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魔人の狂想(2)


 2


 人の流れに逆らいながら、イベント地点へ向かう。

 それにしてもNPCの数が多い。

 今までは街一つで十人いれば多い方だったのだが、しかし、逃げるように走ってくるそれの数は、悠に五十人を超えるのではないだろうか?


 少し活気のある商店街にいる全ての住民が、流れに乗って押し寄せてくるような勢いである。


「ちょっ、どいて──通して……っ!」


「おい、そっちは危ないぞ!

 早くこっちに──」


 押し寄せる人の波。かき分けて逆流するが、いかんせん人の数が多く流される。

 小さな体を活かして機敏に人を避けようとするが、ぶつかっては蹴られたり弾き飛ばされたりで、一向に前に進めない。


 今までならPCがある程度接近すれば、彼らは自動で避ける様にプログラムされていた。しかしどうしてだろう、今回ばかりはこのNPCたちは、そんなことは御構い無しにと俺の小さな体を突き飛ばさんとなだれ込んでくる。


(まぁ、バグってるしそんなもんだろ)


 それにしても、人の波に揉まれて体のあちこちが痛い。

 息苦しさに顔を顰めながらも、俺は人と人の間を抜けていく──が。


(んー、でも、なんだろう、この変な違和感……)


 人の間の空間を見つけては遡りながら、うなじを筆でなぞられるような違和感を覚えていた。

 夢の中で夢だと気づきそうな、そんな感じと言えば伝わるだろうか?


 周囲の音やグラフィック、匂い、服や人間の体同士がもみくちゃになって擦れる感触。その何から何まで、以前とは大違いなリアリティがそうさせている──気がする。


(なんか、ゲームっぽくない……?)


 バグとして片付けられないくらい、あまりにも彼らの反応が現実的すぎる。

 NPCらしくない。

 思い返してみれば、仮にアバターの容姿を変更している最中にアップデートが来たのならば、俺は強制的にゲームから弾かれているはずだった。


 しかし実際にはそうではなかった──。


「なんでかなぁ、考えないようにしてるのについつい思考の海面に顔を出しちゃうのは」


 人の波も薄くなりつつある路地を抜けながら、ポツリと言葉をこぼす。

 仮にその予感が当たっているのならば、この胸の高鳴りは、あるいは嫌な予感とはまた別の──むしろ真逆の感動かも知れない。


 そんなこんなで人の波を抜けると、俺はいつの間にか捲れ上がっていたスカートを直しながら、鼻の奥をむわりと覆うような、獣くさい臭いに顔を顰めた。

 周囲の気配が、先程とは一変しているのを直感的に感じ取り、顔を上げる。


「わーッ!? やめッ、ぁく、来るなぁ ゛ーッ!!」


 悲鳴をあげる男性NPCが視界に映る。

 屋台街。その中でも壊された屋台の前だ。包丁か何かを振り回しながら牽制しているらしい。


 しかし相手が悪い。


 相対しているのは、体高二メートル弱の巨大なモルモットの顔を持つ、全身緑色のカピバラ。


 それだけを聞けばかわいいじゃないかと思うかもしれないが、しかしこいつには恐ろしく長い鞭のような尻尾と、赤く光る八つの複眼がある。


 普通の動物とは明らかに違う見た目と体格を有していることからも分かる通り、こいつはモンスターだ。

 しかも彼にとって運の悪いことに、これはただのモンスターではない。


 マルバロの森のダンジョンボス──ガラット・カヴィアロードだ。


(早く逃げればいいのに、身を挺してヘイトを集めて、他の街の人たちをこいつから守ってるのか)


 涙と鼻水を垂れ流しながら必死に牽制するこのキャラに、ちょっとした感動を覚える。

 今にも襲い掛かろうと爪を振り上げるガラット・カヴィアロード。

 おそらくこのまま放っておけば、あの男性は確実に死んでしまうだろう。


 これがもし仮にゲームのままだとしたら、この男性NPCは、プレイヤーがイベントに参加しない限り延々と逃げ続けるが、しかし嫌な予感が当たっていた場合、その先の未来は悲惨なものになるはずだ。

 そんな未来は、到底許容することはできない。


「せあっ!」


 振り上げられた爪が、一瞬のうちに間合いを詰めた俺の『ショートソード』によって、弾き返される。


(重……ッ!?)


 ゲームスタート時からプリセットされている剣術スキルレベル一のアーツ、《アステュート》だ。

 敵との間合いを一気に詰めて、地面からの垂直な斬り上げを行うアーツで、よく遠距離突進系のアーツを作る時の材料にされる。


(この男が攻撃を避けなかったってことは、つまり……この世界はゲームじゃないってことで、間違いなさそうだな)


 重い鋼鉄のハンマーを打ち返したような衝撃に、思わず武器が折れていないかを心配するよりも、自分の腕がぶるぶると震えたことに驚きを覚える。

 おそらく、まだSTRには一切ステータスポイントを振り分けていなかったせいだろう。以前はそんなエフェクトは無かったんだけど、これが現実となればその数値がこういった事に反映されることは想像に難くない。


(まるで鈍器だな)


 その鋭い見た目とは裏腹な手応えに、俺は舌なめずりをする。


 きっと、アーツを使って弾いていなければ、逆にこっちが吹き飛ばされていたに違いない。


 まさにアーツ様様である。


 にしても、さっき接近して初めて気づいたけど、あいつ、体に何か黒いモヤみたいなのが纏わり付いてるように見える。

 元々のガラット・カヴィアロードにはそんなデザインじゃなかったはずだけど……。


(何が起きてるんだ?)


 どこかで見覚えがあるような、しかし良く思い出せない謎の黒いモヤに怪訝に思っていると、不意に男の声が意識に届いた。


「きっ、君は──っ」


(とりあえず、モヤについては後回しだな)


 俺はモヤについての疑問を頭から払拭すると、まずはこのイベントをクリアすることに集中することに決める。


「危ないから下がっててください、あんまり近づくと怪我しますよ」


 何かを言いかけるNPC、もとい男性の言葉を遮って、その場から退避するよう指示を出した。

 近くにいられては思う存分戦えない。

 元々レベルは六十後半くらいで戦闘経験はかなりあるし、多少剣も使っていたが、あの頃はもっぱら魔法しか使っていなかった。


 今はステータスが初期化されてるし使えるアーツも他には突進垂直切り落としの《バーチカル》のみ。

 正直オーディエンスは嬉しいが、今の自分のレベルとガラット・カヴィアロードの尻尾攻撃の攻撃範囲を考えると、最低でもサッカーゴール一個分の幅くらいは下がっていて欲しいくらい余裕がない。

 剣を頭上に剣をやや斜めに構える太陽の構えを取りながら、ニヒルに笑う。


 見据える先は、赤い八つの複眼を持った緑色のモルモット顔のカピバラだ。


「んじゃ、試し斬りといきますかねッ!」


 掛け声と同時に、《バーチカル》のアーツを使って離れていた間合いを一気に詰める。

 剣に魔力が吸い取られる感覚がして、五メートルほどだった間合いを一秒未満で駆け抜ける。

 そして俺の剣は吸い寄せられるようにして、そのクモのような八つの目の内の縦に並んだ三つを一度に切り裂──くところだった。


 しかしさすが腐っても鯛。


 AGIも相当に高いのだろう、間一髪のところをバックステップで回避するなり、前足を使ってくるりとターン。前後の足をスイッチする勢いを使って、鞭のような尻尾で円弧を描くようにして鋭く打ち付けてきた。


「──ッ!?」


 予想しなかった動きに、一瞬だけ俺の対応が遅れてその鞭のような一撃が、技後硬直でガラ空きの胴体に叩きつけられた。


「カハッ!?」


 肺から空気が押し出されるのを感じるのと同時に、バキャ、と肋が悲鳴をあげるのを聞く。

 視界の左上に表示されていた緑色のHPバーが三割ほど一気に削られていくのが意識の片隅に映った。


「いってぇ……」


 視界左上に固定表示された、緑色のバーが全損するのを想像する。

 もしそうなれば、俺は文字通りここで死ぬ事になりかねないだろう。ゲームならば街の神殿で復活できるが、それがちゃんと機能するかどうかはまだわからないのだ。

 現実に迫る死の恐怖に、一瞬体がわなわなと震えて力が入らなくなる──が、今はそんな場合じゃない。

 下手したら後悔してる間に死ぬ。


 俺は唇を噛みながら剣を杖にして立ち上がり、自分を騙すように笑みを浮かべた。

 恐怖なんてクソ喰らえ。

 試し斬りってほざいたんだ、最後まで敵を見下してやらなきゃカッコがつかないだろ?

 ケホッケホッ、と咳き込みながら剣先を前に向けて牽制し、強気につぶやいた。


「なんか見た事ない動きしたよなぁ、お前……」


 口元を垂れる唾を拭って、睨みつける。

 さっきのガラット・カヴィアロードが使ったカウンター。本来尻尾攻撃は、プログラム上、八メートル以上プレイヤーが離れた時にしか繰り出してこない攻撃パターンだったはずだ。


 しかし、それが今となっては近距離で、さらにカウンターとして使ってきた。

 ゲームがリアルになったことで、行動パターンが変わったのか、それともあの黒いモヤのせいなのかはわからないけど──まぁ、そんな雑念は後回しだ。


 俺は深呼吸をして心を落ち着かせると、再び剣を太陽に構えた。

 これは剣術スキルレベル一のアーツ《バーチカル》の予備動作である。


 三回目のアーツの使用。

 レベル一のMPは合計で三百しかないし、レベル一のアーツは一回使うごとにMPを百消費する。

 要するに今の俺が使える最後のアーツという事だ。

 次の攻防で外れたら、まず俺に勝ち目はないだろう──が、ガラット・カヴィアロードの攻撃パターンはもう大体予測がついた。


(次が山場だな)


 先の二発と同じく、体の中の魔力が剣に吸い取られる感覚がして、俺は重心を前に傾けた。


 ──アーツが発動する。


 駆け抜ける景色。それとほとんど同時に俺は体を下に沈める事でアーツの発動を途中でキャンセルした。

 全てのアーツには、技の発動の前後と最中の計三箇所にキャンセルポイントが存在する。

 この時点でアシストされている動きと異なる動作をすると、技がキャンセルされるのである。


「くッ!?」


 先程同様、カウンターをするべく尻尾攻撃が俺の肋を狙う。しかし、直前でアーツをキャンセルしていた俺は、間一髪のところで膝スライディングをするようにしてそれを回避することに成功した。


「……ッ!」


 目の前スレスレを、前髪の先を掬い取りながら通過する尻尾を凝視する。

 世界がゆっくりになる感覚。

 得も言われぬ高揚感。

 思わず口角が上がるのを感じながら、俺は立ち上がった。

 そうする事で、俺の眼前に奴の弱点──尻尾の付け根がやってくる。


「せやぁっ!!」


 猿叫一閃、立ち上がり様にそこを斬り上げ、その狂気のような尾を切断する事に成功する。


「キュルルルルルルル!?」


 このゲームにおける戦闘では、クリティカルヒットを安定して出せるタイミングがある。

 それは、相手が攻撃する寸前か、あるいはした直後の一秒以内。

 このタイミングで攻撃することによって、普段の攻撃よりも数段高いダメージを与えることができるのである。


「せあっ!」


 そのままの勢いを体に乗せるようにしてターンし、続いて後脚の付け根、腱が集中していると思われるあたりを下から斬り上げた。


「キュルルルルルルル!?」


 生暖かい液体が勢いよく噴き出した。

 それは紛れもなくこの緑色のネズミの血液だった。

 痛みに驚いたガラット・カヴィアロードが後ろ蹴りを繰り出そうと足を振り上げる。


「おっと!」


 間一髪で横にずれることで一撃を回避する。

 回避しつつ、奴の足首を上から斬り落とし切断。機動力を奪った。


 そのままステップを踏んでターンし、ガラット・カヴィアロードの足の関節や腱を狙って刻んでいく。

 そこから先は一方的な攻撃だった。

 噛みつきを躱し、爪をいなし、関節の間に刃を差し込んで腱を斬る。

 攻撃するタイミングは常にクリティカル狙い。

 緑の毛皮が赤黒く染まるのと同じ速度で、奴の返り血が俺の一張羅を生臭く汚していった。

 そうして暫く。


「キュルルルルルルル……」


 力無い断末魔の叫びをあげて、ガラット・カヴィアロードは地に倒れ伏したのだった。

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