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「じゃあ」
「楽になったよ。たった三分ほどで」
茜が思わず馨の右半身を見るが、区別は付かなかったようだ。眉を顰め、前を向いた。口を噤んでいるが、ほのかに安堵の表情が浮かぶ。
「無謀なことまでさせてしまったな」
馨は謝罪の言葉は口にしなかったが、申し訳なく思っていた。
この友人は、幼少期から一緒に育ったせいで知りすぎてしまっている。茜しか知らないせいで、どれだけの負担を強いているのか。
「やめろ」
茜は吐き捨てた。
「俺が勝手に、衝動的に連れてきただけだ。お前は関係ない」
わかりにくい心配を誰よりもしてくれる従兄弟に、馨は控えめに笑う。
「ああ、そうか。運命の人だと言ったんだっけか?」
「……言うな」
からかわれたのだと気づいた茜は、バツの悪そうな顔でため息をつく。
「とにかく、この行動に関しては俺自身で責任をとったし、お前は考えるなよ。あの娘がここに通うことになったのも、あれの意志で決めたんだ、し」
言っている途中で、茜はハッとして馨を見た。
明らかに、蔑むような目だ。
「仕向けたな?」
「いいや。私は何もしていないが?」
「嘘つけ」
とぼける馨に、茜は、うわあ、とこぼして頭を掻いた。
「お前の方がずっとタチ悪いぞ」
「まあ、仕方がない」
「何がだよ」
「茜の言うように」
馨は目を伏せると、深い笑みを浮かべた。
「彼女はきっと、私の運命の人のようだから」
○
桜は用心していた。
後ほんの少しで到着するのは、敵陣だからだ。
それにしても。
桜は手をつないだままの相手の感覚に戸惑っている。
こんなに、転移の波の中で平気そうにしているものが、実は転移を体験したのが今日が初めてだというのだから、戸惑うしかない。自分が初めて転移をしたときはその浮遊感と、漠然した恐ろしさにパニックになる寸前だった。
そう思うと、本当に珍妙な子だ。
自分には魔力がないと言うが、桜が最も信用する茜が「癒しの子」だと言うのだから間違いはないし、桜が最も敬愛する馨が、自分の側に置きたがり、外にまで連れ出したのだから、特別な相手で間違いない。
しかし本人は無自覚だし、確かに魔力のかけらの気配もしない、少しばかり度胸のあるただの人間だ。
桜は声をかけた。
「そろそろ着くわよ」
さて。
どうしましょう。
突然連れ去られた娘が、突然その場に登場するなど、大騒ぎされても仕方がない。だからこそ、帰りは桜に任されたことを本人もよく理解していた。
つないでいない左手に、魔力を密かに集中させる。
もし騒ぎになっていて収拾がつかなければ……
とん、と足先に感覚が戻る。
茜の朱色の魔力の帯が消え、自分のものだけになってすぐに周りを見渡した。
着いたのは、ナチュラルで緑にあふれたバーの中心だった。
まるで洞窟の中にあるオアシスのように、すこしひんやりとして心地がいい。
「おい!」
テーブル席に座っていた男共が、一斉に椅子をはね飛ばす勢いで立ち上がる。
仕方ない、と桜がこの場の鎮圧を決めたその時、店の中で、ワッと歓声が上がった。
「本当だ、帰ってきたぞ!」
「レイ! お前無事か!」
「おかえりー。飲んで待ってたからなあ!」
酒に飲まれた酔っぱらいたちが、千鳥足でこちらに向かってくる。桜は驚いた。彼らは帰ってきた孫娘を喜んで迎え入れているじいさんにしか見えなかったが、実はそうではなかったのだ。着古した洋服の下に隠されている屈強な体や握り込んだ手に纏う魔力が、どう見てもただ者ではなかった。
このバーにいる十五人ほどが皆同じレベルの、引退などしていないであろう現役か、もしくは指導役の騎士のようだった。
おかしい。
ありえない。
こんな人数のエリシアストの騎士が、一カ所に集まって平然と誘拐犯を歓迎している素振りをするなんて。
ふと、桜はあることに気づき、愕然とした。
こちらに来た三人は、白髪を煌めかせてはいない。なのになぜ、魔力の気配がこんなにも濃いのか。
このままでは、レイを向こうに帰した途端、ものすごい力で殴られそうだ。
桜は迷いを捨てた。
左手に圧縮した魔力をつめ、一気に放出しようとした。
が、黙ったままのレイが桜の前に立つ。
そして、その場にしゃがれた声が響いた。
「やめな」
カウンターの中から聞こえてきた声に、全員の視線が吸い寄せられる。
レイと同じ、灰を被ったような髪を一つにまとめた、線の細い、しかしどこか分厚い印象を与える、肝の据わった目をしている老齢の女性が、桜と男共を順番に睨みつけていた。




