魔人の狂想(36)
36
閑話休題。
俺たちは建物の影から影へと飛び移りながら、職員寮を目指した。
その様はまるで闇夜をコソコソと這い回るコソ泥のようだったが、気にすると負けな気がして──いったい何と勝負しているのかは不明だが──細かいことは気にしないことにした。
そうやって職員寮の門前までやってきた俺たちは、警備員が見えないことを確かめると、すぐに門を乗り越えて前庭の中へ。
無論、俺とロゼッタにはそんな運動神経は無いので、《ウォール》の魔法を階段がわりに、音もなく侵入した。
ちなみにこれは余談だが、アリスの方は四メートルはあろうという塀を、ただのジャンプだけで乗り越えていた。
「さて、第一段階はクリアね」
月明かりに照らされる職員寮の玄関ポーチを影の中から伺いながら、アリスがにやけ面で呟く。
ここからの作戦は次の通りだ。
まず、事務室に侵入して、フォルルテ先生がどの部屋に住んでいるかを調べる。
そしたら今度はそれに従って先生の部屋へ突撃し、侵入。叩き起こして、パラノイアについての情報を聞き出す。
あぁ、まるで本当に泥棒か暗殺者になった気分だ。
彼女の呟きに内心苦笑いを浮かべながら、こくりと頷く。
「次は、玄関の鍵を開けて中に入らなきゃなんだけど……」
「こっちはあかんな。
月明かりで外から丸見えや、裏口から侵入する?」
「そうね、その方が安全だわ」
そんなわけで、塀の影を伝いながら建物の裏に回り、裏口から侵入する。
「じゃ、うちの出番やな!」
月明かりの届かない暗闇で、ロゼッタがニヤニヤしながらピッキングを始めた。
「ふむふむ、なるほどそんなセキュリティは強ないな。ここがこうでこうなって……よし、開いたで!」
「「はやっ!?」」
思わず大きな声を出しそうになって、慌てて両手で口を塞ぐ。
それにしても早すぎる。だって五秒も掛かってないんだぞ。プロの所業にしか思えない。
「まさか、あなた空き巣の経験があるの?」
「んや、魔道具ちゃう鍵くらいやったら、構造さえ分かってれば開けんのなんて簡単やで?」
まさか、とアリスが疑い深げな視線を向けるが、しかしロゼッタはといえば、これくらいできて当然とばかりにドヤ顔で答えてみせる。
そんなこんなで俺たちは職員寮へと侵入した。
あたりを見渡してみれば、どうやらそこは厨房の中らしい。
「あっ」
と、不意にアリスが声をあげるのを聞いて、俺たちは咄嗟に近くの調理台の影に身を潜める。
彼女が見回りの警備員に気がついたのかと思ったからだ。
しかし、後から良く考えてみれば厨房の扉は閉まっていたし、ランタンの光のようなものは視界には映らなかった。
怪訝な顔をする俺とロゼッタ。その疑問に答えるようにアリスはこちらをゆっくりと振り向き、泣きそうな顔でこう言った。
「夜食……食べてくるのを忘れた……」
ぐぅ、と静かな厨房に鳴り響く腹の虫の声。
そんなアリスの言葉に思わず笑い声をあげそうになるロゼッタを、俺は急いで口を手で塞いで堰き止める。
「んぐぅ、ぅん〜〜っ!」
「ロゼッタ、静かに!」
小声であったが、静かな厨房にはそれなりに音が響く。
故に──物音に気が付いたのか、こちらへとやってくる足音がコツコツと鳴り響くのが聞こえてくる。
俺はサッと入ってきた裏口の扉と鍵が閉まっているのを確認すると、三人固まって影に隠れた。
「一か八か──《スニーキング》」
俺の取得している魔法系アーツの中にはないアーツだった。
しかし俺はこれまでの経験から、チートに頼らなくても自分の力で魔力を練り込んで発動させた場合は、特にスキルレベルの縛りなどなく魔法が使えることを知っていた。
故に、俺は一か八か試した。
イメージは猫。猫の肉球が地面との接触の際にサスペンションとして作用し、音をかき消すイメージ。
それを、俺たち三人に、《ダブスペ》の応用で同時に付与する。
「ひうっ!?」
「んぉ!?」
「ん……っ!?」
全身がゾワゾワするような感覚に、思わず三人とも小さくうめき声をあげる。──と、次の瞬間、俺たちの手足が変形して猫の手足のような形へと変形、ついでに猫の獣人族を彷彿とさせるかわいらしい猫耳と尻尾が、頭や腰からニョキニョキと生えてきたのだった。
(俺が猫をイメージしたせいか……?)
『暗視ゴーグル』ごしのせいで色は良くわからないが、おそらく髪の色と同じ毛色だろうその猫の手の指を顎先に突き立てながら一瞬だけそんなことを考える。
「マーリン!」
そんな俺の怪訝な表情を見てか、アリスが俺を思考の海から引き上げる。
そうだ、今はそんなことを考察している場合ではなかった。
俺はハッと顔を持ち上げると、急いで厨房の出入り口から死角になりそうな位置へと身を寄せた──と、同時に、厨房から廊下に出る扉の開く甲高い音が、三人の猫耳に届いた。
「……おかしいな、物音が聞こえたのだが」
コツ、コツ、コツ。
足音が厨房を這い回る。音の鳴る方から警備員の位置を推測しながら、俺たちは調理台をゆっくりと一周していく。
歩くときの足音は、全て《スニーキング》の魔法が消してくれるので、警備員は俺たちに気づかない様子だ。
そのまま俺たちは警備員の後ろをこっそり影から追いかけながら、警備員をやり過ごし──
「なんだ、ただの家鳴りだったか」
そう結論づけて厨房を出て行こうとする警備員を見送って──
──ぐぅ。
「「!」」
静かな厨房に響き渡る腹の虫の声。
それはまるで、凪いだ水面に石を投げ込むかのように、湖面に広がる波紋はその場にいた全員を刺激した。
(アリスーッ!?)
信じられない、という顔をして、彼女を睨むロゼッタ。きっと俺も同じ顔をしていたに違いなかった。
「だっ、だって、これは仕方ないじゃない!」
「ちょっ、待ってアリス、声が大きい──」
ランタンの灯りが強くなり、厨房全体が明るく照らされる。
きっと、警備員の目には両腕を胸の前に組んで仁王立ちをするアリスの姿がはっきりと映ったことだろう。
「──やはり誰かいたな!
誰だ貴様は! 何が目的だ!」
「あっ、まずっ」
羞恥から思わず大きな声で反論したアリスだったが、しかしおかげでどうやら彼女しか警備員にはバレていないようだった。
しかし、これは好機とも言える。
俺は調理台の影のおかげで目を焼かれずに済んだ『暗視ゴーグル』を取り外すと、ロゼッタに小声で叫んだ。
「ロゼッタ、ここはアリスに任せて先に進もう!
アリス、陽動頼む!」
彼女のこくりと頷くのを確認して、俺はロゼッタと共に機会を窺い始めた。
「ば、バレてしまっては仕方ないわね!
我が名は怪盗ラビット! 冒険者学校に務めるある教員の研究資料を強奪に来たわ!」
「な、なに!? 研究資料の強奪だと!?
それならなぜ研究室じゃなくて職員寮に来たんだ!?
あとお前はうさぎじゃなくて猫だろ!?」
「え、えーっと、それは──そ、そう!
一番大切なものは、必ず自分のベッドの下に隠すと相場が決まってるからよ!
あとラビットは単純に間違えただけだから指摘しないでくれるかしら!?」
ツッコミどころが多過ぎてどこから突っ込めば良いか分からん……!
……いや、まぁいい。これでも何とか時間稼ぎはしてくれている。ならば今のうちに──
「《チャーム》」
俺は調理台の影からこっそり、警備員がアリスに釘付けになるよう、支援魔術スキルレベル一で取得できる《チャーム》というアーツを使う。
このアーツは、本来使われた相手は術者以外を攻撃しなくなるという、挑発系の技なのだが、今回は対象を術者本人ではなくアリスに変更した。
これも、この世界が現実になったからこそできるようになった行動だと言ってもいいだろう。
《チャーム》付与時に現れる、文字通り目がハートになるという現象を確認して、俺たちはそそくさと厨房を離れたのだった。
アリスよ、君の犠牲はきっと後世まで語り継がれるだろう……!(涙)




