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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

メアリの爪痕〜魔女集会で会いましょう。〜

作者: 凡仙狼のpeco


 ―――かつて、俺は『ダルマ』だった。


 物心ついた頃には、親も知らず、見かけることのない灰色の髪と瞳を持つことで魔の眷属と呼ばれ、人として扱われることもない、家畜以下のオモチャだった。


 体も小さく、力も弱く、しかし蹴られても殴られても生き続ける頑丈なオモチャ。


 泣き喚き、悲鳴を上げる度に嘲笑と暴力を浴びせられる、そんな生活の終わりに。




「人の不幸って、美味ぇの?」




 一本ずつ手足を切り落とされて『ダルマ』になり。


 腐った傷口が発する苦痛と熱に浮かされながら、そんな疑問を投げかけた相手は。


 ーーー赤と黒を基調としたゴシックドレスを身に纏う、美しい少女だった。


「哀れですね」


 彼女は、いつの間にかそこにいた。


 落ち着いた静かな声音で、微笑みと共に投げかけられた言葉は、耳に馴染みのないもの。


「あわれ……?」

「人の不幸は蜜の味、と言います。貴方の不幸はこの男たちにとって、さぞ甘美だったのでしょうね」



 そううそぶいた彼女の周りには、細切れになった男たちの肉塊が転がっていた。


 小首を傾げると、腰まで伸びた金糸の髪がさらりと流れる。


 『絶望』という言葉の意味すら、その頃は知らなかったが。

 自分の手足を切り落としてわらっていた男たちよりもなお、幻想のように美しい彼女は、その化身に見えた。


「ミツって何?」


 死んだ男たちに対しては、何の感慨も湧かなかった。


 すぐに自分も同じようになるだろうし、仮に彼女に見逃されたとしても、このまま死ぬだけだから。


 それよりも、と。


 知らない言葉ばかりを口にする彼女のしとやかな声を、少しでも長く聞いておきたいと、そう思ったから、問いかけた。


 すると彼女は、赤い化粧を施した切長の目元を軽く見開く。


 そして、桜色の口元から鋭く尖った犬歯を覗かせ、背中に生えたコウモリに似た漆黒の翼を小さく動かしてから、答えを返してくれた。


「蜜というのは、甘くて美味しい食べ物のことです」

「美味い食べ物……人の不幸って、美味ぇの?」

「世間では、そう言われていますね」


 不幸というのが美味くないヤツもいる、ということだろうか。

 そんな風に思いながらも、声を聞くためにさらに問いを重ねる。


「お前も、美味いと思うの?」

「何故です?」

「俺を痛めつけると、皆、楽しそうに笑ってた。それを殺したお前も、今、笑ってるから」

「なるほど?」


 彼女は、まだ大人というには少しふっくらとした頬を撫でる。


「笑み、というのは、楽しい時にだけ浮かべるものではないのですよ。作り笑い、という言葉もありますから」

「……訳分かんねぇ」

「貴方、少し口が汚いですね」

「そうか? でも、皆こんな話し方だろ」


 軽く言われたことを不思議に思いながら、首を傾げる。

 それが表情に出ていたのか、彼女は軽く目を細めた。


「まぁ、いいでしょう。私が不幸を美味しいと思うかどうか、ですが……そうですね、ある意味では、美味です」

「やっぱ、皆、美味いんだ」

「相手による、というところですよ。やはり舌には好みがありますから」

「そうなのか?」

「ええ。私の好きな不幸は、〝外道の不幸〟です」


 彼女は唇を舌先で舐めてから、こちらに近づいてきた。

 静かに床に膝をつき、転がっている自分の頬を撫でて、とろけるような笑みを浮かべる。


 その手の温度は、かなりひんやりとしていて、苦痛と熱に蝕まれる体には心地良かった。


「他人の不幸を愉しむ者が、この男たちのように、逆に不幸になるのが楽しいのですよ」

「こいつらの不幸は、俺の不幸と、何か違うのか?」

「ええ、少し違います」


 言いながら周りを示す彼女の笑顔は、それまでのものとは違い、どこか狂気が漂っていた。


 ゾクリと背筋が怖気立つようなその表情を……改めて、綺麗だと思った。


「外道の愉悦は、本来、私のように闇に生きる『人外じんがい』のモノです。人の身のままそれを愉しもう、などという傲慢を叩き潰すのが、楽しいのです」

「そぉ、なんだ……」


 呂律ろれつが、だんだん回らなくなってくる。


 もう死ぬのかな、と感じて。

 何故かふと、それを嫌だと、思った。


「おまえ、ひとじゃ、ねーのか」

「ええ。我々人外は、人の不幸と苦痛の上に生まれ落ちる存在です」

「やっぱり、よく、わかんねーな」

「であれば、これから私が教えましょう」


 ―――これから?


 少女の姿をした彼女が、こちらの頭を一つ撫でてから、体を抱き上げられる。

 細腕に抱き上げられたことに疑問を持つほど、もう意識は明瞭ではなかった。


 ただ、辺りに満ちる血生臭さよりも強い、花のような良い香りを感じる。


「不幸と苦痛を知った貴方に、今度は、幸せと安らぎを。それを貴方が知ることに、私は興味があります」


 視界も徐々に狭くなっていき、彼女の笑みを見つめながら、口を動かす。


「こんど、は、おまえ、が、おれを、かうのか?」


 ―――もう死ぬのに。


 そう思いながら、最後の返事を聞く。


「ええ。私は貴方が気に入ったので」


※※※


 結論から言えば、運良く生き延びた。

 あるいは、彼女の力によって生かされた。


「私は、メアリ。約束通り、貴方に幸せと安らぎを与えましょう」


 寝るどころか見たこともないような屋敷の。

 落ち着かないほど、柔らかく広く清潔なベッドの上で、意識を取り戻した後に。


 彼女……メアリは、様々なものを与えてくれた。


「貴方の歳は?」

「知らねぇ」

「そう……十にも満たないようには見えますが。では、名は?」

「知らねぇ。お前とか、手足を切り落とされてからはダルマって呼ばれた」

「名がないのですか。しかしダルマでは、あまりにも無様ですね。これから、ハイリと名乗りなさいな」

「ハイリ……」


 最初は名前だった。


「手足がないのは不便ですね。私が、特別に仕立てて・・・・差し上げますわ」

「どうやって?」


 次に与えられたのは、新たな手足だった。

 銀とも黒鉄とも似つかない不思議な色合いの金属で出来たそれ。


 ちゃんと手足の感覚もあり、思い通りに動く。


「すげぇ……」

魔導銀(ミスリール)と呼ばれるもので出来ています。貴方の髪や瞳の色と同じで美しいでしょう? 貴方の成長に合わせて、ちゃんとスタイル良く伸びる、生きた義肢です」

「お前が作ったのか?」

「ええ。それと、私を呼ぶ時はお前ではなく、名前で呼びなさいな」

「分かった、メアリ」

「素直でよろしい」


 メアリは微笑み、頭を撫でてくれた。

 それを、少し前から心地よいと感じていた。


「これは贈り物です。人から何かをしてもらった時は、ありがとう、と言うのですよ」

「ありがとう。……でも、メアリは人外の魔女だけどな」

「混ぜっ返す必要がどこにありますか。魔女でも人外でも合ってますが、正確には吸血鬼ノスフェラトゥです。覚えておきなさい」

「分かった、メアリ」

 

 彼女は、約束通りに与えてくれた。


 幸福と安らぎを。

 食べ物と寝床を。


 そして教養と、1人で敵と戦う方法を。


 六年間。

 それが、彼女と共に過ごした時間だった。



 ―――メアリはいつしか、俺の全てになっていた。



「貴方の灰色の髪と瞳は、美しいわね」

「そうか?」

 

 ある日、ハイリを膝に乗せて髪をきながら、彼女はそう口にした。


 彼女が、敬語でなくなったのがいつからなのか、もう覚えていない。

 だが、確かに彼女から親しみを与えられていることを、ハイリは感じていた。


 汚れを落としてもらい、生まれて初めて水面ではなく鏡を見た時に、ハイリは自分の本当の髪色を知った。


 美しいかどうかはいまいちよく分からないが、薄汚れてボロ布を着ていた頃に比べれば、肉もついたし小綺麗にはなっただろう。


 メアリに褒められるのは嬉しい、が。


「貴方は、とても可愛いわ」


 その褒め言葉だけは、あまり好きではない。

 ハイリはしかめっ面で答えた。


「……今に、メアリより背が伸びるさ」

「楽しみね」


 全く信じていなさそうな口調で、彼女はクスリと笑った。


 幸せだった。


 でも。


「幸せと安らぎを知って、貴方はどう?」

「どうって?」

「失うことが、怖くない?」

「失う……?」


 メアリの問いかけの意味が分からず、ハイリは首を傾げた。


「だって、メアリは死なないだろ? 強いんだから」

「そうね。でも、貴方は弱くて、私より先に死ぬわね」

「そうだな」


 ハイリが彼女の顔を見ると、その表情にふと違和感を覚えた。


 いつもの優しい笑みではなく、酷薄そうな、出会った時の絶望の化身だった時に似たような、笑み。


 しかし、どこか違和感があった。

 違和感の上に、ざらりとした嫌な予感も重なっていた。


「メアリ……?」

「ねぇ、ハイリ。喪うことは、怖いわね」

「……俺を、捨てるのか?」

 

 ハイリの問いかけに、彼女は笑みを浮かべたまま、何も答えなかった。


 その日の夜に、夢を見た。


 かつての、辛く、苦しい記憶。

 メアリに出会う前の、不幸と絶望の記憶。


 うなされながら、ハイリはメアリの幻聴を聴く。


『人の不幸は蜜の味、と言います』

『不幸と苦痛を知った貴方に、今度は、幸せと安らぎを。それを貴方が知ることに、私は興味があります』

『ねぇ、ハイリ』


 絶望の最後に出会った、彼女の口元だけが見えて、そうしてささやく。




『喪うことは、不幸ね。―――幸せと安らぎを知った後の、不幸の味は、どう?』




 ―――苦くて不味いよ、メアリ。

 ―――捨てないでくれよ。


 だが、夢の中の彼女は、先ほどと同様に応えてはくれなくて。


 ただ、ハイリを救ってくれた、ひんやりとした手の感触に、頭を撫でられた。

 すると、夢とうつつの、境目が曖昧になる。


『もうお眠りなさい。今は、貴方の側にいるから』


 途端に、我ながら現金なことに、スゥ、と苦痛が遠ざかる。


 ―――本当に? メアリ。


 うとうとと微睡みながら、深い眠りに落ちる前に聞いたのは、誰かとメアリの会話だった。


『ああ、Mr.カミヌマ? 夜分に申し訳ありません。……お願いがあるのですけれど』

『君から連絡してくるとは、意外だな。何かロクでもない要件か?』

『そうね、ある意味では、厄介ごとを押し付ける形になるかも知れません』


 一息を置いて、彼女は告げた。



『―――私の大切な者を、預かっていただけません?』



※※※


「嫌だ。離れないぞ!!」


 ハイリは吼えた。

 別れを口にするメアリに、初めて、全力で抵抗した。


「俺は、お前と一緒に居たいんだ! 俺を不幸にするのか、メアリ!! ならなんで、助けたりした!?」


 愛は憎しみに似る、と教えてくれたのは彼女だった。

 憎悪は、愛情ゆえに生まれることもあるのだと、ハイリは知った。


「人の不幸は蜜の味、と言うでしょう?」


 そう言って冷たい笑みを浮かべるメアリに、全力で首を横に振る。


 ハイリは、分かっていた。

 そんな笑みの違和感に、気づいていた。


 苛立ちと焦りでグチャグチャになりながら、それでもハイリは抵抗する。


 言葉の刃を、メアリに投げる。


「俺の不幸が美味いのか、メアリ!」

「ええ、とても」

「嘘つけ!!」


 ―――そのくらい、分かる程度には一緒に居たぞ!


 ハイリに与えた優しさが、裏切るための嘘だったなんて信じられなかった。

 信じたくもなかった。


 それでも、メアリがたのしんでいるのなら理解は出来た。


 ―――嘘つくなら、もっとマシな顔しろよ!!


 いくら冷たい表情を作っても、それがメアリの作り笑いであり。


 瞳の奥に悲しみが宿っていることに、ハイリは気づいていた。


「俺は、お前に不幸を楽しまれるような外道か!? メアリ!」

「ええ。人外に恋焦がれる、外道よ」

「だから、俺の不幸を望むのか! そんな嘘が、信じられると思うのか!?」


 力でも、言葉でも、きっと彼女には勝てないと分かっていた。

 それでも、言わずにはいられなかった。




「―――自分を不幸にしてまで、俺の不幸を望むのか!!」




 そんなに悲しんでいるくせに。


 叩きつけた言葉に、メアリは軽く目を見開き……眉をハの字に曲げて、小さく首を傾げる。


「貴方は、ちっともお利口さんにならなかったわね、ハイリ。他者の心を、そうして決めつけるの?」

「決めつけてなんかいない!」

「では貴方は、私の不幸を望むの?」


 不意に投げ返された疑問に、ハイリは意味が分からず言葉に詰まる。


「……どういう意味だ?」

「ハイリ。私の気持ちは考えてくれないの? 貴方は、私よりも先に死ぬの。絶対にね。……ねぇ、別れは不幸でしょう?」


 改めて問われて。

 ハイリは、彼女の言わんとすることを悟る。


 寿命。


 ただの別れでも悲しいのに、それが永遠の別れなら?


 メアリは人外だ。

 出会って数年、ハイリが成長しても、彼女の姿はちっとも変わらない。


 それがきっと、この先もずっと続く。

 ハイリが大人になって……やがて年老いても、きっとメアリは、今のまま。


 訪れる別れは、彼女だけを傷つける。


「あ……」

「さっきの言葉は撤回するわね、ハイリ。貴方はやっぱり、聡い子ね」


 近づいて来たメアリは、ハイリの銀の手を取り、自分の頬に当てる。

 ひんやりとした柔らかな感触をきちんと感じ、自分の思い通りに動く、彼女からの贈り物。


「ハイリ。貴方は、一人でも生きられるようになったはずよ」

「……俺は、メアリの横にいたくて、強くなったんだ」


 同じ高さになった目線。

 もう少しで追い抜けるくらいの。


 でも、彼女は待ってくれない。


「噛めば良いじゃないか。一緒に生きていいと、思ってくれるなら」


 メアリは吸血鬼ノスフェラトゥだ。


 勉強した時に見せられた文献には、吸血鬼には、血を吸うことで眷属を作る力があると書かれていた。


「無理よ。眷属は、主人への服従を精神に刻まれる。心酔と崇拝を強要された魂は、もう、貴方ではなくなるの」

「じゃあ、俺が、自分で吸血鬼になれば」

「他人の苦痛と不幸の上に? ……私を愛するために、ただそれだけの為に、恨みも関係もない誰かを殺すの? 貴方のような不幸を背負う者を、貴方自身が作るのかしら、ハイリ」

「……ッ!」


 自分の幸せの、楽しみのために他者を踏みつける。

 たとえ嘘でも、それをやると口にすれば、やっぱりメアリは自分から離れていくだろう。


 ―――どうすれば。


 ハイリは、諦めたくなかった。

 だから、必死で思考を巡らせて。




「―――だったら、俺がメアリを殺す!!」




 辿り着いた答えに、メアリが固まった。


「俺が死ぬ時に、お前を殺せば、お別れは俺が先になる!! それで、それで良いだろ!!」


 彼女が呆然として黙り込んだので、ハイリは彼女の頬に当てた手に軽く力を込める。


 すると、ハッと気がついたメアリが、小さく息を吐いた。


「貴方が……不死の私を?」

「俺は強くなった。きっと、殺せる。殺せるはずだ!」


 口にしながらも、今すぐそれが出来るとは思っていなかった。

 仕込まれた体術や技術は彼女から習ったもので、一度も勝てたことなどなかった。


 まして不死の人外を殺す方法なんて、知らなかった。

 

 それでも。


「そうすれば、一緒にいられるだろ!?」

「ハイリが、狩人ハウンドになる……そう」


 メアリは、花開くような、あるいは蕩けるような微笑みを浮かべた。


「そう……」


 自分の顔を見つめる赤い瞳を持つ美しい顔に、嬉しげな様子に、ハイリは思わず見惚れる。


「それなら、誰も不幸にならないわね。でも、蜜のように甘いお誘いだわ」


 メアリは、腕をこちらの体に回して、優しく抱きしめてくれた。


「なら私は、【魔宴サバト】の場で、それを待つわ。それが開かれる時を、場所を、察せるくらいに強くなってーーー」


 そうして、耳元で囁かれる。



「―――殺せるものなら、殺しにいらっしゃいな」



 言葉とは裏腹に、その手は泣いているように震えていた。

 ハイリは彼女を抱きしめ返した。


「……言ってることとやってることが、めちゃくちゃだよ」

「貴方もでしょう?」


 クスリと笑ったメアリはそのまま体を離し、こちらの手を取って寝室へと誘う。


「初めて、説得されてしまったから……ご褒美を、あげるわね」


※※※


 ―――禍月の夜に、獣の遠吠えが渡る。


 窓の外に薄ら赤い、色と音が見え。


 それらをぼんやりと意識の片隅に捉えながら、自分にまたがるメアリの、美しい裸体に目を向けた。


「貴方は、私のもの」


 少女の姿をした、夜の気配よりも禍々しいそれが密やかに告げる。


 彼女は妖艶で、強かだった。

 同時に無邪気で、真摯だった。


 汗ばむことのない冷ややかな肌を持つ彼女は、それでも頬を紅潮させていると錯覚するほどによがり、蕩けた瞳で好意を口にする。


「あなたは私のもの。その心と体の全てが、私のもの」


 口元から覗く、赤い舌がうたう。


「貴方は、私のもの……」

「誰かにられるのが怖いなら、今、殺してもいいぞ?」


 そう呟くと、彼女は笑みを深めて体を横たえ、こちらの首もとに牙を這わせる。


 ゾクリとする感覚。

 少しでもめば、血をすする鋭いそれが肌を突き破る。


「いいえ」


 そんな風に悪戯をしながら吐息と共に漏れた言葉は、否定。

 代わりに背中を抱くように、彼女の指が這う。


 右の肩甲骨を撫でるように、指先が添えられ。


 ーーー灼熱にも似た痛みと共に、爪の先が食い込んだ。


「っ!」

「殺さないわ。私を殺してくれるのでしょう? ―――でも、(しるし)を。私のものだという呪いを、愛を、貴方にあげる」


 意識が真っ白に染まる中、彼女の声だけが明瞭に響く。


「忘れないで。片時も。覚えていて。あなたが土に還るその時まで」


 それは、別れの言葉だった。

 同時に、契りの言葉だった。


「この爪痕が、あなたの魂の奥深くまで刻まれますように。忘れないで」


 彼女は囁く。




「私も忘れないから。―――私の全ても、あなたのものだから」




 そうして、一夜。

 目覚めた時に彼女の姿はなかった。


 右の背には、メアリの爪痕を背負って。

 自分を引き取りに来た男に与えられた、白い制服と手袋(羊の皮)に異形の手足を隠して。


 ハイリは、狩人になった。

 

※※※


 それから、数年。


 カミヌマという男の養子になり、ハイリは狩人の群れの中で様々なことを学んだ。


 年に一度、強大な力を持つ人外が集い、お互いの利害を話し合う【魔宴サバト】が開かれるということも、詳しく知った。


 ハイリはそれに、メアリに連れられて訪れたこともある。

 

 かつてはそれが何かを知らなかったが、様々に声を掛けてきたモノたちが全て人外であったこともまた、理解出来た。



 ーーーそうして、今。



 赤い月が掛かる夜に、深い森の広場に、ハイリは辿り着いた。

 そうして潜り込んだ人外たちの宴、その片隅にいる彼女の姿を、見つけた。


 ハイリは、静かに近づき、目の前に立つ。


「あら……背が伸びたわね」


 別れた時と全く変わらない姿をしたメアリは、人外の中でも、類稀な程に強大な存在であり、狩人ですら狩り切れずに協定を結んでいるのだと、もう理解していたが。


 見下ろす彼女は、華奢で、今のハイリが触れたら折れそうなほどに見えた。

 でも、その体を、思い切り抱きしめて、告げた。



「ーーーメアリ。約束通りに、殺しに来た」



 彼女から与えられたしるしは、ハイリに力を与えた。

 それは、どんな狩人も、他の人外も、相手にならないほどの力だった。


 だが、ハイリは驕らなかった。


 メアリに与えられた力に頼っているだけでは、彼女に届かないと理解していたから。


「……言ってることとやってることが、むちゃくちゃね」

「何も間違ってない。俺は、メアリと共に生きる為に強くなった」


 言いながら、小さくなったメアリは、ハイリの体をそっと抱きしめ返す。


「確かに、逞しくなったわね。もう可愛くはないかも」

「可愛くなければ、嫌いになったか?」


 ハイリの問いかけに、彼女は答えずに話を逸らす。

 

「……北の竜王を殺したと、聞いたけれど」 


 彼女に並び称される、ごく僅かな人外。

 北の竜王は、その中でも特に人にとって脅威であり、悪辣とされるモノだった。


「〝外道の不幸〟を、君への手土産に。蜜の味がするだろ?」

「どうかしら?」

「なら、俺との再会は?」

 

 そう問いかけながら、メアリの顔を見る。

 彼女の赤い瞳は、潤んでいた。


「そう、ね。……それはとても、甘い気がする」


 背中に回した手を離して、ハイリの灰色の髪をそっと手で払った彼女は、最初に殺すと告げた時と同じような、花開くような笑みと共に、震える声で答えた。




「とても甘いーーー幸福の味が、するわ」



 

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― 新着の感想 ―
[一言] 続きどこです?(遅いって?しゃーないんです!) 好きだァァァ!
[良い点] かっけぇ…_:(´ཀ`」 ∠):_
[良い点] 続き、続きはどこですかー!! ああ、逞しくなったハイリとメアリのこれからがとても気になります。バトルが始まっていくのか、それともまた別の困難が待ち受けているのか……妄想が膨らみました。素…
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