黒猫印の箒便
魔女とは不可思議な術を使う者たちの総称。
空を飛び、使い魔を使役し、人々に災いを呼ぶとされてきた。
それゆえに人間達から嫌われ、迫害を受けていた。
しかし、それも昔の話。
現在の魔女は人間と友好を結び、良き隣人として暮らしている。
魔女たちは昔より数を減らしはしたが、その力は現在でも健在である。
空を飛び、使い魔を使役し、人々にちょっとした幸福を呼ぶ存在として。
余談ではあるが、男だろうが、女だろうが、性別は関係なく、人間にはない超常の力を持つ者たちを総じて“魔女”と呼ぶ。
「ありがとうね、魔女さん。助かったよ」
「では、こちらに受け取りのサインを頂けますか?」
「はいよ。……これでいいかい?」
「はい、確かに。――よし」
配達先へ荷物を届けて、サインを貰い、客と共に受領印子の術式が発動したのを見届ける。いつもの一連の動作を終えたオレの肩の上で、黒猫が早くしろと急かすようにニャアと鳴く。
ちなみに受領印子とはオレの婆ちゃんが編んだオリジナルの術式で、契約がキチンと終了したことを関係者に知らせる事ができる術……らしい。
昔は、届けた届いてないでトラブルが多かったから作ったって聞いたわ。
「ご利用ありがとうございましたー」
そんなこんなで本日の最後の仕事も無事終わったオレは、伝票をカバンに突っ込むと箒を片手に歩き出す。
今日は大きな荷物も無かったから荷台も持ってこなかったし身軽だから久しぶりにブラブラしてから帰るのも良いな。
「なぁなぁジャック。今日の仕事はこれで終わりだよな?」
二股に分かれた尻尾をゆらゆらと揺らしながらそう聞いてくる小さな相棒に相槌をうちながら整備された道を歩く。
「じゃあ、なんか食ってこうぜ! ハラ減った!」
「いいぞー。元々ブラブラしてくつもりだったしな」
「え、マジでいいのか? 珍しいな」
いつもは仕事が終われば即帰宅が当たり前のオレの口から同意の言葉が出てくるとは思わなかったのか、訝しげにこちらを見てくる相棒のネェロ。
「たまには良いだろ。今日はほぼ手ぶらみたいなもんだし。それに――」
妙に浮ついた街を眺める。中央広場付近では屋台や出店が多く出されており、笑顔の人たちで賑わっていた。
「今日はなんかの祭りっぽいしな。せっかくだから参加してこうぜ」
「マジで珍しいな。いつもは人混みなんてクソくらえって魔女のくせに」
「うっせーなぁー。オレだってたまには祭りを楽しみたい事だってあるっつーの」
「…………あ、わかった。オマエ、兄貴に会いたくないんだろ? たしか帰ってくるのって今日だろ?」
「うるせーぞネェロ。別にそんなんじゃねぇっつってんだろ。あんまごちゃごちゃ言ってっと食い物買ってやんねーぞ」
「おっとそりゃゴメンだ。オマエの気が変わらねぇうちに行こうぜ! 豚の丸焼きとかあるかな!」
「いやさすがに無いだろ。あっても買わねぇし」
「んだよケチ」
「うし、この辺でいいか?」
「いいっていいって! 早く食おう、ハラ減った!」
「ちょっと待て。準備すっから」
祭りの喧騒から離れ小さな噴水がある広場までやってきたオレたちは、広場の中央にある噴水の縁に座り戦利品の一部を広げた。
すぐにでもかぶりつこうとするネェロを押し留めると、ふんふんと鼻を鳴らし早くしろと言わんばかりにタシタシと前足で地面を叩き催促する相棒。大人しく待ってるように言うと不満そうにしながらもお座りをして待つネェロだがいつまで持つかはわからない。オレの分に顔を突っ込まれる前にさっさと準備をする。
カバンからネェロ専用の食器を取り出し、そこへ買ってきた焼き鳥やフランクフルトを食べやすいように串を外して乗せてやる。
そわそわし出したネェロの前へそれを置いてやると我慢できないといったように勢いよく食べ出した。
よく噛んで食えよというオレの声も聞こえていなさそうに夢中で食べるネェロを横目にオレは別の皿に水を入れてそれもそばに置いた。
ネェロの準備を終えたオレは、食器なんて使わずそのまま串へとかぶりつく。
うん、美味い。
横から聞こえてくるおかわりの声に、串を咥えたままネェロの皿へおかわり分を盛り付ける。しかし、盛り付けたそばから食っていくネェロには呆れる。食い意地張りすぎだろ。
「ねぇ、おじさん」
串に残っていた焼き鳥を食べ切ったオレは新しい串へと手を伸ばす。
「ねぇねぇおじさん」
誰だよおじさん。ガキが呼んでんだからさっさと返事してやれよ。
「ねぇ、きこえてないの?」
だんだん声が近づいてる気がするがオレじゃねぇよな。周りにオレたち以外誰もいねぇ気がするが、オレではないはずだ。だってオレはまだ二十代だしおじさんって歳じゃ――
「ねぇ、むししないでよ! おじさん!」
ガキの小さな手がオレのズボンを握っている。仕方なくそちらへ目をやると五、六歳ぐらいの女のガキが睨むようにオレを見ていた。
「…………もしかして、オレのことか?」
「ほかにだれがいるの、おじさん」
顔をソースやケチャップでベタベタにしたネェロが隣で笑ってる気配を感じる。
「オレはおじさんじゃねぇ。お兄さんだ」
「チビからしたらオマエぐらいのやつは皆おっさんだろ」
「そこ、うっせぇぞ」
「…………おじいさん?」
「このガキ……なんつー悪魔合体させやがったんだ」
「だめ?」
「ダッハハハハハハハ!」
腹を抱えて笑い出した相棒をしばきたい衝動に駆られるが、今はそんな事より大事なことがある。
「いいか、チビ助。オレはおじいさんでもおじさんでもねぇ。二度と呼ぶんじゃねぇぞ。わかったな」
隣から大人気ねぇなぁなんてボヤキが聞こえてきたが無視だ無視。
「むー。わかった。じゃあなんてよべばいいの?」
「ジャックだ。気軽にジャックさんと呼べ」
「うん、わかった! ジャック!」
「……はぁ。もういいわ。んで、オレになんか用か、ガキ」
「ガキじゃないもん! エリーにはエリザベスってなまえがあるの! きがるにエリーってよんでいいよ!」
「はいはいわぁーったよ。で、そのエリーはオレになんの用があんだ?」
「うん。あのね、あのね、ジャックはまじょさまなの?」
「おぅ魔女様だぞ。よくわかったな」
「ママにきいたの! まじょさまはまっくろのかみのけで、まっくろのおめめをしてて、まっくろのおようふくをきてるって! それでそれで、ねこさんをつれてて、ほうきにのって、そらをとぶんでしょ!」
オレの顔や服なんかを指さしながら、一つ一つ丁寧に魔女の特徴をあげていくガキ。
でも人を指さすのはどうかと思うぜオレはよ。言ってやらねぇけど。
「猫に限るわけじゃねぇけど、まぁそれ以外はあってる」
無駄にキラキラさせた瑠璃色の目は褒めてと言わんばかりにオレを見つめる。仕方がないんで、頭を軽く撫でてやれば何が嬉しいのかくふくふと笑う。なんとなくむかついたので灰色の柔らかい髪をぐちゃぐちゃにしてやったらさすがに怒った。
ニヤつく口元を隠そうともしないオレに、ぶーぶー文句を言ってくるが例のごとく無視をする。
「んで、その魔女様にエリーはなんの用事があんだ。まさか魔女かどうか聞くためだけに声かけてきたなんてことじゃねぇんだろ?」
「あ、そうだった!」
ようやく本題に入れる。まったくガキの相手は疲れるな。
「あのねあのね。エリーのパパとママがね、まいごなの! だから、さがしてほしいの!」
「ママとパパが? オマエじゃなくて?」
「おまえじゃない、エリー!」
「……エリーが迷子なんじゃなくてか?」
オレが名前で言い直せばガキ――エリーは満足したように笑う。
「そう! あのね、エリーがちょっと目をはなしたら、ふたりともどこかに行っちゃったの。まったく、ふたりともおとななのにおっちょこちょいなんだから!」
「へー」
腕を組んで頬を膨らませ怒りを表現しているエリーを眺めながら食べかけだった食事を再開する。
「あ、なんでたべてるの! ちゃんとおはなしきいてた? ねぇジャックってば」
「聞いてた聞いてた。でも残念ながらオレは失せもの探しは専門外なんだわ。他当たってくれ」
「せんも……むずかしいことばはわかんない! もっとわかるようにいって!」
「せんもんがいー。つまりオレは迷子探しはできないっつーこと」
「なんで? まじょさまはなんでもできるってママがいってたよ?」
「エリーが好きなことってなんだ?」
「? えっとぉ、おうた!」
「そうかお歌か。じゃあ逆に苦手なものは?」
「うーん。…………じっとしてるのが、にがて?」
「そうかそうか。そんじゃあエリー。今からあの時計の長い針が一周するまでじっとしとけって言ったらできるか?」
「できるよ!」
「ほんとかー?」
「できるもん!」
「じゃあスタート!」
スタートと同時に両手を合わせ、パンッと鳴らすとエリーは慌てたように気を付けの姿勢をとった。
オレはさっき開けた水を飲みながら眺めていたが、三十秒もしないうちにエリーの体はうずうずと動き出す。目がキョロキョロと動き、最終的にオレをとらえたがにっこり笑って「まだだぞ」っつってやったら絶望した顔を見せる。なんかその顔おもしろいな。
「もういいでしょ!」
そのあとすぐ動き出したエリーはなぜかやり遂げた顔をしていたが、全然できていなかった事を告げると怒り出した。
「むー! いっしょうけんめいやったもん!」
「でもできてなかったよな?」
「むー!」
地団駄を踏むエリーをなだめてオレの方を向かせる。
視界の端でネェロが寝ているのが見えた。他人事だと思いやがってこのやろう。
「あのなエリー。オマエがじっとしてるのが頑張ってもできなかったように、オレも探すのが苦手なんだよ。わかったか?」
「むー。でもママは――」
「魔女はなんでもできるってか。それはあってるけど間違ってるんだよ。魔女にも得手不得手が…………あーできる事とできない事があんだよ。そういうわけで他当たってくれ」
「……でもほかのまじょさまなんてしらないもん」
それはそうだろうな。魔女なんてそうそう会えるもんじゃねーし。
「ねぇジャック。ママたちきっとはやくみつけてほしいっておもってるよ。さびしいっていってるよ。かなしいって。ねぇジャック」
「……………………」
「じゃっく」
「……はぁああああああ」
オレのくそでかいため息に反応してネェロが顔をあげた。
なにやらニヤついてるようにもみえる視線を遮るように自分の頭をガシガシとかくと勢いをつけて立ち上がる。
突然立ち上がったオレにビビったのか、ビクッと反応したエリーへ視線を向け仕事を受ける前に大事なことを聞く。
「言っとくが、オレはただ働きはしねぇからな。ガキだろうがなんだろうがちゃんと報酬はもらう」
「ほうしゅう?」
「金だよ金」
オレは人差し指と親指で作った輪っかをエリーに向けながら聞く。
「おかね……もってない」
「じゃあダメ――」
「おかねはないけど、これならあるよ!」
そう言ったエリーは肩からかけていた苺型のポシェットを探っていくつかのものを出してきた。小さな手のひらに乗せられて出てきたものはいちご味の飴玉とおもちゃの指輪。それから――
「花の栞か?」
白い小さな花の栞。オレは花には詳しくないからよくわかんねぇけど、見たことはある気がする。なにかはわかんねぇけど。
「うん、ママとパパといっしょにつくったの」
「ふーん」
「ぜんぶエリーのたからものだよ。これぜんぶあげるから、まいごのママとパパをさがして?」
手のひらに乗せられたそれらをじっくりと眺める。
「んじゃ、コレ貰うわ」
オレは選び取ったものをエリーの手のひらからひょいと取る。エリーの手に乗せられていた時は大きく見えた飴玉だが、オレが持つとビー玉のように小さく見えた。
「好きなんだよ、あまいもん。いいだろ?」
「それだけでいいの?」
「これで十分だ」
「――ありがとうジャック!」
受け取った報酬をポケットにしまったオレは、ただのガキから客になったエリーへと営業スマイルを向けた。
「黒猫印の箒便をご利用いただきありがとうございます。今回は失せもの探しというご依頼でよろしいでしょうか?」
「うぇ……ジャック、きもちわるい」
「あ゛?」
「ダハハハハハハ」
「わーすごーい!」
「おい、あんまり暴れんなよ落ちるぞ」
「たかーい!」
「聞いてねぇな、はぁ」
あの後エリーを連れて適当な店に入ったオレは、オレンジジュースとアイスコーヒーを注文しエリーに両親がいなくなった時の状況や両親の特徴などいろいろ聞いた。ガキ相手だから話が一向に進まなくて大変だったが、なんとか必要な情報を引き出したオレはカバンから水晶を取り出して占う。
オレ自身は占いが苦手だしどうしても正確性が乏しいが大雑把な指針にはなりうるので、捜索のとっかかりにはなるだろう。婆ちゃんなら現在地までピッタリ当てられるから婆ちゃんに頼んでも良いんだが、それをした場合オレにとって不利益が起こりそうだからやめておく。婆ちゃんの小言は長いんだ。
それはそうと占いの結果、エリーの両親は南の方角にいると出たのでさっそくエリーを連れて捜索に出たのだが、まったくの不発。結局そのまま街の外まで来てしまい、街へ戻ろうとしたところでネェロから待ったがかかった。
どうしたのかと見ると街の外、いやもっとその先を見ているネェロが匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせていた。そのうえエリーの両親は街にはいないようだ、なんてほざきやがるから頭を抱える。最悪だよ、面倒クセェ。
仕方がないので箒にエリーを乗せ上空から探しているんだが、エリーが興奮してうるせぇのなんの。箒から落ちないように気を使うこっちの身にもなりやがれ。だからガキの相手は嫌なんだ。
「おいネェロ、そろそろ島から出ちまうぞ。いっかい降りてもう一度占うか?」
「うんにゃ、必要ねぇ。このまま飛んでけ」
柄の先に器用に乗ってるネェロが言う。
「ねぇねぇねこさん。ねこさんはママたちがいるところがわかるの?」
「少なくともそこにいる飛ぶ事しか能がねぇ魔女サマよりかはな」
「すっごーい!」
「チッ」
「ジャックもすごいよ! おそらとべるんだもん!」
「はいはいどーも」
「ほんとだよ! すっごくかっこいいよ!」
「へいへい」
「むー!」
「ダハハハハハハハ」
「笑いすぎだぞネェロ。ったく、おいエリー」
「なぁに?」
「お前はどうする? このまま一緒に行くか? それとも待ってるか? どこまで遠くに行くかわかんねぇからオレ的には待ってるのをおすすめするぞ」
「そういやそうだな。エリーにはちょっちキツイかもだぞー」
「んー。やだ! いっしょいく! エリーもママたちを おむかえにいくんだもん!」
「……そうか。んじゃこのまま行くぞー」
「いくぞー!」
「おー!」
エリーと出会った島を出てしばらくは何もない海の上を飛ぶ。
飛行時の興奮がおさまってきたのか、特に見るものもない海の上ばかり飛んでいて飽きてきたのか、そのどちらもなのか。エリーはすっかり大人しくなっていた。
というより寝ていた。
「コイツ……よくこんなとこで寝れるな」
「はしゃいでたからな。疲れたんだろ。それに、もう島からもだいぶ離れちまったしな」
「――だなぁ」
うるさいのが寝て、ネェロと二人。特に会話もなく静かな海上を行く。オレはエリーが落ちないように片手でエリーの体を支えながら箒を操ってはいるが、エリーが乗ってるゆえスピードも出せねぇし、起きられても面倒だから喋ることもできずで、正直かなり暇だ。
聞こえてくるのは波の音だけで、ずっと聞いているとオレもちょっと眠くなってきた。
「寝るなよ」
「わぁーってるよ」
何個かの島を通り過ぎ、そのどれもがハズレ。
そのうち日も暮れて暗くなってきた頃に腕の中のエリーが身動いだ。
「なんだ起きたのか? 残念ながらまだ迷子は見つかってねぇぞ」
「もうちょっとだとは思うんだけどなぁ」
「うん。…………ねぇジャック。ねこさん」
「あ?」
「どした嬢ちゃん?」
「ありがとう」
「まだ礼を言うには早ぇぞ」
「そうそう。もうちょっと頑張んな、嬢ちゃん」
「うん。でもいまいっておきたかったんだ」
「そうかよ」
心持ち箒のスピードを上げる。ネェロがもうすぐだっつってんだから、きっとすぐ近くまで来ているはずだ。
「ママね、いっつもないてるの。エリーがね、なかないでっていうけど、なきやんでくれないの。パパもね、いっつもげんきがないの。しょんぼりしてる」
「そうか」
前方に島陰が見えてきた。島全体が影を落としたように黒いシルエットとなって見えるが、海岸部分であろう場所にポツンとした小さな灯りが見える。
ネェロがこちらに向かって頷き、オレも頷き返す。
「うん。ごめんねっていってる。エリーはママとパパには、わらってほしいんだ。でもね、エリーにはママとパパを わらわせてあげられないの」
「ママたちのこどもにうまれて、エリーは しあわせだったって。だいすきって。だから あやまらないでって。なかないでって。わらってって。」
「そばにいるのに、なにもできなかったの」
「どうしようって なやんでたらね、ママたち いなくなってたの」
「たいへんだって おもったけど、エリーには なんにもできなくて、また どうしようって なやんでたらね、ジャックのこと みつけたの」
「まっくろのかみに、まっくろのおめめで、ねこさんと おおきなほうきをもってる かっこいい、まじょさま」
「このひとなら たすけてくれるって おもって、こえかけたの」
「そしたら ほんとうにたすけてくれたんだ。いままで だれも たすけてくれなかったのに、ジャックは たすけてくれたの。おはなしも きいてくれて、あたまも なでてくれたの」
「ちょっと いじわるだけど、やさしい まじょさま」
「その意地悪で優しい魔女様が、お探しの迷子を見つけてやったぞ」
「使い魔様のが貢献したけどな」
海岸で火を囲んでいる人間の男女を指差してやるとエリーの視線もつられてそちらを向く。
まだ遠く、そして暗いためにハッキリと人物が特定できたわけではないが間違いはないだろう。あれがエリーの両親だ。
「ママ……パパ」
「よかった。ぶじだった」
「ジャック、……これ」
聞き逃してしまいそうなほど小さな声でオレの名を呼んだエリーは、ポシェットから出したものをオレの手に握らせた。
「ありがと。ほ……に、あり……とぉ」
「……おぅ」
両親の無事を確認して安心したのかエリーの瞼が落ちていく。
オレは受け取った宝物を落とさないよう意識を向けながら、できるだけ優しい声音で話しかける。
「眠いか? 眠いなら無理すんな。あとはこのかっこよくて優しい魔女様が迷子をちゃーんと家まで送り届けてやっからよ」
「ほん、と?」
「あぁほんとだぜ。こう見えてオレは、仕事は最後まで責任持ってキッチリやる男だからよ」
追加の報酬も受け取ったしな。それに、それがガキの大事な宝物だってんなら多少のサービスも吝かじゃねぇ。だから――
「安心して眠れ、エリザベス。オマエの親父も、お袋も、もう大丈夫だ。なんてったってなんでもできるかっこいーい魔女様が手を貸してやるんだからな」
「……ぅん。ジャックおにいちゃ……ねこさ……ありが――」
最後まで言い終わる前に、エリーの瞼は落ちた。
最後の最後でようやくオレの事をちゃんと呼びやがったなあのクソガキ。まったくそれなら初めからそう呼べってんだ。かわいくねぇガキだ。
「さってと、もうひと踏ん張りすっかぁ」
「おー」
あーでも、よく考えなくてもこの箒に大人三人は乗れねぇか。どうすっかな。
「高い所から失礼します。あなたたちはエリザベスさんの御両親で間違い無いですよね」
オレは火の傍で寄り添いあう男女に声をかける。
周りには船の残骸とおぼしきものが散らばっており、状況から推察するに恐らくエリザベスの両親は事故か何かにあいここに流れ着いたのだろう。ただの海難事故か、はたまた海賊にでも襲われたか。いずれにせよどちらの命も無事で何よりだ。
突然声をかけられたエリザベスの両親は、オレの声に反応してこちらを見上げる。
箒に乗り空を飛ぶオレの姿を見た母親はエリーと同じ瑠璃色の目を丸くして「魔女、さま?」なんて驚いてやがる。父親は「本物……?」なんて呟いてやがったが、聞こえてるぞ失礼な。むしろ箒で空飛んでるのに魔女じゃなかったら、いったいそいつはなんなんだよ。
「灰色の髪で瑠璃色の目をした五、六歳くらいの小さな女の子なんですけど、違うんですか?」
「は、あ、いえ。確かに私たちはエリザベスの両親ですが……なぜ、娘をご存知なのですか? それに……どうしてこんなところに?」
母親を庇うように後ろへと隠しながら訝しげに聞いてくる父親。
「あの子に頼まれまして。あなたたちが迷子になって困っているから助けてほしいと」
「え!?」
「うそっ!」
オレの言葉に二人は驚愕した。無理もないけど。
「それでですねぇ、あなた方をこのまま家まで送り届けたいのは山々なんですが、少ぉーしばかり問題がありまして。今すぐに、とはいかないんですよね」
「あ、あの! 娘に頼まれたというのはどういう意味ですか!」
父親を押しのけるように後ろから出てきた母親はオレに詰め寄ろうとしたが、オレは空の上にいるために叶わなかった。
「どうもこうも、そのままの意味ですよ。仕事であなた方が住んでらっしゃるワンスール島に寄っていたのですが、そこでお嬢さんに声をかけられましてね。あなた方が迷子だから捜してほしい、と依頼を受けたのです」
「……そんなっ!」
「間違いありませんよ。あ、報酬はすでにお嬢さんから頂いているのでお二人はお気になさらず」
「ありえません! だって、だってあの子はッ!」
「おい、落ち着きなさい!」
取り乱し始めた母親を父親が止める。オレはそれをただ見つめていた。
そのうちに泣き始めた母親を慰めながらも父親が俺の方へと顔を向け口を開く。だが、その顔は今にも泣いてしまいそうなほど弱々しいものだった。
「あの、本当に、あなたに依頼をしたのは、エリザベス……娘なのですか?」
「ですから先程からそうだと申し上げております」
父親が疑うのも無理はない。
オレはゆっくりと降下し地面へと降り立ち、泣いている母親の前へ移動すると宝物を渡された手を差し出した。
開いた手の中のものが炎に照らされ浮かび上がる。
「あなたの娘さんから渡されたものです。私は別の報酬をすでに頂いているので、過剰分のこちらはあなた方にお返しします」
「こ、れは――」
「エリーの……」
おもちゃの指輪と白い花の栞。その二つを受け取った母親はそれを自身の胸に抱き泣き崩れた。父親も同じくその宝物を母親ごと抱きしめる。
しばらく静かな海岸に二人分の泣き声と娘の名前を呼ぶ声、そして、許しを請う声が響いた。
「娘さんからの伝言です」
いまだ泣き続ける二人を見下ろしながら口を開く。
「『ママたちの子供に産まれて幸せだった。大好き。だからもう泣かないで。謝らないで。ママとパパにはずっと笑っていてほしいの。…………エリーは大丈夫だから、だからママとパパも元気になって。笑って毎日を過ごして』とのことです」
「っうぁ……エ、リィ。っ………」
「………………ッ!」
オレの言葉に二人はさらに涙を見せる。でもそれは先ほどまでの悲哀に満ちた涙とはまた別の物だろう。
「すみませんが、お二人を家まで送り届けるための準備に少し席を外します。……そうですね、大体一時間ほどで戻ってきますのでそれまでは、申し訳ありませんがこちらでお待ちいただけますか?」
聞こえているかどうかわからないが、一応そう声をかけると父親から了承の返事が返ってきた。
ぱっと見だが、手当てがいりそうな怪我をしてるようには見えないのでこのままもう少し待ってもらっても死にはしないだろう。
オレは二人のそばに祭りで買った食べ物や水を置く。残り物で悪いが今はそれくらいしか食べ物を持ってない。口は付けてない新しいものばかりなので許してほしい。
よかったらどうぞと言い残しそのままオレは箒へとまたがる。ネェロも一緒に乗り込み定位置の柄の先端へと腰を下ろした。
十分に上昇したところで一度眼下の二人を見下ろす。
いまだ泣いている母親の背をゆっくりとさすり何事かを話しかけている父親。そんな二人を視界から外しオレは大急ぎで家へと箒を飛ばした。
少しばかり遠いが、飛ばせばたいした時間はかからんだろう。
『ねぇパパ?』
『なんだいエリー』
『なんでパパとママはおんなじところにゆびわしてるの?』
『これかい? これは結婚指輪といって、パパとママの愛の証なんだよ。ずっと一緒にいようねって印なんだ』
『むー! ママとパパだけずるい! エリーもパパだいすきだもん! ママもだいすきだもん! エリーもパパとママとずっといっしょいる!』
『嬉しい事言ってくれるじゃないか。パパもエリーが大好きだぞー!』
『パパ、おひげいたい!』
『うぅ、ごめんよ、つい。うーん、じゃあお詫びじゃないけどエリーにもパパが指輪を買ってあげよう!』
『ほんと!』
『あぁほんとだ。楽しみにしておいで』
『わーい! さんにんでおそろいのゆびわね!』
『あぁ、もちろん。わかっているよ』
『ねぇママ、なにしてるの?』
『これはね苺の苗を植えてるのよ』
『っ! いちご!』
『ふふっ、そうよ。エリーの大好きな苺よ』
『いつできるの! あした?』
『そんなにすぐはできないわ。そうねぇ、あったかくなったら、かしら』
『むー! まてないー!』
『でも、待てば待つほどおいしい苺が食べられるわよー』
『ほんと!』
『えぇ。だから一緒にお世話しましょうね』
『うん!』
『ママ見て! いちごにお花が咲いてる!』
『あら、ほんとね。』
『かわいいー』
『少しだけ貰って栞にしましょうか?』
『いいの?』
『たくさんあるから少しくらいは、ね』
『わぁ……うんっ! へへへっ。パパがかえってきたらいっしょにやる!』
『ふふ、そうね。みんなで一緒に作りましょ』
『パパはやくかえってこないかなー』
『たくさんできたなぁ』
『そうねぇ』
『おいしぃー!』
『エリー。あまりそっちに行っては駄目よ』
『はーい!』
『ふふっ』
『おーい!』
『あら、あなた』
『――遅くなってすまん。少し準備に時間がかかってな』
『随分気合が入ってるわね』
『当然だろ。なんてったって今日はかわいいエリーの六歳の誕生日なんだからな。最高の誕生日パーティーにしてあげないと』
『えぇ、そうね!』
『きゃぁ!』
『うぉ!』
『……はー、びっくりした。強い風だったわね。エリー、大丈夫だった? エリー? どこへ行ったの? エリー?』
『エリー! おーいどこ行った! 返事をしなさい!』
『エリザベス!』
『そ、んな……エ、リ……ィ?』
『……………………』
『ぐっ……!』
『ごめんなさい……ごめんなさい……』
『ローザ……君のせいじゃない』
『ごめんなさぃ……エリー』
『…………っ』
ママ、なかないで……ごめんね。
『……っ、うっ……っ!』
『…………なぁローザ。少し気分転換に出かけないか?』
『…………』
『あの子が好きだった苺の苗を買いに行こう。今はシーズンじゃないからこの島には売ってないけど、ラフレズ島って所には一年中売ってるらしいんだ。少し遠いけどあの子のためにたくさん買ってきてお墓の周りを苺でいっぱいにしてあげよう! な?』
うん! エリーいちごだいすき!
『…………』
『……ローザ』
ねぇママもいちごすきでしょ? うれしい? わらって?
ねぇママ? きこえないの?
『くそ、嵐だ!』
『乗客を非難させろ!』
『きゃあ!』
『ローザ! しっかり捕まって!』
『あなた!』
『ローザ!』
『きゃあああああ!』
『うわあああああ!』
ママ? パパ?
『う、うぅ……ここは?』
『う、んぅ』
『ローザ! 大丈夫かローザ! しっかりしろ!』
『パリ、ス?』
『あぁそうだ俺だ。しっかりしろ!』
『私たち、助かったの?』
『あぁ。きっとエリザベスが助けてくれたんだよ』
『……エリー!』
箒をぶっ飛ばして家に着いたオレは急いで倉庫に行きデカめの荷台を用意した。そして荷台を箒に取り付けたオレはすぐ出発しようとしたがそこにネェロから待ったの声がかかった。
「おいジャック」
「んだよ、ネェロ」
「んだよ、じゃねーよ。荷台だけ持ってっても意味ねぇだろ。ちゃんと他のもんも用意しろよ」
「…………あー、やっぱいる?」
「いるだろ」
正直言うとあんま長居したくねぇんだよな。
「……兄貴帰ったかな?」
「やっぱ兄貴に会いたくなかったんじゃねーか」
「うるせぇ」
「おれがどうかしたか弟よ!」
「うぉわ! びっっっくりした! いきなり大声出すんじゃねぇよ馬鹿兄貴!」
「ハハハハハすまんすまん! クリス反省!」
「うぜぇ……」
「ダハハハハ」
だから会いたくなかったんだ……。
「ていうかなんでまだいんの? 帰んねぇの?」
「帰るぞ! 帰る、が、お前が帰ってくるのを待っていたんだ! 顔を見てから帰ろうと思ってな! 元気そうで良かった良かった!」
「じゃあもう用はないだろ。気ィ付けて帰れよ。ばいばい」
無駄にテンションが高い兄貴の横を通り抜けようとした時、兄貴がオレの腕をつかんだ。
「あん? なに? オレ急いでんだけど?」
「知っている。わざわざ用意せずとも必要なものならすでにそこに揃えてあるから持っていけ」
「え?」
兄貴が指差した方を見ると倉庫内の古びた作業机の上に毛布やいろんなものが入れられた鞄、木箱などが置かれていた。
……用意が良いな。婆ちゃんか?
「お前の帰りが遅いから心配でな、婆ちゃんに星見をしてもらったんだよ! いい事をしたな! さすが我が弟! 見た目は不良みたいだが心根は優しいやつだって兄ちゃん知ってるからな!」
「あああああああやめろやめろ! うるせぇ! おいネェロさっさと行くぞ!」
「ハハハ照れるな照れるな!」
「照れてねぇ! ――でも、あんがとな! 婆ちゃんにも礼言っといて! あと帰りは朝方になるとも! …………魔女は夜目が効くとはいえ、もう暗ぇから気ィ付けて帰れよ!」
「あぁ、わかった。ありがとな! さぁ、お前も気を付けて行ってこい! またな!」
「…………またな」
浮遊術を使って荷物を一気に荷台へと乗せたオレは兄貴へ背を向け勢いよく飛び出した。
荷台に乗ったネェロのニヤニヤした面が腹立たしい。
「素直じゃねぇなぁ」
「黙れ」
「ダッハハハハハハハ」
「くそっ」
荷物を飛ばさないように気をつけながらも高速で箒を飛ばす。ネェロが簡易的な結界を張ってくれているので飛んで行きはしないだろうが念の為だ。
後ろで「ちょっ、ジャック、早すぎ……おいっ!」なんて声が聞こえてくるが無視だ。
そうしてるうちにエリーの両親がいた無人島が見えてきたので若干スピードを緩める。
時計を確認すればあれから四十五分ほどが経過していた。予告していた時間より早く着いてしまったが早い分には良いだろう。致し方なし。兄貴とネェロが悪い。オレは悪くねぇ。
明かりを目指して二人の元へ行くと、すっかり母親も落ち着きを取り戻していた。良かった良かった。
オレは二人に声をかけ、待たせたことを詫びると荷台ごと地面に降りる。二人が乗りやすいように他の荷物を隅に寄せ毛布と座布団を荷台に敷き、ランプを置く。
準備を整えたオレは二人に荷台へ乗るよう促した。
ちゃんと乗り込んだことを確認したあと忘れ物がないかを確認し、火の後始末をしてからゆっくりと飛び立つ。エリーと違い両親はしばらく飛ぶ事を怖がっていたが、時間が経てば慣れてきたのか強張っていた体も緩んでいたようだ。
「おい、お二人さん」
「あら、黒猫さん? どうかした?」
「よかったらこれ飲みな」
「ん? これは、水筒?」
落ち着いてきた頃を見計らい、荷台にいるネェロがなにやらごそごそと荷物を漁っていたかと思うと、兄貴が用意してくれた水筒を二人に勧めているようだった。恐らく中身は婆ちゃん特製のお茶だろう。
「うちの祖母が作ったお茶です。リラックス効果と疲労回復効果があるのでよかったら飲んでください」
「魔女様が作ったお茶! ありがたくいただきます……!」
「そんな特別なものを……。ありがとうございます、いただきます」
ネェロが荷物から出してきたコップを二人に渡すと、彼らはそれぞれのコップへお茶を注ぎ口をつける。
オレからは表情を見る事はできないが、美味しいと聞こえたので口にはあったようだ。
お茶を飲み一息ついたところでオレは二人に声をかける。
「このスピードではお二人の家に着くにはまだまだ時間がかかりますし、荷台にある毛布などは好きに使ってもらって構わないので、休んでいてください」
そう伝えると二人は体を寄せ合い、しばらくすると眠りについた。
二人が寝たのを確認したネェロが器用に荷台から箒へと乗り移り肩へと登ってくる。
「二人とも衰弱はしてるが、たいした怪我はねぇみたいだ」
「そうか。そりゃよかった」
月明かりが照らす中、オレは波の音と後ろで眠る二人の寝息をBGMに箒をワンスール島へと走らせた。
それから島へと着いたのは完全に夜も更けた真夜中頃。島の住人達も眠りにつき、昼の顔とはまた別の雰囲気が感じられた。
ネェロに寝ている二人を起こしてもらい、家の場所を聞く。指示された場所は街から少し離れた場所にある赤い屋根の家。
(あった、あれか。……ん?)
目的の家から少し離れた場所。見晴らしのいいところにポツンと置かれた大きな石が目に入る。
(そこにいたのか)
目的地を発見したオレはゆっくりとその家の横に降り立ち、後ろの二人へと声をかける。
「着きましたよ」
降りるのを手伝ってやり、まだふらつく体を支え一人ずつ玄関まで送る。
「助けていただき本当にありがとうございました……この御恩は忘れません!」
父親が頭を下げる。続いて母親もオレへ深々と頭を下げた。
「ありがとう、ございました……!」
「気にしないでください、私は仕事をしただけなので。お礼なら娘さんに。……お二人が笑顔で楽しく毎日を暮らすことが、娘さんへのお礼になりますから」
「……はいっ!」
何度も頭を下げようとする二人を止め、オレは荷台から持ってきた鞄からいくつかの薬を手渡す。さらに恐縮する二人に半ば強引に使い方が書かれた紙と一緒に薬を渡したオレは二人を玄関へといざなう。
やっとのことで家に入ったエリーの両親を見送ったオレは箒に乗り、一度その場を離れた。
一度ついた家の明かりがまた消えた頃にオレはさっき見た大きな石の場所へ箒を下した。
杖を取り出し、一振りすれば荷台から木箱が浮かぶ。中身を確認し、そのまま一緒に大きな石の近くへと移動する。
枯れかけた花が飾られたその石には“最愛の娘 エリザベス ここに眠る”との文字が彫られていた。
「よぉ、エリー。オマエからの依頼終わったぞ。パパとママもかすり傷程度で、でけぇ怪我もなく無事だ。ちょっと衰弱しちゃいるが、薬も渡しといたしすぐ元気になんだろ」
「これでちょっとは安心して眠れるだろ、よかったな嬢ちゃん」
依頼完了の報告を終えたオレは杖を振る。
すばやく作業を終えるとネェロを連れて島を出た。
「あぁーあ。ねみぃ」
「どっかで寝てから帰るか?」
「いや、このままさっさと帰る」
「途中で寝落ちて海へドボンなんてやめてくれよ」
「いやーわかんねぇなぁそれは」
「おい! まじでやめろよ!」
「うるせー」
オレの肩でギャーギャー騒ぐネェロを適当にあしらいつつ家路を急ぐ。
寝落ちるつもりはねぇけど、このままじゃマジでネェロの言う通りドボンする未来が来そうだからな。
「……ただいまー」
「ぐわー。つかれたー」
朝方、家に着いたオレは手早く箒と荷台を片づけ玄関の扉を開ける。
「おかえり!」
「うぉわ!」
「ぎゃ!」
疲れて帰ってきたオレを出迎えたのは婆ちゃんでも妹でもなく、帰ったはずの兄貴。
朝っぱらからこの大音量はキツイ。いや、いつでもキツいわ。
「……なんでまだオマエがいんだよクリス。帰ったんじゃねぇの?」
「びっくりしたぁ」
「おれもそのつもりだったんだがな。婆ちゃんが今日はもう遅いから泊まっていけと言ってくれたから、お言葉に甘えさせてもらったのだ!」
「……あっそ」
なんか一気に疲れた。玄関に仁王立ちしていた兄貴をどかし、部屋へと入ったオレに兄貴とは別の声がかかる。
「あ、お兄ちゃんお帰り。ネェロもお帰りー。二人とも朝ごはんどうする? 食べる?」
「……食べる」
「食う!!」
「おれも食べるぞ!」
「はいはい。おばーちゃーん。お兄ちゃんたち帰ってきたー」
キッチンへと足早に去っていった妹のリーゼロッテの背中をぼんやりと見送ったオレは手を洗うために洗面所へと足を運ぶ。そこで自分の手と顔を洗い、ネェロの足も洗ってやる。さっぱりしたところで居間からオレたちを呼ぶ妹の声が聞こえた。居間に着くと机の上には美味そうな料理が並べられ食欲がそそる。すでに兄貴たちは席に着きオレに早く座れと言ってきた。大人しく席に着くと正面に座る婆ちゃんが口を開く。
「ちゃんと全部あげたか?」
「あげたって。てか多すぎねぇ? 結構大変だったんだけど?」
「そんなことはないだろう。大好きってんなら、いくらあってもいいはずだ」
「はいはいそーですね」
いやまじで大変だったつーの。
「ねぇ、早く食べようよ」
「せっかくの美味い料理が冷めてしまうぞ!」
「そうだね。じゃあ――」
婆ちゃんが音頭を取り、全員の声がそろう。
『いただきますっ』
兄貴が加わり、いつにもまして騒がしい食卓を終えたあと、オレは泥のように寝た。
「おはようローザ。体調はどうだ?」
「おはようあなた。えぇ、魔女様に頂いた薬を飲んで寝たからかしら。すごく良いわ」
「それは良かった。でも無理はするなよ?」
「えぇわかっているわ。それよりも早くエリーに会いに行きましょう。一週間もほったらかしにしちゃったんだもの。きっとすごく寂しがっていたに違いないわ」
「あぁ。そうだな。苺の苗は買えなかったが許してくれるかな」
「ふふっ。きっと許してくれるわよ。あの子は優しい子だもの」
魔女に助けられ一夜明けたパリスとローザの二人は朝食もとらずにまず娘の墓へと足を向けた。
家から少し離れた墓へと歩く二人は、見えてきた光景に目を疑う。
娘の墓がある場所。そこは元々苺を植えようと思っていたので娘の墓以外には何もなく、殺風景な場所だった。
しかしいま、二人の目に映る光景。それは大きく真っ赤な苺が一面に実り娘の墓を飾り付けている不思議な空間だった。
「…………もしかして、魔女様が?」
「あぁ。きっと、そうだろう。……君の言う通り、魔女ってのは優しい人なんだな」
「やっと信じてくれたの。遅いわよ」
「はは、すまん」
「もぅ」
二人は笑い合う。泣き声しか響かなかったこの場所で、久しぶりに明るい声が響き渡った。
笑い合う二人の傍らには、灰色の髪をもつ少女が太陽のような笑みを浮かべて笑い、そして消えた。
『――ありがとう、ジャックお兄ちゃん!』
ここまで読んでくださりありがとうございました。