魔人の狂想(11)
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試験は昼からだったので、まずは昼食を済ませようとテザリアの散策を始める。
一ヶ月黄金の鍋亭で働いて稼いだお給金や、カールさん達とモンスターを倒して得たお金、それに家族の三人から貰った支援金もある。
お昼を済ませるには十分すぎる資金だ。
(思ってたより結構田舎だなぁ。
これならハスティアの方がまだ都会感あったぞ)
テザリアの街は、立地としてはハスティアとほとんど変わらない。
しかし周囲を見渡してわかる様に、外郭が無い分、一面をアザミに覆われた、カタカナと呼ばれる岩山のような地形がよく見えて、余計に田舎感を覚える。
多分、建物が全部平家なのもその影響かもしれない。
「……冒険者として働ける様になったら、ちゃんとお返ししないとな」
足取り軽く店を眺める内に、目頭に温かいものが溜まっていくのを感じる。
気分は旅行とほとんど変わらないものだったが、どうやらもうホームシックになっていたらしい。
(……ほんと、俺って寂しがり屋だな)
この世界に来れたのは嬉しかったけど、ホームシックになるのは避けられない。
これが留学とかならまたいつでも会えるのに、そもそも地続きじゃない世界に来てしまってはそれも叶わない。
俺は小さく息を吐くと、雲ひとつない青空に視線を向ける。
しかしそんな感傷も束の間のものである。
感情というものは実に生物のようなもので、時間が経てばそれは思い出として消化されていく。
言うなればこのノスタルジーも、長い小説の読後感のようなものだ。時間が経てば自然と忘れて、俺は今腹の虫を鎮めるべく、レンガでできた石畳が織りなすオレンジと灰色の街道を歩いていた。
両脇に走る平家の木骨石造建築の街並み。
背の高い、幹が細めの並木が植えられ、街の中心を南北に分断する様に用水路に水が流れているのが見える。
道路にはたまにマンホールがあるのも見えるし、どうやら上下水道も整っているようだ。
(やっぱり、新しい街に来ると心がワクワクするのって、ゲームだった頃と何も変わらないんだよなぁ)
街の周りが平原とかばっかりでクッソ田舎だからかもしれないけど。
ハスティアの田舎感は、古代ギリシャの都市国家的なイメージだが、このテザリアの場合は村のイメージに近いというか、スパルタにちょっと似てる。
──と、並ぶ専門料理店を見回りつつどこでご飯を食べようかと考えていると、不意に背後から肩を掴まれた。
「っ!?」
驚いて、思わず足を止めると、二人の男がやってきて、俺の進行方向を塞いだ。
図体のデカいスキンヘッドの男と、背の高い金髪のチャラそうな男だ。
「ねぇ、君ちょーカワイイね。
今一人だよね、よかったら俺らとご飯行かない?」
「え、あっ、え、ちょっ、誰……?」
あまりに突然の事態についていけず、治りかけていたコミュ障が再発するように頭が真っ白になる。
「あーじこしょーかい?
俺ね、アレン。んでこっちのデカイのがゴルドってんだわ、よろぴく〜!
でさ、君こんなところいるってことはお腹空いてるんだよね? 俺たちもちょうど腹減っててさぁ──」
ペラペラと捲し立てる男二人。
しかし突然の出来事に頭が真っ白になって思考が追いつかない俺は、二人の圧に負けてしどろもどろなというか、もはや言葉にすらなっていない声を出すだけで精一杯だった。
──と、その時だった。
「ちょっと、その娘嫌がってるじゃない」
不意に聞こえてきた、凛と響くような声に、二人の男が視線を持ち上げた。
「あ?」
俺も釣られてそちらの方へと視線を向ける。
するとそこには、金色の巻毛を黒のリボンで一つにまとめた、おそらく今の俺と同い年くらいの少女が、体の前で腕を組んで、仁王立ちしながら威嚇していた。
「ハッハーン、なるほどわかったぜ。
お前も俺たちとデートしたいんだな?
にしても今日は上玉二人に出会えるたぁ、ついてるぜ俺たち。なぁ、ゴルド?」
「……」
芝居がかった様子で、威嚇している彼女をもナンパしようと口説き始めるチャラ男。
(こいつ、なんてコミュ力だ……。胆力がすごいというか、度胸があるというか……)
俺は心底感心しながら二人のやりとりを眺めた──が、しかしそんな二人の会話もすぐに終わることになった。
「遠慮するわ。
貴方みたいな下劣な人は好みじゃないの、他を当たってくれるかしら?
尤も、そんな誘い方じゃ誰も受けちゃくれないでしょうけど」
手で顔を隠しながら、くつくつと喉を鳴らす様にして笑う少女。
「チッ、見た目と違ってかわいくねぇガキだな。
いいぜ、力の差ってやつを思い知らせてやろうじゃねぇの」
対して、ポキポキと拳の関節を鳴らして威嚇するチャラ男。
彼女。あえて挑発するようなセリフを選んでぶつけたように聞こえたのは、俺の勘違いだろうか?
好戦的なギラギラとした強気な蒼い瞳と吊り上がる様に笑んだ口端が、それはおそらく勘違いではないのだろうことを伝えていた。
(まずい、このままじゃ喧嘩になる……!)
ランチタイムで人通りの多い路地。
気がつけば既に騒ぎを聞きつけていた人達で、円い人垣ができはじめようとしていた。このまま騒ぎが拡大すれば、きっと常駐しているだろう騎士が駆けつけて詰所まで連行されてしまうに違いない。
彼らの事情聴取は長いのだ。
ハスティアで経験したことがあるからわかる。
そしてとりあえず疑わしいことがあったら牢に留置するのだ。
そうなってしまっては昼ごはんを食べる時間どころか、入学試験に間に合わなくなってしまう。
そうなれば実質浪人。せっかく学費を出してもらったマルコさん達に迷惑がかかる。
それだけは阻止しなければならない。
状況から一瞬でここまで把握できてしまった俺は、どうすればいいか必死に頭を巡らせた。
(怒りを鎮める方法……場を鎮める方法……)
どこかでみた覚えがあった気がした。デジャヴに似た感覚だ。
あれは確か、そう、初めて黄金の鍋亭で働いた時だ。あの時はカールさんが酔っ払って暴れだしたサーシャさんに──。
「──《ウォーターボール》!」
二人の男の口元を覆う様に、水でできた球体が現れた。
「「むぐぼぐむぐむぐぼがぁ!?」」
魔法スキルレベル一で取得できる《水属性魔術の心得》と《ボール》の二つのアーツを合わせた魔法だ。
俺はそれの発動を確認すると、慌てて口元のそれに手をやる二人の隙を突いて逃げ出し、突然のことに唖然としていた少女の手首を掴んで引っ張った。
「こっち!」
「あっ、ちょっと!?」
気がついた時には勝手に体が動いていた。
俺は建物と建物の隙間の細い路地に少女を連れ込んで駆け抜ける。
煉瓦造りの道を走り、建物の裏口に捨てられた樽の上を飛び跳ねて、猫の集会を直進して裏側のもう一つの通りへと躍り出た。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
忘れていた呼吸を思い出して、慌てて粗い息をつく。ちゃんと着いて来られたかを振り返って見てみると、少女は余裕そうな顔で、それこそ文字通り汗ひとつかかずにそこに立っていた。
「ここまで来れば、大丈夫……」
早鐘を打つ心臓の鼓動に、長い息を吐いて心を落ち着かせる。
「何よ、あなた自分で動けるじゃない」
両腰に拳を当てて仁王立ちしながら、金髪巻毛の美少女が口を開いた。
「それは……その、無我夢中だったからっていうか……。
気がついたら体が動いてたから……ふぅ」
服についた些細な汚れを手で払って、ぎこちない笑みを浮かべながら返した。
正直、うまく笑えているか自信がないが、無愛想よりは良いだろう。
「そ、まぁいいわ。あなた名前は?」
彼女は一瞬、少し怪訝そうな、というか、何か品定めする様な視線で俺の全身を観察した後、そんなふうに名前を尋ねてきた。
「あ、えっと、マーリンです。
その、さっきは助けてくれてありがとうございました」
やや強めな語調の彼女に、若干気圧されながら応える。
コミュ障の俺には、たとえ相手が年下とはいえ、特に気の強い相手と──ましてや女の子と──話すのはハードルが高いのだ。
多少声がうわずってしまうくらいは許してほしい。
「そ、あなたマーリンっていうのね。
私はアリス。アリス・ティンゼルよ。
呼ぶときはそうね、アリスでいいわ」
言って、白を基調として金色っぽい刺繍が施された簡易的なサマードレスの様な衣装のその裾を軽く持ち上げて見せる。
貴族式の礼だろうか? たしかにこの世界に生きる庶民は、こんな華美なデザインの服は着なさそうだし、彼女には苗字もあった。
おそらくどこかの貴族なのだろう。
そしてこの装備。
たしか、攻略推奨レベル六十以上のクエスト『北の森のオーガロード・パラディンナイトを討伐せよ』の報酬で得られる『剣鬼のドレス』だ。
俺の記憶が正しければ、これはトレード不可の装備だったはず。
(ということは、それなりに実力者? あ、でも裁縫スキルで作ったレプリカの可能性もあるか)
レベル六十といえば、ゲーム時代の俺と同じくらいの強さだ。最低限全てのレベル帯のアーツが取得し終えるのも大体この時期で、このクエストをクリアしたかどうかが初心者と中級者を分ける指標にもなっていた。
それにしても思い出すなぁ。
そういえばゲーム時代、この装備のデザインが好評で、一時期いろんな色違いの装備が女性プレイヤーの間で流行したんだっけ。
俺の時は男性アバターだったから『剣鬼のタキシード』だったけど。
──とそんなことを考えていると、不意にどこからか、くぅ、とかわいらしい音が鼓膜を震わせた。
「……その腰の剣からして、あなた冒険者学校の受験生よね?」
聞こえたはずの音を無視して、アリスと名乗った少女が話を続ける。
よくみれば、少しだけ耳の端が赤く染まっていた。
「その、お昼は食べたかしら?
もしまだなら、私と一緒にランチしましょ!」




