音楽を聴く理由。音楽を作る理由。
中学時代、俺はいじめられていた。
殴られたり蹴られたりといった暴力的な類ではなく、カツアゲやパシリといった金銭的な類のいじめだった。
俺は、今でもそうなのだが、昔から嫌なことをされてもやり返せないような、気が小さい性格で、かつ家がそれなりに裕福だったこともあり、同じ学年のいじめっ子たちにとっては、格好の餌食に見えたのだろう。
学校へ行くと、事あるごとに同学年のいじめっ子たちに呼び出され、金を無心された。そして俺は、報復が恐れて断ることはできず、いつも泣く泣く小遣いを渡していた。
親や教師にバラしたらただじゃおかないと脅され、誰かに相談することもできなかった。
そんな苦悩に満ちた生活を送っていたある日、さすがに親が、俺の小遣いの使い方を不審に思ったらしく、俺がいじめっ子たちにお金を渡していることがバレてしまった。
親にバレてしまったことで、不良たちから報復を受けると思った俺は、学校へ行くのが恐くなり、そのまま不登校になったのだ。
今思えば、小さな世界で起きた些細な出来事なのだが、あの時の俺にとっては途方もない一大事で、世界のすべてを呪いたくなるような心境に陥っていた。
そこで実際に世界を呪えていれば、まだマシだったのかもしれないが、他人を責めたり攻撃したりすることが苦手な俺は、世界を呪いたくても呪えないし、感情を吐き出したくても吐き出せないしで、何をどうすればいいのかわからない絶望感に強く苛まれたのだった。
そんな過酷な状況で唯一、音楽だけが、俺の心を救ってくれた。
学校に行かず、家に一人でいて、罪悪感や孤独感、無力感、絶望感に苛まれたとき、俺はいつも縋るように音楽を聴いていた。
音楽はどんな時でも、弱者に寄り添ってくれる。弱者の傷ついた心を、癒してくれる。音と詞で、「君の味方になってあげる」と、真摯に勇気付けてくれる。
音楽を聴いたところで、問題が解決するわけではないし、まやかしと言ってしまえば、それまでなのかもしれない。
しかし、その代わり音楽は、四方八方から飛んでくる激しい言葉の雨風を、あるいは自分の心の内から伸びてくる自責の棘さえ、頼もしく防いでくれるのである。
この世界には、何かしらの理由で戦うことができない人たちがいる。そして、戦うことができない人たちが求める物は、他人を傷付けるための剣ではなく、自分を守るための盾なのだ。
そうして、家で一人孤独に音楽を聴く生活を続けている内に、ある日、俺の心の中に一つの思いが芽生え始めた。
もしかしたら、こんな弱い俺でも、いや、弱い俺だからこそ、自分と似たような境遇にある弱者に寄り添うことができるんじゃないか――という一つの思いが。
その思いをきっかけに、俺は生まれて初めて、自ら曲を作ることを決心した。
幸か不幸か、その時の俺は不登校。時間だけはたっぷりあった。
それに元々俺は、親の教育方針で小学校までピアノを習っていて、楽譜はある程度読むことができたし、ネットで一から作曲を学ぶことも、そこまで苦ではなかった。
ボーカルを含めて音声合成ソフトを使ってメロディーを作り、歌詞には自分の感情をぶつけた。
自分の感情を吐き出すことが苦手な俺も、不思議なことに音楽なら、素直に吐き出すことができたのだ。
そうして完成したのが、『前略、クソ世界様』だ。
完成後は当初の目的通り、誰かに聴いてもらうためにネットに投稿したのだが、所詮はずぶの素人中学生が作った曲。ほとんど再生なんてされなかった。
しかし、それでも当時の俺は、たとえ不出来であったとしても、自力で曲を一つ作り上げたことで、得も言われぬ達成感を覚えていたような記憶がある。
とまあ、自作曲を作ってネットで全世界に公開しちゃうくらいの極限状態にあった俺の生活だが、実はその後すぐに急展開を迎えることになる。
親の意向で別の中学に転校することになり、転校先で無事、不登校を脱するに至ったのだ。
転校先ではいじめられることはなく、少ないながらも友達もでき、ごくありふれた中学生としての生活を送ることができた。
そういうわけで、俺が抱えていた問題は全て一見落着。俺はその後晴れて、何の憂いも悩みもない中学時代を過ごす――ことは、残念ながらできなかった。
確かに、先ほども言ったとおり、転校先ではごくありふれた中学生活を、少なくとも表面上は送ることはできた。
しかし、平和な生活を取り戻したことで、それまで自分の中に憑りついていた何かが、徐々に消え去って行くような感覚を覚え、同時に、自作曲をネットで全世界に発信したという過去が、自分の中で徐々に痛々しい黒歴史と化していったのである。
人生における最大の敵は、他人ではなく自分だったというオチだ。
お読みいただきありがとうございました!
面白いと思った方は、本編の『前略、クソ世界様』もご一読ください!