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レイは深く頷いて見せた。
「なるほど。魔力があるのって、大変なんだね」
「あんたって」
じろじろと見てくる桜の視線から、レイはさりげなく外す。
「意外と危機管理能力あるタイプなのね?」
「さあ」
「いやーん、憎たらしい。失敗しちゃった」
桜がさらりと言う。
レイは何を失敗したのか聞くことなどもちろんしなかったが、隣では「さあどうしましょうかねえ」など物騒なつぶやきが聞こえてきた。レイがさらに一歩横に離れようとすると、桜が鼻で笑う。
「大丈夫よ。あたしは言ったことはを守る女なの。思いたったら即行動しちゃうあいつと違ってね」
ちらりと桜とともに、茜と馨を見やる。
未だに膠着状態のようで、ぽつぽつと会話はしているようだが、二人してにらみ合っているように見えた。馨は悠然とした姿勢を崩してはいないが、茜の燃えるような髪が波打っている気がする。
「やあね、興奮しちゃって」
と、桜が言うと同時に、茜が「どうしてそうなるんですか!」と叫んだ。
「あら、まずいわ」
桜が仲裁に向かう。が、何故かレイも引きずって行った。強くもないのに腕をふりほどけぬまま、よろよろとついて行く。
「なあに、どうしたの」
和やかを装って声をかけたのは、茜にだった。
「どうしたもこうしたも、陛下が」
「馨様がなあに?」
「か、馨様が」
レイは桜に耳を突然ふさがれたが「どうしたもこうしたも、へ」までは聞こえた。なんの「へ」なのかは知らないが、桜の笑顔に茜がたじろいだのだけはわかった。つまり聞いてはいけないことなのだろう。
レイを引っ張り出したあげく耳をふさいでいる桜に、馨がやんわりとした視線を送る。すぐに気づいたのか、桜は誤魔化すようにレイの頭をまんべんなく撫でてから離した。髪がグシャグシャに混ぜ返され、レイがささっと手でなおしていると、馨は少しだけ困ったように笑い、髪を一筋つかんで整える。
「すまない」
「いえ」
「馨様!」
少しほぐれた空気の中、茜がくってかかる。桜がわかりやすく眉を顰めた。
「いやあねえ、空気ぶちこわす男って」
「あなたは黙っていなさい!」
「茜。同僚に使う言葉ではないよ」
馨がたしなめると、茜は言葉に詰まり、桜は嬉しそうに目を輝かせた。が、次の馨の言葉で一気に表情を曇らせる。
「桜にも言っておく。君たちが私を思ってくれるのは嬉しいが、こうなってしまっては、今後、休憩時間は不要だ」
「なっ」
驚いて声を出せなかった桜を押しのけるように前に出たのは、レイだった。
「な、何言ってるんですか?!」
レイは慌てて叫んだ。
「駄目です! ちゃんと休んで下さい! 今だってきっと、休憩時間は全然足りてないですよ?!」
無我夢中で訴える。
あんな状態をこれからも背負い続ける人が、今よりも休憩をしないなど信じられない。休憩なしなど狂気の沙汰だ。もし、左半身を癒すこともままならなくなったら、どうなるかなど考えたくもなかった。
止めなくては。
灰色の尾がぶんぶんと振れ、必死になっている様子に、桜も茜も、馨さえも、目を丸くしてレイを見ていたが、当の本人は全く気づいていない。
馨は神妙な顔で、そうっと口を開いた。
「それはできない」
「どうしてですか!」
「茜がしたのは誘拐だ」
「いいえ、運命の人だと恥ずかしい勘違いをしただけです!」
「そうだとしても、許すわけにはいかないよ」
「大丈夫です! 私は客人としてもてなしていただきましたから! ちゃんと帰してくれますし、ね?!」
レイは茜と桜に勢いよく尋ねた。
二人は口を挟まず、高速で頷く。
「だそうです!」
「駄目だ。茜がしたのは誘拐で、脅迫もしているだろう。きちんと始末をつけなくてはならない」
「ああ、もう!」
言い含めてくる馨に言い返すほどの機転の良さはレイにはなかった。なぜなら、彼が言っていることは概ね事実だし、茜の上司である馨が処分を言い渡し、一番茜が堪える方法がこれなのだろうから。
しかし、レイは引けなかった。
この人が心配で仕方がない。
ああ、もう。
レイは足に力を込めた。思い切り茜を振り返り、その勢いで、整った顔に平手を振り下ろす。
バッチーーン、と乾いた音が部屋中に響いた。
しっかり頬に入ったようで、茜が驚いた顔をしたままふらりと横に揺れる。レイはその胸ぐらを掴み、ぐいっと寄せて、馨に赤い手形のついた頬を見せつけた。
「お仕置きはわたしがしました!」
「おしおき……」
屈んだ格好の茜が呆然と呟く。
「お、お仕置き」
桜がぷるぷると震え、笑う寸前で、口を手で塞いだ。
レイはぎゅうっと目を瞑った。茜の胸ぐらからは手を離さないが。
もう、なるようになれ!
「休憩して下さい!!」
これ以上にないくらい大きな声で言う。
一瞬、部屋の中が静まりかえったかと思うと、すぐに気の抜けたような「ふっ」という控えめな笑い声がレイの頭に降ってきた。
恐る恐る目を開けて顔を上げる。
馨が腕を組んだまま顔を背けていたが、その月光のような髪がさらさらと揺れていた。
「ふ。お仕置き、か」
「お、お仕置きです」
頷いて繰り返すと、馨は再び顔を手で覆った。
抑えてはいるが、笑い声が漏れている。レイは恥ずかしくなり、茜の胸ぐらを掴んでいた手をパッと離して俯いた。解放されてふらついた茜を桜が支え、二人して呆然と顔を見合わせている。こんなに気の抜けた馨を見るのは初めてだったのだ。
笑うならもっとちゃんと笑ってくれた方がマシだ、とレイが無言で見上げると、気づいた馨は、はあ、と深いため息をついて、気を取り直すように顔を上げた。
「……すまない。気を遣わせた」
「いえ。始末とやらは、これでいいですか?」
「仕方ない」
馨は頷く。眉が下がっていて、本当に「仕方なし」に、許してくれるそうだ。
レイはほっと身体の力を抜いた。
念のため、もう一度聞く。
「休憩してくれるんですよね?」
「ああ」
「約束してくれますか?」
「……やくそく」
「約束です。休憩すると約束してくれますよね?」
「ふっ……ああ、約束しよう」
「よかったあ」
レイが心からそう言って安堵に笑むと、馨はレイをじいっと見つめた。目元が、ゆっくりと柔らかく細められる。
そうして、低く、優しく呟いた。
「ありがとう」
睫から、星の粒がこぼれ落ちそうだ、とレイは思った。
目が釘付けになる。
返事をしたいのに、ただ見上げることしかできない。
「君のおかげで、ずいぶん久し振りに休めた気がする。気分転換に外に出たのも、楽しかった」
馨は目を軽く伏せ、レイに感謝を伝えた。
伏せていた目が再びレイと合う。
「この国に来てくれたことに感謝する。君も元気で」
その笑みは、二度と会わぬ者に向けてのものだった。




