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魔法を、誰もが息をするように使う。
「本当に、すごいね」
レイが素直に言うと、桜は悪い気がしなかったのか、ふうん、とレイの顔を見下ろす。
「べ、別にすごい事じゃないわよ。そうしなければこの国で強く生きていくことはできないってだけ。まあ、あの方ともなると、癒し魔法の使い方の規模も違うっていうか……素敵でしょう、大胆な使い方をなさるのよう。でも、だからこそかしら、とにかく仕事をしてしまって、休憩なんて一日一回、たった十五分のおしゃべりの時だけ。いくら無尽蔵な魔力の持ち主だからって、あんな使い方をしてたらそれこそ疲れちゃうわ。倒れる前に、どうにか休んでほしかったの」
癒し魔法の使い方の規模が、違う。
レイは、うっとりと語る桜の話に違和感を覚えた。
確かに馨は例外だった。
集中しても、気を緩めすぎても「必ず見える」はずなのに、見えなかったのだ。とにかく「入れて」もらうのに苦労したし、あんなことは初めてだった。あんなに必死になったのも初めてだったが。
「まあ、だから、あんたが癒しの子かもって思ったら、無理をしちゃったわ。ごめんなさい」
桜はレイの様子に気づいていないまま真摯に謝った。
「あ、うん、いいよ」
「ちょっと、軽いわね」
それどころではない。
レイは、きっと触れてはならないことを桜から聞いてしまったような気がして、やや混乱していた。考えない方がいい。深く入り込んではいけない……けど、あの人、もしかして、右側には癒し魔法を使えないのでは? だとすれば納得ができる。あんな、異常な「影」は蓄積されてきた、もしくはこの先もずっとそこに居続けて、増幅し、背負っていくものなのだとしたら。
「で、結局あんたは癒しの子だったの?」
「違うよ」
「そっかあ、残念」
レイの即答に、桜は明らかにがっかりとした。
こちらが申し訳なくなるほどの肩の落としようだ。
「ねえ、癒しの子ってなんなの?」
「説明しなかったかしら」
悪びれない「ごめん、ごめん」が桜から返ってきた。
「癒し魔法ってさ、自分にしか使えないもんなのよ」
「え」
「何にも知らないあんたに教えてあげるけど、そもそも魔力って、生命力削ってる部分があってね。持ってると、それはそれで身体に負荷がかかるの。身体って言う器に入っている魔力を、適度に使う分にはそんなに問題はないけど、大きな器に大きな魔力ってのは、そりゃ負担よ。それを補うために、さらに癒し魔法をかけ続ける。あたしたちみたいな髪色をしたやつらは、常に器と魔力のバランスを正常に保ち続ける精神力が必要でね。癒し魔法をしっかりかけ続けてないと、かなり疲れると思うわ。そんなの自殺行為だから絶対しないし、できないけど」
「癒し魔法をかけられないと、どうなるの?」
「自然淘汰されていくわ」
すっと冷えた声だ。
まるで何人も仲間を見送ってきたような物言いに、レイは黙り込んだ。
強く生きていくために必要不可欠。
だとしたら右半身を癒せぬままの馨は一体、どれほどの苦痛を感じてきたのだろうか。そして感じていくのだろうか。
その痛みは、彼の悠然とした佇まいや、どこまでも深く落ち着いた雰囲気からは一切想像できなかい。
桜はふう、と色っぽいため息をこぼし、頬に手を当てた。
「つまり、癒しの子っていうのはね、他人を癒せる子なの」
「えっ。できるの?」
「らしいわよ。見たことないけど」
「そう、なんだ。あの人に必要だと思うの?」
レイはそれとなく聞いてみた。
桜の先ほどの物言いからして、馨の癒し魔法が左半身にしか使われていないかもしれないことを知らないはずだ。
桜は何度も頷いた。
「そうね、いてくれたら本当に嬉しいわ。あたしたちは常に、一般の民たちとは違う桁の癒し魔法をかけ続けているけど、あの人の桁はさらに違う。働きづめだし、癒しの子がいるなら、少しでもあの人を癒してもらって、負担を軽くして欲しかったの。疲れてるなんて一言も言わずに、放っておいたら寝ることも惜しむんだもの」
あんたがそうだったら本当によかったのに、と桜は付け加えた。
「なんで? すごい拒否反応だったの忘れてないけど」
「いやね、忘れてちょうだい。だって、あの人が気分転換に外に出たのも、もう一年ぶりくらいなのよ。あんたって、特別なのね」
突拍子のないことを言い出した桜に、レイはぎょっとする。
「何言ってるの」
「なによ、イヤなの?」
ものすごい圧を持ってぎろりと睨まれ、凄まれる。
レイは慌てて手を振った。
「そうじゃなくて。また誤解してるなあ、って驚いただけだよ」
馨のこととなると、この人は恐ろしい目をして、低い声で唸る。オネエは偽装なのではないかと思えるほどだ。取りあえず、さりげなく桜から少し離れる。
「……あんた、何でもかんでも、誤解だって言うのね」
桜が呆れたように見下ろしてくる。
レイも呆れたように見上げた。ついでに、自分の三つ編みを背中から持ってきて桜に見せるように振る。
「だって誤解だからね」
「別にいいけど」
髪を見せつけるレイに、腕を組んだ桜は「わかったわかった」と目を伏せた。
「でもまあ、特別は特別よ。あの人は、誰にでも慈悲のお心を持つ懐の深ーい、本当に素敵な人だけど、誰かだけを特別扱いはしないのよ。自分に厳しい方だから。だから、あんたは癒しの子であろうがなかろうが、あんたがそう思えなくたって、それはそれで特別な相手ではあるのよ。あっ、勘違いしないでよ? 色恋の特別じゃないからね」
「うんうん」
否定しても肯定しても面倒になってきたレイは、頷いておくことにした。
「魔力って惹かれ合うから、そういう意味の特別よ。合う合わないがあるのよ。ロマンティックに言うと運命の人だけど、別にそうじゃないわ。力の質が似ていたら安心するの。引っ張り合いとか、逆に反発し合うとかじゃないから、ただただ疲れないのよね」
「へえ」
知らないことばかりだ。
しかし、多分知らない方がいい情報も入っていた気がする。




