表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/56

魔人の狂想(12)


 12


 アリスに連れられてやってきたのは、ステーキの専門店。

 周囲の建物と同じく木骨レンガ造建築のお店だが、小さな前庭とテラスがついた、ちょっとオシャレな感じのお店──ではなく、その隣のごく一般的なカフェだった。


(てっきり、貴族だしこっちの方を選ぶんだと思ってたけど……これを見ちゃうと、納得せざるを得ないな……)


 店の前を素通りした時のことを思い出しながら、心の中で一人呟き、目の前の光景に頬をひくつかせる。


「お待たせしました。

 こちら、『ヒュージカローヴァのエイトポンド・ランプステーキ』になります」


 言って、女給さんがカートの上から机に運ぶのは、嘘だろと思わず声をあげてしまいそうなほど巨大なステーキだった。


(エイトポンド……。

 一ポンドは一人前の食料だから、換算すると八人前あるんだよな……これ……)


 俺は、銀色のドーム状の蓋の中から現れた巨大なステーキに目を見開いた。

 確かに見てくれは迫力満点で美味しそうではあるが、この膨大な量の肉……。目の前の俺と同じくらいの体格の彼女には、とても食べきれそうには思えない。

 いや、まだ肉だけなら良かった。

 しかしここには大量のマッシュポテトと大量のバゲットまである。

 これらを一人で食べ切れるなんて、到底思えない。


「……あの、それ一人で食べるんですか?」


 対して、俺の前に運ばれてきたのは、半ポンドほどのサイズの小ぶりなロースステーキとバゲット、そして葉野菜のサラダとポタージュスープである。

 普通の人よりも量は少なめだが、彼女に比べれば常識的な量である。


「もちろんよ。

 あなたの方こそ、そんな少量で大丈夫なのかしら?

 お金がないなら貸してあげるけど」

「いえ、結構です。お金なら余裕ありますので」


 たしかに少量だけど!

 でもアリスさん! あなたのは別方向に大丈夫なのか疑いたくなるよ!

 そんなツッコミを心の中で叫びながら、彼女の提案を断る。


「そう、ならいいわ。

 それよりあなた──」


 アリスがステーキにナイフを通す。

 プレートに乗っている量が半端なく場違いだが、その仕草そのものは凛としていて行儀正しく、不思議なギャップを覚える。


「──さっきの魔法、とってもすごかったわ!」

「うぇっ!?」


 驚いて、思わずそんな声が出る。

 だっていきなり褒められたんだ、そりゃ驚きもする。

 ……でも、まぁ確かにさっきの魔法は自分でもすごかったと思う。

 無我夢中とはいえ、スキルレベル四にならないと使えないはずのアーツが使えてしまったから。

 《ダブルスペル》、もしくはプレイヤー間では《ダブスペ》と略されることの多いこのアーツは、同時に複数の魔法アーツを発動させることのできる技だ。

 例えば普段だと《ウォーターボール》は同時に一つまでしか射出できないのだが、このアーツをスキルポイントを使って組み込むと、同時に二つ発動させることが可能となる。

 組み合わせるのは《ウォーターボール》だけじゃなくても良い。

 《ファイアーボール》だって組み合わせられて、同時に二種類の魔法を、独立させて発動できるのだ。

 これが使えるようになるレベルは四十以降だから、この歳でこれだけ使えるのは一般的には凄い部類だ。


「それにあなたの手」


 今度は何か、と身構えていると、彼女は食器を置いて俺の手を掴んできた。


「見た感じ剣もそこそこできるみたいよね?

 後でぜひ、手合わせ願いたいのだけどいいかしら!?」


 キラキラとした瞳でこちらを見つめながら──しかし手元は上品に──尋ねてくる。

 手を見ただけで剣の腕がわかるものなのかは果たして疑問だったが、それがわかるということは多分、彼女も相当の手だれに違いない。

 トレード不可能の『剣鬼のドレス』を装備しているくらいだし、レベル六十相当の実力があると見て間違いないだろう。


(嫌だなぁ、今はステータス的にも実力に差がありすぎそうな気がして怖いんだよなぁ……)


 プレイヤースキルを駆使して──そう、彼女が知らないであろうキャンセルコンボを使えば、あるいは渡り合える可能性もある。

 ステータスなんていうのは、リアルになったこの世界ではただの身体能力の差でしかなく、一番重要なのは身体操作技術と判断能力だからだ。

 どれだけ相手が強くても所詮は人間なのだから、急所やクリティカルを狙えば、渡り合える可能性は高い──が。


「……えっと」


 断ろう。

 そう思って口を開くが、しかしこちらを見つめる彼女の青い瞳がキラキラと眩しかった俺は、所詮コミュ障。そんな勇気など出るはずもなく、目を逸らしつつも渋々といった体で承諾──


「──やめてください!」


 ──と、その時だった。

 カウンターの方から、そんな風に叫ぶ女性の声が響いてきて、視線をそちらへと向けた。

 するとそこには、青色の髪をした、神経質そうな男が女性店員に詰め寄っているのが見えた。


「我輩のどこが不満だというのだ?

 地位も金もある、そんな我輩に言い寄らえてぇ……幸せではないとゆーのか!? ……ヒック」


 徐々にエスカレートして語尾が裏返った怒声が、店の中に響き渡る。


(うわぁ、なんかヤバいの居る……)


 顔を真っ赤にした、一見理知的そうに見える見た目をしているが、その実やってることは小物な酔っ払い。

 なんでも思い通りになると信じて止まず、自分が目立たなければ我慢ならないといった感じの人間だ。

 あの店員は不憫だが、こういうのとは関わらない方がいい。


(ていうか、昼間から酒なんて呑むなよ……)


 そんな風に眉を顰めてアリスの方へと視線を戻すと、それをどういう風に捉えたのか。彼女はうんと頷いて、食事も途中なのに席を立って男の方へと歩き出した。


「あ、アリスさん……!?」

「私、ちょっと不完全燃焼だったのよねぇ」


 ポツリと聞こえた言葉に、俺は思わず耳を疑った。


(不完全燃焼?)


 まさか、ナンパ野郎と喧嘩できなくてウズウズしてたのかこの人!? それでそのフラストレーションを解消しようと、次はあの酔っ払いに目をつけたのか……!?


 そう思って一瞬彼女の血生臭い思考回路にドン引きするが、しかし次に呟かれた彼女の言葉に、その感想はやや修正される。


「それに、お母様なら困ってる人は見過ごさないもの」

「アリスさん……」


 すごいなぁ、と本心からそう思う。

 俺なら怖くて近づくことすらできないのに、彼女は自身の持つ力を信頼して、感情の方向性はどうあれ人助けをしようとしている。

 俺も、黄金の鍋亭でトラブルが起きたときに対処することは何度かあった。

 しかし結局はお姉ちゃんかギルダさんが始末してくれて、結局できるようになったのは、事務的な話なら見知らぬ人にでもできるようになったくらいである。


 ……とはいえ、初めから暴力で解決しようとするのは見過ごせない。

 これでも俺の方が長く生きてる。人生経験は……歳のわりには多分彼女の方が上だろうけれど、そうやってすぐに暴力に走ろうとするのはいけないことだ。


「待ってくださいアリスさん!」

「怖いなら別に来なくてもいいわよ?」

「いやそうじゃなくて!

 なんでもすぐに暴力で解決しようなんてダメです!

 まずは話し合いを──」

「──いいかしら、マーリン?

 人間には二種類あるの。話を聞く人間と、聞かない人間よ。

 あの酔っ払いは素直に話を聞くとは思えない。

 つまり話すだけ無駄なのよ」


 なんとか勇気を振り絞って彼女を静止しようにも、その言葉は真実そのもので否定することができなかった。


 話し合いというものは、本来話ができる者同士だからこそ成立するのだ。何を言っても無駄なら、話し合いをしたところで意味がなく、もっとわかりやすい原始的なもので主張を押し通すしかないのは世の道理だ。


 それでも、ここは現実だし、相手は人間だ。

 話ぶりからしておそらく相手は貴族。

 彼女もおそらく貴族とはいえ、人民の上に立つ存在が全て暴力で解決しようとしてはならないはずだ。

 そんなのはただの暴君だ。

 世界の歴史を紐解けばわかるが、古今東西、暴君は信頼を無くして部下に裏切られて殺される。

 それだけ恨みを買いやすいのだ。

 俺は初めて友人になりそうな彼女に、そんな人生を送って欲しくない。


「だったら、一つだけ約束してください。

 力に頼るにせよ、最初はちゃんと話し合いを試して」

「……わかったわ、言う通りにする」


 俺の言葉に、一瞬少女の闘気に満ちた瞳が少しだけ火を落とした。


 ──と、そうこうしているうちに、周囲の注目はこちらへと移っていた。

 どうやら酔っ払いのヘイトもこちらに移っていたらしく、神経質そうな青い髪のメガネの男は、しゃっくりをしながらこちらへと一歩足を踏み出した。


「さっきから聞いていればお前ら……。

 まるで我輩が迷惑をかけているみたいではないか!?

 我輩は……我輩はぁ……ッ!!!!!!」


 興奮して発狂を始める迷惑な客。

 良く見てみれば、全身から何やら黒いモヤのようなものが溢れているように見えた。


(このモヤ……そういえばあのガラット・カヴィアロードにも──)


 いろいろバタバタしていて忘れていたけど、こんなところでまた黒いモヤを目にする機会が来るとは。

 天をつくような雄叫び、というか奇声に、何かを感じ取ったのだろう。その場にいた客全員が悲鳴をあげて、蜘蛛の子を散らすように店を飛び出していく。


「……どうやら、話し合いは無理みたいね」


 腰の剣を鞘ごとベルトから抜いて構えながら、アリスが口を開いた。


「はい、これは流石に異論はないです。

 とりあえずこの人の暴走を食い止めましょう!

 俺は人質の店員さんをなんとかするので、暴漢の方をよろしくお願いします!」


 発狂するだけならまだしも、今にも理性を手放して暴れ回りそうな様子だ。

 このままではあの客に絡まれていた店員さんが危ない。


「オーケー、任されたわ!」


 アリスはそう言うと、鞘を抜いていない剣を剣帯から外して、右肩上に切先を立てて垂直に構える構え方──屋根の構えをとって、メガネの男へと走り出した。


「せやぁっ!」

「邪魔すんなぁッ!」


 席同士を隔てる壁を蹴り、三角跳びの要領で立体的に動きながら上段から殴りかかるアリス。

 俺はその隙に座席を迂回しながら、動けないでいた例の女性店員の元に駆け寄る。


「大丈夫ですか?」


 ガァン! と鈍い衝撃音が響く中、俺は彼女に手を差し出した。

 横目に確認してみれば、アリスの攻撃が男の魔法によって受け止められていた。

 魔法スキルレベル三で取得できるアーツ《リフレクション》だ。

 相手の攻撃を反射し、そのダメージを相手に与えるアーツである。

 アリスは受けた魔法によるダメージに顔を顰めるが、しかしそれをものともせず無理やり突き破って男に殴りかかった。


「チッ、なんて馬鹿力だこの小娘は!?」


 咄嗟に避ける暴漢。

 間一髪スレスレを通り過ぎた剣が、カフェのテーブルごと机を真っ二つに圧し砕いた。


(ちょっとアリスさん、それはいくらなんでもやりすぎじゃないですか!?)


 あんな力で殴られれば、きっと気絶どころじゃ済まないだろう。下手をすればモザイク処理の必要が出てくるに違いない。


「え、えぇ、なんとか……」


 店員さんの返事に意識をこちら側へ戻す。

 恐怖故だろうか。膝が生まれたての子鹿のように震えているが、しっかりと俺の肩を掴んで立ち上がることはできるようだ。

 俺は彼女の腰を支えながら、ゆっくりと暴漢に気づかれないように撤退を試みる。


「へぇ、これを避けるなんて、あなたなかなかやるじゃない!」

「うるさい邪魔するな!」


 意識をこちらに向けまいと、アリスが対話で時間稼ぎを試みる。それから数発どんぱちと激しい破壊音が弾け、おそらくその最中、俺たちが避難しようとしているのが見えたのだろう。


「我輩から逃げられると思うなよ……ッ!

 《ツリーバインド》!」

「きゃっ!?」


 暴漢はこちらへと手を向けると、彼女を逃すまいと魔法を放ってきた。

 木の蔓が石床からメキメキと生えてきて女性店員の足首に巻きついていく。

 《ツリーバインド》。

 魔法スキルレベル一のアーツ《風属性魔術の心得》と《地属性魔術の心得》、それから同じく魔法スキルレベル二で取得できる《バインド》を組み合わせる事で使えるようになる魔法だ。


「店員さん!?」


 足を取られて転ぶ彼女を咄嗟にキャッチする──が、避難できていたのもたったの数メートル。

 その程度で逃げきれたはずもなく、男は俺が抱えて受け止めた彼女の襟首を──


「無視しないでくれるかし──らぁッ!」


 ──掴もうとした手が、アリスに掴まれる。


「っ!?」


 そしてそのまま強引に投げ飛ばされ、男はカウンターテーブルの前に並べられていた椅子の列に、まるでボーリング玉のように突っ込んでいった。


 ──ガガン! と激しい音と同時に、木の椅子が壊れて弾け飛ぶのが見える。


「一途は好きだけど、私、無視されるのって嫌いよ」


 言って、振り向きながらこちらにウィンクを飛ばすアリス。

 どうやら決着がついたようだ。


 俺は安堵の息を吐くと、魔法スキルレベル一で取得できるアーツ《ウォール》を使って、店員さんの足に絡み付いている木の蔓を切断する。

 蔓のある位置に《ウォール》を設置することで、蔓を強制的に分断したのである。


 それにしてもアリス、相手が魔法使いタイプだからとはいえ、大の男を片手で数メートル投げ飛ばすとかどんな筋力してんだよ、STR高すぎるだろ……。

 あの『剣鬼のドレス』はレプリカかもと思ったけど、もしかすると本物かもしれないな。


 だとしたら、彼女のレベルは少なく見積もっても六十相当はあるわけだ。


 レベル六十といえば、俺がこの世界で初めて倒したガラット・カヴィアロードを蹴り一つで倒せるレベル。正直熊を相手にするより強い相手だ。

 そんなやつと喧嘩だなんて、ちょっと同情しちゃうね。


「や、やりましたか……?」


 相手が起き上がってこないことから、あの壊れた椅子の中に埋もれている男は、おそらく気絶したのだろうと踏んだ女性店員が、足首の状態を確認しながらぽつりと呟いた。


(おい待て、それフラグ──ッ!?)

「《ウォール》!」


 瞬間、アリスの後ろで椅子の残骸の山が爆発しながらこちらへと吹き飛んでくるのを、魔法で防御することに成功する。


「きゃっ!?」


 店員さんが小さく悲鳴をあげるのを聞きながら、俺は視線の先を椅子の残骸から起き上がってきた男に向ける。

 同時、アリスも体を半身にして剣を下段に構える愚者の構えをとりながら、警戒の姿勢に移った。


「ちょっと力加減が甘かったかしら?」


 青あざだらけになりながらも立ち上がる男を見ながら、アリスがつぶやいた。


(あれで力加減してたのか……。

 やっぱりこの子、レベル六十くらいありそう)


 彼女の言葉に若干苦笑いを浮かべながら、俺は口を開いた。


「無駄な抵抗はやめてください。

 一体どうしてこんなことをするんです?」


 良く見ると、黒いモヤのようなものが薄れているような、というかなくなっているような……。


「どうして……?

 どうしてだって……?

 ……どうして、なぜ、我輩は……ここで……一体何を……?」


 ボソボソと呟きながら、虚な視線を向ける男。

 その様子は先程の暴力的なそれとは打って変わって、無気力的である。


(何かおかしい?)


 その感想はどうやらアリスも同じだったようだ。

 彼女は怪訝な表情で眉根を寄せて、こちらに視線を流した。


「ねぇ、マーリン。

 この人どうしちゃったのかしら? 急に覇気がなくなったのだけど」


 これが何かの作戦だとは、今の彼の様子からは到底思えなかった。

 定まらない視線はさながらゾンビのようで──と、そう思った次の瞬間。

 男はその場で人形が糸を切られたように膝から崩れ落ち、うつ伏せに突っ伏したのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ