすぐにレイに謝った。しかし、レイは首を横に振る。
「いえ、別に」
あっさりと返事をしたレイを、二人は不思議そうに見た。レイは小さく笑う。
「ここほど、愛国心のようなものもないんです。魔法を使えるのは限られた人たちだけですし、そういう人たちは城の中へ吸い込まれて行くし、神殿やお貴族様たちは、なんかずっとむこうの……別の国、みたいな感覚ですよ」
「うわあ」
平然と言うレイとは対照的に、黒い詰め襟の「軍服」をきた二人は明らかにうんざりした顔をして、桜に至ってはものすごく正直に言葉に出してレイの生まれ故郷を軽蔑した。
わからなくもない。
レイも実際そう思っているのだ。
エリシアスト国の掲げる《高貴な神から与えられし正しい魔法を使う国》という壮大な主張は、下々のものにとって、へーそうなんですかー、程度だった。
「なので、私はそのエリストシアで城に吸い込まれていないただの平民で、あなた方の言う癒し魔法とか、癒しの子とか、無関係なんです。ただのバーの店主なんです」
そう言いながら、レイは後ろに結った長い三つ編みを前に持ってきて、尾のようなそれを二人に見せた。
どちらの国も共通しているもの。
魔法を使えるほどの魔力を持ったものの髪は、内側から輝いて見える、と言われている。
レイの持つ髪の色は、本当に灰を被ったようなくすんだ色だ。
そしてその髪色が生まれつきである証拠は、瞳を見てもらえればわかる。
桜の目も、レイの髪と瞳を交互に見るように動く。
「……たしかに、その色は、その」
桜が言いにくそうに言いよどむ。
レイはほんの少し驚き、感心した。
深淵国は愛国心に溢れ信心深いと聞いているが、本当にそうらしい。髪色についてかなり気遣われているが、エリシアストにいれば髪がくすんでいる人の方が断然多く、むしろ茜や桜のようにカラフルに輝いている髪を見ると「お気の毒に」とすら思えてしまうというのに。
「あの、大丈夫ですよ。この色も可愛いと思ってますし」
レイは金平糖を摘みながらさらりと言う。哀れんだ目をしていた桜が、今度は奇妙なものを見る目に変わった。
「えー、変な子」
「そいうわけで、癒し魔法とか癒しの子とか、色々と誤解ですし、私もそろそろ戻らないと。あの、このコンペイトウ、包んでくれます? 持って帰ってもいいですかね?」
「駄目です」
茜が即答する。
なるほど、深淵国のものを勝手に持ち出してはならないらしい。
「そうですか……残念です。いつの日かエリシアストで流通することを願っています。では、ここでいいですか?」
レイはいそいそと立ち上がり、最初に転移してきた場所に立って、お願いします、と頭を下げた。
店は大丈夫だろうか。まあ、大丈夫だろう、とレイは一人頷く。
祖母も的確に対応しているはずだ。少しだけ気になるのは、情に厚い祖母がよくする「回収する気のないツケ」を了承してはいないかということとだった。
……ん?
なかなか転移魔法が展開される気配が来ない。
レイがちらりと顔を上げると、茜はしらっとした顔で「駄目です」ともう一度言った。
「は?」
思わず敬語を忘れる。
「何が駄目なの」
「帰ってはいけません。あなたは癒しの子ですから」
にやりと笑うその顔に、レイは思わず一歩後ずさる。
「だから私には魔力なんてないって」
「――いいでしょう。そう言うことにして上げます。けれど、俺も引く気はありませんよ。なんだったら俺一人でバーに戻って、あなたが心配しなくてもいいようにして差し上げることも可能ですし。帰る場所がなければ、ここにいてくれるんですよね?」
茜は全く悪びれず、むしろ悠々と言い放った。
「わーお。綺麗な脅し文句ねえ」
桜は呆れたように言うと、しかしどこか面白がるようにレイに向かって笑いかける。
「でも、ただの脅しにしないのがこの男なの。割と本気でやるし、有言実行するということにおいては、あたしは絶大な信頼を寄せてるわ。だから大丈夫よ」
何が大丈夫なのか。
レイは真っ青になりながら二つの顔を見た。
どちらもきれいな顔で、髪は美しく輝いていて、転移魔法すら使える、深淵国の軍人。そんな二人が揃うここは恐らく、この国の中枢の場所だろう。もしかすると、この二人だけが取りあえず「話の通じるまともな魔族」の可能性だってある。この部屋から飛び出すことのリスクは高い。というか、部屋から出ることも無理だろう。どうしよう。どうすれば無事に、安全に、確実に帰れる? どうすれば。
瞬間的な思考の波間で、レイは重要なことを拾った。
そう、今、最も重要なことは――
「わかった」
レイは息を吐くと、落ち着いた目で二人を睨みつけた。
「このまま帰す気はないんだよね?」
「ないですね」
「かわいそうだけど、そうねえ」
二人が、おっとどうした、とでも言いたげにレイを見る。
わかっている。説得しようとなんて思ってもいないのだろう。ごねれば力ずくでやる気だ、こいつら。
レイは二人から目を放さずに、にっこりと微笑んだ。
「だったら協力してあげなくもない。自国への愛国心もないってことは、深淵国に対する敵対心もそもそもないもの。困っている人を助けるくらいの良心は持ち合わせてるから、そっちこそ心配しないでもいいよ? うん、助けてあげる。仕方ないから。あなた方がどうーしてもって、私にお願いをするから、受け入れてあげる。ただし」
レイはこれほど表情をにこやかにしたことがなかった。
しかし、今ここで使わなければいつどこで使うというのだろう。
さらに表情筋を駆使したレイのこめかみに、ピキッと細い青筋が浮かんだ。
「命令には従わない。従う謂われもない。私は隣国から来た客人だよね? さっきの言葉って、冗談でしょ? まさか、誇り高いと言われる深淵国の軍人が、客人に、本気で脅しを口にするわけがないもんね。ねえ、どっち? 冗談なのか脅しなのか、どっちなの?」
美しく凄んで、一気にまくし立てて詰め寄ってくるレイの迫力に、茜も桜も目を丸くした後、一言、「冗談です」と呟いたのだった。