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「レイー。あたし戻るわね」
「はーい、気をつけてねー」
あっさりと返され、桜は思わず苦笑する。
「あの子のあの胆力はなんの?」
「生来のものさ」
「へえ、あなたに似たのねえ」
嫌味で返したつもりだが、彼女は自慢げにレイを見ていた。
「あたしたちを信用してよかったの?」
桜はちらりと一瞥する。
彼女は初めて口元をゆるめた。
「おまえたちは絶対に約束を違えない。レイを死ぬ気で守ってくれるんだろう?」
桜はその言葉に自信と確信が満ちているのを感じた。
なるほどね。
レイの預かりを了承させたつもりが、結果的にはレイを守ることをこちらが背負わされたのだ。
この展開は覚えがある。
こんなにスマートに、余計なことを言わずに、必要な言葉を引き出すほど鮮やかではなかったが、客人扱いを結果的に要求されたときと同じだ。
「本当にあんたたちそっくりね。これ以上いると危険だわ。帰りまあす」
桜は左手をカウンターにそっとおいた。
集中する。
指の隙間から薄紫色の光が漏れはじめ、茜と「繋がった」のを確認して、転移魔法を展開する。帯が巻き上がり始めると、レイがこちらを見た。
「桜さん」
レイが銀の盆を振る。
「また明日。必要だと思ったら迎えに来て」
この子は、本当に珍妙だ。
桜は思わず素で笑ってしまった。
「ええ。また明日」
○
「ただいまあ」
のんきに帰ってきた桜を見上げながら、茜はゆっくり立ち上がった。
「お疲れさまです」
一応、うまいこと事が進んだのは、相棒が要所要所で暴走を止めてくれたおかげであることを、茜は自覚していた。
桜がにんまりと笑い、茜にすり寄って肩を組む。こいつはかなり力があるので、拒否したくてもできない。というか、その労力は無駄なので使わない。
「本当にね~。あんたが暴走しちゃうのはよくあることだけど、今回は南の家の廿楽との婚約破棄を強行したときよりも無茶で無謀なことしたわねえ」
「いつまでその話を出すんですか」
「いつまでもよ。だってえ、面白かったんだもん」
「で、送ってきてどうでした?」
「そうそう、それよ。あんた本当に強行突破してきたのね。あそこにいた親父たち、エリシアストの騎士ばっかりじゃない。それも、上の方の」
「エリシアストの?」
茜は驚いた。
そういえば、周りのことは気にしていなかった。
あの娘が、手を見せてと言ってきたのでつい手を出すと、あれは一気に自分の魔力に合わせて、癒し魔法を施してきたのだ。
エリシアストとの外交の後で、他国で容易に癒し魔法が使えなかったせいもある。確かに疲れてはいたが、そうではなく、日々の魔力を消耗して疲弊していく深い場所を、あの娘は癒した。
癒しの子だ、と頭の中で弾けた瞬間、周囲のことなどすっとんでいた。
騎士がいた中で、よく誘拐ができたものだ。
「騎士ですか」
「あの子、きっと深淵国の子ね」
「やはりそう思いますか」
「思うわよ。あんたが癒しの子だって言うなら、間違いないでしょうし、問題はあの子のおばあさまよ。あたしを止めたの」
「止めた?」
桜を止める。
どういう意味だと茜が聞き返すと、桜は頬に手を当てて目を伏せた。
「だから、騎士たちだとわかって不意打ちで記憶を消そうとしたのよね。でも、腕を掴まれて止められちゃったあ」
ふざけて言っているが、本気で悔しいのだろう。
桜のこめかみに青筋が一瞬浮いたのを、茜はしっかりと見た。
茜の相棒は打算的で好戦的で、力任せに魔法を使うのが得意だというのに、成長過程で得た忍耐強さで無理矢理抑えているだけなのだ。実際、昔よりは丸くはなったが。それでも、これを力で抑えるのは中々大変なはずだ。
「あなたを本気で止めたんですか?」
「ええ。そうだってば。身体強化を使ってて、鎖でつながれたほどの威力だったわよ。いや、ね、無理矢理外すこともできたんだけど、そんなことしたらおばあさま吹っ飛んじゃうし、レイはレイで来てくれなくなるでしょう? あたし本当に我慢したんだから。あの女、ただのばあさんじゃないわ」
声が鋭くなる。
「あたしが北の家の者だって、すぐに気づいた」
その言葉に、茜は深い深いため息を吐き出して、顔を覆った。
エリシアストに癒しの子がいた時点で厄介なのはわかっていたが、ここまで複雑な状況だとは。
「……何者ですかね」
「素性はわからない。あのばあさんから話も聞き出せなかったから、レイから聞くしかないわね。でも、あそこ何もかも変なのよ」
「変?」
「そ。よく見ると、あそこにいる全員が魔力持ちだっていうのに誰一人髪は輝いてないし、太陽の気配もしないし、それに」
「聞くのはよしておきます」
茜はうんざりと言い切った。
本当に本当に、聞けば聞くほど、頭を突っ込みたくない。
レイだけが必要で、あの娘だけ文句言わずにこちらに来ればそれでいいものを。
「そうよねー。そのうち全員の記憶を消しとこうかしら」
でも今は仕方がないわ、と面倒な状況を放棄して、桜はくるっと後ろを振り返った。
「ただいま戻りました、陛下」
「ご苦労」
それまで黙っていた馨が、執務机の向こうでゆったりと目を細める。
いつもは筆を持つ手は緩く組んでいて、茜と桜の様子をじっと静かに観察しているようだった。
茜も桜と並び、軽く頭を下げる。
「今回の処遇についてだが、特に私から言い渡すことはしない。が、次はない」
茜も桜も、より深く頭を下げた。
「それから」
声色が変わったことに気づき、茜も桜も頭を上げる。
さらりと流れる銀の髪の隙間から、その輝きに負けないほどの光を放つ目が細められた。
「ありがとう。これからよろしく頼む」
隣の桜が「きゃあっ」と思わず声を上げるほどの優しい笑みで、馨が感謝を伝える。
茜の顔はひきつっていた。
こいつは、何もかも知ってるんじゃないか?
茜は、じわじわと迫る、これからはじまるであろう怒濤な日々へのイヤな予感に、目を遠くしたのだった。




